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3章 夕花の新たな生活②
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休憩を促しに行っただけなのに、すっかり仕事の邪魔をしてしまったと申し訳ない気分になったが、白夜は元々夜中に執筆する方が捗るのだと言ってくれた。
「今日の夕食は和食ですよ」
亘理は、夕花が和食の方が好むと知って、最近は洋食と和食を交互に作ってくれる。白夜はどちらでも構わないそうで、亘理は洋食を作る腕を鈍らせたくないと、頻度をすり合わせてくれたのだ。
「おかずは白身魚の塩焼きです。それと、鶏肉とじゃがいもの照り焼きですが、夕花様が芋の皮剥きを手伝ってくれました。白夜様もたくさん食べたくなるはずですよ。あと青菜のおひたしに若竹煮です」
「美味しそう……!」
夕花の目の前に、少しずつ盛られた食事が並ぶ。たけのこを使った煮物に春らしさを感じる。
「それじゃ、どうぞ召し上がってください。今日のデザートは一口サイズの桜餅がありますからね」
「亘理、夕花と話したんだが、これからは亘理も一緒に食べないか?」
白夜はさっき話したことを、さっそく亘理に提案している。
「もー白夜様、僕は使用人ですよ。そういう提案は公私混同になってしまいます!」
「提案じゃない。命令だとしたら?」
「め、命令なら仕方ないですけど……でも、お茶を淹れたりデザートを出したりで、立ったり座ったり、バタバタしますし……」
「ねえ、毎日じゃなくてもいいの。お茶やデザートを出すのは私も手伝うし、なんなら今日だけでも一緒に食べてみない?」
「夕花と、誰かと一緒に食べると美味しいと話していたんだ。亘理がいたら俺もたくさん食べられるかもしれないな」
白夜がそう言うと、亘理は顔をクシャクシャにして笑った。
「わかりましたよ。僕の分を持ってきます。その代わり、お二人とも、今日のご飯は残さないって約束してくれますか?」
夕花と白夜は笑顔で了承した。
亘理は自分でも大食いだと言っていたが、確かに夕花と白夜の食事を足したよりずっと多かった。白米に至っては、大きな茶碗から溢れんばかりに山盛りである。それをあっという間に平らげたのを見て、夕花は目をまん丸にしてしまった。
「……確かに一緒に食べるといつもより美味しいですね」
亘理はポツンと呟く。
「全然知りませんでした。ご主人もいつもより食が進んでますし、毎日は難しいですが、献立によってはまたご一緒させてください」
夕花は微笑んで頷く。白夜も優しく微笑んでいる。夕花も、本当の意味で食事が楽しいと感じたのだった。
食事の後、皿を片付けを手伝っていた夕花は亘理に呼び止められた。
「あの、夕花様、ありがとうございます。片付けもですけど、僕に一緒に食べようって、ご主人に言ってくれたんですよね」
「大したことじゃないわ。私も楽しかったし、きっと白夜さんも同じ気持ちじゃないかしら」
「はい。僕、嬉しくて。ご主人、最近食べる量が増えてきたんです。それに、夕花様と話した後はよく眠れるみたいで」
夕花は首を傾げた。
「白夜さん、どこか悪いの? 私といる時に寝てしまったことはあったけれど……あんまり具合が悪そうには見えなくて」
一番最初に会った時、白夜は倒れはしたが顔色は悪くなかった。今も食が細いとは思うが、見た目に病気がありそうには見えない。
しかし亘理は顔を曇らせた。
「……ごめんなさい。僕からは話せません。でも、夕花様と出会うくらいまでのご主人はほとんど食べれず、夜もあまり眠れていないみたいでした。元々作家で不規則なところがあるんですけど。しかも見た目には問題なさそうだからタチが悪いというか」
亘理は両手をきゅっと握りしめた。眉が八の字に下がり、榛色の目が潤んでいる。
「ご主人を問い詰めても、平気って言うだけなんです。僕はよくしてもらってますが、それでも使用人ですから、これ以上は踏み込めなくて。だから、夕花様、ご主人をよろしくお願いします。これからも、食べさせたり寝かし付けたりしてくれませんか」
「うん、任せて」
夕花は亘理の手を上から包み込むように握った。
「わっ、ダメですよ!」
亘理は真っ赤になって夕花の手を振り払う。
「ご主人以外にそういうことをしちゃダメです!」
「──俺がなんだって?」
突然の白夜の声に、夕花と亘理は飛び上がった。
「ご主人!」
「夕花がなかなか戻ってこないから、様子を見に来たんだが」
白夜はキッチンの入り口で扉に寄りかかるように室内を覗いている。
「ご主人! な、なんでもないです」
「……手を握り合っていたように見えたのは気のせいか?」
眉を寄せ、ムスッとしている。
どことなく怒って見える。何か夕花と亘理で悪いことでも企んでいるように見えたのだろうか。
「白夜さん、亘理くんは……」
言おうとすると亘理は首を横に振った。
今の会話を白夜に言わないでほしいということだろう。
そうであれば、と夕花は知恵を絞り、咄嗟の言い訳を捻り出した。
「えっと、代書屋の登美さんに、さっきのフィナンシェを持っていきたいってお願いしていたんです。紅茶味のも美味しかったし、何種類か持って行ったら、きっと喜んでくれるんじゃないかしら、と思って」
「ああ、そういえば、お礼のお菓子を渡そうという話をしていたな。いいんじゃないか。亘理、フィナンシェは日持ちするのか?」
「あっ、はい、今くらいの涼しい時期なら三、四日程度は大丈夫です。材料もありますから、明日までに用意しましょうか?」
「では、それで頼む」
「はい、わかりました」
何とか誤魔化せたようだ。亘理もホッと胸を撫で下ろしている。
「白夜さん、お茶にしませんか。たまには私が淹れますよ」
夕花はそう言って白夜と共にキッチンを出る。その際、亘理に目配せをされ、小さく頷いて返したのだった。
お茶を淹れ、白夜に差し出す。
白夜はソファのすぐ横をトントンと叩いた。隣に座れという合図だと察してそこに座る。
不意に、肩を抱き寄せられていた。
「白夜さん……?」
白夜に密着する形になり、夕花は頬を染めた。
「さっきは変な態度をしてしまってすまなかった。君が亘理の手を握っていたのを見てしまったから……」
「あ……亘理くんは白夜さんの大切な使用人なのに、私なんかが馴れ馴れしくしてしまってすみません……」
「いや、違う。……亘理に嫉妬したんだ」
「え……?」
白夜を見上げると、いつもより薄ら頬が赤らんで見える。
そこでようやく白夜の意図がわかり、夕花はますます頬の熱が上がるのを感じた。
同時に、嬉しさがじわじわと込み上げる。
夕花はそのまま白夜に寄りかかり、目を閉じた。
白夜から、トクントクンと鼓動が伝わってくる。いつもより少し早い脈拍。もしかすると夕花の鼓動もそうかもしれない。同じようにこの早い心臓の音が白夜に聞かれているかもしれないと思うと恥ずかしい反面、同じという嬉しさが込み上げてくる。
そんな穏やかで優しい時間が過ぎていくのだった。
次の日、さっそく亘理がフィナンシェを焼いてくれた。一つずつパラフィン紙に包まれ、綺麗に包装されている。
「登美さん、先日はご迷惑をおかけしました。これ、白夜さんからお詫びの品です」
「迷惑だなんて別に思っちゃいないよ。これは上山手区にでもある高級な店の菓子かい? こんな高そうなもの、もらえないよ!」
「いえ、屋敷の使用人の亘理くんが作ってくれたんです。フィナンシェってお菓子です。甘くて、いい香りでとっても美味しいんです! 登美さんも絶対気に入りますから!」
なかなか受け取ろうとしない登美に、半ば無理矢理押し付けた。
「これが手作りの菓子かい。へえ、店が開けそうな腕前だねぇ。……じゃあ、わざわざ用意してもらったし、受け取っとくよ」
登美はそう言いつつ、どことなく嬉しそうにしながら、亡くなった旦那さんの位牌の前に供えている。美味しいお菓子の類はいつも一度はそこに置くのだと、夕花は知っていた。
「夕花……月森さんの家に行ってよかったね。前より顔色がよくなったし、笑顔も増えた。月森さんにはお礼言っておいておくれ」
「はい!」
夕花は頷いた。登美がそう思ってくれたことが嬉しかった。
「ほら、いつまでもニヤニヤしていないで、仕事しなさいよ!」
つい口もとが緩んでいたようだ。登美からピシャリと叱られ、夕花は首をすくめながら代筆の仕事を開始したのだった。
「今日の夕食は和食ですよ」
亘理は、夕花が和食の方が好むと知って、最近は洋食と和食を交互に作ってくれる。白夜はどちらでも構わないそうで、亘理は洋食を作る腕を鈍らせたくないと、頻度をすり合わせてくれたのだ。
「おかずは白身魚の塩焼きです。それと、鶏肉とじゃがいもの照り焼きですが、夕花様が芋の皮剥きを手伝ってくれました。白夜様もたくさん食べたくなるはずですよ。あと青菜のおひたしに若竹煮です」
「美味しそう……!」
夕花の目の前に、少しずつ盛られた食事が並ぶ。たけのこを使った煮物に春らしさを感じる。
「それじゃ、どうぞ召し上がってください。今日のデザートは一口サイズの桜餅がありますからね」
「亘理、夕花と話したんだが、これからは亘理も一緒に食べないか?」
白夜はさっき話したことを、さっそく亘理に提案している。
「もー白夜様、僕は使用人ですよ。そういう提案は公私混同になってしまいます!」
「提案じゃない。命令だとしたら?」
「め、命令なら仕方ないですけど……でも、お茶を淹れたりデザートを出したりで、立ったり座ったり、バタバタしますし……」
「ねえ、毎日じゃなくてもいいの。お茶やデザートを出すのは私も手伝うし、なんなら今日だけでも一緒に食べてみない?」
「夕花と、誰かと一緒に食べると美味しいと話していたんだ。亘理がいたら俺もたくさん食べられるかもしれないな」
白夜がそう言うと、亘理は顔をクシャクシャにして笑った。
「わかりましたよ。僕の分を持ってきます。その代わり、お二人とも、今日のご飯は残さないって約束してくれますか?」
夕花と白夜は笑顔で了承した。
亘理は自分でも大食いだと言っていたが、確かに夕花と白夜の食事を足したよりずっと多かった。白米に至っては、大きな茶碗から溢れんばかりに山盛りである。それをあっという間に平らげたのを見て、夕花は目をまん丸にしてしまった。
「……確かに一緒に食べるといつもより美味しいですね」
亘理はポツンと呟く。
「全然知りませんでした。ご主人もいつもより食が進んでますし、毎日は難しいですが、献立によってはまたご一緒させてください」
夕花は微笑んで頷く。白夜も優しく微笑んでいる。夕花も、本当の意味で食事が楽しいと感じたのだった。
食事の後、皿を片付けを手伝っていた夕花は亘理に呼び止められた。
「あの、夕花様、ありがとうございます。片付けもですけど、僕に一緒に食べようって、ご主人に言ってくれたんですよね」
「大したことじゃないわ。私も楽しかったし、きっと白夜さんも同じ気持ちじゃないかしら」
「はい。僕、嬉しくて。ご主人、最近食べる量が増えてきたんです。それに、夕花様と話した後はよく眠れるみたいで」
夕花は首を傾げた。
「白夜さん、どこか悪いの? 私といる時に寝てしまったことはあったけれど……あんまり具合が悪そうには見えなくて」
一番最初に会った時、白夜は倒れはしたが顔色は悪くなかった。今も食が細いとは思うが、見た目に病気がありそうには見えない。
しかし亘理は顔を曇らせた。
「……ごめんなさい。僕からは話せません。でも、夕花様と出会うくらいまでのご主人はほとんど食べれず、夜もあまり眠れていないみたいでした。元々作家で不規則なところがあるんですけど。しかも見た目には問題なさそうだからタチが悪いというか」
亘理は両手をきゅっと握りしめた。眉が八の字に下がり、榛色の目が潤んでいる。
「ご主人を問い詰めても、平気って言うだけなんです。僕はよくしてもらってますが、それでも使用人ですから、これ以上は踏み込めなくて。だから、夕花様、ご主人をよろしくお願いします。これからも、食べさせたり寝かし付けたりしてくれませんか」
「うん、任せて」
夕花は亘理の手を上から包み込むように握った。
「わっ、ダメですよ!」
亘理は真っ赤になって夕花の手を振り払う。
「ご主人以外にそういうことをしちゃダメです!」
「──俺がなんだって?」
突然の白夜の声に、夕花と亘理は飛び上がった。
「ご主人!」
「夕花がなかなか戻ってこないから、様子を見に来たんだが」
白夜はキッチンの入り口で扉に寄りかかるように室内を覗いている。
「ご主人! な、なんでもないです」
「……手を握り合っていたように見えたのは気のせいか?」
眉を寄せ、ムスッとしている。
どことなく怒って見える。何か夕花と亘理で悪いことでも企んでいるように見えたのだろうか。
「白夜さん、亘理くんは……」
言おうとすると亘理は首を横に振った。
今の会話を白夜に言わないでほしいということだろう。
そうであれば、と夕花は知恵を絞り、咄嗟の言い訳を捻り出した。
「えっと、代書屋の登美さんに、さっきのフィナンシェを持っていきたいってお願いしていたんです。紅茶味のも美味しかったし、何種類か持って行ったら、きっと喜んでくれるんじゃないかしら、と思って」
「ああ、そういえば、お礼のお菓子を渡そうという話をしていたな。いいんじゃないか。亘理、フィナンシェは日持ちするのか?」
「あっ、はい、今くらいの涼しい時期なら三、四日程度は大丈夫です。材料もありますから、明日までに用意しましょうか?」
「では、それで頼む」
「はい、わかりました」
何とか誤魔化せたようだ。亘理もホッと胸を撫で下ろしている。
「白夜さん、お茶にしませんか。たまには私が淹れますよ」
夕花はそう言って白夜と共にキッチンを出る。その際、亘理に目配せをされ、小さく頷いて返したのだった。
お茶を淹れ、白夜に差し出す。
白夜はソファのすぐ横をトントンと叩いた。隣に座れという合図だと察してそこに座る。
不意に、肩を抱き寄せられていた。
「白夜さん……?」
白夜に密着する形になり、夕花は頬を染めた。
「さっきは変な態度をしてしまってすまなかった。君が亘理の手を握っていたのを見てしまったから……」
「あ……亘理くんは白夜さんの大切な使用人なのに、私なんかが馴れ馴れしくしてしまってすみません……」
「いや、違う。……亘理に嫉妬したんだ」
「え……?」
白夜を見上げると、いつもより薄ら頬が赤らんで見える。
そこでようやく白夜の意図がわかり、夕花はますます頬の熱が上がるのを感じた。
同時に、嬉しさがじわじわと込み上げる。
夕花はそのまま白夜に寄りかかり、目を閉じた。
白夜から、トクントクンと鼓動が伝わってくる。いつもより少し早い脈拍。もしかすると夕花の鼓動もそうかもしれない。同じようにこの早い心臓の音が白夜に聞かれているかもしれないと思うと恥ずかしい反面、同じという嬉しさが込み上げてくる。
そんな穏やかで優しい時間が過ぎていくのだった。
次の日、さっそく亘理がフィナンシェを焼いてくれた。一つずつパラフィン紙に包まれ、綺麗に包装されている。
「登美さん、先日はご迷惑をおかけしました。これ、白夜さんからお詫びの品です」
「迷惑だなんて別に思っちゃいないよ。これは上山手区にでもある高級な店の菓子かい? こんな高そうなもの、もらえないよ!」
「いえ、屋敷の使用人の亘理くんが作ってくれたんです。フィナンシェってお菓子です。甘くて、いい香りでとっても美味しいんです! 登美さんも絶対気に入りますから!」
なかなか受け取ろうとしない登美に、半ば無理矢理押し付けた。
「これが手作りの菓子かい。へえ、店が開けそうな腕前だねぇ。……じゃあ、わざわざ用意してもらったし、受け取っとくよ」
登美はそう言いつつ、どことなく嬉しそうにしながら、亡くなった旦那さんの位牌の前に供えている。美味しいお菓子の類はいつも一度はそこに置くのだと、夕花は知っていた。
「夕花……月森さんの家に行ってよかったね。前より顔色がよくなったし、笑顔も増えた。月森さんにはお礼言っておいておくれ」
「はい!」
夕花は頷いた。登美がそう思ってくれたことが嬉しかった。
「ほら、いつまでもニヤニヤしていないで、仕事しなさいよ!」
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