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1 今、目の前で娘が婚約破棄されています
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「アンナレーナ・エリアルト公爵令嬢、僕は君との婚約を破棄する!」
貴族が通う学園の卒業パーティー会場で、そんな声が高らかに響き渡る。
指を突きつけられているのは、わたくしの娘、アンナレーナだった。
華々しい卒業という今日のために仕立てたドレスを纏い、淡い金色の髪を美しくきらめかせているアンナレーナ。
彼女は婚約者である王太子ソルタンからの突然の糾弾に、その愛らしい顔を青ざめさせていた。
ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
ほんの数分前まで、卒業パーティーに参加する娘を見て、幸せな気持ちでいっぱいだったのに。
ソルタンの横には茶色の髪に榛色の瞳の少女がぴっとりと寄り添っている。小動物のような愛らしい顔だ。
しかし、外見はアンナレーナだって決して負けてはいない。
親馬鹿と言われるかもしれないが、淡い金髪に宝石のような青色の瞳の娘は、高名な画家が描く神話の女神のように美しい。
さらに、賢くて努力家だ。性格も快活で、少々気が強いところもあるが、心優しく、友人もたくさんいる。
まさに完璧な娘なのである。婚約破棄されるような非などないはずだ。
「ど、どういうことですか、ソルタン殿下。私に何か不手際がございましたか?」
混乱している様子だが、聡明な我が娘はしっかりと顔を上げ、ソルタン殿下に真っ直ぐに対峙している。
しかし、両の手がわずかに震えているのが見えてしまった。気丈に振る舞っているだけなのだ。
わたくしは矢も盾もたまらず、娘のそばに行き、ほっそりした肩を抱いた。
それはわたくしの夫であるヴェルナーも同じである。
ヴェルナーはアンナレーナの肩に右手を置き、左腕でわたくしの肩を抱いた。
親子三人が寄り添いあう。
両親は味方だと理解したせいか、アンナレーナはホッとしたように唇を綻ばせた。
それだけでなく、アンナレーナの兄、ルーカスも、アンナレーナに何かあれば即座に飛び込める位置で待機してくれているのが見えた。まさに家族が一丸となっていた。
「お答えください、ソルタン殿下。私が何かいたしましたか? 突然そのようなことを言われても、承知することはできません」
アンナレーナの問いに、ソルタンは唇を笑みの形に歪めてから話し出した。
「アンナレーナ、君は兄のルーカスと異様なほどに親しげだ。兄とはいえ、彼は公爵家の跡を継ぐための養子だろう? 血の繋がらない兄とベタベタするなんて、レディとしてどうだろう。ふしだらに見えるのでは? 良識を疑うね」
「ルーカスお兄様ですか……?」
アンナレーナは眉を寄せ、距離を開けて待機しているルーカスに視線を向けた。
ルーカスは確かにわたくしが産んだ子供ではないが、実の子供であるアンナレーナと変わらず大切に育ててきた。非常に聡明で頼もしい息子だ。
仲のいい兄妹だと思うが、決して兄妹以上の関係ではない。
ルーカスはアンナレーナを大切にしているが、それでも男女として一線を引いていることには気付いていた。
例えば密室に二人きりになることは避け、不必要に体に触れることもない。いつも適切な距離を保ち、万が一にも誤解されないよう心を配ってくれているのだ。
それは周囲の者ならみんな知っていることだ。
ソルタンこそ、横に婚約者以外の少女を侍らせておいて、どの口でそんなことを言うのだろうか。婚約者がいる異性に、ああしてべったり張り付く令嬢はふしだらではないとでも?
同じように考えたらしいアンナレーナは、眉を顰めながら反論する。
「ルーカスお兄様は確かに実の兄ではありませんが、血の繋がった従兄です。それにいつも適切な距離を保ってくれています。私たちの間に後ろ指を指されるようなことなど何一つ……」
「従兄なら結婚だってできるじゃないか。まあ、話はまだあるんだ。いちいち反論しないで聞いておくれ。僕がリザ・ムーロ男爵令嬢と個人的に親しくなっても、君は文句一つ言わずにいたくらいには聡明だ。女のくせに首席になんかなって僕を立てないところは少々不愉快だったが、君の頭なら、説明すればわかってもらえるだろう」
ソルタンの言葉は自分の方こそ浮気をしていた宣言に加え、言葉の端々から自己中心的で傲慢な思考が透けて見える。
わたくしを守るように腕を回したヴェルナーの手の甲に血管が浮いている。
そっと夫の顔を窺う。
そろそろ中年に差し掛かる年齢とは思えないほど若々しく端正な夫は、表情を崩さないままに激しい怒りを堪えている様子だ。アンナレーナと同じ青色の瞳の奥で、怒りが炎のように燃え上がっている。
しかしそれはわたくしも同じ。
大切な跡取り娘を王太子妃として是非にと、国王陛下直々に頼まれた婚約だった。
仕方なくアンナレーナを王太子の婚約者にし、エリアルト公爵家は、甥のルーカスを養子にして跡を継がせることになったのだ。
それがまさか、ソルタンは浮気をした挙句、人目がある卒業パーティーでの婚約破棄騒動である。
アンナレーナが一体何をしたというのだ。
おそらくソルタンの浮気のことも知っていて、ずっと我慢していたのだろう。
怒りのあまり、感情が昂って、思わず目に涙が浮いてしまう。
ヴェルナーはそんなわたくしの頬にそっと触れた。ギリ、と歯を食いしばる音が聞こえてくるほど怒っている様子だ。
ヴェルナーは決して短気ではない。
聡明で穏やかで、そしてこの上なく愛情深い人である。
今も公爵である自分が口を挟んでは余計に周囲を混乱させてしまうと、必死に我慢しているのが伝わってくる。
「ソルタン殿下とリザさんとの仲は存じております。だとしても、私が一方的に婚約破棄される理由にはなっておりません」
「そうだね。君にはない。だが、僕との婚約は、君がエリアルト公爵家の令嬢だからこその縁談だというのは理解しているだろう」
君には、と強調するソルタン。
何が言いたいのだろう。
そう訝しく思ったわたくしに、チラッとソルタンの視線が向けられた。
「アンナレーナ。君が公爵家の血を引いていないとすれば、婚約破棄されてもおかしくない。そうは思わないかい?」
「……は?」
その言葉はわたくしの口から漏れた言葉だった。
「な、何をおっしゃるのでしょう。アンナレーナはわたくしがお腹を痛めて産んだ子です!」
「そうですね。アンナレーナと公爵夫人はよく似ていますからね。しかし僕が言いたいのは、アンナレーナは公爵と血が繋がっていないという話ですよ」
「……な、何を……?」
アンナレーナは間違いなく、わたくしとヴェルナーの子。
ソルタンが何を言っているのか、意味がわからなかった。
「ですから、公爵夫人の不義により生まれた子がアンナレーナなのでしょう。公爵の血を引いていないアンナレーナを、王太子であるこの僕が娶るはずないと……そう言っているのですよ!」
本当に意味不明である。
わたくしはヴェルナーとの結婚の日まで、血縁関係以外の殿方と手を触れ合った経験すらないのだ。
ましてや浮気など、とんでもない。
まさに青天の霹靂だった。
「お母様はそんな方ではありません!」
真っ先にアンナレーナがそう言ってくれて、呆然としていたわたくしはハッと我に返った。
「ええ、誓って浮気などありません! アンナレーナは間違いなくわたくしとヴェルナー様の……」
「ふふ、僕は知っています。公爵夫人は結婚前、とある護衛騎士と大変親しく付き合っていた、とね。その護衛騎士は非常に見目麗しく、アンナレーナとよく似た淡い金髪に青い瞳だったそうではないですか。その彼とただならぬ仲だったのでしょう!」
「そ、そんな……!」
──確かにソルタンの言う騎士には心当たりがあった。
貴族が通う学園の卒業パーティー会場で、そんな声が高らかに響き渡る。
指を突きつけられているのは、わたくしの娘、アンナレーナだった。
華々しい卒業という今日のために仕立てたドレスを纏い、淡い金色の髪を美しくきらめかせているアンナレーナ。
彼女は婚約者である王太子ソルタンからの突然の糾弾に、その愛らしい顔を青ざめさせていた。
ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
ほんの数分前まで、卒業パーティーに参加する娘を見て、幸せな気持ちでいっぱいだったのに。
ソルタンの横には茶色の髪に榛色の瞳の少女がぴっとりと寄り添っている。小動物のような愛らしい顔だ。
しかし、外見はアンナレーナだって決して負けてはいない。
親馬鹿と言われるかもしれないが、淡い金髪に宝石のような青色の瞳の娘は、高名な画家が描く神話の女神のように美しい。
さらに、賢くて努力家だ。性格も快活で、少々気が強いところもあるが、心優しく、友人もたくさんいる。
まさに完璧な娘なのである。婚約破棄されるような非などないはずだ。
「ど、どういうことですか、ソルタン殿下。私に何か不手際がございましたか?」
混乱している様子だが、聡明な我が娘はしっかりと顔を上げ、ソルタン殿下に真っ直ぐに対峙している。
しかし、両の手がわずかに震えているのが見えてしまった。気丈に振る舞っているだけなのだ。
わたくしは矢も盾もたまらず、娘のそばに行き、ほっそりした肩を抱いた。
それはわたくしの夫であるヴェルナーも同じである。
ヴェルナーはアンナレーナの肩に右手を置き、左腕でわたくしの肩を抱いた。
親子三人が寄り添いあう。
両親は味方だと理解したせいか、アンナレーナはホッとしたように唇を綻ばせた。
それだけでなく、アンナレーナの兄、ルーカスも、アンナレーナに何かあれば即座に飛び込める位置で待機してくれているのが見えた。まさに家族が一丸となっていた。
「お答えください、ソルタン殿下。私が何かいたしましたか? 突然そのようなことを言われても、承知することはできません」
アンナレーナの問いに、ソルタンは唇を笑みの形に歪めてから話し出した。
「アンナレーナ、君は兄のルーカスと異様なほどに親しげだ。兄とはいえ、彼は公爵家の跡を継ぐための養子だろう? 血の繋がらない兄とベタベタするなんて、レディとしてどうだろう。ふしだらに見えるのでは? 良識を疑うね」
「ルーカスお兄様ですか……?」
アンナレーナは眉を寄せ、距離を開けて待機しているルーカスに視線を向けた。
ルーカスは確かにわたくしが産んだ子供ではないが、実の子供であるアンナレーナと変わらず大切に育ててきた。非常に聡明で頼もしい息子だ。
仲のいい兄妹だと思うが、決して兄妹以上の関係ではない。
ルーカスはアンナレーナを大切にしているが、それでも男女として一線を引いていることには気付いていた。
例えば密室に二人きりになることは避け、不必要に体に触れることもない。いつも適切な距離を保ち、万が一にも誤解されないよう心を配ってくれているのだ。
それは周囲の者ならみんな知っていることだ。
ソルタンこそ、横に婚約者以外の少女を侍らせておいて、どの口でそんなことを言うのだろうか。婚約者がいる異性に、ああしてべったり張り付く令嬢はふしだらではないとでも?
同じように考えたらしいアンナレーナは、眉を顰めながら反論する。
「ルーカスお兄様は確かに実の兄ではありませんが、血の繋がった従兄です。それにいつも適切な距離を保ってくれています。私たちの間に後ろ指を指されるようなことなど何一つ……」
「従兄なら結婚だってできるじゃないか。まあ、話はまだあるんだ。いちいち反論しないで聞いておくれ。僕がリザ・ムーロ男爵令嬢と個人的に親しくなっても、君は文句一つ言わずにいたくらいには聡明だ。女のくせに首席になんかなって僕を立てないところは少々不愉快だったが、君の頭なら、説明すればわかってもらえるだろう」
ソルタンの言葉は自分の方こそ浮気をしていた宣言に加え、言葉の端々から自己中心的で傲慢な思考が透けて見える。
わたくしを守るように腕を回したヴェルナーの手の甲に血管が浮いている。
そっと夫の顔を窺う。
そろそろ中年に差し掛かる年齢とは思えないほど若々しく端正な夫は、表情を崩さないままに激しい怒りを堪えている様子だ。アンナレーナと同じ青色の瞳の奥で、怒りが炎のように燃え上がっている。
しかしそれはわたくしも同じ。
大切な跡取り娘を王太子妃として是非にと、国王陛下直々に頼まれた婚約だった。
仕方なくアンナレーナを王太子の婚約者にし、エリアルト公爵家は、甥のルーカスを養子にして跡を継がせることになったのだ。
それがまさか、ソルタンは浮気をした挙句、人目がある卒業パーティーでの婚約破棄騒動である。
アンナレーナが一体何をしたというのだ。
おそらくソルタンの浮気のことも知っていて、ずっと我慢していたのだろう。
怒りのあまり、感情が昂って、思わず目に涙が浮いてしまう。
ヴェルナーはそんなわたくしの頬にそっと触れた。ギリ、と歯を食いしばる音が聞こえてくるほど怒っている様子だ。
ヴェルナーは決して短気ではない。
聡明で穏やかで、そしてこの上なく愛情深い人である。
今も公爵である自分が口を挟んでは余計に周囲を混乱させてしまうと、必死に我慢しているのが伝わってくる。
「ソルタン殿下とリザさんとの仲は存じております。だとしても、私が一方的に婚約破棄される理由にはなっておりません」
「そうだね。君にはない。だが、僕との婚約は、君がエリアルト公爵家の令嬢だからこその縁談だというのは理解しているだろう」
君には、と強調するソルタン。
何が言いたいのだろう。
そう訝しく思ったわたくしに、チラッとソルタンの視線が向けられた。
「アンナレーナ。君が公爵家の血を引いていないとすれば、婚約破棄されてもおかしくない。そうは思わないかい?」
「……は?」
その言葉はわたくしの口から漏れた言葉だった。
「な、何をおっしゃるのでしょう。アンナレーナはわたくしがお腹を痛めて産んだ子です!」
「そうですね。アンナレーナと公爵夫人はよく似ていますからね。しかし僕が言いたいのは、アンナレーナは公爵と血が繋がっていないという話ですよ」
「……な、何を……?」
アンナレーナは間違いなく、わたくしとヴェルナーの子。
ソルタンが何を言っているのか、意味がわからなかった。
「ですから、公爵夫人の不義により生まれた子がアンナレーナなのでしょう。公爵の血を引いていないアンナレーナを、王太子であるこの僕が娶るはずないと……そう言っているのですよ!」
本当に意味不明である。
わたくしはヴェルナーとの結婚の日まで、血縁関係以外の殿方と手を触れ合った経験すらないのだ。
ましてや浮気など、とんでもない。
まさに青天の霹靂だった。
「お母様はそんな方ではありません!」
真っ先にアンナレーナがそう言ってくれて、呆然としていたわたくしはハッと我に返った。
「ええ、誓って浮気などありません! アンナレーナは間違いなくわたくしとヴェルナー様の……」
「ふふ、僕は知っています。公爵夫人は結婚前、とある護衛騎士と大変親しく付き合っていた、とね。その護衛騎士は非常に見目麗しく、アンナレーナとよく似た淡い金髪に青い瞳だったそうではないですか。その彼とただならぬ仲だったのでしょう!」
「そ、そんな……!」
──確かにソルタンの言う騎士には心当たりがあった。
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