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第一章 死相、空虚、絶望

第六話 刻一刻と

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   白い世界がそこにはあった。

   自分以外も、他の物もない、ただただ白い世界がどこまでも広がっているだけの世界。

   それが一体何なのか、無意識のうちに理解している。今見ているモノが何なのか、どこから来ているモノなのか、いつから存在するモノなのか。

   いや、ずっと前から既に理解しているのだ。ただ、もう、慣れてしまっただけで。

   だから、俺は——。

「いい加減起きやがれ! 糞クロトッ!」

「づぁっ!?」

——衝撃。

   頭蓋を突き抜けた衝撃に目の前を火花が散り、衝撃が向いた方へとクロトは吹っ飛ばされていた。

   硬い衝撃に背中側が打ち据えられ、苦鳴。強く打ち付けた頭を摩りながら、何が起こったのかクロトは状況に目を回す。が、そんなクロトを待ってくれるほど、目の前の相手は配慮も優しさも持ち合わせちゃいない。

   頭を振り、駆け寄って来る足音にクロトが目を白黒させた瞬間、見知った白毛が視界に飛び込んでくる。

   瞬間、体の中心から引き上げられる感覚があって。

「——ッ」

   胸倉が掴まれたのだと、今にも泣きそうな空瞳と目が合って始めて気が付いた。

「何が、どうなってんだよ……ッ。こんな世界、俺は望んでねぇっ!」

   そう言い放った親友の、佐川辰巳という男の懇願をクロトは二度と忘れることはない。

   涙を浮かべた潤んだ空の双眸が、今にも溢れ出してしまいそうな声を抑えるように噛み締めた狼歯が、行き場のない怒りを宿したその震えた拳が、声が——きっとこの先、初めて見た親友の泣き顔をクロトは二度と忘れない。

   忘れない。


********


   何があったのか、そう率直にクロトは尋ねられなかった。

   言葉や行動に乱暴が伴っていたとしても、タツという男はいつも冷静だったから。

   暴力行使さえ厭わない連中に絡まれた時も、クロトが原因で招いたいざこざの時も、五人の誰かが誤った行動を起こしてしまった時も、タツだけは冷静だったし間違わなかった。

   大事な部分は誰よりもちゃんと理解しているし、物事の良し悪しを見抜くのが得意で、やらなければ行けないことは完璧以上にこなすメリハリと行動力もある。

   だから、この人物には無縁だと思っていた悲痛な懇願に、クロトは掛ける言葉が見つからない。地面に崩れ落ちて行ったタツにさえ、クロトは何も言えないまま立ち尽くすことしかできない。

   悠々と宙に浮かぶ光球と、その僅かな明かりに照し出される二人の影。

   息をも忘れるほどに、この再開は劇的なもので、クロトが思い描いていたそれとはかけ離れたモノで。

「――クロト」

   既に存在する灯りとは別に、もう一つの灯りの歓迎と共に声が掛けられる。

   差し込んだ灯りにゆらゆらと影が揺れ、それが一体誰のモノなのか、直ぐに理解できたから、

「一体、何があったんだ、みん——」

   視線を這わせ、その元を求めて顔を上げて、尚もクロトは無理解と困惑を押し付けられた。

   一本道になっているこの暗い通路、クロトが予想した通り、タツが飛び掛ってきた方角には見知った顔ぶれが並んでいた。

   暗闇にぼんやりと浮かぶ三つの影——ライナ、ククリ、マリアーナ達三人の姿が。

「———」

   やっと、こうして五人全員が揃った。たった一日の空白が、ここまで長く感じたことはこの十七年間を振り返ってみたとしてもそうはない。

   だから、皆も自分と同じ気持ちでここまで来たんだと、そう思っていて、再開はもっと嬉々としたものだと思っていて、それなのに——、

「……どうして、そんな顔してるんだ」

   向けられた三つの瞳は、信じられないモノでも見るように失望を孕んでいた。

   いつも信用を向けてくれる側の三人が、その正反対である所の感情をクロトに向けている。その反応が場違いに思えて、何もかもが間違っていて、頭の中が真っ白に塗り潰される。

   何故、どうして、意味は、考えて、幾ら考えても理解が及ばない。思考は考える意味を必要とせず、一瞬にして白が思考とは名ばかりのそれを飲み込んで行く。

「ククリ!」

   そう、暗底に沈むばかりのクロトを呼び戻したのは声だ。

   柔らかく、何所かおっとりとした、そして元気と勇気を与えてくれる鈴の声——彼女の、マリアーナの掠れた叫び声が響き渡った。同時に、何かがぶつかる音も。

   その声が何を指したモノなのか、直前の打音の正体が何のか、原因は直ぐに判明する。

   不意に、全身から一切の力が抜けるようにしてククリが地面に崩れ落ちたのだ。その異変に気づいたマリアーナが受け止め、地面との接地を防いだ。

   だから、至って目立った外傷はない。あっても擦り傷程度の極々軽症なモノ。

——そう、軽率に考えた自分の愚かしさを呪った。

   ここまでの道のり、決して長くはないにしても短いと言い張れるものでもない。たった一人で、思考を巡らせることでしか心の安定を得られないような暗道でひたすら考えることしか出来なかった。そう、考える時間が十分以上にあった。

   その中で、自分について考えたことがある。いつか、喧嘩の真っ只中にタツにぶつけられた言葉——『テメェは人を、心を理解してねぇ』。

   当時、その言葉をクロトは鼻で笑って蹴飛ばした。自分もその人間なのだから、理解していない筈がないと。笑って、蹴飛ばした。

   その筈だったのに、その言葉が今になって胸を抉る痛みに思い知らされる。

   正面、抱き合う見知った二つの影が、ひしるような声で、涙でぐちゃぐちゃにした顔で、マリアーナとククリが涙を流して泣いていた。

「——本当に、何も気づいてないのか?」

   問われる。呆然とするしかないクロトに、暗闇の奥から潤んだ赤の双眸が期待を孕んで投げ掛けてくる。

   皆の、その見当違いの期待に押しつぶされそうで、逃げ出したくて、足が後ろにずれる。

「どういう、意味で……いや、そもそも一体なにが……」

「そのままの意味だ。ここに来てから、何も感じなかったのか?」

「———」

   再度、同じ問を投げかけられてクロトは戸惑うしかない。

   決して、何も感じなかった訳じゃない。何もなかった訳じゃない。

   この洞窟をテーマとしたチュートリアルに招き入れられて初っ端、身に覚えのない感覚に襲われた。皆との再会だけを目指して暗闇をひたすらに歩き続けた。立たされた岐路の選択に立たされて、その選択ミスで意識を失った。そして、選択を誤ったと思っていた先でこうして皆と再会できて。

——何も、おかしなところなんてない筈だ。

   ない筈で、そんなちぐはぐな思考はライナがその先を紡ぐことで否定される。

「視界がいつもと違うだろ。いや、いつもは取り消させてもらう。ゲームの中の話だ。視界だけじゃなく、聴覚も、嗅覚も、味覚も、肌に感じる感覚も、全部」

   何の、話なのか分からない。クロトが聞きたいのは、この一日の空白の間に皆に何があったのか。知りたいことと、全く関係のない話をするライナが分からない。

「VOS機、現実から隔絶された架空の世界に、意識だけを投じることの出来るシステム。製造目的は医療機関の要望、身体的障害を持つ人達に『自由』と『生きる意味』を持って貰うために開発された医療システム。それが発展して、VOS機初のゲーム——FNMOが誕生した。これに関しては俺じゃなく、クロトが一番理解している筈だ」

   知っている。誰よりも、誰にも負けないと自信を持って自負するほどに知っている。

   現実と仮想世界を行き来するVOS機、その実用化と発展に世界全土が沸いた日のことをクロトは鮮明に覚えている。Ⅴirtual Onlin game、その実用化を誰よりも羨望していたのは他でもない、クロト自身なのだから。

   だから、ライナが何を言いたいのか、何をクロトに理解させたいのか、分かった気がする。

——友人達の身に何が起きて、何を知って、何にその感情を委ねて求めたのか。

   それは、その原因は——、

「それでも、ゲーム内と現実での感覚の差は埋められない。俺も、クロトも、皆も、毎日のように現実とゲームの中を行き来していて、それは分かる筈だ。……一緒だと思わないか? 感覚から何もかもが俺達が知るゲームの中とは違うここは——」

「分かった——ッ! もう、分かったから……」

   気づいた時には、声を上げていた。

   冷たい空気に喉がヒリつき、バクバクと騒ぎ立てる心臓が痛みを訴えている。

   初めて、タツ以外の人に声を荒げた気がする。誰にじゃなく、よりにもよって根の部分から優しいライナに。

   完全な、八つ当たりだ。酷く傲慢な、信頼なんて寄せられる価値もない、人を思う心なんて持ち合わせちゃいないモノの虚言。

   全部、見透かされていたのだ。見透かされていたから——紅蓮の瞳は、最初からずっと変わらぬ『信頼』の色を灯している。

「自分だけが知っていればいい。知らなければ辛い思いをしなくて済む。その間に、きっと何とかする。……必死だったから、周りが見えなくなっていたんだろ」

   既に、ずっと前から分かっていた。此処が——、

「——ここが『異世界』だって、隠したかったんだろ?」

   クロト達がいた世界とは違う、全く別の世界であることを。

   当然だ。ライナの言う通り、ゲーム内と現実じゃ感覚から何もかもが違う。ゲームの中から現実に戻れば暫く違和感が付き纏う程に、その差は明らかなモノだ。

   それに加えて、転移直前のアナウンス、その切っ掛けとなった異世界転生チケット、翌々考えれば騙し通せる筈もない話だ。

   ただ、知っていてほしくないとクロトが自分勝手に望み、自分のせいでこの状況を作り出してしまった事が耐え難かったから。

   その身勝手が皆を傷つけるとも知らずに——。

「一先ず、場所を移さないか? 情報の交換をするのも、クロトの考えを聞くのもそれからだ。道中、皆にちゃんと謝っとくんだぞ。——それに、見せたいモノもある」

   そう言って、ライナは今も絶望に打ちひしがれる者の元へと肩を貸しに行った。

   暗闇と二つの光に照らされたこの洞窟内、しこりの様に残った言葉と、吹く冷たい風が先を急くように背中を押すような気がした。
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