8 / 8
8
しおりを挟む
私は数日間、なにかと理由をつけて仮住まい先の館に留まった。
けれど、度重なる城からの督促もあり、私は4日後に宮廷に戻らざるを得なくなった。
やはりあの約束は口先だけのものだったのだろうかと肩を落とした。
だけど、数日後、彼は本当に私の元に訪れた。驚いた事に、グレイが訪れた場所は、借りているあの屋敷ではなく私の住まう宮廷だったのだ。
かつて母の住まいであった白い棟のテラスで、いつも通りの一日を、ただいつも通りに過ごした私は、それでも、決して二度とは訪れない今日という日にありったけの感謝と祈りを込めて思いの丈を歌い終えた。そんななんでもないような静かな夕暮れだった。
その時、一瞬の強風が吹き木々を騒めかせた。まるで揺れて戯れに踊るように舞う一枚の葉を、まだ歌の余韻が残る潤んだ瞳で追うと、私はその途中で目を見開き、唇を開いた。
(まさか……、でも……)
『グレイ……?』そう、まるで待ち人を呼ぶかのように、自然に私は彼の名を口にした。徐々に目が慣れて鮮明になる姿。夕闇が支配し始めた薄く青く徐々に深まる夜空と森を背景にそこに佇む逞しい人影は、現実のものではないのではないかと思うほどに美しかった。だけど、そんな私の問いかけに対する彼からの答えは得られない。
やはり幻かと見紛うほど、動かずこちらを見つめたまま美しく佇む姿と、同じように私もまた固まったように彼を見つめていた。
それは舞踏会の日から、七日の後の事だった。
消えない人影をどのくらいそうして見つめていただろう。その動かぬ彼を現実のものだと理解した私は、ハッとして問いかけた。
『やはり、グレイなのですね?どっ、どうしてここが……、あっ、ここでは……今、下を開けますからっ、少しだけお待ち下さい……』
焦った私はテラスから身を乗り出して、そう彼に告げた。
『い、いい……』
そう言った瞬間、固まっていた彼の身体もようやく、焦ったように動き出した。
『で、でも……』
私たちは、上と下で見つめ合う。
相変わらずの彼の瞳の美しさに改めて感嘆するも、焦る気持ちで、踵を返そうと口を開いた。
『あのっ、鍵がかかっている下の扉しか、ここへの出入り口はありませんの、だから…』
(そこで待っていてください)
そう続けようとした。
心の中で『だから、どこにも行かないで』と念じるように。
だけど、私はその言葉を最後まで口にする事が出来なかった。
その言葉を口にするよりもずっと早く、一瞬の動きでグレイは棟のテラスの横にある大木の枝に移動したからだ。正確に言えば、凄い跳躍力で一本の高い木の枝に手をかけた男は、その枝を一回転して弾みをつけて、その更に上にある枝に着地したのだ。
未だ揺れさえも残る枝にしなやかに立つ肢体。
(……え?)
人間技とは思えない動きに目を瞬かせた私が次の声をだすよりも先に、今度はトンと着地する音と共に、私の前に立ちはだかっていた大きな人影。
あまりに近いので恐る恐る、存在を確かめるようにその姿を見上げる。
悪戯に小さく笑う薄い唇、そして薄い闇の中で光を放つように煌くグリーンの瞳。
(やはり、彼だ…。間違いない…)
そう思った瞬間に、私は大きな何かに包まれていた。
『え……? あの…………』
ほのかな温かさと、固いのにしなやかな身体。フワリと香る独特の匂い。あの日の男に今抱きしめられているのだと、ようやく頭を巡らせる、そんな私を揶揄うように、私の顔を覗き込んだ男は口角を挙げた。
『どうだ?跳躍力には自信があるぞ……、こんな細い体なら、どこにいても浚ってやれるが?』
そういって、腰に這わされた大きな手。
だけど、そんな冗談にハッとして、一瞬で顔を青くした私はキョロキョロと落ち着きなく外を見渡した。
(まずい……)
この状況はとてもまずいのだ。
『どうか、早く中に、こんなところを誰かに見つかったら……』
バクバクと心臓が嫌な音をたてる。
一瞬忘れそうになっていた過去の忌まわしい出来事が脳裏を支配して小刻みに私の指先を震わせる。
―――私は、嘗てここで殺された男の人がいたことを知っているからだ。
けれど、度重なる城からの督促もあり、私は4日後に宮廷に戻らざるを得なくなった。
やはりあの約束は口先だけのものだったのだろうかと肩を落とした。
だけど、数日後、彼は本当に私の元に訪れた。驚いた事に、グレイが訪れた場所は、借りているあの屋敷ではなく私の住まう宮廷だったのだ。
かつて母の住まいであった白い棟のテラスで、いつも通りの一日を、ただいつも通りに過ごした私は、それでも、決して二度とは訪れない今日という日にありったけの感謝と祈りを込めて思いの丈を歌い終えた。そんななんでもないような静かな夕暮れだった。
その時、一瞬の強風が吹き木々を騒めかせた。まるで揺れて戯れに踊るように舞う一枚の葉を、まだ歌の余韻が残る潤んだ瞳で追うと、私はその途中で目を見開き、唇を開いた。
(まさか……、でも……)
『グレイ……?』そう、まるで待ち人を呼ぶかのように、自然に私は彼の名を口にした。徐々に目が慣れて鮮明になる姿。夕闇が支配し始めた薄く青く徐々に深まる夜空と森を背景にそこに佇む逞しい人影は、現実のものではないのではないかと思うほどに美しかった。だけど、そんな私の問いかけに対する彼からの答えは得られない。
やはり幻かと見紛うほど、動かずこちらを見つめたまま美しく佇む姿と、同じように私もまた固まったように彼を見つめていた。
それは舞踏会の日から、七日の後の事だった。
消えない人影をどのくらいそうして見つめていただろう。その動かぬ彼を現実のものだと理解した私は、ハッとして問いかけた。
『やはり、グレイなのですね?どっ、どうしてここが……、あっ、ここでは……今、下を開けますからっ、少しだけお待ち下さい……』
焦った私はテラスから身を乗り出して、そう彼に告げた。
『い、いい……』
そう言った瞬間、固まっていた彼の身体もようやく、焦ったように動き出した。
『で、でも……』
私たちは、上と下で見つめ合う。
相変わらずの彼の瞳の美しさに改めて感嘆するも、焦る気持ちで、踵を返そうと口を開いた。
『あのっ、鍵がかかっている下の扉しか、ここへの出入り口はありませんの、だから…』
(そこで待っていてください)
そう続けようとした。
心の中で『だから、どこにも行かないで』と念じるように。
だけど、私はその言葉を最後まで口にする事が出来なかった。
その言葉を口にするよりもずっと早く、一瞬の動きでグレイは棟のテラスの横にある大木の枝に移動したからだ。正確に言えば、凄い跳躍力で一本の高い木の枝に手をかけた男は、その枝を一回転して弾みをつけて、その更に上にある枝に着地したのだ。
未だ揺れさえも残る枝にしなやかに立つ肢体。
(……え?)
人間技とは思えない動きに目を瞬かせた私が次の声をだすよりも先に、今度はトンと着地する音と共に、私の前に立ちはだかっていた大きな人影。
あまりに近いので恐る恐る、存在を確かめるようにその姿を見上げる。
悪戯に小さく笑う薄い唇、そして薄い闇の中で光を放つように煌くグリーンの瞳。
(やはり、彼だ…。間違いない…)
そう思った瞬間に、私は大きな何かに包まれていた。
『え……? あの…………』
ほのかな温かさと、固いのにしなやかな身体。フワリと香る独特の匂い。あの日の男に今抱きしめられているのだと、ようやく頭を巡らせる、そんな私を揶揄うように、私の顔を覗き込んだ男は口角を挙げた。
『どうだ?跳躍力には自信があるぞ……、こんな細い体なら、どこにいても浚ってやれるが?』
そういって、腰に這わされた大きな手。
だけど、そんな冗談にハッとして、一瞬で顔を青くした私はキョロキョロと落ち着きなく外を見渡した。
(まずい……)
この状況はとてもまずいのだ。
『どうか、早く中に、こんなところを誰かに見つかったら……』
バクバクと心臓が嫌な音をたてる。
一瞬忘れそうになっていた過去の忌まわしい出来事が脳裏を支配して小刻みに私の指先を震わせる。
―――私は、嘗てここで殺された男の人がいたことを知っているからだ。
0
お気に入りに追加
33
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
会うたびに、貴方が嫌いになる
黒猫子猫(猫子猫)
恋愛
長身の王女レオーネは、侯爵家令息のアリエスに会うたびに惹かれた。だが、守り役に徹している彼が応えてくれたことはない。彼女が聖獣の力を持つために発情期を迎えた時も、身体を差し出して鎮めてくれこそしたが、その後も変わらず塩対応だ。悩むレオーネは、彼が自分とは正反対の可愛らしい令嬢と親しくしているのを目撃してしまう。優しく笑いかけ、「小さい方が良い」と褒めているのも聞いた。失恋という現実を受け入れるしかなかったレオーネは、二人の妨げになるまいと決意した。
アリエスは嫌そうに自分を遠ざけ始めたレオーネに、動揺を隠せなくなった。彼女が演技などではなく、本気でそう思っていると分かったからだ。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
冷たかった夫が別人のように豹変した
京佳
恋愛
常に無表情で表情を崩さない事で有名な公爵子息ジョゼフと政略結婚で結ばれた妻ケイティ。義務的に初夜を終わらせたジョゼフはその後ケイティに触れる事は無くなった。自分に無関心なジョゼフとの結婚生活に寂しさと不満を感じながらも簡単に離縁出来ないしがらみにケイティは全てを諦めていた。そんなある時、公爵家の裏庭に弱った雄猫が迷い込みケイティはその猫を保護して飼うことにした。
ざまぁ。ゆるゆる設定
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる