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番外編 裕福な商人の秘密

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 突然、入り口のドアがものすごい音を立ててこじ開けられた。ドアを蹴破って入ってきたのは、紺色の髪の背の高い美青年だった。ルイと同じ濃灰の軍服を着て、抜き身の剣を握っている。

「失礼、鍵がかかってたもので」

 背の高い兵士は慇懃に言ってすたすた歩いてきた。ルイは入ってきた兵士を見てほっとしたようだった。さすがの旦那様も度肝を抜かれたらしく、口をあんぐりと開けている。

「そのドアは特別製だぞ……」

 旦那様は絞り出すように言った。

「ああ、結構丈夫だったからちょっと燃やした」

 背の高い兵士はこともなげに言った。確かにドアの取っ手付近が黒くなってぶすぶすと煙を上げている。焦げ臭いにおいが漂ってきた。この短時間でどうやったらこんなことができるんだ?

「さて。ルイ、状況は? ……なにこの絵?」

 部屋を見回した兵士は、壁際に並んだ絵を見て首をかしげた。

「贋作だよ、ライオル! ポール・ジャーダスゾーンがこの人に描かせてたんだ!」

 ルイがスピルを指さして叫んだ。ライオルと呼ばれた兵士はそれだけですべて理解したようだった。

「へえ。いろいろと余罪がありそうだな。とりあえず一緒に来てもらおうか」

 ライオルは剣を持ったまま旦那様に歩み寄った。素人の俺でもわかる。この人は強い。歩く姿にまったく隙がない。

 旦那様もそう思ったらしい。分の悪くなった旦那様は、窓際に立つルイに手を伸ばした。とっさにルイなら勝てるとふんだのだろう。

 旦那様の手がルイに届くより前に、ライオルが旦那様に向かって右手を突き出した。するとたちまち旦那様の髪とひげが燃え上がった。

「ぎゃっ」

 旦那様は悲鳴をあげて火を消そうと両手で髪をたたいた。それでも火の勢いは止まらず、旦那様はよたよたと歩いて逃げようとした。だが、さっきスピルが落としたパレットを踏んで滑って横ざまに倒れた。

「そいつに触るな。殺すぞ」

 ライオルが冷たく言った。床に転がって火を消そうともがいている旦那様を、眉一つ動かさずに見下ろしている。怖い。

「ちょっと、やり過ぎだよ」

 見かねたルイは剣を抜いて高く振り上げ、ひゅっと空を切って振り下ろした。部屋の中を突風が駆け抜け、その勢いで旦那様を燃やしていた火は消え去った。テーブルの上の乳鉢が数個、風に煽られて床に落ちた。

「え……きみ、風の魔導師なの……?」

 俺がびっくりして言うと、ルイは剣をさやに戻しながらうなずいた。

「そうだよ。あれ、言わなかったっけ」
「聞いてないよ……」
「ルイ、そいつは誰だ?」

 ライオルが俺を指さして言った。俺は思わず背筋を正した。

「この人はタリエラ。この屋敷で働いてる人で、ここのことをいろいろ教えてくれたんだ。ポールのしていたこととは関係ないよ」
「そうです、俺はなにも悪いことしてません!」
「それならいいけど」

 ライオルはルイのところにやってきて、少しかがんでルイの顔をのぞきこんだ。

「……怪我はないか?」

 ライオルは優しくルイに問いかけた。色気のある低い声で、なぜか近くにいただけの俺の心臓が高鳴った。

「平気」
「危険な役目を負わせてしまって悪かったな」
「こんなの大したことないよ。それに助けに来てくれたじゃないか」

 ルイはライオルを見上げて照れくさそうに笑った。な、なんで俺以外のやつにそんなかわいい顔するの……。

 ライオルはふっと笑って愛しそうにルイの頭をなでた。俺の鋭い勘が言っている。この二人、絶対深い関係だ。まとっている空気でわかる。なんてこった……。

 廊下をばたばたと走ってくる足音がして、ファスマーが部屋に飛びこんできた。

「ルイ、無事か!?」
「大丈夫だ。そっちこそ平気か? この人に捕まったんだろ?」

 ルイは床に倒れて火傷の痛みにうめいている旦那様を指さして言った。ファスマーは部屋の有様を見て目を丸くした。

「な、なんかいろいろあったみたいだな……。隊長が来てくれたから、こっちも全員無事だよ。その大男にちょっと殴られたけどさ」
「簡単に捕まるなよ」

 ライオルがあきれて言った。

「三人もいて全員やられるなんて信じられないぞ。俺が来なかったらどうするつもりだったんだ」
「すみません……。というか、なんか焦げ臭いですけどこの人燃やしちゃったんですか?」
「ああ。ルイに手を出そうとしたからな」
「げ、隊長の目の前でですか……? 命いらないのかな……」
「話はあとだ。とりあえずこいつを縛って連れてけ」
「はい」

 ファスマーのあとから兵士がもう二人やってきて、旦那様を後ろ手に縛り上げると三人がかりで担いで部屋を出て行った。ルイはそのあいだにスピルと向かい合った。スピルはすっかり意気消沈して、暗い顔でうつむいている。

「スピルさん、あなたも一緒に来て欲しい」
「はい……」
「絵を描いてポール・ジャーダスゾーンに報酬をもらってたの?」

 スピルは唇をきゅっと結び、小さくうなずいた。

「……もらってました」
「共犯か……なんでこんなことしたの?」
「ポール叔父さんが俺の絵を役立ててやるって言って、ここで画材の準備をしてくれたんです。ここでがんばれば画家先生の教室に入る金を出してやるって約束してくれたから、言われた通りに絵を描いてました。ほかに仕事もなかったですし……」
「なるほどね。それ、ちゃんと説明してね。そうしたらあなたは許されるかもしれないし」
「でも悪いことをしたのは確かです。もらった報酬は全部返して、ちゃんと償います」
「そっか。でも、俺はあなたの絵が好きだよ。あなたがちゃんと自分の絵を描くんだったら、あなたの絵が欲しいな」

 スピルはぱっと顔を上げた。ルイは優しくスピルを見つめている。スピルの目に涙が浮かんだ。

「ありがとうございます……いつかきっと、あなたの絵を描かせてください」
「うん、待ってるね」

 ルイは青い目を細めてほほ笑んだ。スピルは涙をこぼしながら何度も礼を言った。いつの日かスピルは天使の絵を描くだろう。

 戻ってきたファスマーに連れられてスピルが行ってしまうと、残った俺たちで部屋にあった絵をすべて回収した。描きかけのものも含めると、スピルの絵は十五枚もあった。たった一人でこんなに様々な絵を描けるなんて、スピルは絵の才能があるに違いない。そこを旦那様につけこまれたのだろう。

 俺も絵を下に運ぶのを手伝った。屋敷の門の前には海王軍の馬車が停まっていて、縛られた旦那様が乗せられるのを先輩やほかの使用人たちが呆然として眺めている。大奥様も玄関に下りてきて、ライオルから旦那様の罪状を聞かされて血の気のない顔をしていた。

 絵を馬車に積み終えたルイは、門から少し離れて立つ俺のところに走ってきた。

「タリエラ、いろいろありがとう。おかげで助かったよ」
「俺はなにもしてないよ」

 ルイが旦那様に襲われそうになったとき、俺は怖くて動くことすらできなかった。

「そんなことないよ。いろんなことを話してくれたじゃないか。きみの情報のおかげで作戦が立てられたんだよ」
「ルイ……きみは本当に優しいな」

 きらきらした瞳でお礼を言われると、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。俺に下心があったことなんか、ルイには想像もつかないんだろう。俺はルイと仲良くなりたいから話をしただけなのに。

 でも、ルイはあの美形の隊長の恋人なんだろうな。あの二人が並んでいたら絵になるだろうし、俺の入る隙間なんか……いや待てよ。ルイは恋人はいないって言ってたな。とすると二人は恋人同士じゃないのか? あの隊長が片思いしているだけとか? そもそも俺の勘違いという可能性もある。

 もしかして、まだチャンスはあるのでは?

「ルイ」
「なに?」
「あのさ、よかったら今度一緒に……」
「タールヴィ隊長ー! 準備完了ですー!」

 デートの約束を取り付けようとしたとき、馬車の中からファスマーが声を張り上げた。……タールヴィ?

 ライオルは大奥様のところから戻ってきて、俺の脇を通り過ぎざまにルイに声をかけた。

「ルイ、帰るぞ」
「あ、うん。じゃあねタリエラ!」
「あ……」

 ルイは元気よく手を振り、馬車に乗りこんでいった。最後にライオルが乗りこむと、馬車は出発した。

 あの人が王太子候補のライオル・タールヴィか。狩りの日の開幕式で見たけど、遠すぎて顔なんかわからなかったから全然気づかなかった。あれだけ美形でかっこよければ、女の子たちが騒ぐのも納得だ。

 そういえば、テオフィロさんはタールヴィ家の使用人だったな。テオフィロさんの主人ってあの人のことか。テオフィロさんがライオル・タールヴィの命令でルイの世話をしているってことは、ルイはあの人の屋敷で一緒に暮らしているのだろうか。恋人っていうかそれってもう……。

「俺、殺されなくてよかった……」

 都会は怖いな。ただかわいい子と仲良くなりたかっただけなのに、危うく王太子候補に喧嘩を売るところだった。
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