『小説家とは決議を繰り返す』
小説家は毎日多くの日々を彩り色彩を施し色だけでなくパレットいっぱいに言葉を施して色彩を放つ生き物である。短命であり、その輝きは色あせることはない。生き物と書いたように人間である以上は同じ時間を有する。それなのにお給料はまるで異なる。それが作家の才能であろうか。鬼才とまで呼ばれる秀才たちは鮮烈なデビューと共に惑星のような彩をいくつも放ち果てる。それが文才の残された道であるといわんばかりだ。人工知能が発達しても人間たちの直感は決して死ぬことはない。彼等が死ぬときおそらくは人間が消滅するとはAIも消滅するだろう。鼬に似ていると鹿野は答える。恐竜が絶滅したのは大きいからだろう。人間は小さいから生き残ったといわれるではないか。だとしたら、巨大化した知恵もまた同じであろうという。伸縮自在なものこそが、これから生きるのに際していると鹿野は言う。
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今年も上野にて「モネ展」が開催される。芸術を見ていると落ち着く。久しぶりに、足をはこぼうかと思う。レッサーパンダの「ファンファン?シャンシャンでしたー」は、今年で七歳だという。記憶の片隅では「ファンファンしか覚えていない。」きりんやぞうも好きな動物のひとつです。ちけっとぴあを眺めていると、さまざまなもようしものが、半年先まで埋まっていた。乃木坂関連は六月で締め切っていた「夏のコンサート。」いきなり行く気になり、しかし、お金はなく、真夏に動きたくはない。しかし、真夏に思い出を・・・。そこで、「モネ展」などを調べた次第である。なんだか、つまみ食いに似た感情が襲う。親に怒られる。あの感じだ。実際に食べすぎなければ親は怒りはしない。いったい人の記憶とは、どれだけ都合よくできているのだろう。
新巻の「PHP」8月号は届いた。今月は「ダリア」が綴られていた。しかし、7月号の「かすみ草」に一目ぼれをしてしまい、7月号ばかりを眺めている。季節の草花は、移り変わり、2月に散歩をしはじめてから、あっという間に、梅や桜の季節が終わりを告げた。いまは、日本の四季折々の花々が、花屋の店頭を彩る。そして、6月に購入した雑誌を含めた新巻たちは、たいして読まれずに、積み本となる。今年に入ってから読み終えた本は、まだ数えるほどしかない。買うときだけは、「るんるん」でその世界を無双した気分になるのだが、アマゾンなどにて購入できるようになった今、神保町まで行き、苦労して、予約して、やっとの思いで手に入れた本とは違い、ただお金だけが飛んでゆく。さらには、機種変更に伴い、または、OSの入れ替えに伴い、データを消してしまうために「理由はアカウントのハッキングやクラッキングによる乗っ取りや、キャッシュカードなどの悪用が原因でアカウントの削除」、新たな生活へと飛び込む。今回もデビットカードを止められた。現在は足腰が悪いために、銀行へは行けない。そんな状況の中、暮らしている。
周囲は努力はしているというが、実を結ばない、が続き、天職と呼べるのだろうかと思ってしまう。もともと、お金には、興味がないような?嘘をつけ!と自分の中の誰かが叫んでいる。なんども何度も騙し取られたり、アカウントをハッキング乗っ取られているうちに、真面目に働く気が失せた。働いても、働いても、ただ働きが続く。その度に、YouTubeなどは削除してきたが、いまとなっては、放置するようになった。真面目に働くことは悪くない。本当にそう思う。しかし、足の引っ張り合いをするような根性もない。ないないづくめの私にできることといえば、素知らぬ振りをして、不利を認めるだけだった。
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※都々逸(どどいつ)とは、江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された、口語による定型詩。七・七・七・五の音数律に従う。
【よく知られている都々逸】
■あとがつくほど つねってみたが 色が黒くて わかりゃせぬ
■入れておくれよ 痒くてならぬ 私一人が蚊帳の外
■恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす
■ついておいでよ この提灯に けして (消して)苦労 (暗う)はさせぬから
■雪をかむって 寝ている竹を 来ては雀が 揺り起こす