銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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六章 嗤う人妖族

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 ヨルマが寝かされていた部屋は、窓に鉄格子のはまった犯罪者用の部屋だった。ベッドはもぬけの殻で、シーツにところどころ血が染みついている。ベッドの足に取り付けられた鎖は途中で引きちぎられていた。この鎖で拘束されていたが力ずくで外して逃げたのだろう。鬼族の膂力なら可能だ。

 隣のベッドでは腕を負傷した憲兵が治癒師の手当を受けていた。右腕がひどく切り裂かれているが意識はしっかりとしており、脇に立つ上官らしき憲兵に状況を説明している。ゾールもその隣で話を聞いた。

 スイは空っぽのベッドを見つめて下唇をかんだ。ヨルマが起きたら聞かなければならないことがあったのに、あっさり姿を消してしまった。

「くそっ……」

 スイは小さな声で悪態をついた。早く捕まってくれることを祈った。

「スイ」

 話を聞き終えたゾールが声をかけてきた。

「状況はだいたいわかったからオレは……大丈夫か? 真っ青だぞ」

 ゾールはスイの顔をのぞきこんで心配そうに言う。スイはこくりとうなずいた。

「うん……。それで?」
「ああ、オレもヨルマ捜索に行くから、お前はどうする? 先に帰ってるか?」

 スイは思わずゾールの腕をつかんだ。

「いやだ、帰らない。またヨルマがおれを狙ってくるかもしれないんだ」
「え? お前、ヨルマを知ってるのか?」
「知ってるというか、前、ヨルマに襲われたんだよ。そこにエリトが来てヨルマを捕まえてくれたんだ」
「えっ!? あのとき襲われたデアマルクトの住人ってお前のことだったのか!?」

 ゾールは心底驚いたようだった。

「どうしてお前が襲われたんだ? また夜に危ないところを歩いたのか?」
「違うよ。守手本部から預かった書類をエリトに届けることになって、エリトのところに行って、それから……、……あれ?」

 あのときのことを思い出そうとするが、なぜか記憶に霞がかかっているようで、ところどころ思い出せない。レストランで食事をするエリトを仕事で訪ねたのは覚えている。だが、どんな会話をしたのか、どうやって書類を渡したのかが思い出せない。

「確か、そのときにヨルマに狙われたんだ……。それで帰ろうとしたらあとをつけられて、ひとけのないところに追いやられて、……殺されそうになったとき、エリトが駆けつけてきた。それで……それで……」

 スイは頭を抱えてなんとか思い出そうと躍起になった。

「……ヨルマがおれを狙ったのはなんでだっけ? ヨルマは鬼族で、エリトの幼なじみで、エリトのことが好きだった。……でもそれがおれとなんの関係がある? おれはずっとゾールのことが好きだったし……?」

 思い出そうとすればするほど、手ですくった砂が指の隙間からこぼれ落ちていくように記憶が消えていく。あのとき、駆けつけてきたエリトを見て身震いするほど嬉しかった。だが、姿を見ただけで嬉しくなる相手はゾールのはずだ。

「あれ? あのとき助けてくれたのはゾールだったっけ? ……でもヨルマはエリトに話しかけてたな。なんだろう、怖かったから忘れちゃったのかな……?」

 わけがわからなくて頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。ふらついたスイの体をゾールがそっと受け止めた。

「ごめんねスイ。いやなことを思い出させちゃったね。……きっと恐怖で混乱してるだけだよ」
「そ、うかな……」
「そうだよ。死ぬほど怖い思いをした人はそうなるんだ。だから気にするな。これ以上思い出さなくていい」

 スイは黙ってうなずいた。ゾールはスイを連れて治安維持部隊本部に戻り、部下にスイの保護を頼んでから外に出て行った。スイは仕事をする隊員のかたわらに座ってゾールの帰りを待った。隊員たちはヨルマに殺されかけた被害者であるスイを気遣い、あたたかいお茶をいれてくれたりと優しくしてくれた。

 数時間後、ゾールがくたびれた様子で戻ってきた。結局ヨルマはデアマルクトの外に逃げてしまい、憲兵の小隊が行方を追っているそうだ。万が一戻ってこないよう、しばらくのあいだデアマルクトに来る者は厳しくチェックされることになる。だが、もう戻っては来ないだろうというのがゾールの見解だった。

 スイはゾールと一緒に帰宅した。近くのパブで簡単に夕飯を済ませ、ゾールの大きなベッドで一緒に眠った。


 ◆


 次の日もそのまた次の日も、スイはゾールの家に入り浸った。ゾールの家にはなんでもあるし、ゾールと一緒にいるのはとても楽しい。毎日が新鮮で世界が輝いて見えた。

 朝、ゾールはソファでスイの髪をくしでとかしていた。スイは半分眠ったままクロワッサンをかじっている。

「だいぶつやつやになってきたな。もう髪を乾かさないで寝ちゃうのはだめだからな?」
「んー」
「聞いてる? せっかくきれいな髪なんだからもうちょっと気を遣ってくれよ」
「わかったよー」

 ゾールは苦笑してスイの髪に薔薇から抽出した水をつけて寝癖を整えた。ゾールは朝食は食べないので、スイがクロワッサンを食べ終えると、スイは守手のローブ、ゾールは治安維持部隊の制服を身につけた。

「今日は何時に帰ってくる?」

 靴紐を結びながらゾールが何気なく聞き、スイは身支度の手を止めてゾールを見た。なんだかその言い方が家族のような気がした。

「どうした?」

 黙ってしまったスイをゾールが不思議そうに見上げる。

「……おれの帰るところってここなんだ?」

 スイが呟くように言うと、ゾールは優しくほほ笑んだ。

「そうだよ。ここがきみの帰るところだよ」

 ゾールは立ち上がってスイを抱きしめた。スイはそっとゾールの背中に手を回して彼の体温を感じた。家族を失って久しいスイには帰るべき故郷がない。だからゾールの言葉が身に沁みた。

「そっか……ここに帰ればよかったんだ」
「今さらなに言ってんの。毎日ここに帰ってこいよ。な。どこにも行かないで」

 ゾールは笑ってスイにキスを落とした。吸いこまれそうな紫の目にじっと見据えられ、スイは以前も誰かが同じ目をしていたような気がした。愛情が詰まった濃い視線。これが怖くて、逃れたかった気がする。

「……今日は早めに帰れると思うよ」

 スイが言う。

「そっか。じゃ、五時の鐘が鳴るころに迎えに行くよ。噴水のところで待ち合わせよう」
「わかった」

 二人は約束をして家を出た。ゾールはスイに手を振り、早足で仕事場に向かっていった。スイも守手本部に向かった。

 守手本部に着くと、先に来ていたガルヴァに呼び止められた。

「あれ? お前、今来たのか」
「そうだけど。どうかした?」
「いや、来る前にお前の部屋に寄ったけど返事がなかったから、先に行ってるんだと思ってた」
「あ、そうなの? ごめん、ここのところアパートには帰ってなくて」
「え? じゃあどこで寝泊まりしてるんだよ」
「ゾールの家だけど」
「は!?」

 ガルヴァは頓狂な声を上げた。思わず大声を出してしまったようで慌てて口に手を当て、周囲の守手が聞き耳を立てていないことを確認してから声を潜める。

「……なんでフェンステッド隊長の家なんかにいるんだよ」
「あ、実は……」

 スイはガルヴァの耳元に口を寄せた。

「ゾールとつきあうことになったんだ」
「はあ!?」
「ちょ、声が大きいって」

 ガルヴァは目を白黒させてスイを見つめる。そこまで驚かれると思わなくて、スイは照れて頭をかいた。

「そんなに意外か?」
「あ、当たり前だろ! あれ、もしかして聞き間違い? 今ゾールって言わなかった?」
「言ったよ」
「んんん……!? え、だって、お前はヴィーク団長のことが好きなんだろ?」
「いや、ゾールだけど?」
「え?」
「え?」

 二人は顔を見合わせた。どうしてエリトを持ち出されたのかわからない。ガルヴァはスイがゾールとつきあっていることが信じられない様子だ。

「……じゃあ、ヴィーク団長のことはどうするんだよ?」
「どうするって? なにを?」
「俺はてっきりヴィーク団長と恋人同士に戻ったんだと思ってたんだけど」
「えっ? なに言ってるんだよ。エリトとはそんなんじゃない。それに戻ったってなに? エリトと恋人だったことなんかないよ」
「……意味わかんねえ。お前、頭でも打った?」
「そっちこそ意味わかんないんだけど……」

 ガルヴァは心底理解できないとばかりにしかめ面をする。スイはどうしてこんなに認識が食い違っているのか不思議だった。今までガルヴァと話していてこんな風になったことはない。だいたいにおいてガルヴァとは気が合うし、価値観も似ている。

 そのとき、広間の向こうからニーバリがガルヴァを呼んだ。ガルヴァはまだ話し足りなそうだったが、しぶしぶニーバリのところへ走っていった。

 この日スイに割り当てられた依頼はなかったので、スイは資料室の整理をして過ごした。だがそれも早々に終わり、まだ日が高かったが待ち合わせ場所に向かうことにした。
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