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第二十二話 三日月のピアスの女
しおりを挟む騒動で東京に行っていた亀戸汰騎士は神戸に戻り、三宮の事務所近くのオープンカフェのテラスで遅めのランチを取っていた。
サンダニエーレ産の生ハムを挟んだパニーノとピノグリージョのグラスワインを片手に一人で乾杯していた。
パソコンを開き阿久津からの先日の報告書を再度見直して、またグラスを口に運んで美酒に酔いしれた。
妹があの乙男女じぇねれーしょんに加入した。
しかも何の因縁か、あのオーディションの時に落とした伊砂の妹とダブルセンターを組むことになったのだ。
自分が当初描いていたシナリオとは違うが、あまりの数奇な運命に、これは『神が描いたシナリオ』なのではないかとも思った。
喜びに浸っていたかったが残りの仕事を思い出し、食後のエスプレッソを二口で飲み干して、そろそろ店を出ようかという時、一人の女性が隣の席に座った。
黒髪につばの長い帽子、印象的な三日月のピアス、サングラスをかけていたが一目で美人と判断できた。
このクラスの美人になると、見た目だけの判断では年齢と言うのは皆目見当がつかなかったが、おそらく年上だという事だけはわかった。
店員がオーダーを取りに来る。
「じゃあ、このサンダニエーレ産生ハムのパニーノとワインは……そうね、ピノグリージョのボトルで」
「かしこまりました」
店員が厨房に戻り、女性は帽子とサングラスを外した。
都内でもお目にかかることのないような顔立ちは、亀戸の予想を上回った。
店を出るはずが、気付けば声をかけていた。
「こちらへは、よく来られるんですか?」
「ええ、この時間はよく来ます」
淡々と答えただけで、女性はあまり会話に食いついてこなかった。
「あ、すいません。わたしも先程あなたと同じものを注文して、つい声をかけてしまいました」
「あら、そうでしたの」
店員がワインを持ってきて、女性に注いだ。
「すいません、グラスをもう一ついただけるかしら?」
「かしこまりました」
女性はグラスを持ってきた店員に、亀戸の方にも注ぐように促した。
亀戸は女性の方を見た。
女性は首を傾《かし》げ、「あら?お時間なかったかしら?」と聞いてきた。
「あ、いえ、いただきます。すいません、会ったばかりなのに……」
「いえ、どうせ一人で飲みきれないので」
「では、お言葉に甘えて」
「あなたもここはよく来られるんですか?」
「ええ、普段はもう少し早い時間に来てるんですが、今日はたまたま遅いランチで……おかげで美味しいワインと、素敵な出会いがありましたよ」
「あら、お上手ね。ここってBGMも素敵なのね」
「今流れてるのは60年代のボサノヴァですね。古き良きブラジルの名盤です」
「詳しいんですね。もしかして音楽関係のお仕事なさってるのかしら?」
「まぁ、そんなとこです」
しばらく楽しい時間を過ごし、ボトルはあっという間に空になった。
女性が時計を気にしだし、亀戸は切り出した。
「あの、もしよかったらまたご一緒にお食事しませんか?」
女性は、はいともいいえとも答えず、「またタイミングが合えば」とだけ返した。
そして会計前に亀戸がトイレに行って席を外している間に、女性はいなくなっていた。
女性は亀戸の支払いも済ませていた。
それから亀戸は毎日この店に通った。
時間も遅めの時間に来るようにした。
しかし何日経っても彼女は現れなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
僕たち乙男女じぇねれーしょんはライブに向けての練習もいよいよ最終段階に入り、4人のパフォーマンスも日に日に完成度を上げていった。
僕たちは優勝を狙っていた。
今回出場するのは大会規定により、女子4人だけだったが、優勝を目指す気持ちは皆一緒だった。
ただ容易く優勝出来るなどとは誰も思ってなかった。
伊砂玲於那が僕たちの働いているカフェ『ムーンパレス』に来たあの日、彼女は僕たちにある情報を残していった。
「次のドキ地下のライブで、わたしたちUltimate STARZの姉妹グループ候補のアイドルが出場します」
この言葉で僕たちの闘士に火が付いた。
彼女の説明によると、亀戸は次のプロジェクトでアルスタの姉妹グループを作ってデビューさせようと目論んでいるらしく、その最初の試練として彼女たちをドキ地下に出場させ、『優勝』を課してそれと同時に正式に契約するらしい。
そして実際に、彼女たちは精鋭揃いで、当初アルスタと同じ12人程を予定していたが、厳しい審査の結果、6人にまで絞ったという。
ドキ地下自体がまだまだメジャーなイベントではないが、ここから優勝したグループが、その後大きく飛躍して活躍してるケースも少なくはないのだ。
亀戸は次に売り込もうとしている彼女たちのストーリーに味付けし、世に出そうとしているのは明らかだった。
しかし、僕たちは彼女たちの、いや、亀戸汰騎士の『咬ませ犬』などになるつもりはない。
そして伊砂玲於那はもう一つ情報を置いていった。
「ライブ当日、ゲストで亀戸汰騎士が登場することも決まっている」と……
僕たちは日本の最高峰の若手アイドルプロデューサー、亀戸汰騎士ととうとう対面するのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
亀戸がカフェに通い始めて2週間が経った頃、漸く彼女は現れた。
「こんにちは、お久しぶりですね」
「あら、こんにちは」
「先日はどうも。ご馳走様でした。お礼も言えずにすいません」
「ランチ代くらい気になさらないでください」
「そういうわけにはいきませんよ。わたしがただの格好悪い男になってしまう。今日はご馳走させてください。ちょうど良いワインが入荷したんですよ」
「では折角なので」
「実はあれからここに毎日来てたんですよ」
「そうなんですか?」
「メニューの殆どを食べつくしましたよ」
「毎日来るってことは、職場もこの近くなんですか?」
「ええ、この筋を上がった所に事務所があって、歩いてすぐですよ」
「近くにこんな素敵なお店があるなんて羨ましいですわ」
会話をしていて、時折揺れるピアスが印象的で、彼女の魅力をより引き立てていた。
「その三日月のピアス素敵ですね」
「ありがとう。気に入っていて、いつも身に着けているんです」
「よく似合ってますよ」
まだ少しの会話しかしていないが、飲むペースは早く、すぐにボトルは空になった。
「すいません、2本目を開けたいところなのですが、実はこのあと大阪に行かなければならなくて、続きは次回でもよろしいでしょうか?」
「もちろん大丈夫です。音楽の仕事って多忙なんですね」
「ちょっとしたプロジェクトを始動しはじめていて、わたしが手掛ける予定のアーティストが明日ライブをする予定なんです。それの最後の確認の打ち合わせが大阪ですることになってしまって……」
「それは凄いことですね。では続きは次回にしましょう。今日はご馳走になってよかったのかしら?」
「もちろんです」
「ありがとう。では失礼しますね」
亀戸は連絡先を聞こうとしたが、まだ名前すら聞いてないことに気付き、尋ねるのをやめた。
その女性の事を『三日月のピアスの女』と言うこと以外、なにもわからなかったが、焦ることは自分の性に合わない。
それに自分に落とせない女性はいないと思ってたし、このタイプの女性は押してもするりとかわすのがオチなのだ。
少しくらい時間をかけて、駆け引きを楽しむことにしよう。
そして愛車のミウラP400Sに乗って、大阪に向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
仕事を済ませた亀戸は大阪から帰る車の中で、なぜか妙な違和感を感じ胸騒ぎがしていた。
女性と喋るとき、いや人と喋るとき相手に主導権を握られることはない。
しかし、あの女性だけは違った。
つかみどころがなく、こちらが何も聞き出せないまま、自分の情報だけを喋っていたと後になって気付かされた。
三宮に着き、事務所に寄るとドアの鍵が開いているのに気付いた。
中に入り、真っ先に預かっている3億円の札束がある鍵付きの収納棚に向かう。
本来なら大金をそんな場所に保管することなどあり得ないのだが、都内においてある本社と違い、自分以外誰もいない事務所、そして大枚の現金を保管するような機会もない小さな事務所に、金庫などあるはずはなかった。
そして、預かったというより、『あいつ』が無理やり押しかけてきて、預けさせられたというのが、実際の事だった。
亀戸は収納棚の前に立った。
掛けられていた鍵は破壊されていた。
3億円は全て消えていた。
床にはキラキラと輝く三日月のピアスが片方だけ落ちていた。
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