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3章(5)
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将太は勝手に、家族のぬくもりがある部屋を想像していたのだが、実際はかなり殺風景な部屋だった。リビングにはセミダブルのベッドと、小さなサイドテーブル、白いローテーブルのみが置かれ、テレビやソファといったたぐいの家具はない。ラグやカーペットといったものも敷かれておらず、エアコンの風で冷えたフローリングが足裏にぴたりと張りついてくる。
リビングの隣にもうひとつ部屋があるようだが、そこは襖でぴったりと閉じられていた。おそらく和室だろうが、襖を開けてまで確認するほど野暮ではない。
リビングからキッチンの様子も見える。いずれオープンキッチンの部屋に住みたいと思っている将太にとって、憧れの間取りでもある。しかしダイニングテーブルはなく、彩鳥はリビングにぽつんと置かれたローテーブルで食事を取っているようだ。旦那と二人で座って食事をするには少し狭いような気もするが、一緒に食べる時間もないほど仕事が忙しいのだろうか?
「ああ、いるじゃん。くっついてるわ」
先にキッチンへ入っていた菱目が、果敢にもホイホイの中を覗き込んで言う。女性はみな、虫が苦手だと勝手に思い込んでいたが、そうでもないらしい。菱目は慣れた手つきでゴミ箱付近を漁り、ちゃっかりレジ袋まで確保している。将太の出番はなく、菱目はあっさりと虫を駆除してしまった。
「なんかまだ生きてるっぽいんだよね、こいつ」
菱目がホイホイを密封したレジ袋を掲げながら言う。いくら虫が怖くないとはいえ、生きてるものを持ち帰りたい人間はそうそういない。密封されていても、あんなに虫を怖がっている彩鳥の部屋へ置いていくのも気が引ける。
将太はいよいよ自分の出番がやってきたことを悟り、手を差し出した。寮の外に備えつけられた大型のゴミ箱に捨ててしまえばいいだろう。菱目に持って帰らせるのも好ましくない。
菱目からレジ袋を受け取り、キッチンを出る。案外、早く決着がついた。菱目は残党を探しているのか、冷蔵庫の隙間などを覗いていたようだが、すぐに将太に追いついてきた。彩鳥もこれで、安心して眠れるだろう。
部屋の外で待っている彩鳥を呼ぼうとリビングのドアに手をかけた時、菱目がふいに低い声で言った。
「ねぇ、なんか変な臭いがしない?」
そう言われて、将太もすんすんと匂ってみる。たしかに菱目の言う通り、わずかに食べ物が腐ったような、真夏に生ゴミを放置した時のような臭いがする。
「キッチンのゴミとかじゃないんですか?」
最近は蒸し暑い日が続いているし、蓋つきのゴミ箱でも臭うことくらいあるだろう。しかし菱目は将太の問いかけに納得いっていないように首を振る。
「キッチンじゃなくて、こっちの方からするんだよね」
菱目は将太を追い越し、リビングの奥、ぴたりと襖が閉じられた場所を指差す。閉じられてはいるが、隙間から臭気がもれ出してくるように錯覚する。将太は自分も知らぬ間に、緊張からごくりと息を飲んだ。
菱目が襖の取っ手に手をかける。
「ま、待って! さすがに水本さんに聞いてからの方が……」
「ちょっと確認するだけよ。ここにも虫がいたら困るでしょ?」
男ひとりで家に行くのはまずいと呼び出した時は不機嫌だった菱目だが、実は将太以上に彩鳥に対して親身になっている感じもある。そう思っているのは将太だけで、菱目本人は好奇心に従って動いているだけかもしれないが。
将太はリビングのドアを開け、いちおう彩鳥に声をかけたが、返事はなかった。返事はなくとも声をかけたという免罪符を得て、将太もぴたりと閉じられた襖に向き合う。
菱目がぐっと力を込めて襖を引き開けると、むわっとした熱気と、熱気に混じってすえた臭いが鼻をついた。
襖を開け放ち、リビングの明かりでなんとか中の様子を窺おうと試みる。将太の予想通り、そこはなんの変哲もない和室だった。6畳ほどの大きさで、畳の上に茣蓙が敷かれている。右側の壁へくっつけるようにそれほど大きくもない箪笥が置かれていた。箪笥の他に、家具らしきものはない。
しかし、臭いのもとをたどっていくと、箪笥の上に目が留まった。どうやら簡易的な仏壇として使用しているらしい。位牌と、骨壺と、それから若い男性の写真が飾ってあった。おそらく、遺影だろう。位牌の文字は和室が暗いせいでよく見えなかったが、しっかり見るために手に取るのは気が引けた。
臭いを発していたのは、遺影の前に置かれた食事だった。一汁三菜しっかり揃った献立で、供える意味で置いてあるのだろうが、この暑さですっかり腐ってしまっていた。
将太の前に立って、薄闇に目を凝らしていた菱目が「あっ」と声を上げる。
「この遺影の人、警察の制服じゃない……?」
将太も、菱目の肩越しに目を凝らす。無地の青い背景に、髪を短く刈り込んだ姿の男性。胸から上だけの写真ではあったが、たしかにその服はよく見慣れた警察官の制服だった。白いワイシャツに、しっかりブレザーまで着込んでいる。男性はまっすぐ前を向いて、口を引き結んでいる。証明写真かなにかのようだが、目鼻立ちは整っており、もう少し髪を伸ばせばモデル顔負けのイケメンになるだろうと予感させた。
将太はそこで、ふと気づく。警察官が、制服姿で写真を撮る機会など限られている。
「警察手帳の写真ね……」
菱目も気づいたようだ。おしゃれなどそっちのけのように髪を刈り込んで短くしているのも、警察学校を出たばかりの時の写真だからだ。将太の警察手帳の写真も、顔の出来はともかく髪型や服装はまったく同じだ。
遺影の男性は、よっぽど若くして亡くなったことになる。しかもここは彩鳥の部屋だ。この男性と、彩鳥の関係は?
考えに耽る将太の耳に、菱目の短い悲鳴が聞こえた。一拍遅れて、振り返る。リビングの逆光の中、黒と紫の長髪が揺らめいた。
「あれ、警察官が勝手に家捜しかい?」
リビングの隣にもうひとつ部屋があるようだが、そこは襖でぴったりと閉じられていた。おそらく和室だろうが、襖を開けてまで確認するほど野暮ではない。
リビングからキッチンの様子も見える。いずれオープンキッチンの部屋に住みたいと思っている将太にとって、憧れの間取りでもある。しかしダイニングテーブルはなく、彩鳥はリビングにぽつんと置かれたローテーブルで食事を取っているようだ。旦那と二人で座って食事をするには少し狭いような気もするが、一緒に食べる時間もないほど仕事が忙しいのだろうか?
「ああ、いるじゃん。くっついてるわ」
先にキッチンへ入っていた菱目が、果敢にもホイホイの中を覗き込んで言う。女性はみな、虫が苦手だと勝手に思い込んでいたが、そうでもないらしい。菱目は慣れた手つきでゴミ箱付近を漁り、ちゃっかりレジ袋まで確保している。将太の出番はなく、菱目はあっさりと虫を駆除してしまった。
「なんかまだ生きてるっぽいんだよね、こいつ」
菱目がホイホイを密封したレジ袋を掲げながら言う。いくら虫が怖くないとはいえ、生きてるものを持ち帰りたい人間はそうそういない。密封されていても、あんなに虫を怖がっている彩鳥の部屋へ置いていくのも気が引ける。
将太はいよいよ自分の出番がやってきたことを悟り、手を差し出した。寮の外に備えつけられた大型のゴミ箱に捨ててしまえばいいだろう。菱目に持って帰らせるのも好ましくない。
菱目からレジ袋を受け取り、キッチンを出る。案外、早く決着がついた。菱目は残党を探しているのか、冷蔵庫の隙間などを覗いていたようだが、すぐに将太に追いついてきた。彩鳥もこれで、安心して眠れるだろう。
部屋の外で待っている彩鳥を呼ぼうとリビングのドアに手をかけた時、菱目がふいに低い声で言った。
「ねぇ、なんか変な臭いがしない?」
そう言われて、将太もすんすんと匂ってみる。たしかに菱目の言う通り、わずかに食べ物が腐ったような、真夏に生ゴミを放置した時のような臭いがする。
「キッチンのゴミとかじゃないんですか?」
最近は蒸し暑い日が続いているし、蓋つきのゴミ箱でも臭うことくらいあるだろう。しかし菱目は将太の問いかけに納得いっていないように首を振る。
「キッチンじゃなくて、こっちの方からするんだよね」
菱目は将太を追い越し、リビングの奥、ぴたりと襖が閉じられた場所を指差す。閉じられてはいるが、隙間から臭気がもれ出してくるように錯覚する。将太は自分も知らぬ間に、緊張からごくりと息を飲んだ。
菱目が襖の取っ手に手をかける。
「ま、待って! さすがに水本さんに聞いてからの方が……」
「ちょっと確認するだけよ。ここにも虫がいたら困るでしょ?」
男ひとりで家に行くのはまずいと呼び出した時は不機嫌だった菱目だが、実は将太以上に彩鳥に対して親身になっている感じもある。そう思っているのは将太だけで、菱目本人は好奇心に従って動いているだけかもしれないが。
将太はリビングのドアを開け、いちおう彩鳥に声をかけたが、返事はなかった。返事はなくとも声をかけたという免罪符を得て、将太もぴたりと閉じられた襖に向き合う。
菱目がぐっと力を込めて襖を引き開けると、むわっとした熱気と、熱気に混じってすえた臭いが鼻をついた。
襖を開け放ち、リビングの明かりでなんとか中の様子を窺おうと試みる。将太の予想通り、そこはなんの変哲もない和室だった。6畳ほどの大きさで、畳の上に茣蓙が敷かれている。右側の壁へくっつけるようにそれほど大きくもない箪笥が置かれていた。箪笥の他に、家具らしきものはない。
しかし、臭いのもとをたどっていくと、箪笥の上に目が留まった。どうやら簡易的な仏壇として使用しているらしい。位牌と、骨壺と、それから若い男性の写真が飾ってあった。おそらく、遺影だろう。位牌の文字は和室が暗いせいでよく見えなかったが、しっかり見るために手に取るのは気が引けた。
臭いを発していたのは、遺影の前に置かれた食事だった。一汁三菜しっかり揃った献立で、供える意味で置いてあるのだろうが、この暑さですっかり腐ってしまっていた。
将太の前に立って、薄闇に目を凝らしていた菱目が「あっ」と声を上げる。
「この遺影の人、警察の制服じゃない……?」
将太も、菱目の肩越しに目を凝らす。無地の青い背景に、髪を短く刈り込んだ姿の男性。胸から上だけの写真ではあったが、たしかにその服はよく見慣れた警察官の制服だった。白いワイシャツに、しっかりブレザーまで着込んでいる。男性はまっすぐ前を向いて、口を引き結んでいる。証明写真かなにかのようだが、目鼻立ちは整っており、もう少し髪を伸ばせばモデル顔負けのイケメンになるだろうと予感させた。
将太はそこで、ふと気づく。警察官が、制服姿で写真を撮る機会など限られている。
「警察手帳の写真ね……」
菱目も気づいたようだ。おしゃれなどそっちのけのように髪を刈り込んで短くしているのも、警察学校を出たばかりの時の写真だからだ。将太の警察手帳の写真も、顔の出来はともかく髪型や服装はまったく同じだ。
遺影の男性は、よっぽど若くして亡くなったことになる。しかもここは彩鳥の部屋だ。この男性と、彩鳥の関係は?
考えに耽る将太の耳に、菱目の短い悲鳴が聞こえた。一拍遅れて、振り返る。リビングの逆光の中、黒と紫の長髪が揺らめいた。
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