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外伝① 王の資質
しおりを挟むギルティアスが、初めてアドラーに会った時、彼はまだ幼い子どもだった。
「ギルティアスと申します。アドラー様の影となり盾となり、あらゆるものからお守りするよう言いつかりました。宜しくお願い申し上げます」
「ギルティアス、ですね。おじいさまからのおてがみで、あなたはとてもつよい、きしだとききました。よろしくおねがいします」
たどたどしい話し方とあどけない微笑み。
だが、その見た目に反して、その瞳は意志の強さを映し出し、彼の幼くも洗練された立ち居振る舞いは、慧敏さを備えた人物であることを窺わせた。
ーー子供ながらに、この方は人の上に立つ威をその身に帯びている。なるほど、タイラル会長はただ孫が可愛いだけであのようにおっしゃった訳ではないのだな。
ギルティアスは、さほど裕福でない貴族の4男として生まれた。
物心ついた時から何度も両親や兄から諭されて、屋敷にずっと自分の居場所がある訳ではない事を理解した。
騎士として実力をつければ、食い扶持に困る事はない。そう言われ続けた彼は、日々剣の鍛錬に取り組み、どんどん実力をつけていった。
14歳で貴族の子息が通う学園を早々と卒園し、王立騎士団に最少年で入団した。
大人の騎士達に対して遜色ない強さが評判となっていた16歳のギルティアスに、破格の雇用話がまいこんだ。国内外に名の知られた大商人、タイラルからの依頼だ。
タイラルの娘は言わずと知れた、国王の側妃。王宮の勢力争いにより、側妃と第二王子が国外に出された事は、平民の間でも噂になっていた。
「ギルティアス殿、あなたには第二王子アドラー様の影となり盾となり、王子をお守りいただきたい。彼には、王の資質がおありになる。我が国の未来の為にも、絶対にアドラー王子を守り抜いて下され。勿論、報酬は惜しみません。あなたの家門にとっても、あなた自身にとっても、決して損のない話だと思いますぞ」
隣に座っていた父や長兄は、気持ち悪い程の笑みを浮かべていた。
平民とはいえ、多くの人間を抱え海千山千の相手と商売をしてきた人間だ。タイラルは、貴族である父とは比べ物にならぬ程、はるかに威厳を備えた人間に見えた。
その堂々たるタイラルよりも、この幼子から感じる闘気の方が大きいように思うのは、気のせいだろうか?
ギルティアスは、自身の心が浮き立つ気持ちを、面白く感じだ。
ーー今までは、ただ良い職を得る為だけに、剣の鍛錬に励んできた。だが、これから違う。このアドラー王子が私の主となったのだ。これから、私はこの方と共に、どう生きるのだろうか。
アドラー親子は隣国のハノイ公爵領に秘密裏に保護されていた。とはいえ、小さな屋敷に20名程の使用人と、王族としては考えられない程の慎ましい暮しだ。
そこに、ベテラン執事長ら5名とギルティスら腕ききの騎士が10名、タイラルの命によりこの地へと送り込まれた。屋敷は少しにぎわいをみせたように思えたが、国外へ追いやられた側妃の悲しみは、そう簡単に癒えるものではなかったようだ。
ふさぎこむ事が多い母と対照に、アドラーは一人で屋敷を抜け出す事が増えた。
屋敷の外にも見張りの騎士がおり、定期的に巡回していたのだが、アドラーは上手に人目を避けスルリと出ていってしまう。
いつ、どこから抜け出しているのかわからない。執事や騎士が必死になるのと反対に、アドラーは何も知らない子供の顔で大人達の説教をかわした。
「アドラー様、御身になにかあってはと我々は心配でたまりませぬ。どうぞ、一人なりとも騎士をお連れ下さいますよう、心よりお願い申し上げます」
年老いた執事長からの、半年にわたる懇願に根負けした王子は、ギルディアスだけを連れて屋敷の外にでるようになった。
一番年の若い騎士がいい、という理由のみで選ばれたようだが。
驚いた事に、アドラーは平民の子供達と親交を深めていた。
王族が、しかも第二王子が、平民と口をきくことはまずあり得ない。ギルティアスは、その光景に戸惑った。しかし、王子との約束どおり、何も言わず何もせず、見守るだけに徹した。
王子は平民の子供達と共に、森に入って木に登り、果物を取り、雑草を食べた。
彼らの家族が耕す農地の為に川の水を運んだり、木のツルでカゴを編むのを手伝った。
子供達に道に文字や数字を書いて教え、国の歴史や雑学を話して聞かせた。
そうこうする間にギルティアスも、王子や子供達に木の枝を剣にみたてて、剣技を教えるようになった。
「よし、じゃあ大会を行うぞ。これで優勝した奴が、大将になるって事でいいな」
「おお~~! このダニエル様が、ぜってえ勝つからな」
「何言ってんだよ。勝つのはオレだ!」
「シュナイゼル、頭ではお前に負けるが、ケンカなら負けねえぜ」
「イザック、これはケンカではないよ。大会だよ」
「ケンカでも大会でもどっちでもいいが、勝つのは俺様だ」
ある日、少年達が集まり、試合で一番強い者を決めると言い出した。
アドラーも当然のように参加する。
50人程いた少年が半数に減り、また半数にと減っていく。準決勝に残ったのは、アドラーと、そしていつも彼と行動を共にしている仲間の3人だった。
辛くも勝ち残ったアドラーと相手の少年は、子供がするお遊びにしては、あまりにも峻烈な勝負を繰り広げた。周りの少年達も、固唾を呑んで見守っている。
バシッバシッと木の枝が、アドラーの顔や腕に打ち付けられる。
彼の額から血が流れるのを見たギルティスは、無意識にアドラーを守ろうと動いた。と、同時に、アドラーからの鋭い声がとんだ。
「手だしはむよう! これはオレのたたかいだ! ギルディアス、そこから動くな!」
それから30分余り、二人の少年は体が動かなくなるまで、勝負をやめなかった。
「アル、お前、お坊ちゃまのクセに、ホンっと根性あるな」
「ダニエル、おまえこそ平民のクセに、けんすじがいいな」
二人は寝転び、笑いながら互いを褒めあった。
「よし、今回の勝負は引き分けとする。大将候補はダニエルとアルの2人だ。副大将はイザックとガムランの2人。そして、参謀はこの僕、シュナイゼルだ。いいね、みんな」
「おお、二人ともスゲエよ」
「アル、お前やるじゃん」
子供たちに取り囲まれた嬉しそうなアドラーを見つめながら、ギルティアスは今まで感じたことのない、腹の底から湧き上がる高揚感に包まれた。
ーーもしかすると、この方は本当に王になる運命なのかもしれない。私は、アドラーという国王を支える騎士となるのか。
ゾクリと、肌が粟立った。
期待と、戸惑いと、喜びと、恐怖。
運命の渦に、知らぬ間に自らも巻き込まれていくような不思議な感覚をギルティアスは味わった。
傷だらけのアドラーを見て屋敷は大騒ぎとなったが、彼は道で転んだと言いはった。ギルティアスも、上官や執事長にどれだけ問いつめられても『アドラー様がおっしゃる通りです』とのみ口にした。
アドラーが後からこう聞いてきた。
「ギルティアスは、なぜ大会のことを、しつじちょうに言わなかったのですか?」
「アドラー様が、そう望まれたからです。私は、アドラー様の盾ですから」
「そう、か。……わかった。ギルティアス、これからもよろしく頼む」
その大会からしばらくたったある日、アドラーが川に行くと言い出した。
「皆はしばらく家のてつだいで、いそがしいそうだ。だから、きょうはは川でちゅうしょくを食べよう。ギルティアスはちゅうぼうで、なにか食物をもらってきてくれ」
そう言われて、料理人から軽食を受け取りにいった間に、アドラーは一人先に屋敷を出発していた。
ヤレヤレと思いながら、ギルティアスは林をわけ入り、川辺りへと進む。
そして、慣れ親しんでいるその場所がいつもと違う事に気づいた。
違和感、張り詰めた空気、そして兵士達の声。
無意識に、身を隠す。
「……女の身だろ? そう遠くまでは行けないと思うが」
「もう少し川下まで流されたのかもしれない」
「早く見つけないと……」
ギルティアスは掌が冷たくなるのを感じながら、急ぎアドラーを追った。
しばらく走ると、川辺りに2つの人影を見つけた。
「おねえさん、大丈夫?! ねえ、おねえさん……!!」
アドラーが切羽詰まった声を出しながら、倒れている女性の体を揺らしている。
すぐ後ろには、先程の兵士達がせまっていた。
「アドラー様、大勢の不審者がこの周辺を取り囲んでいます。時間がありません。けっして、声を立てないように」
「ギルティアス……」
即座にアドラーを抱きかかえ、木の上へとよじ登った直後に、兵士達がやってきた。
そして、ブルービット公爵と呼ばれる男が到着し、倒れていた女性の体を切り刻み、そして運び去った。
一行の気配が完全に消えてから、ギルティアスはアドラーを地面へとおろした。
アドラーは、先程女性が横たわっていた場所をしばらくの間じっと見つめた。
ドス黒い血の跡が、公爵の残忍さを著している。
ほどなくして、アドラーは後ろに控えていたギルティアスに顔を向けた。
その瞳は、ギラギラとした燃えるような怒りと、全てを凍てつかせるような怜悧さをあわせ持つ、強い光を放っている。
それは、もはや子供の顔ではなかった。
「ギルティアス。オレはきめた。いつか、オレは国へもどり、王になる。そして、じょせいもだんせいも、へいみんもきぞくも、みんながあんしんしてくらせる国をつくる。お前は、オレについてくるか?」
自分はこの王に仕える為に生まれてきたのだ、そう確信した。
ギルティアスは即座に跪いた。
「このギルティアス、一生をアドラー様の影となり盾となる事をあらためて誓います。そして、貴方様が国王となり、目標を達成されますよう、精一杯努めます」
「わかった。お前は、オレの影だ。どんな時も、オレのそばにいて助けよ。オレがまちがえそうな時は、きちんと正せ。そして、オレとオレの仲間を、最強の兵士になるように育ててくれ」
ーーあの日、王は今のアドラー王へと変容されたのだ。あの時のお顔は今も忘れられない。あれは、まさに王者の気迫に満ちた、決意の意志が体現されたものだった。
ギルティアスは、思う。
あれから、20年。
学び、悩み、時に意見をぶつけ合いながら、アドラーと共に歩んできた。
前国王の死後、私利私欲に満ちた第一王子を廃し、アドラー王を玉座に座らせる為に尽力してきた。
時には手を血に染め、自身も血を流しながら、理想の国を目指してきた。
その間に、彼は大勢の人間を見た。
だが、王の資質をもつ人間だと感じたのは、アドラー王、ただ一人であったとギルティアスは思っていた。
……今、この瞬間までは。
「女性は男性より劣っていると考える人間はまだまだ多いかと存じます。私は、そのような古い考えを払拭し、女性も男性と同じように努力すれば望む職につける社会を希望致します。そういった改革を実行する為に、私は地位が欲しい。アドラー王、私を王の妃として採用してはいただけませんか?」
鷲の盾が集まる祝賀会で、皆の前で堂々とそう提案するルイの姿に、既視感を覚えた。
自分への批判をものともせず、王に笑顔を向ける彼女に。
そして皆が唖然とする中、アドラーは大声で笑い出だし、こう言った。
「ハハハハッ……。さすがだ、ルイ。鷲の盾が、妃として隣に立ってくれれば、これほど心強いことはない。その提案、採用しよう」
ーーそういえば、初めてルイを見たのは学園の入学パーティーの時だったか。あの夜も、彼女は堂々と王に対して自分の意見を述べていたな。今回の遠征のきっかけも彼女だ。あの、敵地ともいえるシャムスヌール帝国の大広間で、ラムヌール帝王に意見した胆力。そしてブルービット公爵から少女を救うために身代わりになり、自ら人質となった勇気。その後の公爵を拘束した武力、そして先程の練習試合で2位を得た剣の腕前。どう考えても、ただ者ではない。なにより……あの眼だ。人を圧倒するあの瞳は、アドラー王と良く似ている……。
王は人前で見せたことのない心からの笑顔でルイの手を引き、彼女を王妃にすると宣言した。
勘のいいガムランが、王の気持ちを汲んで祝福の言葉を述べる。
「アドラー王と未来の王妃となられるルイ殿は、本日この場でご婚約された。おめでとうございます!! 王が妃を迎えられる日を、我ら鷲の盾は待ち望んでおりました! この祝賀会で、めでたいご婚約が成立したことを、心よりお慶び申し上げます。アドラー王、万歳!!」
王が横目で、ギルティアス達を見た。子供時代の、悪戯がばれた時にみせた、おどけた嬉しそうな表情を浮かべながら。
ーーああ、王は本当にルイとの結婚を望んでいらっしゃるのだ。そして、私達の祝福を待っているのか……。
そう気づくと、素直に声が出た。
他の仲間もそれに続く。
「王、おめでとうございます!!」
「王、ルイ殿、おめでとうございます!」
「王、これはめでたい。おめでとうございます」
照れくさそうに笑う王の隣で、ルイは臆することなく堂々と立ち、鷲の盾メンバーの視線を一身に浴びながら微笑んでいる。
と、一瞬、ルイの視線がギルティアスを捉えた。
圧倒的な、強い光を宿した瞳。
人々を従わせる威を全身に纏った、王者の風格。
ーー彼女もまた、王の資質を持つ、選ばれた人間だということか……。面白い。アドラー王とルイ―サ王妃。2人の王のもとで、私はこれからどう生きるのだろうか?
ギルティアスは新たな期待に、胸を躍らせた。
彼が、アドラー王とルイの不思議な関係について二人から知らされるのは、まだもう少し先の話である。
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