誰かが尾鰭をつけた話

片喰 一歌

文字の大きさ
上 下
93 / 164
第3章 昼下がりの川辺

第45話 役/薬

しおりを挟む

「紫水さん。これって、二回煎じないといけないんですよね?」

 ヒルフェギフト語を読めるようになった千鶴は、本棚を制覇しかねない勢いで家にある書物を片っ端から読み漁っており、そのなかには当然、薬に関する知識に特化した書物も含まれていました。

(慣れてる分、読み飛ばしちゃってたのかなあ……。そんなつもりはなかったんだけど、読みやすくて……)
 
 ――――が、幸か不幸か薬学の書物はヒルフェギフト語で記されているわけではなく、幼い頃から使用してきた鴬蕗おうろ語で書かれていました。

 原本ではありませんでしたが、元の言語は鴬蕗語と言語体系が近かったので、訳本が出回るのも早かったという事情があってのことだそうです。

(なにを訊かれても空で言えるようになるまで、繰り返し読まなきゃだめかも)

 ゆえに、薬学の基礎も頭に入ってはいたものの、完璧とは程遠く、わからないことがあると、千鶴は都度都度紫水の袖を引っ張るのでした。

 そうすると、紫水は彼女のほうへ身体を傾けて、熱心な指導を始めます。

「そうそう。でも、面倒だからといって、二回通して煎じてはいけないよ。一度、濾して綺麗にしてから、もう一度煎じるんだ」

 ひとつ質問をするたび、懇切丁寧な補足が加えられ、彼女の知識はより精確に、深度を増していきます。

「ええと……。すみません。これとこれなんですけど、どっちが造血作用のある組み合わせで、どっちが止血作用のある組み合わせなんでしたっけ? 絶対、間違えちゃいけないことなのに……!」

「ああ、そのふたつか。どちらも同じ生薬を使うから、覚えにくいよねえ。覚え方はいろいろ考えられるけど、においや色なんかの印象を結び付けてみてはどうかな? そうしたら、ただ暗記するだけよりは、いくらか記憶に残りやすくなるんじゃないかと思うよ」

 紫水は、震える手のそばのふたつの生薬を順に指します。

「それ、いいですね!」

「正解を教える前に、どちらが造血作用のある組み合わせだと思うか訊いておこうか」 

「こっちのほうが……血がもりもり作れそう! ……かなあ?」 

 助言をもとに、千鶴は片方の生薬を手に取りました。

「正解。その調子で頑張っていこうね」

「よかったあ……」 

「…………『覚えなくていい』とは言わないよ。どんな些細なことでも覚えておくに越したことはないし、私たちはなるべく多くの知識を身につけておくべき立場だ。そして、柔軟に積極的に、新しい知識や方法、技術を取り入れていくべき立場でもある。到達点なんてきっと、どこにもない。私たちの前と後ろには、いくつもの通過点があるだけだ。でもね……」

 紫水には、ひたむきに学び続ける千鶴を見ていて、ずっと感じていたことがありました。

「『決して忘れてはいけない』なんて思い詰めなくてもいいんだよ。忘れてしまったら、訊いてくれればいいんだから、そう深刻にならないで。隣の部屋には頼りになる先生がいるだろう? 本を開いたって、いいわけだしね。君はもう、なにもかもをひとりで背負い込むことはないんだよ」

「……そうでしたね。ありがとうございます!」 

 それを伝えると、千鶴は憑き物が落ちたかのように本心からの笑みを見せました。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

性欲排泄欲処理系メイド 〜三大欲求、全部満たします〜

mm
ファンタジー
私はメイドのさおり。今日からある男性のメイドをすることになったんだけど…業務内容は「全般のお世話」。トイレもお風呂も、性欲も!? ※スカトロ表現多数あり ※作者が描きたいことを書いてるだけなので同じような内容が続くことがあります

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

旦那様、どうやら御子がお出来になられたようですのね ~アラフォー妻はヤンデレ夫から逃げられない⁉

Hinaki
ファンタジー
「初めまして、私あなたの旦那様の子供を身籠りました」  華奢で可憐な若い女性が共もつけずに一人で訪れた。  彼女の名はサブリーナ。  エアルドレッド帝国四公の一角でもある由緒正しいプレイステッド公爵夫人ヴィヴィアンは余りの事に瞠目してしまうのと同時に彼女の心の奥底で何時かは……と覚悟をしていたのだ。  そうヴィヴィアンの愛する夫は艶やかな漆黒の髪に皇族だけが持つ緋色の瞳をした帝国内でも上位に入るイケメンである。  然もである。  公爵は28歳で青年と大人の色香を併せ持つ何とも微妙なお年頃。    一方妻のヴィヴィアンは取り立てて美人でもなく寧ろ家庭的でぽっちゃりさんな12歳年上の姉さん女房。  趣味は社交ではなく高位貴族にはあるまじき的なお料理だったりする。  そして十人が十人共に声を大にして言うだろう。 「まだまだ若き公爵に相応しいのは結婚をして早五年ともなるのに子も授からぬ年増な妻よりも、若くて可憐で華奢な、何より公爵の子を身籠っているサブリーナこそが相応しい」と。  ある夜遅くに帰ってきた夫の――――と言うよりも最近の夫婦だからこそわかる彼を纏う空気の変化と首筋にある赤の刻印に気づいた妻は、暫くして決意の上行動を起こすのだった。  拗らせ妻と+ヤンデレストーカー気質の夫とのあるお話です。    

【R18】アリスエロパロシリーズ

茉莉花
ファンタジー
家族旅行で訪れたロッジにて、深夜にウサギを追いかけて暖炉の中に落ちてしまう。 そこは不思議の国のアリスをモチーフにしているような、そうでもないような不思議の国。 その国で玩具だったり、道具だったり、男の人だったりと色んな相手にひたすらに喘がされ犯されちゃうエロはファンタジー!なお話。 ストーリー性は殆どありません。ひたすらえっちなことしてるだけです。 (メインで活動しているのはピクシブになります。こちらは同時投稿になります)

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

処理中です...