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四章 吸血鬼の噂
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しおりを挟む屋敷に向かっていると、こちらにやってくるニーバリとばったり出くわした。ニーバリの後ろには先に戻った守手たちがいる。先頭を歩くニーバリはスイたち三人を見ると眉間にしわを寄せた。
「いないと思ったらこんなところでさぼってたのか」
「ち、違いますよ! 今戻ろうとしてたとこだったんです!」
スイは慌てて弁解する。
「向こうに池を見つけたのでちょっと見てたら遅くなっちゃって……」
「言い訳すんな。まあ、ちょうどそっちに行くところだったからいいか。さぼったぶん午後はしっかり働けよ」
「……え、こっちに行くんですか? 屋敷の捜索は?」
「屋敷の中はあらかた調べたから、午後は庭を捜すことにしたんだよ。フェンステッド隊長に庭のすみに妙にきれいな池があるって聞いたからな。騎士団の奇襲に驚いたマグン一派の連中が、隠し部屋の鍵を慌てて池の中に放りこんで隠した可能性がある」
ニーバリは話しながらぼうぼうの草を踏みしめて池のほうへと歩いていく。スイは顔を引きつらせたが、ガルヴァとジェレミーがおとなしくニーバリのあとをついて行ったので、仕方なく一緒に池に戻った。
池を見たニーバリは、さきほどのガルヴァやジェレミーと同じく感嘆の声を上げた。
「おお……、本当にきれいな池だな。よしお前ら、池の中をよく探せ。慎重にな!」
守手たちはばらけて池の周囲を囲み、靴と靴下とローブを脱いでズボンのすそをまくり上げると、ざぶざぶと池の中に入り始めた。シャツのそでをまくって池の中に差し入れ、石ころで覆われた池の底を確認していく。急にたくさんの人が入っても、池の水は透明度を失わなかった。
晴れた日にきれいな水に浸かって楽しくなったのか、次第に守手たちは水をかけ合って遊び始めた。ガルヴァはジェレミーに水をかけようとして足を滑らせ、派手な水しぶきを上げて背中から池に突っこんだ。
「わはー! つめてえ!」
「こらあガルヴァ! 水浴びに来たんじゃないぞ!」
「すんませーん!」
ニーバリが池のほとりから怒鳴ったが、ガルヴァは笑いながら手を振った。全身ずぶ濡れだがまったく意に介していない。
「どうせ濡れたなら奥のほうを調べてこい!」
「はーい!」
ガルヴァは機嫌良く返事をして池の奥に泳いでいく。ニーバリはため息を落とし、ふと一人だけ池のそばにしゃがんで水面を眺めているだけのスイに目をとめた。スイは靴も脱がず、池に入らずにじっとしている。
「どうしたスイ、お前も早く探せよ」
スイはぎくりと体をこわばらせた。そっと立ち上がっておそるおそるニーバリのほうを向く。
「あの、ニーバリさん……実はおれ水に浸かるのが苦手なので、ここから確認させてください」
ニーバリはけげんそうな顔でスイに近づいた。
「水が苦手? でもお前、花族だろ?」
「そうですけど……昔からどうしてもだめなんです」
花族や若葉族は水浴びが好きな種族だ。泳げない花族はたまにいるが、水を嫌う花族はいない。しかしほかに良い言い訳も思いつかず、スイは水が苦手なのだと言い張った。
だがニーバリは首を横に振った。
「わがまま言うな。服を濡らすのがいやなだけなんじゃないか?」
「違いますって! ほ、本当にだめなんです!」
「ふうん……? わかったよ、じゃあ浅いところだけでいいよ。深いところはあのお調子者が探すから」
ニーバリの声が聞こえたようで、ガルヴァは池から頭だけ出してにかりと笑った。
「なんだよスイ、遠慮しないでお前もこっちに来いよー!」
スイはこのときばかりはガルヴァを憎らしく思った。
「ほら、みんな入ってるんだから、お前も靴くらい脱いで少しは探せって」
ニーバリはスイの背中を手のひらでぐいっと押した。スイは危うく池の中に足を突っこみそうになり、慌てて後ろに飛び退いた。人間がたくさん入ってきたせいで、小さな精霊が次々と現れて池の上をせわしなく飛び回っている。一歩でもこの池に入ったら、まちがいなく精霊族の姿になってしまう。
「無理です、入れません!」
スイは悲鳴じみた声をあげた。しかし、意地をはっているだけだと思ったのかニーバリも頑として譲らない。
「膝までのところだけでいいから、少しは手伝えよ!」
「だからだめなんですって!」
「なにがそんなにだめなんだよ!?」
だんだんふたりの声が大きくなっていく。池の中にいる守手たちは捜索の手を止めて、言い争うスイとニーバリを何事かと見つめている。
このままではニーバリに池に突き落とされかねない。スイは真っ青になり、助けを求めて辺りをきょろきょろと見回した。ガルヴァが心配したのかこちらに泳いできているが、助けるどころか逆に池に引きずりこまれそうだ。
ふと聞き慣れた声がして、スイは屋敷のほうを振り返った。少し向こうに庭を横断して屋敷に向かうエリトの姿があった。数名の騎士団員を引き連れていて、並んで歩くゾールとなにか話している。
「エリト!!」
スイはわらにもすがる思いで叫んだ。エリトはぱっとこちらを向いた。庭のすみの池に群がる守手たちを見て、それからスイと目が合った。
「池に入って中を探せって言われたけど、この池はだめだ、入れない! 助けてくれ!」
スイが必死に叫ぶと、エリトはハッとしたようで慌ててこちらに走ってきた。スイの表情と短い言葉で状況を理解してくれたらしい。
「おい! そいつを池に入れるな!」
「えっ……」
ニーバリは驚いて動きを止めた。エリトはスイとニーバリのところに駆けつけると、スイの腕を引いてニーバリから離し、少しかがんでスイと額をつきあわせて囁いた。
「この池にいるのか?」
スイは何度もうなずいた。
「いる。泣き声がするし、池が光ってる。水が苦手だって言っても信じてもらえなくて……」
ひそひそ声で伝えると、エリトはくるりとニーバリのほうに向き直った。眉間にしわを寄せたエリトに正面から見据えられ、ニーバリがたじろぐ。突然の騎士団長の登場に、ほかの守手たちは驚きのあまり硬直している。
「おい、こいつは水に入るのが死ぬほど苦手だから池の捜索から外してくれ」
ニーバリは目をぱちくりさせた。
「ほ、本当にそうなんですか……」
「花族なのに変だと思うだろうけどそうなんだ。シャワーくらいなら平気だけど、こういう池とか川とかがだめなんだよ。理由は聞くな。とにかく、絶対にこいつを水の中に入れるな」
「は、はい……わかりました」
ニーバリはエリトの圧に押されてうなずいたが、なにが起きているかわからないと言った表情だ。ニーバリはちらりとスイを見ると、エリトの顔色をうかがいながら言った。
「あの……スイとお知り合いなんですか?」
スイの心臓が飛び跳ねた。当然の疑問だろう。スイはガルヴァをのぞいてほかの誰にもエリトとのことを言っていない。国一番の剣士と名高い騎士団長と、一介の守手の距離が妙に近ければ、一体どんな関係なのかと不思議に思うだろう。
だからスイは、みんなの前でエリトと親しいとわかるような言動は絶対にしないつもりだった。だが、正体がばれそうになって思わず名前を呼んで助けを求めてしまった。エリトと親密だとばれて、またカムニアーナのように嫉妬されて危害を加えられてはたまらない。スイはうまくごまかしてくれと願いながらエリトの返答を待った。
「ああ、こいつ以前俺と暮らしてたことがあるから」
しかしエリトが平然とした顔で言い、スイは仰天してエリトを見上げた。
「なっ、なんで……」
言うんだ、とまでは言えなかった。ニーバリはこぼれ落ちそうなほど目を見開いた。池の中の守手たちも驚愕の表情となり、ガルヴァは驚きと非難が混じった目でエリトを見た。
エリトは守手らの反応などまったく気にせず、つかんだままのスイの腕を引いた。
「お前は別のところを探せよ。屋敷の中とか、いろいろあるだろ」
「あ、うん……」
スイはエリトに歩かされて池から離れた。背中にたくさんの視線が突き刺さっているのを感じるが、振り返る勇気はない。
エリトはスイを連れて騎士団員たちのところに戻った。彼らも先ほどのやりとりを聞いていたらしく、珍獣でも見るようにスイに釘付けになっている。
「……スイってエリトの恋人だったのか?」
ゾールが片眉を上げていぶかしげに言う。
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