35 / 306
第2章 夜明けの海辺
第22話 標榜
しおりを挟む「でも、過度に期待をさせてしまったら悪いから、先に伝えておこう。くどいようだけれど、私は『普通の人よりは多少、医術の心得がある』という程度だ。期待するなとは言わないけれど、程々で頼むよ。……というわけで、早速診てみるかい?」
滑らかな動作で立ち上がった紫水に、千鶴も倣います。
「……お願いします」
案内されたのは、奥の部屋でした。
病床が数台に、あちこちにそれらしい器具も置かれていましたが、その他の調度品などは生活空間から大きく逸脱したものではなく、診察のための部屋というよりも、一風変わった書斎といった雰囲気です。
「うん。じゃあ、そこの椅子に掛けていて」
紫水は本棚の前で背表紙を見比べながら、手持ち無沙汰になってしまっていた千鶴に指示を出しました。
「はい……」
「緊張しないで。着ているものを脱がせたりはしないし、痛みをともなう検査をしたりすることもないから。話していたら、あっという間さ」
手掛かりになりそうな情報はすでに話したあとなので、問診は必要ないということでしょう。
戻ってきた紫水も、持ってきたものを置いたあと、隣の椅子に腰掛けました。
「紫水さんは、いつもここで患者さんを診てるんですか?」
「そうそう。多い日はひっきりなしに人が訪れるけれど、来ない日は来ないねえ。本当なら、毎日そうであってほしいくらいだよ。どんな人でも、なにをするにも、まず第一に健康でなくてはね?」
見る角度によって微妙に色が変化する紫水の瞳は、千鶴がまばたきひとつするごとに異なる表情を見せています。
「『本職に身が入るから』という理由もないわけではないけれど、私が医者の真似事をしないで済む。……いや、私に限ったことではないか。病を根絶することは不可能だとわかっていても、『医者が必要とされない世界になればいいのに』なんていう青臭い願いは、いつまでも捨てられないなあ」
現実と理想とのあいだに立ちはばかる壁を憎んでいるのでしょうか。
彼の左手はきつく握られていました。
「…………そうですね。本当に、そう思います」
「わかってくれるかい? 嬉しいよ」
ぱっと笑顔になった紫水を見上げて、千鶴は切り出します。
「あの……。さっきから気になってたんですけど、紫水さんの本職っていうのは? ……あ、聞いちゃいけない感じだったら、忘れてください!」
高い志を持った理想の医者がごとき彼が他に請け負っている仕事がなんなのか、彼女には皆目見当もつきませんでした。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
やがて海はすべてを食らう
片喰 一歌
ファンタジー
海底のとある王国に生まれた黄緑色の鱗を持つ人魚は、ひょんなことからかつて栄えた漁村に住む人間の少女と出会い、恋に落ちる。
特徴的な岩の前で逢瀬を重ねるふたりのあいだに起きた微笑ましいアクシデント。
そして、黄緑色の鱗を持つ人魚の好敵手である金色の鱗を持つ人魚の暗殺事件。
ふたつの出来事が思わぬ事態を引き起こし、ふたりを出会う前の世界へと押し戻していく。
『やがて海はすべてを食らう』の外伝、『うつろな夜に』もあわせてお楽しみください。
うつろな夜に
片喰 一歌
ファンタジー
こちらは『やがて海はすべてを食らう』の外伝のような立ち位置の物語群となっております。
<収録作品一覧>
・『彼女の独白』…別名:彼女目線で語られる『やがて海はすべてを食らう』。
・『ある船乗りの懺悔』…船長の生い立ち&船長になる以前の、金の鱗を持つ人魚との一幕。
・『老婆の手記』…おばあちゃんが彼女に遺した日記。
・『うつろな夜に』…『彼女の独白』の続編。
・『絶海の人魚』…『うつろな夜に』の続編。別名:『彼の独白』。『やがて海はすべてを食らう』主人公の人魚→彼女への想い。
・『女神と呼ばれたもの』…すべての物語を見守ってくださった方へ、みなに代わって偉大なる者から御挨拶を。
いずれの話も『やがて海はすべてを食らう』の補完ではありますが、こちら単体でもお読みいただけない事はないでしょう。
ご興味を持っていただけましたら、ぜひ本編もご覧になってください。
場合によっては、先にこちらをご覧くださったほうが諸々の事情が理解しやすいかもしれません。
※一部モデルにした時代/国があるために、社会問題等の重い内容を含んでおります。ご了承のうえ、お進みください。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
サフォネリアの咲く頃
水星直己
ファンタジー
物語の舞台は、大陸ができたばかりの古の時代。
人と人ではないものたちが存在する世界。
若い旅の剣士が出逢ったのは、赤い髪と瞳を持つ『天使』。
それは天使にあるまじき災いの色だった…。
※ 一般的なファンタジーの世界に独自要素を追加した世界観です。PG-12推奨。若干R-15も?
※pixivにも同時掲載中。作品に関するイラストもそちらで投稿しています。
https://www.pixiv.net/users/50469933
精霊のジレンマ
さんが
ファンタジー
普通の社会人だったはずだが、気が付けば異世界にいた。アシスという精霊と魔法が存在する世界。しかし異世界転移した、瞬間に消滅しそうになる。存在を否定されるかのように。
そこに精霊が自らを犠牲にして、主人公の命を助ける。居ても居なくても変わらない、誰も覚えてもいない存在。でも、何故か精霊達が助けてくれる。
自分の存在とは何なんだ?
主人公と精霊達や仲間達との旅で、この世界の隠された秘密が解き明かされていく。
小説家になろうでも投稿しています。また閑話も投稿していますので興味ある方は、そちらも宜しくお願いします。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる