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5章(1)

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 結局、引っ越しの話はうやむやになって終わった。父親が母を連れて幌川へ引っ越すこともなく、また星海の家に帰ってくることもなかった。僕と母親を置いて、いつもの自由な生活に戻っていっただけだった。
 父親としての体裁と、面倒ごとからは逃れたいという思いがせめぎ合った結果が、引っ越しの提案だったのだろう。一緒には住むけれど、母親の面倒は僕に任せて、自分は今まで通りの生活がしたい。そんな思いが透けて見えるようで、僕はことさら父親に対して反感を抱く結果となった。
 九月も半ばまできたけれど、僕はあいかわらず母親のために学校を休みがちだ。父親の突然の帰還のあと、母の状態はさらに安定しなくなった。
 母親は、僕にを望んでいる。いつでも自分のそばにいること。いい息子でいること。弟と父親の代わりになること。間違っても、母親を疎ましいと思わないこと。父親の提案は、僕を縛りつける鎖を増やしただけだった。

「文化祭の準備で残る人は、遅くなりすぎないように」

 一週間ぶりに登校した僕は、担任のそんな一言でクラス全体が十月の文化祭に向けて動き出していることを知った。
 星海の文化祭は一般公開もされるから、毎年かなり気合いの入った規模の大きいものになる。僕も小学生の時に、友だちと連れ立って星海の文化祭に遊びに来たことがある。
 去年のクラスはお化け屋敷をやったが、今年はポップコーン屋をやるらしいということを僕は周りが話している会話の内容から読み取った。休みがちな僕は、自分のクラスがなんの出店をするのかさえ知らなかったわけだ。
 めいめいが準備に動き出した中、僕はリュックを持ったまま動けなかった。このまま帰っていいものか、それとも準備を手伝うべきなのか。周りのクラスメイトは皆、それぞれ自分の役割を持っているようだった。立て看板を教室内に運び込んでくる人。ポスターを描くために画材を準備している人。机をくっつけて、ポップコーンの味や値段について話し合っている人たち。
 僕だけが宙に浮いて、漂っているようだった。僕の居場所はここにはない。完全に場違いだ。
 ふらふらと視線をさまよわせる僕の目に、冴島くんの姿が映った。向こうも僕に気づいたようで、はっとした顔をする。

「森岡くん! こっちで一緒に当日の――」
「どうせ当日も来ないでしょ」

 冴島くんの言葉が、他のクラスメイトによって遮られる。クラスメイトから発せられた言葉が鋭利すぎて、僕は一瞬なにを言われているのか、わからなくなる。

「森岡って、お母さんのために学校休んでるんでしょ?」
「当日もお母さんと一緒に回ってたりして」
「うわ、マザコンじゃん」

 指先が冷えて、痺れていく。目の前が暗くなったり、白くなったり、クラスメイトの輪郭が曖昧になる。床に張り付いたように、足が動かない。冴島くんがどんな顔をしているのか、確認するのが怖い。
 それは紛れもなく、悪意の塊だった。僕を教室から、クラスから排除しようとする明確な悪意。それに気づかないほど、僕は能天気な人間ではない。

「森岡くん……」
「いいよ、冴島。マザコンなんか放っておこうぜ」

 輪が閉じる。僕を置き去りにして。
 僕は心配そうにちらりとこちらを見た冴島くんに向かって、なんでもないというふうに首を振った。無理に僕を擁護して、彼までクラスで冷遇されたら目も当てられない。
 手のひらの冷や汗をズボンで拭いて、リュックを背負う。教室のあちこちで自然発生している人の輪の間をすり抜けて、僕は教室から出た。

 階段を下りながら、ため息を必死にこらえる。平凡な高校生活を送りたいという、たったひとつの願いはもはや叶えられそうになかった。
 家にも学校にも居場所のない僕は、一体どこに流れ着くというのだろう。父親のくだらない提案に乗って、高校を変えてしまうのがいいのだろうか。けれど母親という原因がなくならなければ、どこに行っても同じ結果を招いてしまうだけだ。環境が変われば、なにもかも丸く収まるとか、そんな都合のいい話じゃないことは自分がよくわかっている。

 下駄箱の前で靴を履き替えている時、頭の中を榊さんのことがよぎった。さっき教室で彼女の姿を見かけなかったが、もう帰ったあとだったのだろうか。榊さんはきっと文化祭には出ない。そんな気がする。
 榊さんだって、一年生の頃から色々と噂されることがあっただろう。でも、そんなこと髪を揺らす一筋の風にすらならないというように、彼女は飄々と躱してきたはずだ。
 僕はまたしても、榊さんのことを羨ましいと思ってしまった。周りの世界で起こっていることをまったく意に介さないその姿が。自分だけの世界を作り上げ、そこに閉じこもっていられる胆力が。

「……帰りたくないな」

 別に声に出そうと思ったわけじゃないのに、勝手に口から感情が滑り出てきた。家にはいたくない、かといって学校にいられるわけでもない。ならばどこに行こうというのか。自分でもわからない。
 夏の日は長い。まだまだ夕日は見えそうになく、アスファルトからの照り返しで空気が揺らめいている。
 いっそのこと、全部なくなってしまえばいいのに。
 なんだか、榊さんが言いそうなことだ。そういう厭世的な感じが、榊さんにはよく似合うような気がする。
 破滅的な願いの裏で、彼女がひっそりと笑っている様子が目に浮かんだ。
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