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七章 タールヴィ家とイザート家
8
しおりを挟む正午の鐘が鳴り、ライオルは全員に昼休憩に入るよう告げた。隊員たちは水飲み場にぞろぞろと集まり、渇いた喉を潤した。
ずっと訓練の様子を見ていたユーノは、さっと立ち上がると侍女から水の入ったコップを受け取り、ライオルに駆け寄った。薄汚れた訓練用のシャツとズボンを着た兵士たちの中で、乳白色の服のユーノは目を引いた。男社会で暮らす隊員たちは、突如現れた美女に釘付けになっている。
ライオルはユーノからコップを受け取り、礼を言って水を飲んだ。ユーノはライオルになにやら早口に話しかけていたが、すみっこにいるルイに気がつくと、ルイのところに走ってきた。ルイのそばにいた隊員たちは修羅場だと言って慌てて食堂に逃げていった。
「初めまして、ユーノ・イザートです」
ユーノはぺこりとお辞儀をして挨拶した。
「初めまして。ルイ・ザリシャと申します」
ルイも挨拶を返した。近くで見るユーノは、白い肌に薄く口紅を差した唇だけほんのり赤く、大きな深緑の瞳を好奇心にきらきらさせていて、とてもかわいらしかった。金髪美女のイオンを見慣れていなければ、直視するのも難しかったかもしれない。
「昨夜のパーティーではお会いできなかったので、ご挨拶できて嬉しいです。昨日ライオルからあなたのことを聞きました。地上の方なんでしょう?」
「はい、そうです」
「わあ……私、地上の方とお会いするのは初めてです。私たちと全然変わらないんですね」
「そうですね。海中で息はできませんけど、見た目は変わらないと思います」
「あら、泳げないんですか。でも騎馬師団だったら必要ないですよね?」
「はい、今のところ不便は感じません。海の中での任務はありませんから」
ユーノはルイの言葉一つ一つに真剣に耳を傾けている。
「今日はどうしてこんなところにいらっしゃったのですか?」
ルイが聞くと、ユーノは嬉しそうに言った。
「ライオルの働いているところを見てみたかったんです! 今までパーティーでしか会ったことがなかったので」
「ああ……」
「それにイザート地方の家にいたときは、危ないからってこういうところには連れてきてもらえなかったんです。でも今は行きたいところに行けるようになりました。ライオルが一緒ならいいって、あの頑固なお父さんが許可してくれたんです!」
ユーノは顔中で笑って自由になれた喜びを表している。ルイも笑おうとしたが、うまくいかなかった。ユーノがライオルの名前を口にするたび、胃の腑が落ちこむ気がした。
「ずっと見てましたけど、ライオルはとても強いんですね。いつもは優しいのに、戦っているときは別人みたいでびっくりしました。こうやって皆様と日々剣の腕を磨いて鍛えているんですね。こうして海の国を守っているなんて、すばらしい職務だと思います」
ユーノは兵士たちが厳しい訓練を重ねていることに感銘を受けたようだった。ルイは彼女の純真さをまぶしく感じた。ここは平和な訓練場なので、なんの血なまぐささもない。日焼けもせず大事にされてきたユーノにとって、実際の戦場など想像もつかないだろう。
「……ユーノ様は愛されて育ったんですね。とても優しい方だ」
「あら、じゃああなたも愛されているんでしょう。あなたの言葉は穏やかで優しいわ」
邪気なくそう返され、ルイはつい顔を緩めた。ささくれだった感情が凪いでいくようだった。こんな子がそばにいてくれたら幸せだろうなと思った。ただ、陰謀だらけのリーゲンスの城で育ったルイは、無垢なユーノが人の汚い欲望にさらされたらどうなってしまうのだろうと、一抹の不安を覚えた。
「ユーノ」
ライオルが大股にやってきて、ユーノに声をかけた。
「侍女が待ってるぞ。早く行ってこい」
「あっごめん。それではまた」
「はい」
ユーノはルイに会釈して、ぱたぱたと走り去った。ライオルはユーノの後ろ姿を見つめるルイをじっと見下ろした。
「昨日は悪かったな。すぐ戻るつもりだったんだけど、シャムスが……」
「そんなの気にしなくていいよ」
ルイはライオルの言葉をさえぎって言った。
「いろいろな人と話せたし、結構楽しかったよ。それよりよかったな。とてもきれいで優しい女性じゃないか」
「……ルイ、俺はあいつとはなんでもないぞ?」
「へえ」
ルイは下を向いて気のない返事をした。親同士が決める婚約に本人たちの意志など関係ないし、家柄容姿性格すべてが完璧なユーノを拒む理由はなにもない。
ライオルが黙ったままなのでちらりと見上げると、紺色の目と視線がかち合った。
「なんだよ」
「……いや、別に。早く昼飯を食べてこい」
ライオルは早く行けと手を振った。ルイは気分が晴れないまま、先に行った仲間たちを追っていった。
◆
御前会議が終わったあとも、マリクシャたちはしばらくカリバン・クルスにとどまっていた。仕事は終わったはずなのに、マリクシャはしょっちゅう王宮に呼び出されていた。夜遅くに帰ってきたかと思えば、難しい顔をして一人で窓際のソファに座っていたりする。アマタが心配して声をかけても、まだ仕事が残っているんだとしか言わなかった。
ほかの首長たちもなかなか帰らず、ユーノもカリバン・クルスに滞在していた。七年ぶりにカリバン・クルスに来られたユーノは毎日元気に飛び回っていて、海王軍の基地にもよく顔を出した。ユーノは兵士の訓練に興味津々で、ルイも会えば話をする仲になった。
ユーノはころころよく笑い、見聞きしたことを嬉々としてルイに聞かせた。体をこわしてずっと療養していたとは思えないほど、ユーノはとても活発だった。
「そういえば、ギレットとは会ったのか?」
鍛錬の合間にルイがたずねると、ユーノは頬をふくらませた。
「声はかけたわよ、もちろん。でも忙しいとか言って、すぐにどこかに行っちゃったのよ。昔はあっちからつきまとってたくせに、なんであんな風になっちゃったんだか……」
「うーん、実際ギレットは忙しいと思うよ。特に今は大きい任務を抱えてるし。きっとそのうちまた向こうから話しかけてくるよ」
「……そうだよね。ありがとう、ルイ。あなたは本当に優しいわ」
「そうかな」
ルイはまっすぐなほめ言葉に照れて頬をかいた。
「私はお友達が少ないから、こうしてお話をしてくれるだけでとても嬉しいのよ……そうだ、ルイ、聞いて! 明日劇を観に行くことになったの! ライオルが席を用意してくれたのよ。カリバン・クルスの劇場にはずっと行ってみたかったからとても楽しみ!」
「それはよかったね」
「イザート地方にも劇場はあるけど、ここの劇場はその倍は大きいわ。きっと中も素敵なはずよ。そのあとは大通りでお買い物しながらお散歩しようと思ってるの」
「そっか。楽しんできてね」
ルイはきちんと笑えるように努力しながら言った。
ルイはライオルが明日休みだということも知らなかった。少し前まで、ライオルは休みの日はルイと一緒に買い物に出かけたり、狩りに連れて行ってくれたりしていた。だが今はユーノと一緒にあちこち出かけるようになっている。
ルイはユーノに立場を奪われてしまい悲しくなった。悲しくなって初めて、今までの関係が心地よかったことに気がついた。
ルイは余計なことを考えないようにするため、いつも以上に訓練に打ちこんだ。手のひらの皮がむけるくらい、毎日剣を振った。
へとへとになって帰れば、今後自分はどうなるのだろうとか、ライオルが結婚したらここを出て行くことになるのかとか、答えの出ないことで悩むひまもなく眠ることができた。
訓練に熱心なのはルイだけではなかった。最近、第九部隊の全員が時間さえあれば剣の腕を磨いている。というのも、もうすぐ第一部隊との合同近接戦闘訓練があるからだ。よその部隊との合同訓練や合同演習は定期的にあるが、騎馬師団一の剣の使い手である第一部隊と手合わせできる機会は貴重だった。
第九部隊は決して戦闘が得意な部隊ではない。魔導を生かした他部隊のサポートや、魔導師の力を借りないと解決できない事件の調査などを主に行う特殊部隊だ。
一方で第一部隊は、チャティオン盗賊団のような危険な犯罪者を捕らえるのが主な仕事だ。ギレットを筆頭にその実力は海王軍内外に知れ渡っている。
そんな第一部隊を前に醜態をさらしたくないというのが、魔導師隊と呼ばれる第九部隊の矜持だった。だからこそ第九部隊の隊員たちは剣の修行に明け暮れた。ホルシェードも気合いが入って饒舌になり、会議で留守がちのライオルに代わって隊員を鬼のようにしごいていた。ルイも体が悲鳴をあげるまで厳しい指南を受けた。
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