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【1区 9.0km 池田 朝陽(2年)】
⑤ 風穴
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『さあ、デルフィ大学の黒田、さすがに終盤になって表情も険しくなりました。高梨さん、ここまでの黒田の走り、どうご覧になっていますか?】
「はい。池田さんが離れ、単独走になってからも、速いペースで押し続けられるというのは力がある証拠なんですね。よく頑張りました。デルフィ大学の滝野監督いわく『やればできる子』。注目されるほど力を発揮するタイプというお話をされていました。今日は1号車のカメラを独り占めして、もうノリノリなんじゃないでしょうか」
【序盤に集団が膠着状態となり、例年とはまた違った展開になったかと思われたんですが、結果的には去年の再現のような、一人勝ちの展開になりましたね?】
「はい。これは次を走るルーキーの西出さんにも勇気を与えますね」
【さあ、ついに黒田がタスキに手を掛けました。いよいよラストスパートです! それではタスキリレーの様子、伝えてもらいましょう。第1中継所、リポートお願いします】
「はい。前回、ローズ大学が1区から一度もトップを譲らない『完全優勝』を成し遂げてから一年。今年、最初に飛び込んできたのは、デルフィ大学の青のユニフォームでした。素晴らしい快走を見せました黒田、去年逃した区間賞を獲得するのは、もう間違いありません! 3年生・黒田涼子から、1年生・西出玲奈に、いまデルフィ大学トップでタスキリレーッ!」
立花はテレビ中継のテロップを確認する。速報タイムは29分16秒。序盤のスローペースがあったから区間記録からは1分ほど遅いタイムだが、タイム以上に強さの光るレース運びだった。終盤の3キロだけであれよあれよと差を広げられてしまった。
朝陽が順位を落としたことで、アイリスの監督車は道を開けて減速している。中継所の様子は、テレビ放送のほうがよくわかる。しばらくは、また画面に目を落としたままになりそうだ。
「さぁそして、続いて姿を現すのは、前回の準優勝校、デイジー大学です。3区5区には双子のエース三浦姉妹が控えています。まず1区好調な滑り出しとなりそうです。3年生・中村から、同じく3年生・岩田にタスキが渡りました。先頭からは30秒の差」
第1中継所は「本牧漁業組合前」の信号のところ、国道357号線の直線道路を最後に走ってくる。その後ろはネモフィラ大学、ジャスミン大学と続いたが、アイリスの藍色のユニフォームがまだ見えてこない……。
「3位のネモフィラが39秒差、そのあとも続々と駆け込んできます」
いや、来ているぞ、朝陽だ。走りはフラフラだが、思ったより離されずに粘っていた。
「続いて4位のジャスミンが42秒差で行きました。2年生・月澤奈波から、3年生・藤井実咲、副キャプテンへとタスキが渡りました。そして5位でやってきたのは、初出場のアイリス女学院大学です」
「朝陽ちゃん、ラストファイト~!」
朝陽を呼び込む心枝の姿が映し出された。我が校の記念すべきみなと駅伝初リレーだ。
「池田朝陽から二神心枝へ、2年生同士のタスキリレーです。トップからは53秒の差。池田、今コースに向かって一礼をして、あーっと倒れそうになりました。脚は大丈夫でしょうか」
こんな状況でも、朝陽は倒れそうになったのをこらえた。
実は練習の時から、倒れ込む癖をつけないよう再三言ってきた。倒れ込みながら中継所に駆け込めば「出し切った感」は出る。現地の観客や、テレビ中継の視聴者だって、そんな彼女の姿を見て賞賛することだろう。
しかし、長距離走として本当に1秒を大事にするのなら、タスキを渡すその瞬間まできちんと自分の足で立てるようなペース配分をしなければならない。やり切った感、頑張っている感を見せるためにチームの大事な1秒を使うな。厳しい言い方をすれば、そういうことだ。
これを共通認識にしておくことで、なんで頭から行かないんだ、とチームメイトから見当違いな叱責が飛ぶこともなくなる。飛び込んでもそれほど速くならないどころか、怪我のリスクも上がるという点では、野球の一塁へのヘッドスライディングとも共通点があるかもしれない。
女子選手の場合は特に、倒れている無防備な姿を狙って写真を撮ろうとする悪い大人もいる。そういう輩の餌食になることを防ぐ意味でも、せめて指導者は、倒れ込まないことを推奨する必要がある。
(約束、ちゃんと守ってくれているじゃないか)
正直あの足の状態ではやむを得ないとも思っていたが、練習からの積み重ねが、朝陽の本能にしっかり叩き込まれていた。
◇
朝陽はやるせない気持ちに襲われていた。自分に対する失望と、仲間に対する申し訳なさが混じり合い、目の前がぼんやりと霞んだ。
「私、何位でしたか?」
走り終わった後、走路員にタオルをかけられ、寮母の咲月さんが中継所のテントまで連れてきてくれた。順位を聞いてすぐ、朝陽は落胆した。
「自分でわかってなかったの。5位だよ、5位」
(や、やらかした……)
電話をしている咲月さんを外に残し、朝陽は一人、シートで覆われた広いテントの中へと入った。走り終えた選手たちがタオルで汗を拭き、様々な喜怒哀楽を溢れ返らせていた。朝陽が突っ立っているうちにも、後続の選手がどんどん入ってくる。
「脚、大丈夫だった?」
声のほうを振り返ると、黒田さんだった。
「はい、なんとか」
不思議だった。ラスト1キロでしばらく痛みが引いた瞬間があったのだ。望月コーチの声かけにイラついて、良い意味で気が散ったのかもしれない。
「急にいなくなったからさ、『あれっ?』と思って。走り切れてよかったね、ナイスファイト」
「あ、ありがとうございました」
黒田さんのチームメイトが「玲奈映ってる!」と呼んだので、黒田さんは「じゃあね」と言って、テントを飛び出していった。外にはテレビ放送を映す巨大スクリーンがあって、レースの戦況が見られるようになっている。
咲月さんはまだ外で電話中。相手はたぶん監督車の立花監督だろう。咲月さんはこの後、6区で待機している柚希のところへ移動するという話にどうやらなったらしい。なんとなく聞き耳を立てていたら、外に見えていたシルエットが歩き出して、テントの入り口で顔を出した。
「いま監督と電話繋がってるけど。朝陽、話す?」
走り終わったばかりで息も切れ切れ。けど、申し訳ない気持ちでいっぱいだったから、とにかく謝ろうと電話を受け取った。
「代わりました、朝陽です」
「おつかれ様。いやー、さすがに予想外の展開だったよ」
「ホントすみません、勝手な行動して」
「何言っているんだ、作戦を任せるって言ったのは俺だぞ」
「でも……」
「あれでよかったんだよ」
(えっ?)
「あのままスローならローズ大学が有利だったけど、朝陽の飛び出しが、目論み通りの展開にさせなかった」
朝陽がまだ集団にいた時にマークしていた、ローズ大の佐伯さん。あの後、どうなったんだろう。そんなことを考えていると、ちょうど佐伯さんが付き添いの人と一緒にテントに入ってきた。タオルを頭から被って、泣いている。
「ゴメン……。本当にゴメン……!」
「先輩泣かないでください、薫先輩がきっと逆転してくれますって」
何があったのだろう。朝陽は小声で立花監督に聞いた。
「あの。ローズ大学っていま何位なんですか」
「……14位だそうだ」
口と目が同時にかっ開いた。声にならない驚きだ。確かに思い返してみても、赤いユニフォームに抜かれた覚えはおそらくなかったように思う。
「6キロ過ぎの新山下橋だったかな。3位集団が一気にペースアップしたんだ。多分、朝陽を抜けると思ったんだろうな。佐伯さんはおそらくラスト400とか短いスパートで決着をつけるはずだったんだろうが、中継所までまだ2キロ以上残っている位置からロングスパート合戦が始まって、動揺があったのかもしれない。この状況を作ったのは朝陽、お前だ」
「え、私ですか……」
「朝陽の勇気ある飛び出しが、ローズとジャスミンの2強対決に風穴を空けたんだよ。ま、正直ヒヤヒヤしたけどな。よく区間5位で踏みとどまった。お疲れさん。しっかりケアしてな」
駅伝って、不思議なスポーツだ。集団を飛び出した。黒田さんにまたやられた。5位に落ちた。個人の結果だけ振り返ったら散々だけど。それを褒められている。
いったん外に出ていた咲月さんがまた戻ってきた。
「ねぇ、心枝が映ってるよ」
「ホントですか」
それを聞いて、朝陽は慌ててテントを飛び出し、中継所に設置されている大型ビジョンが見える位置まで移動した。そこには、さっき朝陽が渡したタスキを着けて走るチームメイトの姿が映し出されていた。
「3位まで追いつきそうだってさ」
(うわあああ。マジで助けられた。ありがとう、心枝)
「はい。池田さんが離れ、単独走になってからも、速いペースで押し続けられるというのは力がある証拠なんですね。よく頑張りました。デルフィ大学の滝野監督いわく『やればできる子』。注目されるほど力を発揮するタイプというお話をされていました。今日は1号車のカメラを独り占めして、もうノリノリなんじゃないでしょうか」
【序盤に集団が膠着状態となり、例年とはまた違った展開になったかと思われたんですが、結果的には去年の再現のような、一人勝ちの展開になりましたね?】
「はい。これは次を走るルーキーの西出さんにも勇気を与えますね」
【さあ、ついに黒田がタスキに手を掛けました。いよいよラストスパートです! それではタスキリレーの様子、伝えてもらいましょう。第1中継所、リポートお願いします】
「はい。前回、ローズ大学が1区から一度もトップを譲らない『完全優勝』を成し遂げてから一年。今年、最初に飛び込んできたのは、デルフィ大学の青のユニフォームでした。素晴らしい快走を見せました黒田、去年逃した区間賞を獲得するのは、もう間違いありません! 3年生・黒田涼子から、1年生・西出玲奈に、いまデルフィ大学トップでタスキリレーッ!」
立花はテレビ中継のテロップを確認する。速報タイムは29分16秒。序盤のスローペースがあったから区間記録からは1分ほど遅いタイムだが、タイム以上に強さの光るレース運びだった。終盤の3キロだけであれよあれよと差を広げられてしまった。
朝陽が順位を落としたことで、アイリスの監督車は道を開けて減速している。中継所の様子は、テレビ放送のほうがよくわかる。しばらくは、また画面に目を落としたままになりそうだ。
「さぁそして、続いて姿を現すのは、前回の準優勝校、デイジー大学です。3区5区には双子のエース三浦姉妹が控えています。まず1区好調な滑り出しとなりそうです。3年生・中村から、同じく3年生・岩田にタスキが渡りました。先頭からは30秒の差」
第1中継所は「本牧漁業組合前」の信号のところ、国道357号線の直線道路を最後に走ってくる。その後ろはネモフィラ大学、ジャスミン大学と続いたが、アイリスの藍色のユニフォームがまだ見えてこない……。
「3位のネモフィラが39秒差、そのあとも続々と駆け込んできます」
いや、来ているぞ、朝陽だ。走りはフラフラだが、思ったより離されずに粘っていた。
「続いて4位のジャスミンが42秒差で行きました。2年生・月澤奈波から、3年生・藤井実咲、副キャプテンへとタスキが渡りました。そして5位でやってきたのは、初出場のアイリス女学院大学です」
「朝陽ちゃん、ラストファイト~!」
朝陽を呼び込む心枝の姿が映し出された。我が校の記念すべきみなと駅伝初リレーだ。
「池田朝陽から二神心枝へ、2年生同士のタスキリレーです。トップからは53秒の差。池田、今コースに向かって一礼をして、あーっと倒れそうになりました。脚は大丈夫でしょうか」
こんな状況でも、朝陽は倒れそうになったのをこらえた。
実は練習の時から、倒れ込む癖をつけないよう再三言ってきた。倒れ込みながら中継所に駆け込めば「出し切った感」は出る。現地の観客や、テレビ中継の視聴者だって、そんな彼女の姿を見て賞賛することだろう。
しかし、長距離走として本当に1秒を大事にするのなら、タスキを渡すその瞬間まできちんと自分の足で立てるようなペース配分をしなければならない。やり切った感、頑張っている感を見せるためにチームの大事な1秒を使うな。厳しい言い方をすれば、そういうことだ。
これを共通認識にしておくことで、なんで頭から行かないんだ、とチームメイトから見当違いな叱責が飛ぶこともなくなる。飛び込んでもそれほど速くならないどころか、怪我のリスクも上がるという点では、野球の一塁へのヘッドスライディングとも共通点があるかもしれない。
女子選手の場合は特に、倒れている無防備な姿を狙って写真を撮ろうとする悪い大人もいる。そういう輩の餌食になることを防ぐ意味でも、せめて指導者は、倒れ込まないことを推奨する必要がある。
(約束、ちゃんと守ってくれているじゃないか)
正直あの足の状態ではやむを得ないとも思っていたが、練習からの積み重ねが、朝陽の本能にしっかり叩き込まれていた。
◇
朝陽はやるせない気持ちに襲われていた。自分に対する失望と、仲間に対する申し訳なさが混じり合い、目の前がぼんやりと霞んだ。
「私、何位でしたか?」
走り終わった後、走路員にタオルをかけられ、寮母の咲月さんが中継所のテントまで連れてきてくれた。順位を聞いてすぐ、朝陽は落胆した。
「自分でわかってなかったの。5位だよ、5位」
(や、やらかした……)
電話をしている咲月さんを外に残し、朝陽は一人、シートで覆われた広いテントの中へと入った。走り終えた選手たちがタオルで汗を拭き、様々な喜怒哀楽を溢れ返らせていた。朝陽が突っ立っているうちにも、後続の選手がどんどん入ってくる。
「脚、大丈夫だった?」
声のほうを振り返ると、黒田さんだった。
「はい、なんとか」
不思議だった。ラスト1キロでしばらく痛みが引いた瞬間があったのだ。望月コーチの声かけにイラついて、良い意味で気が散ったのかもしれない。
「急にいなくなったからさ、『あれっ?』と思って。走り切れてよかったね、ナイスファイト」
「あ、ありがとうございました」
黒田さんのチームメイトが「玲奈映ってる!」と呼んだので、黒田さんは「じゃあね」と言って、テントを飛び出していった。外にはテレビ放送を映す巨大スクリーンがあって、レースの戦況が見られるようになっている。
咲月さんはまだ外で電話中。相手はたぶん監督車の立花監督だろう。咲月さんはこの後、6区で待機している柚希のところへ移動するという話にどうやらなったらしい。なんとなく聞き耳を立てていたら、外に見えていたシルエットが歩き出して、テントの入り口で顔を出した。
「いま監督と電話繋がってるけど。朝陽、話す?」
走り終わったばかりで息も切れ切れ。けど、申し訳ない気持ちでいっぱいだったから、とにかく謝ろうと電話を受け取った。
「代わりました、朝陽です」
「おつかれ様。いやー、さすがに予想外の展開だったよ」
「ホントすみません、勝手な行動して」
「何言っているんだ、作戦を任せるって言ったのは俺だぞ」
「でも……」
「あれでよかったんだよ」
(えっ?)
「あのままスローならローズ大学が有利だったけど、朝陽の飛び出しが、目論み通りの展開にさせなかった」
朝陽がまだ集団にいた時にマークしていた、ローズ大の佐伯さん。あの後、どうなったんだろう。そんなことを考えていると、ちょうど佐伯さんが付き添いの人と一緒にテントに入ってきた。タオルを頭から被って、泣いている。
「ゴメン……。本当にゴメン……!」
「先輩泣かないでください、薫先輩がきっと逆転してくれますって」
何があったのだろう。朝陽は小声で立花監督に聞いた。
「あの。ローズ大学っていま何位なんですか」
「……14位だそうだ」
口と目が同時にかっ開いた。声にならない驚きだ。確かに思い返してみても、赤いユニフォームに抜かれた覚えはおそらくなかったように思う。
「6キロ過ぎの新山下橋だったかな。3位集団が一気にペースアップしたんだ。多分、朝陽を抜けると思ったんだろうな。佐伯さんはおそらくラスト400とか短いスパートで決着をつけるはずだったんだろうが、中継所までまだ2キロ以上残っている位置からロングスパート合戦が始まって、動揺があったのかもしれない。この状況を作ったのは朝陽、お前だ」
「え、私ですか……」
「朝陽の勇気ある飛び出しが、ローズとジャスミンの2強対決に風穴を空けたんだよ。ま、正直ヒヤヒヤしたけどな。よく区間5位で踏みとどまった。お疲れさん。しっかりケアしてな」
駅伝って、不思議なスポーツだ。集団を飛び出した。黒田さんにまたやられた。5位に落ちた。個人の結果だけ振り返ったら散々だけど。それを褒められている。
いったん外に出ていた咲月さんがまた戻ってきた。
「ねぇ、心枝が映ってるよ」
「ホントですか」
それを聞いて、朝陽は慌ててテントを飛び出し、中継所に設置されている大型ビジョンが見える位置まで移動した。そこには、さっき朝陽が渡したタスキを着けて走るチームメイトの姿が映し出されていた。
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