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2章 吸血鬼の屋敷③
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夕花たちは居間に戻り、ソファに向かい合わせで座る。亘理がお茶を淹れてくれた。
「先程の話の続きだが」
「いえ、その前に……白夜さん、昨日は寝てしまってすみませんでした」
夕花は深々と頭を下げた。半日以上寝てしまったのだ。しかも白夜に運ばせてしまい、申し訳なさもある。
「気にしなくていい。急なことだったし、疲れていたのだろう。抱えた時に思ったが、軽過ぎて驚いた。もう少し栄養をとった方がいいだろうな」
「そうですよー。焼きたてのアップルパイをお持ちしました。温かいうちにどうぞ」
キッチンに行っていた亘理が、いい香りのする皿を携えて戻ってきた。
皿の上には半円の葉っぱのような形をした黄金色のアップルパイが乗っている。
「こ、こんなすごいもの、食べたことありません……」
夕花はフォークを手にするどころか、皿を前におろおろするしかない。
どう食べたらいいのかさえわからない。愛菜のために有名店の行列に並び、洋菓子を買ってきたことがあったが、もちろん夕花は一口たりとも食べさせてもらえなかったのだ。
向かいに座る白夜が無言で立ち上がる。
菓子すらまともに食べることができないと、白夜に呆れられてしまったのだろうか。夕花は泣きそうな思いでいっぱいだった。
しかし白夜は、夕花の右隣に腰を下ろした。
「そう緊張することはない。手を貸してくれ」
夕花の肩を抱くように密着し、夕花の右手にフォークを握らせた。
「手で掴んで食べても別に構わないんだが、焼きたてだから、万が一にも火傷をさせたくない。フォークだとパイ生地は割れやすいから、フォークを立てて突き刺しながら切る感じで」
白夜も夕花の右手に手を重ね、力加減を教えてくれる。
サクッと音を立ててパイ生地が割れ、一口サイズになった。
「中身はリンゴを甘く煮たものだ。食べてごらん」
おそるおそる、アップルパイを口に運ぶ。途端に広がった甘さと芳醇な香りに、夕花は目を見開いた。
「君はきっと甘いものが好きなんだろうと思っていたんだ」
咀嚼し、ごくんと飲み込んでから、夕花は口を開いた。
「は、はい。すごく美味しいです! 甘いだけじゃなくて、ほんの少し酸っぱさもあって、不思議な香りもするんですけど、甘さが引き立つというか。でも、甘過ぎなくて、優しい味で……!」
興奮して一通り喋ってから、夕花はハッとする。恥ずかしさでカーッと頬が熱くなった。
「す、すみません。変なことをベラベラと……」
「いや、謝らなくていい。夕花が美味しそうに食べたから俺も嬉しい」
「僕も嬉しいです。美味しいって食べてもらえるのは、作った側には何より嬉しい言葉なんですから。僕としても作った甲斐がありますよ。不思議な香りはきっとシナモンでしょう。慣れないと苦手に感じる人もいるんですが、夕花様は大丈夫そうですね」
夕花はコクンと頷く。そして、今更ながら白夜と密着していたことに気付き、顔をさらに赤らめた。火が出そうなほど熱い。
「あ、あの! 白夜さんも、食べてください! わ、私はもう大丈夫ですから!」
そこまで言って、さっきまで白夜が座っていた向かいの席にはお茶しか置かれていないことに気が付いた。
「白夜さんは、食べないんですか?」
「……空腹ではないんだ。俺のことは気にしないで構わない」
とはいえ、白夜に抱え込まれるようにされていては食べにくい。邪魔だからではなく、白夜の綺麗な横顔が間近なのが心臓に悪いのだ。
そっと横目で白夜を伺うと、紅色の瞳を縁取る金色の長い睫毛の繊細な美しさに、芸術作品を見ているような心地になってしまう。
不意に視線を気取られたのか、目と目が合って、心臓が一際激しく跳ねた。
「ああ、すまない。食べにくかったな」
白夜は夕花を抱え込むのはやめたが、真横に座ったまま、フォークを握る夕花を見つめている。
「君が食べているのを見ると、美味しそうに見えるよ」
「あの、本当にとっても美味しいんです。白夜さんも召し上がっては……」
「そうだな。では、一口分けてもらえるか?」
そう言ってますます顔を近付けてくる。
夕花としては亘理にもう一皿用意してもらうのだとばかり思っていたから、白夜の言葉に目を白黒させた。
白夜は餌を強請る鳥の雛のように口を開けて待っている。
「ええと……こう、ですか」
夕花はドギマギしながらも、白夜に教えられた通りにフォークを使う。アップルパイを一口分切り取り、白夜の口元に持っていく。
パク、と白夜がアップルパイを頬張り、微笑んだ。
「本当だ。……美味しいな」
「でしょう! サクサクで、じゅわっとして、香りも素晴らしくて」
夕花はそう言ってから、はた、と気付いた。夕花が使っていたフォークでそのまま食べさせたということは、互いの唇が間接的に触れ合ったことなのだ。
恥ずかしくて、白夜の唇を直視できない。
うろうろと視線を彷徨わせると、嬉しそうな顔の亘理が見えた。なんというか、もし亘理に尻尾があればぶんぶんと振っていただろう、とそんな風に見えたのだ。
「夕花、冷めてしまう前に食べた方がいい」
「あ、はい! あの……白夜さん、もっと食べますか?」
「いや、今の一口で充分だ。ありがとう」
白夜はそう言って夕花の黒髪を一房摘み上げ、髪に口付けを落とす。
夕花はますます頬をリンゴのように赤らめながらアップルパイを食べ終えた。
夕花がお茶を飲み干すのを見計ったように白夜が口を開く。
「実は今日、君の実家に行ってきたんだ」
「か、神楽家にですか……」
夕花はびくりと震える。
「ああ。結婚の話はあまりにも急だったから、君は持参する荷物を何も用意していなかっただろう。だから俺が受け取りに行ったんだが、君の荷物は全て処分したと」
その言葉に夕花は俯く。
「元々、私のものは、ほとんどありませんでしたから……」
母の形見であった着物や宝石類は全て後妻に奪われている。母の写真があったはずだが、母亡き後、愛菜たちがやってきて夕花を部屋から追い出した時に、持ち出すことは許されなかった。おそらくとっくに捨てられてしまっているだろう。
持っていたものは、夕花が狭い使用人部屋に置いていた普段着の着物と、わずかに残った給金を貯めていた袋くらいのものだ。しかし登美からもらったばかりの半纏まで捨てられてしまったのは残念でならなかった。
「夕花、おいで」
白夜は、俯いた夕花に手を差し伸べた。エスコートをするように立たせる。
手を引かれ、連れてこられたのは夕花の部屋だった。
「クローゼットを開けてごらん」
白夜が指し示したことで、クローゼットとは部屋に繋がっている小さな納戸のことらしいとわかった。
扉を開けると、目覚めてすぐの時には空っぽだったクローゼットに、たくさんの洋服や着物が入っていた。
「これは……」
「君の服をこちらで勝手に用意した」
「わ、私の……ですか!?」
「ああ。サイズは問題ないはずだ」
「そうではなく……こんなにたくさん……」
色とりどりのワンピース、靴、帽子などの小物類。着物も普段使いによさそうな鮮やかな色や柄のものがズラッと並んでいる。見ているだけで目がチカチカしてしまう。
どれも手に取ることが出来ず、夕花はクローゼットの入り口で固まった。
「気に入ったものがなかったか? それなら他にもっと用意するが」
「ち、違うんです。どの着物や洋服もあまりに素敵で……私には似合いません」
鮮やかな色、華やかな大ぶりの模様の着物など、地味で陰気な自分が着たら滑稽になるだけだ。そう思い、夕花は俯く。そうすると長い黒髪がカーテンのように視界を遮り、夕花から綺麗な服や着物を隠してくれた。
「そんなことはない」
白夜はかけてあるワンピースから一枚とって、夕花の前に合わせた。
薄藤色に白いレースの襟が付いているワンピースだ。
「これなんかどうだろう。夕方の空の色をしていて、君の名前のようだ。君は首が細いから、胸元があまり開かず、襟は小ぶりの方が似合うはずだ」
白夜はワンピースと夕花を見比べて頷く。
「いいな。これを着てみてくれ。着替える間、外に出ている」
「ええっ!」
白夜は、夕花にワンピースを押し付け、部屋の外に出ていった。
夕花はおろおろしながらも、言われた通りにワンピースを着る。最初はどう着るのか少しだけ悩んだが、着てみたら着物より簡単だった。スカートの丈も愛菜が着ていたセーラー服より少し長く、長靴下を合わせるから素肌も出ない。
しかし本当に似合っているのだろうか。夕花はこれまで愛らしい愛菜と比べられて散々な言われようだった。自分でも栄養の足りていない貧相な体だと思っている。
しかし、このまま白夜を待たせるわけにはいかない。勇気を出して、扉を開けた。
「あの、着替え終わりました」
夕花は両手を胸の前で結び、もじもじした。恥ずかしさで顔が熱い。
白夜は何も言わない。やはりおかしかったのかと夕花は手を強く握る。
「変じゃないでしょうか……」
おそるおそる白夜を伺うと、目を見開いて夕花をじっと見つめていた。
「とても綺麗だよ。うん、いいな……」
白夜はふと目を細めて微笑む。恥ずかしさでドキドキしていた心臓が、トクンと違う音を立てた。
「夕花、手を下ろして。背中を伸ばして、頭を上げるんだ」
白夜の手が、丸まった夕花の背中に当てられた。夕花は言われた通り、胸の前で握っていた手を下ろし、背中を伸ばした。
白夜の手は、夕花の背中を押したままクルッと向きを変えさせた。
「見てごらん」
そこにあったのは大きな姿見だった。
薄藤色の可憐なワンピースを着た姿は、どことなく亡き母に面影がある。恥ずかしさに頬が紅潮しているせいか、いつもより顔色がよく見えた。
「夕花、君は俯いてばかりの人生を送ってきたのだろう。だが昨日、花嫁衣装を着た君は、あの黄昏の中で誰よりも美しかった。神楽家の人間は見る目がなかったが、それだけじゃない。みんな、俯く君のつむじばかり見ていたんだろう」
「つむじ……そうかもしれません」
夕花はおかしくなって、クスッと笑う。鏡の中の夕花も笑顔になる。貧相に痩せた体も、全身を覆うワンピースのおかげで思っていたほど気にならない。自分で思っていたより悪くないかもしれない。そう思えたのは、夕花にとって大きな第一歩だった。
「これからは少しずつでいいから、顔を上げ、背筋を伸ばすことを心がけるんだ」
夕花は小さく頷いた。
「先程の話の続きだが」
「いえ、その前に……白夜さん、昨日は寝てしまってすみませんでした」
夕花は深々と頭を下げた。半日以上寝てしまったのだ。しかも白夜に運ばせてしまい、申し訳なさもある。
「気にしなくていい。急なことだったし、疲れていたのだろう。抱えた時に思ったが、軽過ぎて驚いた。もう少し栄養をとった方がいいだろうな」
「そうですよー。焼きたてのアップルパイをお持ちしました。温かいうちにどうぞ」
キッチンに行っていた亘理が、いい香りのする皿を携えて戻ってきた。
皿の上には半円の葉っぱのような形をした黄金色のアップルパイが乗っている。
「こ、こんなすごいもの、食べたことありません……」
夕花はフォークを手にするどころか、皿を前におろおろするしかない。
どう食べたらいいのかさえわからない。愛菜のために有名店の行列に並び、洋菓子を買ってきたことがあったが、もちろん夕花は一口たりとも食べさせてもらえなかったのだ。
向かいに座る白夜が無言で立ち上がる。
菓子すらまともに食べることができないと、白夜に呆れられてしまったのだろうか。夕花は泣きそうな思いでいっぱいだった。
しかし白夜は、夕花の右隣に腰を下ろした。
「そう緊張することはない。手を貸してくれ」
夕花の肩を抱くように密着し、夕花の右手にフォークを握らせた。
「手で掴んで食べても別に構わないんだが、焼きたてだから、万が一にも火傷をさせたくない。フォークだとパイ生地は割れやすいから、フォークを立てて突き刺しながら切る感じで」
白夜も夕花の右手に手を重ね、力加減を教えてくれる。
サクッと音を立ててパイ生地が割れ、一口サイズになった。
「中身はリンゴを甘く煮たものだ。食べてごらん」
おそるおそる、アップルパイを口に運ぶ。途端に広がった甘さと芳醇な香りに、夕花は目を見開いた。
「君はきっと甘いものが好きなんだろうと思っていたんだ」
咀嚼し、ごくんと飲み込んでから、夕花は口を開いた。
「は、はい。すごく美味しいです! 甘いだけじゃなくて、ほんの少し酸っぱさもあって、不思議な香りもするんですけど、甘さが引き立つというか。でも、甘過ぎなくて、優しい味で……!」
興奮して一通り喋ってから、夕花はハッとする。恥ずかしさでカーッと頬が熱くなった。
「す、すみません。変なことをベラベラと……」
「いや、謝らなくていい。夕花が美味しそうに食べたから俺も嬉しい」
「僕も嬉しいです。美味しいって食べてもらえるのは、作った側には何より嬉しい言葉なんですから。僕としても作った甲斐がありますよ。不思議な香りはきっとシナモンでしょう。慣れないと苦手に感じる人もいるんですが、夕花様は大丈夫そうですね」
夕花はコクンと頷く。そして、今更ながら白夜と密着していたことに気付き、顔をさらに赤らめた。火が出そうなほど熱い。
「あ、あの! 白夜さんも、食べてください! わ、私はもう大丈夫ですから!」
そこまで言って、さっきまで白夜が座っていた向かいの席にはお茶しか置かれていないことに気が付いた。
「白夜さんは、食べないんですか?」
「……空腹ではないんだ。俺のことは気にしないで構わない」
とはいえ、白夜に抱え込まれるようにされていては食べにくい。邪魔だからではなく、白夜の綺麗な横顔が間近なのが心臓に悪いのだ。
そっと横目で白夜を伺うと、紅色の瞳を縁取る金色の長い睫毛の繊細な美しさに、芸術作品を見ているような心地になってしまう。
不意に視線を気取られたのか、目と目が合って、心臓が一際激しく跳ねた。
「ああ、すまない。食べにくかったな」
白夜は夕花を抱え込むのはやめたが、真横に座ったまま、フォークを握る夕花を見つめている。
「君が食べているのを見ると、美味しそうに見えるよ」
「あの、本当にとっても美味しいんです。白夜さんも召し上がっては……」
「そうだな。では、一口分けてもらえるか?」
そう言ってますます顔を近付けてくる。
夕花としては亘理にもう一皿用意してもらうのだとばかり思っていたから、白夜の言葉に目を白黒させた。
白夜は餌を強請る鳥の雛のように口を開けて待っている。
「ええと……こう、ですか」
夕花はドギマギしながらも、白夜に教えられた通りにフォークを使う。アップルパイを一口分切り取り、白夜の口元に持っていく。
パク、と白夜がアップルパイを頬張り、微笑んだ。
「本当だ。……美味しいな」
「でしょう! サクサクで、じゅわっとして、香りも素晴らしくて」
夕花はそう言ってから、はた、と気付いた。夕花が使っていたフォークでそのまま食べさせたということは、互いの唇が間接的に触れ合ったことなのだ。
恥ずかしくて、白夜の唇を直視できない。
うろうろと視線を彷徨わせると、嬉しそうな顔の亘理が見えた。なんというか、もし亘理に尻尾があればぶんぶんと振っていただろう、とそんな風に見えたのだ。
「夕花、冷めてしまう前に食べた方がいい」
「あ、はい! あの……白夜さん、もっと食べますか?」
「いや、今の一口で充分だ。ありがとう」
白夜はそう言って夕花の黒髪を一房摘み上げ、髪に口付けを落とす。
夕花はますます頬をリンゴのように赤らめながらアップルパイを食べ終えた。
夕花がお茶を飲み干すのを見計ったように白夜が口を開く。
「実は今日、君の実家に行ってきたんだ」
「か、神楽家にですか……」
夕花はびくりと震える。
「ああ。結婚の話はあまりにも急だったから、君は持参する荷物を何も用意していなかっただろう。だから俺が受け取りに行ったんだが、君の荷物は全て処分したと」
その言葉に夕花は俯く。
「元々、私のものは、ほとんどありませんでしたから……」
母の形見であった着物や宝石類は全て後妻に奪われている。母の写真があったはずだが、母亡き後、愛菜たちがやってきて夕花を部屋から追い出した時に、持ち出すことは許されなかった。おそらくとっくに捨てられてしまっているだろう。
持っていたものは、夕花が狭い使用人部屋に置いていた普段着の着物と、わずかに残った給金を貯めていた袋くらいのものだ。しかし登美からもらったばかりの半纏まで捨てられてしまったのは残念でならなかった。
「夕花、おいで」
白夜は、俯いた夕花に手を差し伸べた。エスコートをするように立たせる。
手を引かれ、連れてこられたのは夕花の部屋だった。
「クローゼットを開けてごらん」
白夜が指し示したことで、クローゼットとは部屋に繋がっている小さな納戸のことらしいとわかった。
扉を開けると、目覚めてすぐの時には空っぽだったクローゼットに、たくさんの洋服や着物が入っていた。
「これは……」
「君の服をこちらで勝手に用意した」
「わ、私の……ですか!?」
「ああ。サイズは問題ないはずだ」
「そうではなく……こんなにたくさん……」
色とりどりのワンピース、靴、帽子などの小物類。着物も普段使いによさそうな鮮やかな色や柄のものがズラッと並んでいる。見ているだけで目がチカチカしてしまう。
どれも手に取ることが出来ず、夕花はクローゼットの入り口で固まった。
「気に入ったものがなかったか? それなら他にもっと用意するが」
「ち、違うんです。どの着物や洋服もあまりに素敵で……私には似合いません」
鮮やかな色、華やかな大ぶりの模様の着物など、地味で陰気な自分が着たら滑稽になるだけだ。そう思い、夕花は俯く。そうすると長い黒髪がカーテンのように視界を遮り、夕花から綺麗な服や着物を隠してくれた。
「そんなことはない」
白夜はかけてあるワンピースから一枚とって、夕花の前に合わせた。
薄藤色に白いレースの襟が付いているワンピースだ。
「これなんかどうだろう。夕方の空の色をしていて、君の名前のようだ。君は首が細いから、胸元があまり開かず、襟は小ぶりの方が似合うはずだ」
白夜はワンピースと夕花を見比べて頷く。
「いいな。これを着てみてくれ。着替える間、外に出ている」
「ええっ!」
白夜は、夕花にワンピースを押し付け、部屋の外に出ていった。
夕花はおろおろしながらも、言われた通りにワンピースを着る。最初はどう着るのか少しだけ悩んだが、着てみたら着物より簡単だった。スカートの丈も愛菜が着ていたセーラー服より少し長く、長靴下を合わせるから素肌も出ない。
しかし本当に似合っているのだろうか。夕花はこれまで愛らしい愛菜と比べられて散々な言われようだった。自分でも栄養の足りていない貧相な体だと思っている。
しかし、このまま白夜を待たせるわけにはいかない。勇気を出して、扉を開けた。
「あの、着替え終わりました」
夕花は両手を胸の前で結び、もじもじした。恥ずかしさで顔が熱い。
白夜は何も言わない。やはりおかしかったのかと夕花は手を強く握る。
「変じゃないでしょうか……」
おそるおそる白夜を伺うと、目を見開いて夕花をじっと見つめていた。
「とても綺麗だよ。うん、いいな……」
白夜はふと目を細めて微笑む。恥ずかしさでドキドキしていた心臓が、トクンと違う音を立てた。
「夕花、手を下ろして。背中を伸ばして、頭を上げるんだ」
白夜の手が、丸まった夕花の背中に当てられた。夕花は言われた通り、胸の前で握っていた手を下ろし、背中を伸ばした。
白夜の手は、夕花の背中を押したままクルッと向きを変えさせた。
「見てごらん」
そこにあったのは大きな姿見だった。
薄藤色の可憐なワンピースを着た姿は、どことなく亡き母に面影がある。恥ずかしさに頬が紅潮しているせいか、いつもより顔色がよく見えた。
「夕花、君は俯いてばかりの人生を送ってきたのだろう。だが昨日、花嫁衣装を着た君は、あの黄昏の中で誰よりも美しかった。神楽家の人間は見る目がなかったが、それだけじゃない。みんな、俯く君のつむじばかり見ていたんだろう」
「つむじ……そうかもしれません」
夕花はおかしくなって、クスッと笑う。鏡の中の夕花も笑顔になる。貧相に痩せた体も、全身を覆うワンピースのおかげで思っていたほど気にならない。自分で思っていたより悪くないかもしれない。そう思えたのは、夕花にとって大きな第一歩だった。
「これからは少しずつでいいから、顔を上げ、背筋を伸ばすことを心がけるんだ」
夕花は小さく頷いた。
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