銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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八章 安全で快適な暮らし

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「はい?」
「仕事終わりですよね。よかったらこれから飲みに行きませんか?」
「あー……すぐ帰らないといけないので。すみません」
「もちろんおごりますよ。少しだけ。だめですか……?」

 下手に出る作戦らしい。スイは曖昧に笑って首を横に振る。

「せっかくですけどすみません。怒られちゃうので」
「でも毎日ずっと働きっぱなしでお疲れでしょ? 少し気分転換したほうがいいですよ?」

 どうしてスイが働きづめだと知っているのだろう。まさかずっとそばをうろついて話しかける隙を見計らっていたのか。

 スイがナフリを呼ぶべきか悩んでいると、大きな影がぬっと現れた。見るとそこには大男が立っていた。ひげ面で筋骨隆々でスイなど指一つではじき飛ばしそうだ。

「ひっ」

 最初の男はともかくこの男には絶対に勝てない。スイが青くなっていると、大男はスイに声をかけた男の前に立ちふさがった。

「聞こえたぞ。この方になに迷惑なこと言ってんだこの身の程知らずが」

 しゃがれた低い声は迫力満点だ。驚いた男は慌てて逃げていった。大男はくるりと振り返ってスイににっと笑いかける。

「大丈夫ですか? 気をつけて帰ってくださいね。というか、お連れはいないんですか?」
「ど、どうも……護衛の人ならもうすぐ戻ってくると……あ、来た」

 スイが大男と話しているのを見たナフリが怖い顔で飛んできた。

「この人は?」
「変な奴に声をかけられてるところを助けてくれたんだよ」
「変な奴って?」

 スイは簡単にナフリに状況を説明した。ナフリは納得したようで大男に頭を下げた。

「俺が忘れ物を取りに行ったばっかりにすみません。ありがとうございました」
「かけがえのない方なんですから、危険のないようにして差し上げてくださいよ」
「もちろんです」
「じゃ、俺はこれで」

 大男はスイに会釈をして帰っていった。ナフリは何度もスイに謝った。

「すみません、スイ。怪我はありませんか?」
「ないよ。大丈夫。さあ帰ろう」
「はい」

 スイはナフリと話しながら帰宅した。スイが精霊族においしいものを捧げると幸せになれるという噂を広めてはどうかと言うと、ナフリは名案ですと言って笑った。

 有名になってしまったせいで変な輩に目を付けられることも増えそうだが、逆にスイを見守ってくれる人も増えたので、結果的に身の安全は保障されているようだった。


 ◆


 ある日仕事が終わって帰ろうとしていたとき、またしてもスイに声をかける者がいた。うんざりしながら振り向くと、スイよりだいぶ下のほうに頭があった。

「……きみは?」

 スイは少ししゃがんで目線を合わせて言った。そこにいたのは年端もいかない少年だった。赤茶の髪で、不安そうなくりくりの目を揺らしている。勇気を振り絞ってスイに話しかけたらしく、彼の緊張がいやというほど伝わってくる。

「どうしたの?」

 スイがたずねると、八歳くらいの少年はおそるおそる口を開いた。

「……精霊族の人だよね?」
「……まあ、そうだけど」
「あの……」

 少年はスイの耳元で囁いた。

「ぼ、ぼくの弟も精霊族なんだ。助けて」
「え……? 本当?」

 少年は今にも泣きそうな顔で小さくうなずく。スイはうろんげに少年を見下ろしているナフリに耳打ちした。

「この子の弟が精霊族なんだって。それでおれに助けてって」

 ナフリは眉をひそめた。

「へえ……」
「本当かな……? 精霊族はこの五十年一人もいなかったんだろ? それが急に二人も現れるなんてことあるか?」
「……ありえないことではないでしょう。あなたが今まで正体を隠していたように、ほかにも隠れ住んでいる精霊族はいるかもしれません。五十年間表沙汰にならなかっただけで、本当は何人かいたのかも」
「……確かに」
「隠れて暮らしていたところにあなたの話を聞いて、同じ精霊族のあなたなら助けてくれると信じてわざわざデアマルクトまで来たんじゃないでしょうか」
「……辛い思いをしてるってことか? 精霊族だから?」
「それはわかりません。でも相当せっぱつまってるみたいですね」

 ナフリは少年の顔をちらりと見て言った。スイも少年を見た。たった一人で弟のために助けを求めてここまで来たのだろうか。ほかに頼りになる大人はいなかったのだろうか。だとしたらあまりにかわいそうだ。

「きみ、名前は?」
「……セドゥ」
「セドゥ、おれとおいで。助けてあげるから、一緒におれのうちに行こう」

 セドゥはひどく安心したようで相貌を崩した。

「うん……!」

 スイが手を差し出すとセドゥは迷わずスイの手を握った。そのまま帰ろうとすると、ふとナフリが言った。

「それで、きみの弟はどこにいるんだ?」

 するとセドゥはあっと声を上げてスイの手を引いた。

「こっちにいるよ。一緒に来て」
「えっ、弟もデアマルクトにいるのか?」
「うん」

 セドゥはスイの手をぐいぐい引いて案内し始めた。スイはセドゥに連れられて歩きながら、エリトがどんな反応をするか考えた。まさか助けてあげないことはないだろうが、この兄弟もエリトの家に住むことは難しい気がする。せめて安全な環境を提供してあげてほしい。願わくば精霊族だと絶対に気づかれない場所がいい。

 セドゥはどんどん歩いていく。次第に大きな通りを離れスラム街に近づいてきたので、スイはいったん休憩しようと言って足を止めた。水筒の水をセドゥに飲ませ、そのあいだにナフリと相談する。

「こっちは治安が良くない地区だ。あまり近づきたくない」
「ああ、確かにスラムが近いですね。でもまだ明るいし、人目があるから大丈夫でしょう」
「スラムは昼間も危ないぞ」
「スラムの奥に入るつもりなら引き返しましょう。この子供が出入りできるんだからそこまで警戒する必要はないと思いますよ。俺がついてますから、なにかあったらあなたを抱えて逃げます」
「うーん……」

 スイは渋ったが、ナフリは腕に自信があるせいかあまり気にしていないようだ。そのうち水を飲み終えたセドゥがもうすぐだよと言ってスイの手を握ったので、仕方なく先を進んだ。

 セドゥはスラム街の手前で立ち止まった。掘っ立て小屋を指さして弟はこの中にいると言う。スイはそっと小屋の扉を開けて中に入った。しばらく人が立ち入っていない物置らしく、中はたくさんの物が置かれていてひどくほこり臭い。

「カスパル、出ておいで。ぼくだよ」

 セドゥが言うと、壊れたチェストの裏から赤茶の小さな頭がひょっこりと出てきた。セドゥよりさらに小さな男の子だ。セドゥが近づくと、カスパルはさっとセドゥに駆け寄った。

 スイは床に膝をついて小さな精霊族に話しかけた。

「きみがセドゥの弟だね?」

 カスパルは大きな黒い目で見定めるようにじっとスイを見つめる。スイは安心させるようにほほ笑んだ。

「セドゥと一緒におれの家においで。おなか空いてない? 一緒においしい夜ご飯食べようよ」
「…………」
「大丈夫、おれはセドゥに呼ばれてここに来たんだよ。おれはきみの味方だよ」
「……おにいちゃんがスイ・ファリンガー?」
「そうだよ……え?」

 そのとき、後ろからスイの鼻と口に布が押し当てられた。どこかで嗅いだことのあるつんとするにおいがする。

「ううう!?」

 もがいたが冷たい二本の腕が背後からがっちりとスイの体を押さえつけていて身動きが取れない。助けを求めて視線をさまよわせると、セドゥが必死にカスパルを抱きしめてなにかから守ろうとしているのが見えた。だんだん頭が朦朧としていく。視界が暗くなっていく。

「う……」

 体から力が抜けていき、スイは床にどさりと倒れた。

「よくやったガキ共」

 ナフリの声がする。誰かが小屋の奥から大きな袋を持って歩いてくる。
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