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私は数日間、なにかと理由をつけて仮住まい先の館に留まった。
けれど、度重なる城からの督促もあり、私は4日後に宮廷に戻らざるを得なくなった。

やはりあの約束は口先だけのものだったのだろうかと肩を落とした。
だけど、数日後、彼は本当に私の元に訪れた。驚いた事に、グレイが訪れた場所は、借りているあの屋敷ではなく私の住まう宮廷だったのだ。

かつて母の住まいであった白い棟のテラスで、いつも通りの一日を、ただいつも通りに過ごした私は、それでも、決して二度とは訪れない今日という日にありったけの感謝と祈りを込めて思いの丈を歌い終えた。そんななんでもないような静かな夕暮れだった。

その時、一瞬の強風が吹き木々を騒めかせた。まるで揺れて戯れに踊るように舞う一枚の葉を、まだ歌の余韻が残る潤んだ瞳で追うと、私はその途中で目を見開き、唇を開いた。

(まさか……、でも……)

『グレイ……?』そう、まるで待ち人を呼ぶかのように、自然に私は彼の名を口にした。徐々に目が慣れて鮮明になる姿。夕闇が支配し始めた薄く青く徐々に深まる夜空と森を背景にそこに佇む逞しい人影は、現実のものではないのではないかと思うほどに美しかった。だけど、そんな私の問いかけに対する彼からの答えは得られない。
やはり幻かと見紛うほど、動かずこちらを見つめたまま美しく佇む姿と、同じように私もまた固まったように彼を見つめていた。

それは舞踏会の日から、七日の後の事だった。

消えない人影をどのくらいそうして見つめていただろう。その動かぬ彼を現実のものだと理解した私は、ハッとして問いかけた。

『やはり、グレイなのですね?どっ、どうしてここが……、あっ、ここでは……今、下を開けますからっ、少しだけお待ち下さい……』

焦った私はテラスから身を乗り出して、そう彼に告げた。

『い、いい……』

そう言った瞬間、固まっていた彼の身体もようやく、焦ったように動き出した。

『で、でも……』

私たちは、上と下で見つめ合う。
相変わらずの彼の瞳の美しさに改めて感嘆するも、焦る気持ちで、踵を返そうと口を開いた。

『あのっ、鍵がかかっている下の扉しか、ここへの出入り口はありませんの、だから…』

(そこで待っていてください)

そう続けようとした。
心の中で『だから、どこにも行かないで』と念じるように。

だけど、私はその言葉を最後まで口にする事が出来なかった。

 その言葉を口にするよりもずっと早く、一瞬の動きでグレイは棟のテラスの横にある大木の枝に移動したからだ。正確に言えば、凄い跳躍力で一本の高い木の枝に手をかけた男は、その枝を一回転して弾みをつけて、その更に上にある枝に着地したのだ。

未だ揺れさえも残る枝にしなやかに立つ肢体。

(……え?)

人間技とは思えない動きに目を瞬かせた私が次の声をだすよりも先に、今度はトンと着地する音と共に、私の前に立ちはだかっていた大きな人影。

あまりに近いので恐る恐る、存在を確かめるようにその姿を見上げる。
悪戯に小さく笑う薄い唇、そして薄い闇の中で光を放つように煌くグリーンの瞳。

(やはり、彼だ…。間違いない…)

そう思った瞬間に、私は大きな何かに包まれていた。

『え……? あの…………』

ほのかな温かさと、固いのにしなやかな身体。フワリと香る独特の匂い。あの日の男に今抱きしめられているのだと、ようやく頭を巡らせる、そんな私を揶揄うように、私の顔を覗き込んだ男は口角を挙げた。

『どうだ?跳躍力には自信があるぞ……、こんな細い体なら、どこにいても浚ってやれるが?』

そういって、腰に這わされた大きな手。
だけど、そんな冗談にハッとして、一瞬で顔を青くした私はキョロキョロと落ち着きなく外を見渡した。

(まずい……)

この状況はとてもまずいのだ。

『どうか、早く中に、こんなところを誰かに見つかったら……』

バクバクと心臓が嫌な音をたてる。
一瞬忘れそうになっていた過去の忌まわしい出来事が脳裏を支配して小刻みに私の指先を震わせる。

―――私は、嘗てここで殺された男の人がいたことを知っているからだ。
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