誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第4章 夕べの調べ

第14話 人魚と恋した人間

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「遠方に住む仲間から、急ぎの文が届いてね。先日捕まえた魚が新種だったらしい。そういう場合はいつも、あちらで調べてもらって、結果だけ教えてもらうんだけれど、『こちらにきてはどうだ』と誘われたんだ。『研究は得てして孤独なものだから、たまには感動を分かち合いたい』……とも言っていたね」

 しかし、返ってきたのは、拍子抜けしてしまうほど真っ当な理由でした。

「あ、本業おしごと関係なんですね?」

 千鶴は数日前に『ここのところは流行り病――といっても、軽度の疾患でしたが――の対応に追われて、研究時間が思うように取れない』と、御猪口を片手に嘆く紫水を励ましたばかりでした。

「そうそう。いつも協力してもらっているからね。こちらが出向くことがそんな些細なことでも恩返しになるのなら、行かない理由はないだろう?」
 
「そうですね。……ちなみに、その人ってどんな人ですか? 詳しく教えてほしいです。訊いてもいいなら、ですけど……」

「構わないけれど、どうして急に?」

 紫水の怜悧な眼差しは、泳ぎに泳ぐ千鶴の視線を追いかけます。

「それは……その…………」

「…………ああ。もしかして、浮気の心配をしてくれているのかな?」
 
「!!」

「……まあ、私が君の立場だったとしても、同居人が前触れもなく『家を空ける』なんて不審に思うだろうしね。いいとも。詳しく話してあげよう」

(研究以外に興味ない人だから疑ってないけど、紫水さんにその気がなかったとしても、向こうの人たち放っておかないだろうし、それが嫌なだけなんだけどなあ。あと、って……別に結婚してるわけじゃないし、なにも間違ったことは言ってないんだけど…………)
 
 千鶴はすべての思いを唾と一緒に飲み下し、やや硬い表情で頷きます。
 
「まず、その仲間というのは男だよ。彼は民俗学者で、私よりも旅慣れていて、水辺の生きもの……の、にも詳しい。とても頼りになる仲間さ。私の研究は、彼らが……のようなところがあるからね」

 紫水がのほほんと話すさまは、かえって不気味なほどでした。

「言おうとしてることはわかりますけど、怖い言い方しないでください……!」 
 
「ああ、すまない。私のことではなく、彼について話すんだったね。他になにか、彼に関する情報は…………ああ、とっておきがひとつあった。彼の恋愛対象は女性だけれど、種族は関係ないみたいでね。人魚とも浮き名を流してきた色男さ。そういえば、日記を一冊、預かったままだった気がするなあ」

(『』……。身近にそんな人がいるなら、目撃情報なんかじゃ驚かないよね)

 手入川での記憶も、そのときにおぼえた恐怖も、千鶴のなかでだいぶ薄れてきていました。
 
「一体、どんな経緯があって…………じゃなくて! 返さなくていいんですか? 日記なんて、その人の思い出の詰まった大切なものなんじゃないかと思うんですけど……」
 
「そうだよねえ。記憶は、なにものにも代えがたい宝だ。私もそう思って、返そうとはしたさ。だけど、『自分で持っていても恥ずかしくて読めたものじゃないし、君のほうで処分しておいてくれないか』と頼み込まれてしまってね」

「……その日記は、言われたとおりに紫水さんが処分してあげたんですか?」

「いいや? どこかに仕舞い込んで、そのままさ。彼には『処分した』と伝えてあるけれどね。……だから、この家のどこかで君が、それを見つけて読んだとしても、構わない……ということになるかもしれないね。誰にも言わないのであれば、見ていないも同然だ」

 愉しげな笑い声を響かせた紫水は、きらきらした瞳の乙女を探索に駆り立てそそのかします。

(そういえば、偶然見つけた紫水さんの帳面の中身を見ちゃったこともあったなあ。あれは勉強道具のひとつだったけど、その日記にはどんなことが書かれてるのかな……?)

 千鶴は、流水柄の着物の下の心臓が、どきりと跳ねたのを感じました。
 
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