★駅伝むすめバンビ

鉄紺忍者

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【第7話 チームの力学】2037.09

(番外編) エリカ vs 蓮李

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二神ふたがみ蓮李れんり——。
その選手の名前を、私は誰かに教えられるまでもなく察知した。

初めて彼女と走った時、声を失うほどに強烈な劣等感を抱いたのを、今でもよく覚えている。「上には上がいる」とか、もはやそういった次元の話ではなくて。彼女は、私が元来持ち合わせていない何かを持っていると直感したのだ。

* * *

「ごめんね、エリカちゃん。日曜日にわざわざ。剣道部の練習もあるのに」
「いえ、これも稽古の一環ですから」

高校2年の秋のことだ。駅伝の大会がある日だけ、助っ人として招集されていた。駅伝部には籍だけ置かされている、いわゆる幽霊部員である。

当時の駅伝部のキャプテンは、父と仕事で関わりのある人物の娘さんにあたり、断るわけにもいかなかった。

それに捉えようによっては、これは剣道のための体力と下半身の強化になる。たまにはいいかな、ぐらいに思っていた。

金沢白水はくすい高校は石川県トップの進学校で、ほぼ全生徒が予備校に通っていることから、どこの運動部も慢性的な人数不足に悩まされていた。それはエリカのいる剣道部も例外ではなく、先輩たちはゴールデンウィーク明け早々に引退してしまい、ついに今年は、団体戦の出場すら断念せざるをえなくなった。

その代わりというわけではないが、先月10月に助っ人として走った県駅伝で、チームは運良く3位という成績を収め、その上位の大会である北信越高校駅伝にも出場することになった。

エリカはいつも一番長い「1区」を任される。県駅伝の際も、エリカが1区で後ろに1分19秒差をつけてトップでタスキリレーし、アンカーまで3位で耐えた形だった。

今回もまた、競技場のトラックのスタートラインに立つ。さすが北信越大会ともなると、応援の気合の入りようがどこも段違いだ。
ほら、あそこなんて、スタンドに横断幕まで用意されている。
しかも選手の名前入り。長くとも三年間しか使えないだろうに。ずいぶん熱心な学校だ。

「頂点へ挑め! 佐久東高校・二神蓮李」

いやはや。もしも自分があんな横断幕を掲げられたら、ありがた迷惑だな。エリカは感心すると同時に冷めた気持ちで傍観した。
実際その二神蓮李とやらは、これを見て恥ずかしくならないのだろうか。

どんな顔をしているのか、見てやろう。エリカは少し意地悪な気持ちでそう思った。

隣に、長身の選手が現れた。付き添いの生徒に促され、彼女がギリギリまで身体を温めていたベンチコートを脱ごうとした瞬間、エリカは「まさか」と思った。ユニフォームの胸元に「佐久東高校」の文字があらわになったのだ。

(この人が、二神蓮李……)

スタート前のコールが始まる。

『神宮寺エリカさん、金沢白水高校2年、石川県代表』

名前をアナウンスされ、エリカはとりあえず陸上部式の作法にのっとり、作業的に右手を挙手、それからその手を下ろし、軽くお辞儀した。初めてやるものでもないから、なんてことはない。

『二神蓮李さん、佐久さくひがし高校3年、長野県代表』

すると、スタンド席の大応援団がわいた。あの人数、たぶん控え選手や親御さんのほかに卒業生なども応援に来ているのだろう。エリカはまたも冷笑した。

二神蓮李は、陸上部式の挨拶の後で、たくさんの声援を送っているスタンドに向かって大きく両手を振り返していた。ずいぶんと余裕だ。

ただ、余裕という意味ではエリカも同じはずだった。小学3年生の頃に憧れた、椿つばきさんというランナーがいた。一度は同じ道を夢見たのだが、椿さんの突然の失踪と同時に、エリカの走ることに対する熱意も絶たれた。だから、今さら緊張も何もないのだ。

人数合わせ以上の期待をされてしまってはいるが、実のところ、チームの勝ち負けはどうでもよかった。エリカにとっては「たかが駅伝」、もはや剣道の稽古の息抜きでしかなくなっていた。

だが、二神蓮李は全てがエリカとは違っていた。みんなの期待を一身に背負い、それでいて「これからわたくしのパフォーマンスを披露しますのでどうぞ楽しんでいってください」とでも言うような、何かそういった振る舞いに見えた。

(そんなに自信たっぷりってことは、さぞお速いのでしょうね?)

ちょうどいい。エリカはこの二神蓮李をマークして走ることに決めた。しかしその目論見は、スタートのピストルが鳴ってすぐに崩された。

一斉に走り出す。気がついた時には、二神蓮李の姿は集団のどこにもいなくなっていた。

エリカは目を疑った。なんと彼女は、まるで短距離選手のようなスタートダッシュで、すでに第1コーナーを曲がろうとしていたのだ。ワケがわからなかった。

北信越高校駅伝は、最初に場内のトラックを一周してから道路へと出ていく。ゲートを出るまでに、なんとかその差を詰めて追いついた。他の選手は誰も二神蓮李を追うことはしなかった為、先頭争いはエリカと彼女の二人だけになった。

(おい、今日は私が後ろにいるぞ)

いつもは当然のごとくトップを独走しているのかもしれないが、存在を知らしめてやるように、横にくっついて走る。

しかし、全く相手にされていない。
彼女の視線はまっすぐ前を向いたまま動かなかった。まるでエリカの存在など気づいていないかのように。

1キロの看板を通過する。腕時計でラップを確認する——2分55秒だった。

青ざめた。こんなハイペースで6キロも走れるわけがない。やっていられるか。エリカはこの馬鹿馬鹿しいチキンレースから降りた。

しかしながら、その後も二神蓮李は、自分一人でタイムトライアルをしているみたいにどんどんと前へ行ってしまった。

後ろから見ていて、リズムが全く違う。
ビューン、ビューン、ビューンと、彼女がダイナミックに地面を蹴るたび、差はみるみる開いていった。165センチほどはあるだろうか、その長身に備わっている全身の骨と筋肉が、ただ彼女を速く走らせるためだけに連動していた。エヴァンゲリオンみたいだった。

1区6キロ、エリカのフィニッシュタイムは19分2秒。
一応このコースの区間記録を上回るタイムだそうで、のちに掲示板に張り出された記録の横には「新」というマークが付けられていた。

一方、二神蓮李は18分15秒。
一体どんなラップで刻んだらそんなタイムになるんだ。後半は登りもあったではないか。おかしいだろう。
それはもう、驚異的なんて言葉では言い表しきれないようなタイムだった。

走り終わったエリカは、肩を上下させて必死に酸素を取り込もうとするのだが、いっこうに息が戻らなかった。こんなことは珍しい。
力尽き、フラフラとよろけ、その場に倒れ込むしかなくなった。

その時、「急げば間に合うかな?」と聞こえた気がした。見ると、それはどうやら二神蓮李の声だった。

(えっ、どこへ行くの?)

信じられないことに彼女は、残りの区間の仲間を応援するため、付き添いのチームメイトと共に、楽しそうにそのまま脇道のほうへ走っていってしまったのだ。

(ああああぁ。6キロを! 18分15秒で走った直後に! 笑っている! また走っている!)

他のランナーを見て「怖い」なんて感情を抱いたのは、後にも先にもこの時だけだった。奥歯がカチカチと震えた。頬から首筋、肩から腕まで、しばらくずっと寒気が止まらなかった。

(人間じゃない、アレは化け物だ……!)

エリカが高校時代、唯一負けた相手。大学生の頂点を決める日本インカレで、もうじき彼女と再び対峙する。
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