銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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四章 吸血鬼の噂

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「……こいつを病院に運べ」

 エリトが憲兵に向かって言った。憲兵は敬礼すると応援を呼びに走っていった。

 憲兵が去ると静寂が訪れた。ヨルマは心外そうに眉をひそめる。

「……助けてくれだなんて言ってないだろ……」
「こんなところで死なせるか。お前にはいろいろと聞くことがある」
「いやだよ、生きのびて監獄に入れられるのなんか……。いっそお前の手で殺してくれよ」
「断る」

 ヨルマは憎しみのこもった目でエリトをにらんだ。右腕を動かそうとしたが、身じろぎしただけで体に激痛が走ったらしく、悲痛そうな声を上げて顔をしかめた。

 ヨルマは動くのをあきらめ、横たわったまま顔をこてんと傾けた。スイはヨルマと目が合った。ヨルマは光の灯らない目でスイを見た。

「……お前、には、エリトを引きつけるなにかが、あるんだろうか……スイ・ファリンガー……」

 スイは息をのんだ。今、彼は知るはずのない名前を口にした。スイは四年前からずっと「スイ・ハインレイン」を名乗っている。ファリンガー姓を名乗ったのは、オビングのエリトの家でエリトに名前を聞かれたときの一回きりだ。スイがファリンガー家の養子だったことは、エリトとフラインしか知り得ないはず。

 エリトはフラインと顔を見合わせ、膝をついてヨルマの肩をつかんだ。

「なんでその名前を知ってる!? 誰に聞いた? おい!」

 だがヨルマはすでに気を失っていた。エリトが何度呼びかけて体を揺すっても、なんの反応もない。

 そのうちに憲兵が馬車を連れて戻ってきて、ヨルマは荷台に乗せられて病院に搬送されていった。かなりひどい怪我だったが助かるだろうか。

「フライン、なんであいつおれの名前を知ってるんだ? おれのこと誰かに喋ったのか?」

 スイはフラインの腕をつかんでたずねた。フラインは首を横に振る。

「まさか。誰にも話すもんか」
「じゃあなんであいつが知ってるんだよ? ありえない、おかしいよ」
「そうだな……ヨルマが目を覚ましたら聞き出そう」

 フラインは唇まで真っ青になっているスイの肩に手を置いた。なだめるように肩をさすられるが、スイは最悪の想像が頭をよぎってそれどころではなかった。

「表通りまで送っていこう。あとは自分で帰れるな?」

 フラインが言い、スイは黙ってうなずいた。フラインはスイの背中に手を置いて歩きだした。エリトはしゃがみこんでヨルマが寝ていたところをじっと見ている。そこにはヨルマの血がこびりついている。

 スイはエリトに声をかけてやりたかった。きみのせいではないと言いたかった。だが、なにも言うことができなかった。



 その日の夜、スイはいつまで経っても眠ることができなかった。ヨルマに襲われて殺されかけたことも衝撃的だったが、ヨルマがスイの本名を知っていたことのほうがさらに衝撃的だった。

 スイはベッドに仰向けになり、天井を見上げながら考えた。いくら考えても、ヨルマがスイの名前を知ることができる可能性は一つしかない。

 スイはがばりと跳ね起き、棚からウイスキーの瓶を取り出すとそのまま口をつけて一気に流しこんだ。喉が焼けるほど熱くなり、頭がぼうっとかすむ。スイは瓶をテーブルに置き、どさりとベッドに倒れこんだ。

 目を閉じると、義兄の顔が暗闇に浮かんだ。スイはまだ、ディリオムから完全に逃れられていないのかもしれない。


 ◆


「お前、具合悪いんじゃねーの?」

 結局、一睡もできないまま翌朝を迎えた。夕食も朝食もとらずげっそりしたまま仕事に向かったが、たちまちガルヴァに見とがめられてしまった。

「そうかな?」
「絶対そうだろ。顔ひどいぞ。朝ちゃんと鏡見たか?」
「見てないかも」
「見ろよ」
「大丈夫だって、ちょっと風邪気味なだけだよ」

 そう言って歩きだしたが、足がふらついてなにもないところでべしゃっと転んでしまった。

「ほらあ! お前もう帰れよ! 絶対熱あるってそれ!」
「でも仕事があるし……」
「そんなの俺がやっといてやるよ! そんな状態で怪我でもされたら困るから、とっとと帰れ帰れ」

 スイは半ばガルヴァに追い出されるようにして守手本部をあとにした。ガルヴァは普段面倒くさがりだが、こういうときは進んで仕事を肩代わりしてくれるらしい。スイはガルヴァの優しさに感謝してアパートに戻った。

 生姜のスープを作って飲むと少し体調が改善した。スイは部屋の中で一日ゆっくりと過ごした。だが、いやな想像が頭の中から離れなくて、どうしても眠ることができなかった。

 夜になり、スープの残りにパンを浸して夕食を済ませる。とくになにもする気になれず、椅子の上で膝を抱えてぼんやり座っていた。

 窓の外でガタンと音がして、スイははじかれたように立ち上がった。ヨルマがまた襲ってきたのだと思ったが、窓を開けて部屋に入ってきたのはエリトだった。スイは拍子抜けして倒れこむように椅子に座った。

「……なんで?」
「なにが?」
「だって……もうお前はここには来ないものだと思ってたのに……」
「え? そんなわけないだろ?」

 エリトはスイの前に立ち、スイのあごをつかんで上を向かせた。まじまじと顔を見つめられ、スイの体温が急激に上昇した。

「……昨日は眠れなかったのか?」

 スイが黙ってうなずくと、エリトはスイのあごを人差し指ですっとなでた。

「そっか……。そりゃ、不安になるよな……」
「ヨルマは?」
「まだ目を覚まさない。治癒師はがんばってるけど、助かるかどうかは五分五分だとさ」
「そうか……」
「目を覚ましたらお前にも教えるから、それまでこのことを考えるのはやめろよ。一人で考えたってどうしようもないんだし。だろ?」
「うん……。エリトはどう思う? どうしてヨルマがおれの名前を知ってたんだと思う?」

 スイが聞くと、エリトは渋い表情で、さあな、とだけ言った。スイはエリトが自分を不安がらせないようにはぐらかしているような気がした。

「おれは、グリーノ一派にディリオムがいるんだと思う。ヨルマはきっとディリオムにおれのことを聞いたんだ。ディリオムは少し前に釈放されたんだろ? なら、そうとしか思えない」

 エリトは目を丸くした。

「お前、ディリオムが釈放されたこと知ってんのか……」
「うん。少し前に治安維持部隊の人が言ってたんだ。グリーノ一派の人さらいのところに潜入したあと、ゾールに報告したときに聞いた」

 そういえば、あのときに捕縛したグリーノ一派の男たちはどうなったのだろう。地下牢に囚われていたとき、薄ぼんやりと聞いたあれは本当にディリオム・ファリンガーのことだったのだろうか。ゾールはディリオムのことも吐かせると言っていたが、なにか聞き出せたのだろうか。

「グリーノ一派に入れば、デアマルクトに出入りできるんだろ? ……ディリオムはおれを探しにデアマルクトに来てるんじゃないか?」

 この一日、ずっとそのことだけを考えていた。スイが声を震わせて言うと、エリトはスイを抱きしめた。

「大丈夫だ。お前は俺が守ってやる。二度とあの男とは会わせない。だから心配すんな」

 スイはエリトの分厚い胸板に顔を押しつけてこくりとうなずいた。エリトの声を聞いていると、不安に押しつぶされそうだった心が凪いでいく。
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