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鎮魂歌
しおりを挟むすべては海の、ひいては陸の平和のため。男は誰に聞かせるでもない大義名分を心の中で何度も唱えます。
彼は、ただ一人の共犯者である主ほど割り切って物事を考えるのは不得手でした。
藻場に突っ込んだあとのような葛藤のうちに目的地に到着した彼は、夜中に彼女が陣取っていた岩礁の影に身を隠し、ざっと辺りを確認しました。
人通りはなく、肝心の船もまだ停泊中です。さらに都合の良いことに、船員たちは全員デッキに集合しているようでした。
男は大きく息を吸い込みます。これより奏でるは、金色の鱗の人魚へ捧げる鎮魂歌。それから、船乗りたちを死出の航海へと導く舟歌。
海に溶ける青色の鱗を煌めかせた人魚は、控えめな咳払いののち、静かに歌い始めます。
すると、船員たちはそわそわと落ち着かない様子になりました。
彼は手招きの代わりに、世にも美しい破滅の歌声を響かせます。
招待状を受け取った標的たちは、身を乗り出したり、単眼鏡を覗き込んだりと、声の正体が気になって仕方のない様子でした。
「わたくしをお探しですね。素敵な船にご乗船の皆様」
姿を現した人魚の男は、人間の聴衆に歌いかけました。
物悲しい旋律は潮風に乗っていき、一人、また一人と彼の居場所を伝えます。
ところが、すっかり魅了されている彼らは緩慢に頷くばかりで、一言も発そうとはしません。歌声を遮るのを厭っての行動でしょうか。
彼はほのかに寂寥感をおぼえつつ、愁眉を開きました。うまく催眠状態に移行した証拠に、彼らはうっとりとその歌声に聞き惚れています。
「お楽しみいただけているとよいのですが……。時に皆様、お酒はお好きでしょうか?」
一同はカトラスやピストルを大きく振って答えます。
柄の悪い荒くれ者たちが朗らかに手持ちの武器を振り回すさまは、誰から見ても異様な光景でした。
「そうですか。それはよかった! では、そんな皆様に、耳寄りな情報をおひとつ差し上げましょう……」
船乗りたちの視線を一身に集める彼は、淀みなく言葉を連ねます。
「わたくしではなく、この大海原をご覧ください。……もうお気付きになりましたね。絶景でしょう? すべてすべて、あなたがたの愛してやまない……そう、お酒です。どうぞ、こちらへいらしてください。いくら飲んでも飲み尽くせないほどのお酒の海まで、さあ……」
じわじわと高くなる波。
船体も大きく揺れ、真っ直ぐ歩くのも大変な中、数人の船員がふらりと進み出て、水面を覗き込みました。
魔性の歌声は彼らを包み、思考を蝕んでいきます。
「難しい手続きなんて、一切必要ございません。そこから飛び込むだけでいいんですよ。浸かって、浴びて……もちろん、溺れるなんて夢も。たちまち叶ってしまいます」
人魚に甘く誘われるまま、人々は続々と船から飛び降ります。
不幸にも、一人の男は頭から落ちて即死でした。
他の者は、浮かんでいる仲間の死体には目もくれず、一心不乱に海水を両手で掬って飲み続けます。
そのうち、じれた数名は潜って見えなくなりました。
「ああ、うめえなあ」
「でも、なんで飲むほど喉が渇くんだ?」
「いいじゃねえか! こんなにあるんだ、気が済むまで飲めばいい」
腕を広げて誰よりもこの状況を満喫しているこの男は、酒浸りな彼らをまとめる船長でした。
「おっしゃるとおりです。夢のようなひとときを……心ゆくまで楽しんでくださいませ」
直接、酒を飲みに行った者たちは、いつまで経っても戻りません。
残った数名も、ある者は痙攣を起こしながらも狂ったように暴飲を繰り返し、またある者は目を閉じたまま。容赦なく顔に降りかかる海水にも、まったくの無反応です。
この場でただ一人の人魚は、荒波にも負けない声量で歌唱を続けました。
「…………そろそろ、全員が旅立たれた頃合いでしょうか」
男の周囲を取り囲むのは、大酒食らいの屍ばかり。誰も彼も、幸福そうに揺蕩っています。
「最後までご清聴ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます」
男は一人一人に向かって丁寧に頭を下げます。
彼は最後の最後まで慈悲をもって彼らを送りました。せめて大好きな酒を溺れるほど飲む幻想に抱かれながら逝けばいい、と。
「ご立派な船舶のわりには乗組員が少なくて助かりました。……手間が省けてなによりです」
彼は短く独り言を残すと、再び歌い始めました。こだまする弔いの調べは、少し鼻にかかっていたとか、いなかったとか。
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