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5章(4)
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僕らは終点でさらに電車を乗り換え、二時間ほど電車に揺られて、ひたすらに流れる景色を見つめていた。
そうしてたどり着いたのは、寒々とした十月の海だった。晴れてはいるが、風が冷たい。風に乗って、ほんのりと潮の匂いがする。海水浴シーズンはすっかり過ぎて、砂浜に人の姿はない。ところどころに流れ着いたであろうゴミが落ちているだけだ。
僕たちは石造りの階段を下りて、砂浜に降り立った。思った以上に潮風が冷たく、寒い。僕が身震いすると、榊さんは羽織っていた僕のブレザーを返してきた。自分はカーディガンを着ているからそれほど寒くないと言う。
あてもなく砂浜を歩いていたが、榊さんの足取りがだんだんと重たくなってきた。もしかすると膝が痛むのかもしれない。榊さんは慣れているのかもしれないが、片足を引きずるような歩き方は、反対の足に負担がかかりすぎる。
「ちょっと休憩しよう」
僕は榊さんのほうを振り向いて言ったが、彼女はゆるゆると首を振った。そして僕らが行く道を指差す。榊さんが指し示した方向には、ぽつんと置かれた自販機と青色のベンチがあった。あそこまで行きたいらしいが、まだかなり距離がある。
僕は背負っていたリュックを下ろし、身体の前に来るように背負い直した。砂浜にしゃがみ込み、空いた背中を榊さんに差し出す。
「なに……?」
「いや、歩いていくのは大変そうだと思って」
「背中に乗れってこと?」
「……嫌ならいいけど」
僕はしゃがみ込んだまま、黙って前を向いた。砂を踏む音がして、後ろから伸びてきた腕がするりと首に巻きつく。背中に体温を感じ、それから控えめな重さがのしかかってきた。垂れてきた髪の毛が耳と首元をくすぐる。
振り向けば、すぐそこに榊さんの顔がある。なるべく意識しないように、頭が空っぽになるように念じながら、そっと彼女の膝裏に腕を差し入れる。
ぐっと力を入れて立ち上がったが、あいかわらず榊さんは羽のように軽かった。教科書がパンパンに詰まったリュックのほうが重たいんじゃないかと思うくらいだ。波の音に交じって、榊さんの静かな吐息が耳を掠める。
前にリュック、後ろに榊さんを背負って柔らかな砂を踏みしめる。僕らの他には誰もいない。波の音と、時折強く吹く風の音だけが世界を包み込んでいるみたいだ。
いまなら、どこまでもいけそうな気がした。僕たちを縛るものはなにもない。誰もいない。僕たち二人だけの世界。波が押し寄せて、それから引いていく。流れ着いた空き缶が、また波によって海に戻っていく。
青色のベンチは近くで見ると錆が目立った。ベンチの隣に立つ自販機にも錆が浮いている。潮風のせいだろうか。ここにあってはなにもかもが錆びていくようだ。
「わたし、コーラがいい」
耳元で榊さんが呟いた。
僕は榊さんをベンチに下ろし、リュックを漁って財布を取り出す。缶のコーラを買い、僕は自分用にペットボトルの緑茶を買った。榊さんの隣に腰を下ろす。コーラを彼女に渡し、僕はペットボトルのキャップを開けて緑茶を一口飲んだ。
一息ついたところで、ポケットからスマホを取り出す。もうすぐ十時になる。文化祭の一般公開がはじまる時間だ。母親はもう高校に着いただろうか。僕がいないことに気づいたら、母はどうするだろう。「先に出る」とは言ったけれど、高校で待ち合わせをしようと言ったわけではない。いまに絶え間なく電話がかかってくるような予感がして、僕は苦い思いでスマホのロック画面を見つめた。
「いまから帰る?」
榊さんがいたずらっ子のような響きを持って尋ねてくる。手に持ったコーラの缶はまだ開けられていない。潮風でなびいた髪の毛が、榊さんの横顔を隠した。
「帰らないよ」
僕はしばらく迷ってから、そう口にした。口にした途端、僕は本当に帰りたくなくなった。心を支配しかけていた迷いが消えて、スマホの電源ボタンを長押しする。スマホは手の中で一度震えてから、シャットダウンした。真っ暗な画面に僕の気弱な顔が映り込む。
榊さんはコーラを手にしたまま、海を見つめているようだ。茶色の瞳がまっすぐに遠くを見つめる横顔があまりに儚くて、綺麗で。この瞬間を永遠に取っておきたいと思った。だけど、写真や絵にしたら榊さんの綺麗さは失われてしまう。いま、この瞬間だけの、僕だけが見ている美しさなのだ。
「ここに来れてよかった」
榊さんが遠くを見たまま、言った。その響きに若干の切なさが含まれているような気がして、僕はさらに彼女の横顔から目を離せなくなる。
ふいに榊さんが僕のほうを見た。ぱっちりと大きな、色素の薄い瞳が僕を見据える。これから彼女がなにを言おうとしているのか、僕にはうっすらとした予感があった。いまの榊さんには、人生に対する満足感と、諦念のようなものが渦巻いていたから。まるでここが、人生の終点だというみたいに。
榊さんはスカートからむき出しになった右膝を撫でた。それからコーラの缶をベンチの端に置いて、もう一度僕を見る。
形のいい唇がゆっくりと開かれて、宣託のように決定的な一言を口にした――。
「わたしね、十八歳までに死ななきゃいけないんだ」
そうしてたどり着いたのは、寒々とした十月の海だった。晴れてはいるが、風が冷たい。風に乗って、ほんのりと潮の匂いがする。海水浴シーズンはすっかり過ぎて、砂浜に人の姿はない。ところどころに流れ着いたであろうゴミが落ちているだけだ。
僕たちは石造りの階段を下りて、砂浜に降り立った。思った以上に潮風が冷たく、寒い。僕が身震いすると、榊さんは羽織っていた僕のブレザーを返してきた。自分はカーディガンを着ているからそれほど寒くないと言う。
あてもなく砂浜を歩いていたが、榊さんの足取りがだんだんと重たくなってきた。もしかすると膝が痛むのかもしれない。榊さんは慣れているのかもしれないが、片足を引きずるような歩き方は、反対の足に負担がかかりすぎる。
「ちょっと休憩しよう」
僕は榊さんのほうを振り向いて言ったが、彼女はゆるゆると首を振った。そして僕らが行く道を指差す。榊さんが指し示した方向には、ぽつんと置かれた自販機と青色のベンチがあった。あそこまで行きたいらしいが、まだかなり距離がある。
僕は背負っていたリュックを下ろし、身体の前に来るように背負い直した。砂浜にしゃがみ込み、空いた背中を榊さんに差し出す。
「なに……?」
「いや、歩いていくのは大変そうだと思って」
「背中に乗れってこと?」
「……嫌ならいいけど」
僕はしゃがみ込んだまま、黙って前を向いた。砂を踏む音がして、後ろから伸びてきた腕がするりと首に巻きつく。背中に体温を感じ、それから控えめな重さがのしかかってきた。垂れてきた髪の毛が耳と首元をくすぐる。
振り向けば、すぐそこに榊さんの顔がある。なるべく意識しないように、頭が空っぽになるように念じながら、そっと彼女の膝裏に腕を差し入れる。
ぐっと力を入れて立ち上がったが、あいかわらず榊さんは羽のように軽かった。教科書がパンパンに詰まったリュックのほうが重たいんじゃないかと思うくらいだ。波の音に交じって、榊さんの静かな吐息が耳を掠める。
前にリュック、後ろに榊さんを背負って柔らかな砂を踏みしめる。僕らの他には誰もいない。波の音と、時折強く吹く風の音だけが世界を包み込んでいるみたいだ。
いまなら、どこまでもいけそうな気がした。僕たちを縛るものはなにもない。誰もいない。僕たち二人だけの世界。波が押し寄せて、それから引いていく。流れ着いた空き缶が、また波によって海に戻っていく。
青色のベンチは近くで見ると錆が目立った。ベンチの隣に立つ自販機にも錆が浮いている。潮風のせいだろうか。ここにあってはなにもかもが錆びていくようだ。
「わたし、コーラがいい」
耳元で榊さんが呟いた。
僕は榊さんをベンチに下ろし、リュックを漁って財布を取り出す。缶のコーラを買い、僕は自分用にペットボトルの緑茶を買った。榊さんの隣に腰を下ろす。コーラを彼女に渡し、僕はペットボトルのキャップを開けて緑茶を一口飲んだ。
一息ついたところで、ポケットからスマホを取り出す。もうすぐ十時になる。文化祭の一般公開がはじまる時間だ。母親はもう高校に着いただろうか。僕がいないことに気づいたら、母はどうするだろう。「先に出る」とは言ったけれど、高校で待ち合わせをしようと言ったわけではない。いまに絶え間なく電話がかかってくるような予感がして、僕は苦い思いでスマホのロック画面を見つめた。
「いまから帰る?」
榊さんがいたずらっ子のような響きを持って尋ねてくる。手に持ったコーラの缶はまだ開けられていない。潮風でなびいた髪の毛が、榊さんの横顔を隠した。
「帰らないよ」
僕はしばらく迷ってから、そう口にした。口にした途端、僕は本当に帰りたくなくなった。心を支配しかけていた迷いが消えて、スマホの電源ボタンを長押しする。スマホは手の中で一度震えてから、シャットダウンした。真っ暗な画面に僕の気弱な顔が映り込む。
榊さんはコーラを手にしたまま、海を見つめているようだ。茶色の瞳がまっすぐに遠くを見つめる横顔があまりに儚くて、綺麗で。この瞬間を永遠に取っておきたいと思った。だけど、写真や絵にしたら榊さんの綺麗さは失われてしまう。いま、この瞬間だけの、僕だけが見ている美しさなのだ。
「ここに来れてよかった」
榊さんが遠くを見たまま、言った。その響きに若干の切なさが含まれているような気がして、僕はさらに彼女の横顔から目を離せなくなる。
ふいに榊さんが僕のほうを見た。ぱっちりと大きな、色素の薄い瞳が僕を見据える。これから彼女がなにを言おうとしているのか、僕にはうっすらとした予感があった。いまの榊さんには、人生に対する満足感と、諦念のようなものが渦巻いていたから。まるでここが、人生の終点だというみたいに。
榊さんはスカートからむき出しになった右膝を撫でた。それからコーラの缶をベンチの端に置いて、もう一度僕を見る。
形のいい唇がゆっくりと開かれて、宣託のように決定的な一言を口にした――。
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