銀色の精霊族と鬼の騎士団長

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四章 吸血鬼の噂

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 お昼を食べ終えた人から屋敷に戻っていく。スイは水筒を鞄にしまいながら、ふとジェレミーの姿がないことに気がついた。

「あれ? ガルヴァ、ジェレミーは?」
「あそこにいるぞ」

 ガルヴァが指さした先は花壇だった。煉瓦でできた大きな花壇だが、花より雑草のほうが生い茂っている。ジェレミーは花壇の脇にしゃがみこみ、雑草まみれの花壇を眺めている。

 スイとガルヴァが近づくと、ジェレミーは悩ましげなため息を落とした。

「花ってなんてきれいなんだろう……」

 ジェレミーがぽつりと呟く。いつもならうるさいくらいに喋りかけてくるのに、上の空でふたりが来たことにも気づいていない。スイとガルヴァは顔を見合わせた。

「今度はどうしたんだ……?」
「さあ……」

 スイは咳払いをしてからジェレミーに話しかけた。

「ジェレミー? あの……なにかあったのか?」

 ジェレミーはスイを見上げてほほ笑んだ。その濡れた瞳はどこか遠くを見つめている。

「僕、運命の出会いをしたんだ」
「運命の出会い……? ……誰と?」
「とっても素敵な人だよ」

 ジェレミーは熱っぽく話し出す。

「このあいだ、ヘルラフっていうすごくかっこいい人に声をかけられたんだ。僕に一目惚れしたんだって。こんなかわいらしくて魅力的な人を見るのは初めてだって言われて、花束をプレゼントされたんだ。ちょうどこんな真っ白な花だった」

 ジェレミーは花壇に植わった白い花を指先でつんとつつく。

「言ってることはとても情熱的なのに、こんなこと言うのは初めてだって言って照れててさ。僕のことが好きになっちゃったからがんばって話しかけてくれたみたい。あんなかっこいい人なのにそんなこと言うのがおかしくて。きっともてるから自分から声をかけたことなんてなかったんだろうね」
「へ、へえ……」

 遊び人が気に入った子に声をかけるただの口実に聞こえるが、すっかり舞い上がってしまっているジェレミーの手前、下手なことは言えない。隣のガルヴァの様子をうかがうと、ガルヴァもうさんくさそうに顔をしかめている。

「ヘルラフはかっこいい上にお金持ちなんだ。何度か会ったけど、毎回プレゼントをしてくれたよ。それに連れていってくれるレストランもきれいで豪華なところばっかりだし……。実家は別の街にあるみたいで、今は家を継ぐためにデアマルクトで働いて勉強してるんだって。彼はとても勉強家でいろんなことを知ってて、僕……ヘルラフのことが大好きになっちゃったんだ」

 ジェレミーは首まで真っ赤になりながら、ヘルラフがどれほど素敵な人か力説した。さらさらの銀髪で長身の美形で、上品かつ謙虚で、いつもジェレミーを喜ばせてくれるのだそうだ。

 だが、話を聞いているとなにかが引っかかる。ヘルラフの実家は裕福だそうだが、どこの街に家があるのかは教えてくれない。今なにをして働いているのかも曖昧で、住んでいるところもわからない。ジェレミーと仲良くしたがる割に自分のことを話さないようだ。怪しい匂いがぷんぷんする。

「あー、ジェレミー。ヘルラフはとてもいい人みたいだけど、なんだか謎めいた人だね?」

 ガルヴァも同じ考えのようで、言葉を選びながら言う。

「彼にきみのことはどの程度話したんだ? その、守手であることとか、種族のこととか」
「守手のことも、種族のことも話したよ。有翼族だって言ったら驚いてた」
「んん……なるほどね……。ところでジェレミー、さっきのビリスの話を聞いただろ? 最近デアマルクトでは物騒な事件が起きてるんだ。だから、この時期によく知らない人と会うのはやめたほうがいいと思うんだけど」

 スイも首肯する。

「おれもそう思うよ。特にきみは狙われやすい種族なんだから、人一倍気をつけたほうがいい。また人さらいに遭ったら大変だぞ?」

 ジェレミーは真剣な表情のふたりを交互に見てにっこりと笑った。

「心配してくれてありがとう! でもヘルラフは信頼できるから大丈夫だよ。一緒に遊びに行くときはヘルラフがアパートまで送り迎えしてくれるから、絶対に一人にはならないし。……そうそう、今度シェーラーの店に連れてってくれるんだって! 食通が通う名店らしいんだけど、知ってる?」

 ジェレミーは頬を紅潮させて次のデートの予定をぺらぺらと喋りだした。その幸せそうな笑顔を見て、スイもガルヴァもそれ以上なにも言うことができなかった。

 気づくとすでにほかの守手は全員屋敷に戻ってしまったようで、周囲には誰の姿もなかった。三人は連れだって屋敷のほうへ歩きだした。

 その途中、スイは誰かの泣き声を聞いた気がして立ち止まった。すすり泣くようなかすかな声が、風に乗って一瞬だけ耳をかすめた。前を歩いていたガルヴァもスイが立ち止まったことに気づいて立ち止まる。

「どうした? スイ」
「今、あっちのほうでなにか聞こえたような……」

 スイは腰まで伸びた雑草をかき分けて声のしたほうに近づいた。屋敷とは反対側の、外壁のほうから聞こえた気がする。

 荒れた庭をがさがさと進んでいくと、北端のすみに池があるのを見つけた。透明な水がたたえられた小さな池だ。わき水なのか濁りのない澄んだ水で、池の底まで見渡せる。水底に行くにつれて深い青色になっていく。池の中にはなぜか白い彫像が沈んでいて、水草が絡みついていた。

 スイに続いてやってきたガルヴァとジェレミーは、美しい小さな池を見て感嘆の声をあげた。

「すごい……こんな池があったんだ」
「きれいだな」

 ジェレミーはしゃがんで池にそっと右手をさしこんだ。鏡のような池の表面に波紋が広がる。

「冷たいや。今日は暑いし、ここで水浴びできたら最高だね」

 そのとき、スイは再び泣き声を聞いた。今度ははっきりと、さっきよりも近くで聞こえる。女の声で、喉を震わせて泣いている。しかし、周囲に人影はない。

「やっぱりだ……。なあ、女の泣き声がしないか?」

 スイが言うと、ガルヴァとジェレミーは周囲をきょろきょろと見回した。そのあと、気味悪そうにスイに視線を向けた。

「……泣き声なんてしないよ?」
「急に変なこと言うなよ、スイ。脅かそうったってそうはいかねえぞ」
「えっ」

 スイは驚いて耳をすませた。女の声は今もはっきりと聞こえている。スイのすぐそばにいるふたりが気づかないはずがない。

 ふと視界に白い光がかすめ、スイはそれを目で追った。小さな光るものが池の水面付近をふよふよと浮遊している。最初は光る虫かと思ったが、池全体がぼんやり白く光っていることに気づいて息をのんだ。太陽の光を反射しているのではなく、池そのものが淡く輝いている。

 この光り方には覚えがある。五年前、オビングの近くの森にあった泉も同じように白く輝いていた。その泉にはたくさんの精霊が棲んでいて、楽しそうにおしゃべりしていた。泉の中に入ったスイは精霊族の姿となり、そこで初めて自分が精霊族だということを知ったのだ。

 つまり、この池にも精霊が棲んでいる。泣いているのは精霊だ。だからガルヴァとジェレミーはその声を聞くことができない。精霊の声を聞けるのは、精霊族であるスイだけだ。

「ごめん、気のせいだ。風の音を泣き声と勘違いしたみたい」

 スイはそう言うやいなや早足で池から離れた。この池に近づいてはいけない。

「なんだよ、驚かせやがって」

 ガルヴァがぶつくさ言いながらついてくる。ジェレミーは軽やかに笑った。

「あはは、ガルヴァは恐がりだなあ」
「うるせえ、お前だって怯えた声出してただろ!」
「そんなことないってー」

 スイは黙って大股で歩いた。心臓がまだどきどきしている。こんなところで精霊のいる池に出くわすとは思っても見なかった。この五年間、あの森の泉以外で精霊の光など見たことなかったというのに。

 エリトの話では、精霊は普通人里離れた深い森の中などにしかいないとのことだった。しかし、こんな人の家の池に棲み着くこともあるようだ。とてもきれいな水だから精霊が呼び寄せられてしまったのだろうか。
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