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第4章 夕べの調べ
第70話 誰かが尾鰭をつけたがった話<L>
しおりを挟む「その指向? いや、嗜好……? は生まれつきのものか? ……ではなくて、なにかきっかけが?」
「…………脱走されたときのこと考えたら、大きい人魚を見張ってられるのは、いかにも力の強そうな、ごつい男の人魚だけになると思わない? で、何十年も何百年も、そんな屈強な男たちに囲まれてたら……」
口角を上げた彼女は、時間がないにもかかわらず雑談を楽しんでいるようだ。
「『美しくない』、『見飽きた』と感じる……。おおかた、そんなところか」
「大正解! でも、あの子がはっきり女性に興味を持ったのは、あたしのせいみたいなもんなんだよね~……」
「……イーヴァ……。君は一体、なにをやらかしたんだ?」
奔放や無鉄砲といった形容がしっくりくる彼女のことだ。なにをしでかしていてもおかしくない。
「『やらかした』って! まあ、そうかもしれないけど……」
ため息まじりに問いかけてみれば、彼女は予想外にしおらしく縮こまり、反省の色を見せた。
「でも、あたしだって、ちょっと近道しようかなあって思っただけで…………。果ての海なんて東西南北どこも行ったことなかったし、大体の場所しか知らなくてさ」
しかし、ぼやく姿もその内容も、いたずらを見咎められ、言い訳を連ねる子どもそのものだ。
「ふ……あははっ! なるほどな。君が近道のために通り抜けようとしていたのがその者たちの居住区域で、君を見たその人魚はたちまち惚れてしまった……。そう言いたいわけか? ……まあ、無理もないだろう。遠目に見ても君は美しいから」
「……ん-。まあ、だいたい合ってるし、それでいいよ!」
「うわっ! 急に水をかけないでくれ」
ほのかに頬を紅潮させた彼女の攻撃に声を上げたが、実のところ、灼熱の太陽に炙られた肌には冷たい海水が気持ちよかった。
「あたし、暗記も泳ぎも得意でしょ。だから、遠くに行けない人魚の伝言を届ける仕事をしてたの。そのときも『急いでるから』って断ったのに、『勝手についていきますから、お構いなく』って言われて、面白い子だな~って」
「面白いか……? 君は大物だな…………」
「え? あの子のほうが大物だよ? 足だけで何人の胃袋を満たせると思う?」
「体格の話ではなく」
「あはは! わかってるわかってる!」
相手が他でもない互いだからこそかなう軽妙なやりとりも、顔を見合わせて吹き出すのも、日常となって久しい風景だ。
別れを目前に控えているのが嘘のようだと思ってしまったのは、弱さゆえの現実逃避だろうか。
「…………でさ。その子は結局、訊いてもないのにあれこれ喋りながら、目的地までついてきたんだよね。すごい根性でしょ。まあ、すぐに元いた場所まで戻されちゃうんだけど……」
乾いた笑い声は季節外れの木枯らしのごとく、心の温度を奪っていった。
物件を紹介してくれた男の話でも、タコ足の人魚は――――。
それだけではない。同一人物でないにせよ、事実上の収容所を脱出した人魚の処分は、決して生易しいものではないはずだ。
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