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終章 黒い爪
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ディリオムは階段を上がってスイを二階の部屋の一つに案内した。
「ここを使えよ。昔の部屋ほど広くはないけど、必要なものは全部そろってるから」
そこは守手のアパートより広くエリトの自室より狭い部屋だった。テーブルセットとベッドとチェストと水場があり、ディリオムの言う通り暮らすのに必要なものはすべてそろっている。天井からぶら下がるシャンデリアがどことなくファリンガー家の屋敷を彷彿とさせる。
スイはディリオムに促されてベッドの端に座った。
「どこを蹴られた? 見せてみな」
スイは素直にシャツをたくし上げて蹴られた腹部を見せた。あちこち内出血して青くなっている体を見てディリオムは顔をしかめる。
「結構ひどいな。おい、塗り薬と包帯」
ディリオムは部屋の入り口で待機しているナフリに言った。ナフリはすぐに陶器の薬壺と包帯一巻きを持ってきて、ディリオムに手渡すと部屋を出て行った。
「お前、よく今まで俺なしで生きてこられたな。お前に守手の才能があったとは思わなかったよ」
スイの隣に座って青あざに冷たい薬を塗りこめながらディリオムが言う。
「どうやって守手になったんだ? というかどうやって火事を免れた? あとから屋敷が全焼したって聞いて、てっきりお前は巻きこまれて死んでしまったんだと思ってた」
「焼け死ぬ前にエリトに助け出された」
「ああ、それで……そのあとは?」
「オビングのエリトの家でしばらく過ごした。人さらい組織を探るために騎士団員たちがオビングに滞在してたから。そこで食事の作り方とか洗濯の仕方とか、あと簡単な魔法の使い方を教わった。そのときにお前は魔力が高いって言われたんだ」
「それで守手になろうと思ったのか?」
「そうだな……それがきっかけだったかな。ほかにやりたい仕事も思い浮かばなかったし。それで少し経ってからエリトの家を出て、北部の守手支部で守手を募集してるって話を聞いてそこに行って、結界のはり方を学んで守手になったんだ」
「エリト・ヴィークとは別れて一人で暮らしたのか?」
「そう」
「へえ……」
ディリオムはスイが一人で生計を立てられるとは思っていなかったようで、驚きと好奇心が入り交じった目でスイを見た。ディリオムの機嫌がよさそうなので、スイは勇気を出して口を開いた。
「ディリオム、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「きみはどうやっておれの居場所を知ったんだ? 一度捕まって、そのあと釈放されたんだよね?」
「あー……、そりゃ、お前のことが心配だったから外に出て真っ先に探したよ。でもさっきも言ったけど、最初はお前は火事で死んだと思ってたんだ。騎士団のせいでお前を失ったとばかり……」
ディリオムはやるせなさそうに首を振る。
「でもあるときお前らしき情報を手に入れて、もしかしたら生きてるんじゃないかって思い始めたんだ。なあ、スイ。お前、デアマルクトにいるときに人さらいにさらわれたことがあるんじゃないか?」
スイは驚きを隠せなかった。グリーノ一派の人さらいの隠れ家に潜入したときのことだ。
「ある……」
「だよな? やっぱりあれはお前だったんだよな」
ディリオムはくくっと笑うと、スイに後ろを向かせて背中のあざにも薬を塗り始めた。
「人さらいに捕まって牢に入れられたけど、出荷前に騎士団が摘発したからすんでの所で自由になったんだよな。知ってるよ」
「どうしてそれを……? あそこにいた人はみんな捕まったのに」
「ああ、全員捕らえられたよ。でも捕まる前に送られた定期報告は俺に届いてて、そこに書いてあったリストにお前っぽい奴のことが書いてあったんだ。銀目ってのは滅多にいるもんじゃないし、そのほかの特徴もすべてお前と一致してたから。だからまさかと思ってデアマルクトを探らせたんだ。でも探らせてた奴まで捕まったからだめだった。捕まったあと逃げて戻ってきたけど、お前のことは見つからなかったからもう一度デアマルクトに行かせてくれって言われてね。でも怪我がひどくて治るまで時間がかかりそうだったし、腕が立つ奴だけど鬼族だったから騎士団に面が割れてたみたいで、そんな奴に行かせるのは危険だから別の奴に行かせたよ」
ヨルマのことだ。やはりヨルマはディリオムの仲間だったのだ。ヨルマはスイを見つけていたが、再びエリトに会うために嘘をついてデアマルクトへ舞い戻ろうとしていた。今度こそエリトを自分の手で殺すために。
「そうやってお前を捜してるうちに精霊族が現れたって騒ぎが起こって、お前がデアマルクトにいることを確信した。大事なお前をほかの奴に奪われる前に取り戻したかったけど、その前にエリト・ヴィークに先を越されてしまった。あの騎士団長はちょっとおかしいんじゃないか? お前を無理やり自分の家に閉じこめたりして。他人のくせに」
「エリトは……、……強引なところがあるから」
「本当、傲慢な奴だよな」
「……それでナフリを送りこんだのか?」
「ああ。守手本部の総長がお前を守手に戻そうとしてあちこち働きかけてたから、うまく護衛として潜りこませた」
「どうやって……?」
「俺の情報網を甘く見るなよ。偉ぶってる奴ほど金を積めばなんとでもなる。それにあの総長はお前を守手に戻すことばっかり考えてて、護衛官の選定は人任せだったから楽だったよ」
ディリオムは笑いながら薬を塗ったところに包帯をくるくると巻きつけた。
「これでよし。またしばらくしたら見てやるから包帯は取るなよ」
「わかった」
ディリオムは小首をかしげて笑う。
「また前みたいに一緒に暮らせるな……」
昔をなつかしむように言われ、スイはうつむいて手をもじもじと動かした。
「ディリオム……」
「なんだ?」
「……きみはおれの世界のすべてだった。きみに与えられるものだけでおれは生きてきた……。でも、今はもう違うんだ。おれの世界にはたくさんの人がいる。だから、昔みたいに行くかどうか……」
「それでもいいよ。お前は外の世界を見てきたんだよな。辛いこともたくさんあっただろう。苦労をかけた詫びをさせてくれ」
ディリオムは薬壺を持って立ち上がる。
「しばらく休んでな。俺の部屋は廊下の突きあたりだから、なにかあったら来てくれ」
「……ここはきみの家なのか?」
「そうだよ。でも一階は俺の傘下じゃないグリーノ直属の手下も出入りしてるから、一階には下りるなよ。お前を蹴った奴みたいな乱暴なのもいるから。いいね?」
「わかった……」
スイが了承するとディリオムは部屋を出て行った。鍵をかける音はしなかった。なにかあれば自分の部屋に来てくれと言った通り、部屋の出入りは自由にさせてくれるらしい。
スイはディリオムの変化に戸惑った。あのディリオムがスイを閉じこめようとしないなんて。
「……本当に後悔してるのかな……?」
部屋中を見て回ったが、特に変わったものは見当たらなかった。ごく普通の部屋だ。
少し経ってから再びディリオムがナフリを伴ってやってきた。
「夕飯にしよう」
もう夜中だが彼らにとっては今が夕食時らしい。ディリオムとナフリはテーブルの上にゆで肉だのほうれん草のソテーだのを並べた。ナフリはワインボトルの栓を開けると部屋を出て行き、スイはディリオムと一緒に食卓についた。パンをかじりながら、スイはまだディリオムと仲が良かったころに戻った気がしていた。
二人は向かい合って夕食をとった。静かな食卓だった。
グラスに注がれたワインを空けてしまうと、ディリオムがおかわりを注いでくれた。
「ありがとう」
「お前、結構ワイン飲むんだな」
「え? ああ……まあね」
そういえばあの屋敷にいたころは酒のたぐいは飲んでいなかった。ディリオムはスイの変化をおもしろがっているようだ。
しばらくして部屋の扉が開き、小さな少年が盆に載せたデザートを運んできた。あのときの幼い兄弟の弟のほうだ。確か名前はカスパルだ。
カスパルはデザートを落とさないようゆっくり慎重に盆を運んでくる。ディリオムは椅子に座ったまま身を乗り出して盆を受け取り、カスタードプリンを一つスイの前に置きもう一つは自分の前に置いた。
「カスパル、お前プリン好きだろ? 俺のを食べな」
ディリオムはそう言うとカスパルを抱き上げて自分の膝に座らせた。カスパルは目を輝かせてスプーンでプリンをすくって食べ始める。
「ここを使えよ。昔の部屋ほど広くはないけど、必要なものは全部そろってるから」
そこは守手のアパートより広くエリトの自室より狭い部屋だった。テーブルセットとベッドとチェストと水場があり、ディリオムの言う通り暮らすのに必要なものはすべてそろっている。天井からぶら下がるシャンデリアがどことなくファリンガー家の屋敷を彷彿とさせる。
スイはディリオムに促されてベッドの端に座った。
「どこを蹴られた? 見せてみな」
スイは素直にシャツをたくし上げて蹴られた腹部を見せた。あちこち内出血して青くなっている体を見てディリオムは顔をしかめる。
「結構ひどいな。おい、塗り薬と包帯」
ディリオムは部屋の入り口で待機しているナフリに言った。ナフリはすぐに陶器の薬壺と包帯一巻きを持ってきて、ディリオムに手渡すと部屋を出て行った。
「お前、よく今まで俺なしで生きてこられたな。お前に守手の才能があったとは思わなかったよ」
スイの隣に座って青あざに冷たい薬を塗りこめながらディリオムが言う。
「どうやって守手になったんだ? というかどうやって火事を免れた? あとから屋敷が全焼したって聞いて、てっきりお前は巻きこまれて死んでしまったんだと思ってた」
「焼け死ぬ前にエリトに助け出された」
「ああ、それで……そのあとは?」
「オビングのエリトの家でしばらく過ごした。人さらい組織を探るために騎士団員たちがオビングに滞在してたから。そこで食事の作り方とか洗濯の仕方とか、あと簡単な魔法の使い方を教わった。そのときにお前は魔力が高いって言われたんだ」
「それで守手になろうと思ったのか?」
「そうだな……それがきっかけだったかな。ほかにやりたい仕事も思い浮かばなかったし。それで少し経ってからエリトの家を出て、北部の守手支部で守手を募集してるって話を聞いてそこに行って、結界のはり方を学んで守手になったんだ」
「エリト・ヴィークとは別れて一人で暮らしたのか?」
「そう」
「へえ……」
ディリオムはスイが一人で生計を立てられるとは思っていなかったようで、驚きと好奇心が入り交じった目でスイを見た。ディリオムの機嫌がよさそうなので、スイは勇気を出して口を開いた。
「ディリオム、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「きみはどうやっておれの居場所を知ったんだ? 一度捕まって、そのあと釈放されたんだよね?」
「あー……、そりゃ、お前のことが心配だったから外に出て真っ先に探したよ。でもさっきも言ったけど、最初はお前は火事で死んだと思ってたんだ。騎士団のせいでお前を失ったとばかり……」
ディリオムはやるせなさそうに首を振る。
「でもあるときお前らしき情報を手に入れて、もしかしたら生きてるんじゃないかって思い始めたんだ。なあ、スイ。お前、デアマルクトにいるときに人さらいにさらわれたことがあるんじゃないか?」
スイは驚きを隠せなかった。グリーノ一派の人さらいの隠れ家に潜入したときのことだ。
「ある……」
「だよな? やっぱりあれはお前だったんだよな」
ディリオムはくくっと笑うと、スイに後ろを向かせて背中のあざにも薬を塗り始めた。
「人さらいに捕まって牢に入れられたけど、出荷前に騎士団が摘発したからすんでの所で自由になったんだよな。知ってるよ」
「どうしてそれを……? あそこにいた人はみんな捕まったのに」
「ああ、全員捕らえられたよ。でも捕まる前に送られた定期報告は俺に届いてて、そこに書いてあったリストにお前っぽい奴のことが書いてあったんだ。銀目ってのは滅多にいるもんじゃないし、そのほかの特徴もすべてお前と一致してたから。だからまさかと思ってデアマルクトを探らせたんだ。でも探らせてた奴まで捕まったからだめだった。捕まったあと逃げて戻ってきたけど、お前のことは見つからなかったからもう一度デアマルクトに行かせてくれって言われてね。でも怪我がひどくて治るまで時間がかかりそうだったし、腕が立つ奴だけど鬼族だったから騎士団に面が割れてたみたいで、そんな奴に行かせるのは危険だから別の奴に行かせたよ」
ヨルマのことだ。やはりヨルマはディリオムの仲間だったのだ。ヨルマはスイを見つけていたが、再びエリトに会うために嘘をついてデアマルクトへ舞い戻ろうとしていた。今度こそエリトを自分の手で殺すために。
「そうやってお前を捜してるうちに精霊族が現れたって騒ぎが起こって、お前がデアマルクトにいることを確信した。大事なお前をほかの奴に奪われる前に取り戻したかったけど、その前にエリト・ヴィークに先を越されてしまった。あの騎士団長はちょっとおかしいんじゃないか? お前を無理やり自分の家に閉じこめたりして。他人のくせに」
「エリトは……、……強引なところがあるから」
「本当、傲慢な奴だよな」
「……それでナフリを送りこんだのか?」
「ああ。守手本部の総長がお前を守手に戻そうとしてあちこち働きかけてたから、うまく護衛として潜りこませた」
「どうやって……?」
「俺の情報網を甘く見るなよ。偉ぶってる奴ほど金を積めばなんとでもなる。それにあの総長はお前を守手に戻すことばっかり考えてて、護衛官の選定は人任せだったから楽だったよ」
ディリオムは笑いながら薬を塗ったところに包帯をくるくると巻きつけた。
「これでよし。またしばらくしたら見てやるから包帯は取るなよ」
「わかった」
ディリオムは小首をかしげて笑う。
「また前みたいに一緒に暮らせるな……」
昔をなつかしむように言われ、スイはうつむいて手をもじもじと動かした。
「ディリオム……」
「なんだ?」
「……きみはおれの世界のすべてだった。きみに与えられるものだけでおれは生きてきた……。でも、今はもう違うんだ。おれの世界にはたくさんの人がいる。だから、昔みたいに行くかどうか……」
「それでもいいよ。お前は外の世界を見てきたんだよな。辛いこともたくさんあっただろう。苦労をかけた詫びをさせてくれ」
ディリオムは薬壺を持って立ち上がる。
「しばらく休んでな。俺の部屋は廊下の突きあたりだから、なにかあったら来てくれ」
「……ここはきみの家なのか?」
「そうだよ。でも一階は俺の傘下じゃないグリーノ直属の手下も出入りしてるから、一階には下りるなよ。お前を蹴った奴みたいな乱暴なのもいるから。いいね?」
「わかった……」
スイが了承するとディリオムは部屋を出て行った。鍵をかける音はしなかった。なにかあれば自分の部屋に来てくれと言った通り、部屋の出入りは自由にさせてくれるらしい。
スイはディリオムの変化に戸惑った。あのディリオムがスイを閉じこめようとしないなんて。
「……本当に後悔してるのかな……?」
部屋中を見て回ったが、特に変わったものは見当たらなかった。ごく普通の部屋だ。
少し経ってから再びディリオムがナフリを伴ってやってきた。
「夕飯にしよう」
もう夜中だが彼らにとっては今が夕食時らしい。ディリオムとナフリはテーブルの上にゆで肉だのほうれん草のソテーだのを並べた。ナフリはワインボトルの栓を開けると部屋を出て行き、スイはディリオムと一緒に食卓についた。パンをかじりながら、スイはまだディリオムと仲が良かったころに戻った気がしていた。
二人は向かい合って夕食をとった。静かな食卓だった。
グラスに注がれたワインを空けてしまうと、ディリオムがおかわりを注いでくれた。
「ありがとう」
「お前、結構ワイン飲むんだな」
「え? ああ……まあね」
そういえばあの屋敷にいたころは酒のたぐいは飲んでいなかった。ディリオムはスイの変化をおもしろがっているようだ。
しばらくして部屋の扉が開き、小さな少年が盆に載せたデザートを運んできた。あのときの幼い兄弟の弟のほうだ。確か名前はカスパルだ。
カスパルはデザートを落とさないようゆっくり慎重に盆を運んでくる。ディリオムは椅子に座ったまま身を乗り出して盆を受け取り、カスタードプリンを一つスイの前に置きもう一つは自分の前に置いた。
「カスパル、お前プリン好きだろ? 俺のを食べな」
ディリオムはそう言うとカスパルを抱き上げて自分の膝に座らせた。カスパルは目を輝かせてスプーンでプリンをすくって食べ始める。
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