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第3章 昼下がりの川辺
第45話 役/薬
しおりを挟む「紫水さん。これって、二回煎じないといけないんですよね?」
ヒルフェギフト語を読めるようになった千鶴は、本棚を制覇しかねない勢いで家にある書物を片っ端から読み漁っており、そのなかには当然、薬に関する知識に特化した書物も含まれていました。
(慣れてる分、読み飛ばしちゃってたのかなあ……。そんなつもりはなかったんだけど、読みやすくて……)
――――が、幸か不幸か薬学の書物はヒルフェギフト語で記されているわけではなく、幼い頃から使用してきた鴬蕗語で書かれていました。
原本ではありませんでしたが、元の言語は鴬蕗語と言語体系が近かったので、訳本が出回るのも早かったという事情があってのことだそうです。
(なにを訊かれても空で言えるようになるまで、繰り返し読まなきゃだめかも)
ゆえに、薬学の基礎も頭に入ってはいたものの、完璧とは程遠く、わからないことがあると、千鶴は都度都度紫水の袖を引っ張るのでした。
そうすると、紫水は彼女のほうへ身体を傾けて、熱心な指導を始めます。
「そうそう。でも、面倒だからといって、二回通して煎じてはいけないよ。一度、濾して綺麗にしてから、もう一度煎じるんだ」
ひとつ質問をするたび、懇切丁寧な補足が加えられ、彼女の知識はより精確に、深度を増していきます。
「ええと……。すみません。これとこれなんですけど、どっちが造血作用のある組み合わせで、どっちが止血作用のある組み合わせなんでしたっけ? 絶対、間違えちゃいけないことなのに……!」
「ああ、そのふたつか。どちらも同じ生薬を使うから、覚えにくいよねえ。覚え方はいろいろ考えられるけど、においや色なんかの印象を結び付けてみてはどうかな? そうしたら、ただ暗記するだけよりは、いくらか記憶に残りやすくなるんじゃないかと思うよ」
紫水は、震える手のそばのふたつの生薬を順に指します。
「それ、いいですね!」
「正解を教える前に、どちらが造血作用のある組み合わせだと思うか訊いておこうか」
「こっちのほうが……血がもりもり作れそう! ……かなあ?」
助言をもとに、千鶴は片方の生薬を手に取りました。
「正解。その調子で頑張っていこうね」
「よかったあ……」
「…………『覚えなくていい』とは言わないよ。どんな些細なことでも覚えておくに越したことはないし、私たちはなるべく多くの知識を身につけておくべき立場だ。そして、柔軟に積極的に、新しい知識や方法、技術を取り入れていくべき立場でもある。到達点なんてきっと、どこにもない。私たちの前と後ろには、いくつもの通過点があるだけだ。でもね……」
紫水には、ひたむきに学び続ける千鶴を見ていて、ずっと感じていたことがありました。
「『決して忘れてはいけない』なんて思い詰めなくてもいいんだよ。忘れてしまったら、訊いてくれればいいんだから、そう深刻にならないで。隣の部屋には頼りになる先生がいるだろう? 本を開いたって、いいわけだしね。君はもう、なにもかもをひとりで背負い込むことはないんだよ」
「……そうでしたね。ありがとうございます!」
それを伝えると、千鶴は憑き物が落ちたかのように本心からの笑みを見せました。
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