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第4章 夕べの調べ
第37話 誰かが尾鰭をつけたがった話<XVII>
しおりを挟む「聞いたことのない歌だ。君の故郷の……?」
「…………小さい頃のあたし、遊び疲れててもいつまでも寝ない子でね」
思わずこぼした感想を拾い上げた彼女は、歌を止め、尋ねてもいないのにぽつりぽつりと詳細を語り出した。
話し始めからするに、肯定と取ってよさそうだ。
興味がなかったといえば嘘になるが、海と陸の繋ぎ目に当たるこの場所で、夢と現の狭間で揺蕩うひとときが中断されてしまったことを、少し残念に思った。
「ふ……ふふ、そうだったのか。なんとなく想像がつくな?」
しかし、そのおかげで在りし日の彼女に思いを巡らすことがかなったのだから、腹を立てるほどではない。
「ちょっと、それどういう意味~? 失礼しちゃうなあ、もう……。ふふ……っ、あははははっ!」
瞼を閉じていると、歌声と話し声の印象の差異をより明確に感じ取ることができた。
「そう拗ねないでくれ。『かわいい』と言っただけじゃないか」
「…………きみって本当にさあ……! その調子で、何人女の子引っ掛けてきたの?」
「とびきり愛らしい人魚をひとりばかり。あいにくと、人間は釣り針にかかる部位を持っていないからな。大漁と言いたくても言えないし、雑魚に割いている時間もないから、これ以上望むものはない」
「……ん。そっか」
いつもの調子で軽口を叩けば、彼女は照れたように唇を窄め、話の続きに戻った。
「やけになった母さんが出鱈目に歌ったら、それまでなにをしても手応えがなかったのが嘘みたいに、ころっと寝ちゃったんだって。我ながら手のかかる子どもだったんだな~って申し訳なくなっちゃった」
先ほどの異邦の旋律は、彼女の母親が即興で作ったものらしかった。道理で馴染みがないわけだ。
「人魚は…………普段から話したり歌ったりしているのか……?」
「んー……。じゃあさ、答える前に訊いていいかな? きみ自身は、人魚が話したり歌ったりしてると思う?」
生じた疑問をぶつけると、彼女からも問いかけが返ってきた。
「そうだな……。もし君たちが僕たちと同じように日常的に会話や歌唱を行っているのだとしたら、正直言って、意外かもしれない。水の中は話すのに向いた環境ではなさそうだし、音を立てる利点より、それによる欠点のほうが深刻なんじゃないか?」
「アタマのいいきみらしい意見だね! じゃあ、もういっこ。きみは、人魚が普段から話したり歌ったりしてたほうがいい? そうじゃなくて、人間といるときだけ、こうしてるほうが嬉しい?」
「…………答えるのが嫌なわけではないが、こちらからも尋ねさせてもらおう。……僕の希望を聞いて、なんになる?」
「なんにもならないよ? 将来的に進化する可能性も十分あるけど、事実は事実で、なにかがいますぐ変わるわけじゃない。でも、そういう無駄なことも真剣に話し合えるひとって、そういう相手といられる時間って、なんかよくない? あたしは好きだな! きみはどう?」
世界を眺望する哲学者のようでもあり、小さな水たまりのなかで遊ぶ子どものようでもある彼女の視線は、僕だけに注がれていた。
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