20 / 97
二章 地下牢
1
しおりを挟む精霊祭が無事に終わり、デアマルクトは日常に戻った。激務続きだった守手らは、ようやく肩の荷が下りて一息ついている。祭の反動で仕事の依頼も少なく、みんな守手本部の談話室でだらだらと過ごしている。
しかし、スイは戦々恐々としていてまったく気が休まらなかった。精霊祭で再会したエリトは、相当スイに怒っている様子だった。
あれ以来エリトは姿を見せないが、オビングでのスイへの執着ぶりを考えると、このまま静かに放っておいてもらえるとはとても思えない。きっとまたなにか起きるに違いない。そんなことばかり考えていて、不安は募っていく一方だった。
そんなある日、スイはニーバリに呼び出された。ほかにもガルヴァとスイより少し年上の花族の守手が呼ばれ、三人で二階にあるニーバリの執務室に向かった。
「あー……だりい……」
ガルヴァがぼやく。スイはそうだなと言って同意した。
三人はニーバリの執務室に入った。小さな個室には書斎机が置かれ、窓を背にしてニーバリが座っている。三人はニーバリの前に横一列に並んで立った。
「急に呼び出して悪いな。お前たちに仕事の依頼だ」
ニーバリは机に両肘をついて手を組み、重々しく口を開く。
「デアマルクト近辺を拠点としてる犯罪組織イルグは知ってるな? 少し前にイルグのボスが治安維持に捕まったことで後継者問題が勃発して、イルグはグリーノ一派とマグン一派に分裂したんだ。で、グリーノ一派はイルグの人身売買稼業を継いでいて、最近派手に動いてるそうなんだ。マグン一派より上に立とうと資金集めに必死になってて、ここのところデアマルクトのスラムで失踪者が続出してるのは連中の仕業らしい。そこでだ」
ニーバリは三人に意味ありげな目配せをした。
「お前たちの誰か一人でいいから、商品としてやつらに捕まって内部に潜入しろ」
「ええっ!?」
ガルヴァがすっとんきょうな声をあげた。
「人さらい組織に潜入するんですか!?」
「そうだ。でも難しい工作する必要はないぞ。やつらがさらった人を隠しておく場所が知りたいだけだから、なにも知らないふりして捕まってくれればそれでいい。もちろんすぐに助けに行くからな」
「でも、それって治安維持部隊の仕事じゃないんですか?」
スイも同感だった。どう考えてもこれは守手の仕事ではない。花族の守手も不安そうな顔をしている。
「あー、そうだな、確かに本来なら治安維持の仕事だよ。だけど、あの人たちは場慣れしてるから潜入には向かないんだ。犯罪者どもは鼻が利くから治安維持や憲兵をすぐに見分けちまうんだと。だから戦闘慣れしてない守手が適役なんだ」
「……守手の中で俺たちが呼ばれた理由は?」
「花族と若葉族の若い男は需要が高いからだよ。本当は女がいいんだけど、さすがに女にやらせるのはまずいからなあ」
ガルヴァと花族の守手が渋い表情になる。当然だろう。女の代わりに好色な男に売られるために捕まるなんて、誰だってまっぴらごめんだ。
「デアマルクトの善良な民を守るためだ。これ以上の被害を食い止めるために勇気を出してくれるやつはいないか?」
スイ以外の二人が同時に下を向く。安全なところで指示を出すだけのニーバリは気楽なものだ。だが、実際に捕まるほうは痛い思いや嫌な思いを覚悟しないといけない。捕まった人がどんな目に遭うのかもわからないのに、立候補する酔狂な者などいるはずがない。
「おいおい、気概のあるやつはいないのかよ?」
ニーバリがため息混じりに言う。スイはすっと手を挙げた。
「おれやります」
「おっ! そうか!」
ニーバリは喜色を浮かべ、ガルヴァはぎょっとしてスイを見た。
「お前正気か!?」
スイはこくりとうなずく。
「やるよ」
「相当あぶねえ仕事だぞ? お前そんなの向いてねーだろ!」
「大丈夫だよ。精霊祭の準備ではみんなに迷惑をかけちゃったから、ここはおれにやらせてくれ」
殊勝なことを言うスイにニーバリは満足げに笑う。
「スイ、見直したぞ! お前みたいな勇敢な部下を持てて俺は嬉しい!」
ニーバリは書斎机の向こうから手を伸ばしてスイと握手し、ぶんぶんと上下に振った。ガルヴァは信じられないとでも言いたげにスイを見つめている。花族の守手はスイの言葉に感心したようだった。
ニーバリが嬉しそうなのはスイの行動が上官である自分の成果になるからだろう。手柄を横取りされそうな気もするが、今のスイにはどうでもよかった。潜入任務を任されればしばらく家を空けざるを得ない。エリトに会いたくなかったスイにとっては渡りに船だった。
さっそくその日の夜に作戦を決行することになった。日が暮れたころ、スイは再びニーバリの執務室に行き、服を脱いで上半身裸になるとニーバリに背中を向けて立った。
「よし、じゃあやるぞ」
「はい」
ニーバリはスイの背中に手のひらを置いた。触れられた部分がじくりと熱くなっていく。どんどん熱さは増していき、そろそろ火傷するんじゃないかと心配になったころにようやくニーバリは手を離した。
「これでよし。見てみろ」
スイは体をねじって背中を見た。腰の上に手のひらほどの大きさの黒い印がついている。細かな文字がびっしりと並んだ魔法陣だ。
「これがあれば、離れていてもお前の位置が手に取るようにわかる。潜入して内部の情報を集め終えたら、これに魔力を注いで術を発動させろ。それを合図に助けに行く」
「わかりました。でもこれちょっと目立ちません?」
「そんなの目くらましをかけとけばいいだろ」
「そこはやってくれないんですか……」
「甘えんな。守手だろ」
スイは仕方なく自分で背中に目くらましの結界をかけた。追跡用の魔法陣はほとんど認識できないくらいに薄くなった。
「よし、じゃあ着替えて出発しろ」
「はい。行ってきます」
「気をつけろよ」
スイはニーバリが準備したぼろのシャツとつぎの当たったズボンに着替え、くたびれた鞄を肩にかけて守手本部を出た。ニーバリの話ではスラム街の入り口近辺でよく人さらいが出没するらしい。
スイは地図を片手にスラム街と呼ばれる地区にやってきた。さっきまでは普通の商店街だったのに、一本通りを越えると急に景色が変わった。道幅が狭くなり、入り組んだ路地が蜘蛛の巣のように縦横無尽に続いている。民家の窓は鉄格子がはめられているか板で打ち付けてある。痩せた犬が道ばたに寝転んでいて、歩くスイをじっと見つめている。
まだ日が暮れてそんなに時間も経っていないのに、狭い通りに人通りはほとんどなかった。でもなぜかたくさんの人の気配がする。不思議なところだった。
あまりに雰囲気が違いすぎて、別の世界に迷いこんだような気分だった。歩いていくと、三人の娼婦が立ち話をしているところに出くわした。スイは早足で彼女たちの脇を通り過ぎたが、通り過ぎる際に無遠慮な視線を感じた。居心地が悪くてたまらず、スイは早くさらわれたい一心であちこちうろついた。
しばらく歩き回ったが誰も接触してこなかった。スイはそばの塀に寄りかかり、ニーバリにもらった地図を取り出した。近くに街灯がないので、月明かりに目をこらして地図を眺める。
「どこだよここ……」
かなり細かい道も載っている地図だったが、この辺りは道が入り組んでいて自分がどこにいるのかさっぱりわからない。周りは似たり寄ったりの建物ばかりで目印になるようなものはなにもない。かといってこの辺の人には怖くて話しかけられない。
「……人さらいより先に強盗に遭うんじゃないか?」
スラムは犯罪の温床になっているし、そう都合良く人さらいがスイを狙うとも限らない。
「狙うなら美女とか美少年とかだよな。おれじゃ無理かも……」
お腹も空いてきて、スイのやる気は急激に低下していった。エリトから逃げたいからといって簡単に引き受ける仕事ではなかった気がする。
「今日のところは引き上げるか」
スイは地図をたたんで鞄にしまい、来た道を引き返した。
「……あれ……?」
だが、なかなか元の場所に戻れなかった。路地が中途半端に湾曲しているせいで、歩いているうちに正しい方角がわからなくなってしまう。
「ま、迷った……」
石造りの背の高いアパートが狭い道の両側にそそり立ち、スイの視界を遮っている。そのせいで大聖堂のオベリスクも城壁も見えず、それらを目印にすることができない。スイは仕方なく勘を頼りにスラム街をさまよい歩いた。
迷っているうちに夜も更けて空気が冷たくなってきた。後ろから一人の男が歩いてきてスイを追い越していった。スイは道をたずねるべきか迷って男の後頭部を見つめる。
前方で男が立ち止まった。なんだろうと思った瞬間、背後からにゅっと手が伸びてきてスイの顔に布を押しつけた。変な刺激臭のする布だ。
「っんんん!?」
スイは男の手をふりほどこうとしたが、変な匂いを嗅いでいるうちに視界がまっ暗になっていった。
0
お気に入りに追加
341
あなたにおすすめの小説
変態♂学院
香月 澪
BL
特別保養所―――通称『学院』と呼ばれる施設。
人には言えない秘密の嗜好、―――女装趣味、それもブルマやレオタードなどに傾倒した主人公「マコト」が、誰憚る事無くその趣味を満喫する場所。
そこに通う様になってから、初の長期休暇を利用して宿泊する事にした「マコト」は、自覚も無く周囲を挑発してしまい、予想を超える羞恥と恥辱に晒され、学友にはエッチな悪戯を仕掛けられて、遂には・・・。
デボルト辺境伯邸の奴隷。
ぽんぽこ狸
BL
シリアルキラーとして捕えられた青年は,処刑当日、物好きな辺境伯に救われ奴隷として仕える事となる。
主人と奴隷、秘密と嘘にまみれた二人の関係、その果てには何があるのか──────。
亜人との戦争を終え勝利をおさめたある巨大な国。その国境に、黒い噂の絶えない変わり者の辺境伯が住んでいた。
亜人の残党を魔術によって処分するために、あちこちに出張へと赴く彼は、久々に戻った自分の領地の広場で、大罪人の処刑を目にする。
少女とも、少年ともつかない、端麗な顔つきに、真っ赤な血染めのドレス。
今から処刑されると言うのに、そんな事はどうでもいいようで、何気ない仕草で、眩しい陽の光を手で遮る。
真っ黒な髪の隙間から、強い日差しでも照らし出せない闇夜のような瞳が覗く。
その瞳に感情が写ったら、どれほど美しいだろうか、そう考えてしまった時、自分は既に逃れられないほど、君を愛していた。
R18になる話には※マークをつけます。
BLコンテスト、応募用作品として作成致しました。応援して頂けますと幸いです。
【完結】そっといかせて欲しいのに
遊佐ミチル
BL
「セックスが仕事だったから」
余命宣告を受けた夜、霧島零(21)はひったくりに合い、エイト(21)と名乗る男に助けられる。
彼は東京大寒波の日なのになぜか、半袖姿。そして、今日、刑務所を出所してきたばかりだと嘘とも本気とも付かない口調で零に言う。
どうしても人恋しい状況だった零はエイトを家に招き入れる。
過去を軽く語り始めたエイトは、仕事でセックスをしていたと零に告げる。
そして、つけっぱなしのテレビでは白昼堂々と民家を襲い金品を奪う日本各地で頻発している広域強盗犯のニュースが延々と流れていて……。
【完結】キノコ転生〜森のキノコは成り上がれない〜
鏑木 うりこ
BL
シメジ以下と言われ死んでしまった俺は気がつくと、秋の森でほんわりしていた。
弱い毒キノコ(菌糸類)になってしまった俺は冬を越せるのか?
毒キノコ受けと言う戸惑う設定で進んで行きます。少しサイコな回もあります。
完結致しました。
物凄くゆるいです。
設定もゆるいです。
シリアスは基本的家出して帰って来ません。
キノコだけどR18です。公園でキノコを見かけたので書きました。作者は疲れていませんよ?\(^-^)/
短篇詐欺になっていたのでタグ変えました_(:3 」∠)_キノコでこんなに引っ張るとは誰が予想したでしょうか?
このお話は小説家になろう様にも投稿しております。
アンダルシュ様Twitter企画 お月見《うちの子》推し会に小話があります。
お題・お月見⇒https://www.alphapolis.co.jp/novel/804656690/606544354
【R-18】邪神の暴君とお目付け役 ~悪夢みたいな婚約者が大国からやってきたのですが、クーリングオフ出来なくて困っています~
槿 資紀
BL
未曽有の災害生物、ギイドの襲来に悩まされるアドライディア王国において、名門として知られるマクラーレン家に生まれたメレディスは、卓越した精霊使いとして日々ギイドの襲来に立ち向かい、晴れて上位精霊使いとして覚醒を果たした。
上位精霊使いは、国際的な身柄の保全と保護が義務付けられている。将来安泰の地位と名声を手に入れたメレディスは、大手を振って危険な前線から退き、夢にまで見た悠々自適な生活を手に入れるのだと、期待に胸を躍らせていた。
しかし、そんな彼に、思いがけない特命が舞い込む。
それこそ、大陸に現在2人しか存在しない、最上級の上位精霊、神霊をその身に降臨させた、生ける伝説……最高位の精霊使いである、神霊憑き(デミゴッド)との婚約だった。
アドライディアとは比べ物にならない精霊大国として知られるエリューズ帝国からやってくるという、自身より格上の精霊使いにして、婚約者。
メレディスに与えられた特命とは、そんな婚約者の身の周りの保全と、監督、そして、上位精霊使いに課せられた使命の遂行を補助するというもの。
しかし、そんな彼のもとにやってきたのは、思いもよらないくらいに壊滅的な性格をした、思いつく限り最悪の人間で――――――――――――?
***
嫉妬深い傍若無人な最強攻め×強気美人受け
特殊性癖や、下品な言葉責め、濁音、♡喘ぎなどの描写が含まれます 喧嘩、罵り合い、罵倒、煽り合いなど、穏やかでない要素も多分に含まれます。ご注意の上閲覧ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる