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第5話

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 また、来てしまった。
 まことは同僚の梶山かじやまには告げずに、一人でホストクラブが入っている雑居ビルの前に立っていた。男に貢ぎたいだとか、同性に話を聞いてほしいだとか、そんなことを思ったわけではない。どうにも気になり、仕事中もずっと心に引っかかっていたことがあるのだ。
 和泉いずみしゅうの、あの眼鏡を外した顔。憂いと諦観が色濃く残る、青白い顔。周のその顔が、どうにもホストの天音あまねに似ているように見えたのだ。確証も、確信もない。きっと自分以外の人間が見たら、周と天音を見比べてみても似ていないと言うだろう。
 けれど、誠の中には確信とは呼べないものの、なにかの予感めいたものがあった。思い返せば、天音と周の声はよく似ている気がする。背丈も、透けるように白い肌も、宵闇を写し取ったような黒い瞳も。

 誠は辺りを見回してから、そうっと雑居ビルへと入っていった。階段を上ると、すぐさま黒く、重厚な扉が出迎えてくれる。金色で装飾されたドアノブを引くと、人のひしめき合う雑音と、まばゆいほどの光が誠を包み込んだ。
 受付に立っていた青年がすぐさま誠に気づき、声をかけてくる。男性客の来店自体が珍しいのか、受付の青年は誠の顔を覚えていたらしい。指名するホストの名を聞かれ、誠はしばし迷ってから天音の名前を出した。

「すみません、天音はいま他の指名が入っていまして……」

 青年が申し訳なさそうな顔をして言う。他のホストなら空いているという彼に任せ、誠は「誰でもいい」と返事をするとテーブルに案内してもらった。梶山と一緒に来た時は初回料金で安く呑めたが、二度目の今回からはサービス料や席料などをすべて払うことになる。長居するつもりはなかったが、ここまで来たからにはせめて天音の姿を一目見てから帰りたいとまで思っていた。
 テーブルに案内してくれた受付の青年が去ると、入れ替わりに黒いワイシャツ姿の青年が誠の隣に腰を下ろした。天音ほどの華はないが、顔立ちは整っており、彼もまた人気のホストなのだろうと想像できる。

「金曜日に天音を指名するなんて無理っすよ、お兄さん」

 彼は席に着くなり、一番にそう言った。自分よりも五歳ほど若く見える彼は、誠になにかアルコールを頼むよう言いながら、言葉を続けた。

「あいつ、週末しか出勤しないくせに売上はNo.1なんすよね」

 嫉妬のような苦いものを混ぜながら、ホストの青年が言う。それがどれほどすごいことなのか、誠にはいまいち判断がつかないが。

「ああ、俺。みなとです。さんずいに奏でるほうね」
「君は……その、ここで働きはじめて長いのか?」

 グラスいっぱいに氷を満たしていた湊が、ちらりと誠のほうを見る。

「そうっすね……たぶん三年? くらいにはなると思いますよ」
「天音は? いつからこの店にいるんだ?」
「あいつは俺よりあとの後輩っす。売上は抜かされてるけど」

 誠は目の前に置かれた酒のグラスで喉を潤した。

「なんか、妹がいるらしくって。母子家庭だから学費とか仕送りしてやるためにホストになったって言ってたっけ」

 妹。母子家庭。偶然か? 周もまた、妹とともに母子家庭で育ったと言っていた。別に、妹がいることも、母子家庭育ちも珍しいものではない。たまたま、周と天音の境遇が一致しているだけのことだろう。
 しかし謎の緊張が拭えない。本当に、周と天音は赤の他人なのか? 自分が勘違いして、勝手に二人が似ていると思い込んでいるだけかもしれない。

「天音が週末しか出勤しないのは、なにか理由があるのか?」

 誠はなんとか喉から言葉を絞り出すと、隣に座る湊の顔を見た。湊はさした感慨も見せずに、平然と告げる。

「昼は普通に会社員やってるって言ってましたよ。俺はいつか絶対、会社にバレることになるって言ってるんすけど、妹の大学受験までに金貯めたいとかなんとか言って続けてるみたいっす」
「つまり、ホストが副業ってことか?」
「まあ、そうとも言うんじゃないっすか」

 湊は天音の話にたいした興味を持っていなかった。相手が同性だからか、接客もそれなりで自分に金を使わせようと躍起になる様子もなかった。誠からして見ればそれはありがたいことで、すくないコストで天音の情報を得られたことになる。
 せめて、本人に会ってなにか聞ければいいのだが。
 本人に会って、なにを聞くっていうんだ?
 突然、「お前は和泉周なのか?」と尋ねるわけにはいかない。でも、確証が欲しい。周と天音が同一人物でも、まったくの赤の他人でも構わない。自分の直感的なものを認めてくれるなにか、もしくははっきりと否定してくれるなにかが欲しい。
 誠が黙り込んでしまったのを見て、いつの間にか湊はそっと隣を立ち上がり、フロアに姿を消していた。四人ほどが座れる広いテーブル席に一人残され、誠は思案する。勢いでここまで来てしまったが、自分の予想を信じているわけではない。むしろ、周と天音にはなんの関係もないと思っている。ただ、自分がすこしだけ二人の間に接点を見出しただけのことなのだと。

村谷むらやさん?」

 ふいに聞き覚えのある声に呼びかけられ、誠はハッと顔を上げた。そこには長い前髪を綺麗にセンター分けにし、シンプルなスーツに身を包んだ天音が立っていた。ぱっちりとした二重の目が、照明を反射してきらきらと輝いている。

「良かった、村谷さんだ。人違いだったらどうしようかと思いました」

 天音はそう言うと、ふにゃりと甘い笑みを見せた。女性に見せるのと変わらない、人好きのする笑みだ。誠はその顔を見て、やはり人違いだったかと思う。いつもどんよりと肩を落としている周と、常に誰にでも愛想と笑顔を振りまける天音が同一人物だとは思えない。顔や背丈が似ているだけだ。
 天音はあくまで誠のいるテーブルのそばを通っただけのようだった。フロアの遠くから天音を呼ぶ女性の声がしている。天音はさっと誠から視線をそらすと、声のするほうに向かって左手を掲げた。「すぐに行く」という意味なのだろう。
 ワイシャツの袖から覗いた細い手首に、高級そうな腕時計が巻かれている。そして、手首の内側に残る――赤黒く、ひきつれた皮膚。
 誠は無意識に、天音の右手を掴んでいた。ひんやりとした彼の体温と、自分の異様なほど熱い手のひらの温度が混ざり合う。

「村谷さん?」

 きょとんとした天音の声。急に触れられたというのに、彼は誠の手を振り払わない。
 誠は、口を開いた。それを聞いたら、後戻りはできないというのに。

「お前……和泉周だよな?」
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