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七章 タールヴィ家とイザート家

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 ルイはカドレック班の皆と一緒に中に入った。エントランスホールには従業員がいたが、兵士たちをそのまま奥に通している。奥の通路を抜けると木棚がずらりと並んだ脱衣所があり、棚に衣類を置けるようになっていた。

 従業員の男がかごにたくさん入ったタオルを利用客にどんどん手渡している。ルイもタオルを一つ受け取り、服を脱いで大浴場に入った。

 大浴場には湯気がもうもうと立ちこめていて、すでにたくさんの兵士でごった返していた。壁沿いを湯の川が流れ、石造りの巨大な浴槽にお湯をたっぷりと注いでいる。

 浴槽には兵士がすし詰めになってつかっていて、疲れた体をほぐしていた。浴槽の周りにはベンチがいくつも置かれていて、のぼせた兵士がすっ裸でだらりと横たわっている。端のほうにはテーブルセットが置かれ、飲み物がもらえるサービスもあった。

 ルイは桶にお湯をくんで石けんで髪と体を洗い、湯船の端っこにスペースを見つけて入った。先に来ていた兵士たちがあがっていって空いてきたので、足を伸ばしてゆっくりつかることができた。

「ふう……」

 ルイは浴槽の縁に頭を預けてのんびりとした。屋敷の湯船は足を伸ばせるほどの大きさはないので、広々とした浴場は気持ちがよかった。

「ルイ、先にあがるからな! あんまり長湯しすぎるなよ!」

 全身を真っ赤にしたファスマーが、脱衣所に向かって歩きながら声をかけてきた。

「はーい」

 ルイは生返事をして片手をひらひらと振った。天井付近に並ぶ円柱の隙間からは、夕暮れの柔らかい明かりが差しこんでいる。とても穏やかな時間が流れていて、ルイはゆっくりと一日の疲れをとった。

「ちょっと空けてくれ」

 不意に声をかけられて振り向くと、二本の足が浴槽の縁に立っていた。見上げると、裸のギレットが前も隠さずに仁王立ちになっていた。ルイはギレットのありのままの姿を見てしまった。

「わあっ」
「あ、おいっ」

 ルイはびっくりして足を滑らせ、後ろ向きに頭からお湯に突っこんだ。ギレットは慌てて湯船の中からルイを引っ張り上げた。

「馬鹿、あぶねえだろ」

 ルイはお湯が入ってつーんとする鼻を押さえた。

「おどがざないでぐれよ……」
「だから声かけただろうが」
「裸で堂々と後ろに立たないでほしい……」
「そんなにびっくりすることかあ? あ、わかった。俺があんまりいい体してるから見惚れたんだろ」
「……ちょっとだけな……きみがうらやましいよ」
「はは、お前とは骨格が違うからな。お前じゃいくら鍛えても俺のようにはなれねえよ。ならなくていいけど」

 ギレットはルイの隣でお湯につかり、にやりと笑った。

「ライオルよりもいい腹筋だろ?」
「そうだな」

 ライオルもきれいな腹筋をしているが、ギレットほど派手に割れてはいない。ルイが素直にうなずくと、ギレットの笑みが引きつった。

「なんで知ってるんだとは聞かないでおいてやろう……」
「え?」
「でかい風呂はあったまるなって言ったんだよ」
「あったまるって……きみは暑さ寒さを感じないんじゃないのか?」
「まあそう言うな。風呂は俺だって気持ちいい」

 ギレットは目を閉じて、くつろいだ表情で風呂を堪能している。ライオルと戦っていたときの気迫はかけらも残っていない。ルイは昼間の戦いを思い返し、ふと思いついた。

「ギレット」
「あん?」
「きみでもライオルの火は熱く感じるのか?」
「……どうだかな」
「そうだよね? だって必死によけてたし」

 ギレットは答えなかった。ルイはギレットの弱点を見つけてほくそ笑んだ。

「なるほどな。自分の魔導でできた熱や自然に発生した熱は感じないけど、他人の魔導でできた熱では火傷するんだ」
「……お前は抜けてるけど馬鹿じゃないんだよな……あの野郎が勝手に魔導使いやがったせいだ」
「火の魔導師とは皆の前で戦いたくなかったんだね」
「まあ別に味方に知られたってかまわねえけど。うちの隊員の中には知ってる奴もいるし」
「ライオルも負けず嫌いだな。魔導禁止を破ってまできみに勝とうとするなんて。そういえば戦っている最中になにか喋ってたみたいだけど、なんて言ってたんだ?」
「……忘れたな。それより」

 ルイはお湯の中でいきなりたくましい手に腕をつかまれた。ギレットは閉じていた目をうっすら開いてルイを見た。

「……俺のところに来る気になったか?」

 ギレットは声を低めて言った。疲れているせいか、かすれた声は妙に色気がある。ルイはお湯に隠れて逃げられないようにされ、どぎまぎした。風呂の中で互いに裸だと思うと急に恥ずかしくなってきた。

「それは……」

 のぼせてきたのか頭が熱くなり、思考が回らなくなってきた。ルイが返事に窮していると、ギレットはそっとルイの腕を離した。

「ま、急がなくてもいいけど」
「ギレット……」
「風呂を出たらどうするんだ? お前もビールを飲みに行くのか?」
「ビール?」
「ここの中庭で冷たいビールが飲めるんだよ。今日はそれもただだから、もうだいたいの奴らがそっちに行っただろうな」

 言われてみれば、大浴場はいつの間にかだいぶ人数が減っていた。ルイは曖昧に笑った。

「あー……そうだな、でもあまり遅くならないうちに帰ろうかな……」
「喫茶室にはアイスクリームがあるらしいぞ」
「アイスクリーム!?」
「そう。食べるか?」
「食べる」

 ギレットはくくっと笑った。

「じゃああがったら喫茶室に来いよ。俺も行くから」

 ギレットはざばりと湯船から出て脱衣所に歩いていった。ルイはギレットの鍛えられた分厚い体躯を眺め、生まれつき線の細い自分の体を悔やんだ。

 だいぶ体が温まったところで、ルイも湯船を出て脱衣所に戻った。ギレットはもう身なりを整えていて、脱衣所の一角で第一部隊の隊員らと楽しそうに話しこんでいる。ルイはタオルで頭をがしがしと拭いて乾かし、着替えて先に喫茶室に行くことにした。

 ブルダ大浴場は二つの建物で構成されている。手前の大きな建物には風呂場と脱衣場があり、中庭を挟んだ奥の建物には食堂や宿泊所がある。渡り廊下を歩いていたルイは、中庭に作られた開放的な酒場で兵士たちがビールをあおっているのを見た。もうすっかり出来上がっている者もいて、がやがやとかなりうるさかった。

 ルイは酒場には目もくれず喫茶室を目指した。風呂上がりには冷たい飲み物が一番だが、もっと冷たいアイスクリームがあるなら食べない手はない。

 奥の建物に入ると、騒がしい中庭とは打って変わって静かだった。絵の飾られた広い廊下が奥まで続いている。手前には豪華な食堂があったが、今日は休みのようで中には誰もいなかった。

 食堂の奥はほとんど客が来ない場所らしく、一人の従業員がタオルのつまったかごを抱えて奥のほうへ歩いているだけだった。ルイは喫茶室の場所を聞こうと、女性従業員の背中を追いかけて声をかけた。

「すまない、道をたずねたいんだが」
「はい?」

 振り向いた従業員の顔を見てルイは驚いた。ユーノだった。

「どうしてきみが……」
「ルイ!」

 ユーノもルイを見て驚き、照れたように笑ってかごを床に置いた。ユーノは飾り気のない黒いスカートをはき、汚れのついたエプロンをつけている。長い髪は後ろに一つにまとめているだけで、まるで庶民の格好だった。

 ルイは首長の娘がなぜこんな下働きをしているのか理解できずに困惑した。ルイにじっと見つめられ、ユーノは恥ずかしそうに手をもじもじとさせた。

「あの、驚いたよね。私、今ここで働いてるの」
「働いてるって……」
「本当はもっと早くに働きに出るものだってことはわかってるわ。でも私はずっと家で療養してたから機会がなくて……やっとカリバン・クルスに来られたから、ここで仕事を始めることにしたの」

 ルイはユーノの言っている意味がわからなかった。

「なんで働くんだ? きみはイザート家の令嬢だろう。働く必要なんかないはずじゃ……」
「あら、地上ではそうなの? 海の国では働けない者は十九家の一員として認められないわ。女だからって関係ないの。私は体が弱かったから、もうちょっとで家を出されるところだったわ。だからここでタオルをたたんだりお洗濯をしたりして、ちゃんと働けるってことを証明してるの。最初はなにもわからなかったけど、今はもう一人で仕事を任せてもらえてるわ。すごいでしょ?」

 ユーノはエプロンのしわを伸ばして得意げに胸を張った。ユーノの手は水仕事のせいでかさかさになっている。

 ルイは久々に海の国の人との考え方の違いを見せつけられてあっけにとられた。リーゲンスでは貴族の娘は自分で靴もはかない。身の回りのことはすべて使用人に任せるからだ。

「きみはすごいね……」
「ありがとう! こんな私でもほかの人と同じように働けるってわかったから、少し自信がついたわ。タオルもきれいにたためるようになったの。これ見て」

 ユーノはかごの中につまった白いタオルの束を得意げにルイに見せた。脱衣所で従業員の男がルイたちに手渡していたタオルと同じものだ。利用客が押し寄せたせいで、従業員の男はタオルを見もせずわしづかみにして次々と配っていた。そのタオルはユーノが一つ一つ丁寧にたたんだものだったのだ。

 ユーノはどこまでも純真で、与えられた仕事を真面目にこなしている。ルイはユーノの誠実さを好ましく思った。

「もう夕方だけど、まだ働くのか?」
「ええ、もうちょっと仕事が残ってるから」
「うーん、そうか……」

 ルイは腕組みをしてユーノの姿を眺めた。ユーノは従業員の格好をしているので、十九家の子女には見えない。だがユーノの美しさはこれっぽちも損なわれておらず、むしろぼろをまとった天使かなにかに見える。

「ユーノ、今日は海王軍の兵士がたくさん来てるんだ」
「もちろん知ってるわ。だから忙しいのよ」
「そ、そうだよな。だから今日は裏での仕事だけにして、客の前には出ないほうがいいと思うんだ。もう皆ビールで酔っ払ってるし、絡まれたらよくないし……」
「ふふふ、心配してくれてるのね」

 ユーノは下ろしたかごを再び持ち上げた。

「これを持って行ったら、あとは宿泊部屋のタオルを取り替えて終わりだから大丈夫よ。ありがとう!」
「え、ああ……」

 ユーノはにっこりして廊下を歩いていった。ルイの忠告はあまり耳に入らなかったようだ。ルイははらはらしながらユーノの背中を見送った。

 ふと、以前ライオルがルイに一人で出歩くなだのなんだのと口うるさく言っていたことを思いだした。

「ライオルもこういう気持ちだったのかな……」

 ルイは今までの気ままな行動を反省した。
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