上 下
13 / 106

薄氷上のピアニスト

しおりを挟む
「イライラしてる?」
「してない」
心陽は、すかさず、返事をした。本当の所は、イライラしている。誰かに、怒りをぶつけたい。けど、他の出演者の目があるから、そんな事はできない。床を蹴るのが精一杯。鍵盤を叩きつける事もできない。架の会社の手がけたビルのrくせいしきのセレモニーに、心陽は招待された。架の母親の気遣いらしいが、ピアノを諦めた架に、自分は、どう映るのだろうか。何度か、架と話し合いたいと思い、待ち伏せしたが、どれも、ダメだった。偶然にも、架の母親から話が来た時には、二つ返事で、承諾した。電話もメールも、架は、拒否している。自分は、ちょっと話をしたいだけだった。脅すつもりはない。打ち合わせの時にいたホテルのロビーで、架と一緒にいた女性を見た事がある。それは、学生の時から、友人だった莉子ではなく、全く、別の女性だった。昔から、架の存在は、知っている。突然と消えた天才ピアニストに、誰もが、落胆していた。自分は、そのおこぼれで、注目される事になったが、少しも、嬉しくなかった。架のその後の人生を調べれば、調べる程、興味が湧いてきた。
「あなたの夫は、昔の恋人から離れられない」
何も知らず、笑い続ける莉子にそう言いたかった。本当に、自分達は、友達なのか?心のどこかで、莉子が酷い目に遭う事を望んでいないか?何も知らず、愛に包まれ育った莉子が恨めしい。白いウェディングドレスで、架の隣に立っていた莉子が恨めしい。自分は、血の吐く思いで。ここまできた。ピアニストとしては、名前も知れている。でも、この心の空虚感は、一体、何なのだろうか。
「逢いたくても逢えない」
「え?なんですか?」
そばに居たスタッフが怪訝な顔をした。
「なんでもない」
心陽は、
「外の空気を吸ってくる」
そう言って、立ち上がった。リハーサルに身が入らない。
「これで最後だから」
そう言いながら、いろんな理由で、架を呼び出した。始まりは、バーで、酔い潰れた架を見つけた時だった。心陽が、ピアニストと知り絡んできた。多分、彼にとっては、何か、辛い事があたのだろう。普段は、冷静な彼が、我を失うほど、荒れていた。
「架さんですよね」
心陽の胸は、高鳴っていた。憧れの彼が目の前にいる。
「ずっと、憧れていたんです」
架の右手には、醜い傷がある。
「俺に?」
架は、悲しそうに笑った。
「今の俺じゃないよな。全くの別人だから」
ふらつく架を支える心陽。そのあとは、成り行きで、一夜を過ごしてしまった。朝早く、架は、姿を消していた。その後、架が結婚する事になったと聞いた。隣で、笑っていたのは、あの莉子だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

要領悪すぎてヒィヒィ言いながらなんとか2人の息子を育てています。

筑前煮
エッセイ・ノンフィクション
タイトル通り。親に頼れない状況で2人の息子を死に物狂いで育てている某無職愚鈍人間の記録。一度の流産を経て次男を出産するも、この次男がまぁ〜〜寝ない寝ない! 夜泣きによる究極の寝不足で長男の外遊びに駆けずり回り、やっと長男が入園だ!! と思いきや世の中は例の新型感染症時代に突入、入園は延期に。先の見えないストレスフルな日常を送るのだった。その後やっと長男が入学し、仕事を始めるが、事情によりすぐに辞めたりと相変わらず愚鈍な日々を過ごしている。

神とゲームと青春を!

初心なグミ
ファンタジー
「君たちを連れて来た目的は……ボクの暇つぶしに付き合って貰おうかなって、思ったからなんだ!」 「「「「は?」」」」 高校一年生の幼なじみ四人がゲームをしようとしたら、ニャルラトホテプと名乗る超可愛い無性別の神様に別次元に連れ去られた!? 勝手だけど何処か憎めない神と過ごす、恋愛あり!青春あり!ゲームあり!神様あり!? そんな、ドタバタでも楽しい!青春ゲームライフです!!

僕は人を好きになれない

杜鵑花
恋愛
春は出会いと別れの季節―― 故に人間の感情が大きく変化する季節でもある。 だから、こんな春雨が降る日なんかには自ら世界を去ろうとする人間が現れたって何ら不思議ではない。

皇帝より鬼神になりたい香の魔道士

蘇 陶華
ファンタジー
大陸にある冥国の皇室は混乱に陥っていた。先王の後を継ぐべき、皇子が妖の血を引く為、代わりの皇帝を探さなくてはならなかった。それから、10年以上過ぎ、東海にある陽の元の国に、1人の魔導士が現れていた。名前を瑠璃光。香を操り、術を使う。自分と同じ顔を持つ、式神を得、大陸に戻る瑠璃光。近隣のアルタイ国は、冥国の持つ漢薬書と法術を手に医療としていて。

処理中です...