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終章 二人だけの秘密

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「あれ、ルイ?」

 ハルダートはルイがなんの反応も示さなくなったことに気づいて動くのをやめた。ルイは目を開いているが、虚空を見つめるばかりで表情がなくなっている。

「なんだ? 魔力が消えた……?」

 ハルダートはルイの頬をたたいたが、ルイは眉一つ動かさなかった。細い肢体をベッドに投げ出したまま、ルイはぴくりとも動かなくなった。

 ハルダートはルイに口づけて魔力を渡したが、なにも変わらなかった。ハルダートはルイを治そうと試行錯誤したがうまくいかず、ベッドを下りて部屋を出た。

 しばらくしてハルダートは眠そうな目のアンドラクスを連れて戻ってきた。

「なんなんだよ、こんな時間に……」

 アンドラクスはぶつぶつ文句を言いながら、ベッドに横たわるルイを見下ろした。

「あん? とうとう死んじまったのか」
「まだ生きてるよ。でも急に魔力が消えてなんの反応も返さなくなったんだ。なんでかわかる?」
「はあ?」

 アンドラクスは身をかがめてルイの顔をじっと見つめた。ルイはまだ薄く目を見開いている。

「……精神が死んじまったんじゃねえの? 精神のないただの肉の塊に魔力は宿らないだろ」

 アンドラクスはルイを頭のてっぺんから足のつま先まで眺めた。

「いや、違うな……魔力はまだここにある。けど見えなくなってるだけだ」
「見えなくなってるって?」
「精神が死んだように見せてる……というか隠してやがるのかもな。ま、ほっときゃ死ぬだろ」
「治せるか?」
「無理だな。勝手にこうなったんだろ? こいつの意志だ。どうにもならねえよ」
「ええ……」

 ハルダートは枕元にしゃがみこみ、ルイの頬をなでた。

「まだ俺のこと好きになってもらってないのにな……」

 悲しそうに言うハルダートに、アンドラクスはため息をついた。

「お前って本当にいかれてるよな……好き勝手に犯しまくっておいて、好かれるわけねえだろうが。こんな風になっちまって、完全に拒絶されてるじゃねえか」
「このまま死ぬのか?」
「だろうな」
「えー……どうしよう……」

 ハルダートは頭をがしがしとかき、考え事をしながらどこかに歩いていった。アンドラクスは人形のようになったルイの顔をつかんで虚ろな目をのぞきこんだ。

「哀れなやつ……」

 アンドラクスはそう呟くと、ルイを放してあくびをしながら部屋を出て行った。


 ◆


 ライオルは剣を握りしめ、魔族たちの隠れていた大きな屋敷のエントランスに立っていた。すぐ後ろにはホルシェードが控えている。ライオルは次々と入り口から入ってくる兵士たちに指示を与えていた。屋敷のあちこちで潜んでいた魔族との戦闘になり、屋敷の内外に火の手が上がり始めている。

「タールヴィ隊長!」

 スラオ班長が班員たちを連れて廊下の向こうからやってきた。

「前庭と向こうの屋敷はすべて押さえました。例の魔族はいませんでした」
「クント師団長は?」
「結界の外です。まだ魔族の結界を破壊しきれていません」
「わかった。師団長に合流して結界のほうを頼む」
「はい」

 スラオ班長はうなずくと外に走っていった。班員たちもそれに続いた。その直後、階上をこちらに駆けてくる足音がして、吹き抜けの階段の上からカドレックが顔を出した。

「隊長! ルイがいました!」

 カドレックは大声で叫んで自分の後ろを指さした。

「生きてます! でも……」

 カドレックは口ごもってわずかに表情をくもらせた。ライオルは迷わず階段を駆け上がった。ホルシェードもライオルの背中を追った。

「こっちです!」

 カドレックは廊下を疾走してライオルを一つの部屋に連れて行った。ライオルとホルシェードはカドレックに続いて部屋に飛びこんだ。

 部屋のベッドにはルイが仰向けに寝かされていた。ファスマーはベッドに片足をついて乗り上げ、ルイの首筋に手を当てて脈を確認している。カドレック班のほかの面々はベッドを囲んで立ちつくしている。

「ルイ!」

 ライオルはファスマーの隣に来てルイを見下ろした。ルイは目を閉じてぴくりとも動かず、顔は血の気がなく真っ白で、わずかに開かれた唇は乾燥してひび割れている。ファスマーはライオルが来ると慌てて立ち上がった。

「た、隊長……」

 ライオルはルイの首にそっと手を当てた。

「……生きてる……」
「はい……まだ息があります」
「こんな……死体みたいななりで、どうやって生きてるんだ……」

 ライオルはルイの体を覆っているシーツに手をかけた。

「あっだめですっ」

 ファスマーが慌てて止めたが、ライオルはかまわずシーツをめくった。ルイは大きなシャツを一枚着せられているだけで、下はなにも身につけていなかった。太ももには強く押さえつけた指の跡が青白い肌にくっきりと残っている。誰かが無理やりルイの足を開かせたことが見て取れた。

 ファスマーは絶句するライオルの手からシーツを取り返し、ルイの体にかけて乱暴の跡を隠した。ライオルはルイの顔を両手で包みこんだ。

「ルイ……」

 ライオルが呼びかけると、ルイのまぶたがふるりと震えた。

「ルイ!」

 ルイはうっすら目を開けた。

「ルイ、遅くなってすまなかった。助けに来たぞ。一緒に帰ろう……ルイ?」

 ライオルは必死に呼びかけたが、ルイは薄く目を開けたまま表情一つ変えなかった。ライオルは口端をひきつらせた。

「ルイ、俺の声が聞こえるか? ……見えていないのか? ルイ」

 白い顔をしたルイは瞬き一つせず、その瞳にはなにも映っていなかった。ファスマーは口をぱかりと開けた。

「カルガリ症だ……」
「カルガリ症?」
「ルイが……カルガリ症……そんな……」
「ファスマー、説明しろ。頼む」

 ライオルに強い口調で言われ、ファスマーは震える声で説明した。

「カルガリ症は、自分の魔力で心を覆って、なにも感じないようになる症状です……。見えないし聞こえないし、しゃべれません……すべての感覚をなくしてしまうんです。もうなにも感じたくないと……死にたいと思った魔導師が、陥る状態です……!」

 ファスマーは顔をくしゃりとゆがめてぼろぼろと泣きだした。

「こんなの、あんまりだ……なんでルイがこんな……し、死にたいと思うくらいひどい目に……」

 ファスマーはしゃくりあげながら袖で涙をぬぐい、後ろにいる班員に言った。

「とにかくお水……衰弱が激しいから……たぶん、魔力を与えられて生かされてるけど、しばらくなにも口にしてないんだ……」

 ショックで呆然としていた班員の一人は、慌てて背負っていたリュックを下ろして中を探り始めた。様子を見ていたホルシェードは、ルイの顔にぱたりとしずくが落ちたのを見た。

「……ライオル様」

 ライオルは泣いていた。歯を食いしばって、ルイの顔を見つめながら、静かに涙を流している。ライオルはルイを真上から見下ろしているので、涙はすべてルイの顔にぽたぽたと落ちた。誰もなにも言えなかった。あまりにむごたらしい状況だった。

「……わざわざ傷を治して、こいつをもてあそんだのか」

 ライオルは海の底からわき出るような低い声をあげた。ホルシェードはライオルの怒気を感じて背筋が寒くなった。ライオルはルイの頬を慈しむようになでると、涙を指でさっと拭いて振り返った。

「ファスマー、ルイの手当を頼む。お前たちはルイを連れて戦線離脱しろ。一刻も早く医者に診せるんだ」
「……はいっ」

 隊長の指示に、カドレック班一同は悲しみを押し殺して行動を開始した。ライオルはホルシェードに目配せすると、一緒に部屋を出て廊下を走った。

「カドレックを襲ったハルダートという魔族、そいつが四百年前に魔獣を呼び出した魔族で間違いないだろう」

 廊下を走りながらライオルが言った。ライオルはカリバン・クルスに帰還したカドレックから、ハルダートのことをすべて聞いていた。

 第九部隊と第一部隊がクントの依頼で風の吹く森に調査に行ったときのことだ。カドレックは逃げていく盗賊を追って単身森に入った。そこを背後から何者かに襲われ、反撃するまもなく拘束されて地面に倒れた。襲撃者はカドレックに謎の術をかけ、カドレックはそのまま眠りについた。

 夢の中でカドレックはライオルたちと合流し、海馬車に乗ってカリバン・クルスに帰っていた。夢の中の自分は勝手に動いて勝手に喋っていた。カドレックは必死に班員たちの名前を呼んだが、ルイもファスマーも誰も反応してはくれなかった。カドレックが別人と入れ替わっていることに誰一人気づかないまま、日々が過ぎていった。

 夢の中の自分はときどき一人でカリバン・クルスの街中に行き、人目につかないところでフードをかぶった怪しい男たちと話していた。男たちは夢の中の自分をハルダートと呼んでいた。会話の内容からすぐに彼らが魔族であり、自分は魔術をかけられて体を乗っ取られたのだとわかった。カドレックがそれに気づくとハルダートは笑い、その通りだ、でもお前にこの術を破るすべはないから黙ってろと独り言・・・を言った。

 魔族たちはこっそり集まって王宮を襲撃する計画を練っていた。カドレックは必死に第九部隊の皆の名前を呼んで助けを求めたが、どうにもならなかった。ハルダートはルイのことをよく盗み見ていた。どうやらルイとライオルの関係に興味があるらしい。
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