誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

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第3章 昼下がりの川辺

第56話 問答(後)

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「……じゃあ、どうして抱いてくれないんですか……?」

 千鶴は、紫水が軽く身を引いたのもお構いなしに、少しずつ少しずつ、自身の手に体重を乗せていきます。
 
「…………それについて答える前に、ふたつほど前の言葉を訂正しよう。私は先ほど『そういう行為をするにはまだ早い』と言ってしまったけれど、なにもそれは千鶴に限った話ではなかったね」

「わたしだけじゃない?」 
 
「そうさ。君だけじゃなく、世の女子おなごたちは…………そういった行為に耐えうる身体が出来上がる前から、妻になり、母になることを余儀なくされる……」

「ええと……。……そう、ですね?」
 
「もし飲み込みにくいというのであれば、もっと救いのない言い方を選んでもいい。『通常、女性として生を受けた人たちは、一定以上の年齢に達すると、本人が望むと望まざるとにかかわらず、男の欲望を満たす役と跡継ぎを生み育てる役、両方の役割を期待される』……というのが私の認識だけれど、実情とのはさほどないんじゃないかな?」

 紫水が細い手首を掴んで引くと、千鶴は彼の胸に倒れ込んでしまいました。

「……!」

 加えられたのがわずかな力であったにもかかわらず、力負けしてしまった千鶴は、彼に身体を預けたまま、目を白黒させています。
 
「君がいたのは、特に旧弊的な体制が残る村だったようだし、心当たりがまるでない……ということはないはずだよ」
 
「そう……ですね。……だけど、それは別に無笛村が特別おかしいとかじゃなくて、みんなしてることで……当たり前のことで…………」

「それがおかしいと言っているんだよ。私は」

 地を這うような声に脳天を貫かれた千鶴は、ぶるりと震えました。
  
「え……?」

「先ほど言ったようなことを誰もが当然のものとして受け入れている現状のほうが異常だ。はっきり言って、狂っているね。どうして問題視しない? なぜこんなことが罷り通っている?」

 紫水は、薄い唇をわななかせています。

「何十年、何百年……いや、もっと先の未来になるかもしれないけれど、こんな馬鹿げた常識は廃れるべきだ。…………私には、祈ることしかできないけれど……」

 最後にひとつ、歯軋りを残して、彼の怒りは鎮まったようでした。

「紫水さん…………」

(……この人は本当に優しいひとなんだ。女の子たちの身を案じたうえで、わたしのことを誰より大切に思ってくれてる。だから、わがまま言って困らせるわけにはいかないのに。……正しいのがどっちかなんて、わかりきってることなのに。それでも、わたしは…………!)

 彼の着物を握る指先は、力の入れすぎで白くなっていました。

「千鶴……。わかっておくれ。私だって、愛しい君と褥をともにしたいに決まっているだろう?」

 紫水は、千鶴の背中に腕を回します。

「…………そんなの、どうやって信じろっていうんですか!? 証拠もないのに?」

(本当は少しも疑ってなんかない……。でも、ごめんなさい。こうでもしないと、あなたはわたしになにもしてくれないできないだろうから……)

 痛切な叫びは、静寂のなかに吸い込まれていきました。
 
「証拠は……ないね。無理矢理作ることはできるけれど」
 
「そ……れは…………どういう…………?」

「私の想像を実践すれば、嫌でも信じられると思うよ」
 
 背中を這い回る長い指は、彼の想像がどのようなものであるかを語っていました。
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