媛彦談《ひめひこだん》

テジリ

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惹この章

神鳴り山

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 にいさまは、前を歩くハイタークの背負子に腰掛けておられる。うちはそのお姿を目で追いながら、必死に山道を登り続けていた。

あゝ口惜しや。寵姫に扮したままでは虫刺されが危ぶまれる故、平素と変わらぬ装束へお戻しに。それにしてもにいさま、たといどんな格好でも、どこで何をされていようと、なんてお美しいんでしょう。

「遅いぞハイターク。揺れで酔わぬ程度にさっさと歩かぬか」

「いえしかし、後ろのタマル冠が遅れて道迷いでもしてしまっては……」

「迷わなければ良いのだろう。タマル冠、木々に(※ハイタークが)道しるべを刻む故、見落とさずついて参れよ」

そんな、うちはにいさまのお姿を拝見しながら登りたいのに。でもうちの為に目印を刻む、にいさまを想像すると感極まる。なんと慈悲深いお心遣いでありましょうや。

遅れることしばらく、うちは道しるべを頼ってにいさまを追い求め、息も絶え絶えながら、道中拾った棒で杖をつき、どうにかこうにか頂上までたどり着いた。
はてさて、にいさま。いずこへいらっしゃいます。おや、先のヒイナがバテておるわ。

「ぜーはー……ぜーはー……もう歩けにゃい。ひいなくたくた……帰りは長上おさがみがおんぶして、匪躬ひきゅうは視界が高すぎて怖いの。また蜂の巣があったらやだやだやだ~」

「下りは楽だぞ。どうしても無理なら仕方ないが」

 長上おさがみが差し出した竹水筒を、すっと現れたにいさまが、さっと奪い取り飲み干した。じつに賢い、まこと理にかなっております。確実な不利益を敵に与え、毒を盛られるおそれもない。

「意地汚い戴冠タイカンめ。最年少のひめですらそんな振る舞いはしなかったぞ」

「当然だろう。われ戴冠タイカン、そちのひめでも何でもないからな」

「終始ハイタークに背負われていた癖に。そこまでして飲み水が必要なのか、まあよいわ。と共用になるが、ひいなも飲め」

まったく、腹立たしいくらい用意のいいこと。いや待てい、うちも竹水筒を携えておけば、にいさまからお褒めに浴する栄誉が叶ったのではあるまいか。
しかも一つだけなら実質口移し……ううむ、後学のため覚えておかねば。

「なあ戴冠タイカン、何をするにも体力は必要だろ。その点縄跳びは都合が良い。出来れば走りたいのだが、不測の怪我と警備上の問題で留守役るすやくから止められていてな。今回の件でどうにか説得できればな~」

「くくくっ、それには同意する。もう少し脚の遅ければ、ハイタークが息の根を止めただろうに。まったく命拾いしたのう。――ほれ見いや、これがお目当ての石くれだ」

にいさまはそう仰いながら、この神鳴り山名物の、磁石石じしゃくせきを手ずからお渡しになった。

「ああこれが。思ったより占領統治に手こずってしまったから、ようやく見れたな」

「そうだろう、そうだろう。サルヌリ朝の民共は、とにかく臆病で怠け者だからな。何かあればすぐ山へ逃げる。盛大に感謝せよ。われが来なければ、いつまで経っても待ちぼうけだ」

「まあな、あやぎり朝とはあまりに気質が違いすぎる。――何かあったらヒイナのせい。大の大人が揃いも揃って、口々に泣き言や暴言を浴びせる様は正直ぞっとした。あんなのが地続きになって、街中を闊歩したらと思うと気が滅入るのなんの……あやぎり朝に繋がる関所も、前以上に厳格化した位だ」

あれえ、長上おさがみも意外と気が小さいのだな。なれば幾らでも見習うがよい。にいさまはサルヌリ朝きっての素晴らしき指導者なのだから。

「そうか、やはりわれらは気が合うな。お義兄様と呼べ。名族の血を与えてやる」

「調子に乗るな、この雑魚が」

なんと無礼な長上おさがみめ、にいさまに向かって何を言うか。

「なんだと、戴冠タイカンを愚弄するか」

おうおう、言っておやりハイターク。実力行使もよいぞ。

「やめよハイターク。お前如きが口を挟むでない。――やや、そういえば。そちは確かタマル冠を、憎からず想うておったよなあ、愛する妹だとか余計な一言抜かして」

ななっ、今なんと仰いましたか。にいさま、うちは虫唾が走りました。

「滅相もない。私如き無骨者、貴人方には相応しくも何ともございません」

「当たり前だろう。貴人は貴人同士番うべきなのだから」

にいさま、左様でございます。うちも極一瞬だけ見直して、大損を被りました。不心得なハイタークなど、もっともっと、殊更に懲らしめておやりになって。

「実に憐れでひとりぼっちな我が妹よ。戴冠タイカン命令だ。あやぎり朝に嫁げ。婚資に神鳴り山とその麓を付けてやる」

無論です。にいさま、うちはよろこんで従います。

「これで不満は無いな。代わりに兵を引き上げよ、長上おさがみ

「ハイタークが落とした砦はどうなる」

「即刻返そう。……にしてもつまらんなー、せっかくひと月も猶予をくれてやったのに。古ビイナは穢らわしいから分からんでもないが、タマル冠とさえ何もないのか」

「あいにくだったな。そういう相手はひめ霧彦きりひこに限っている。ただ最近、わりと霧彦きりひこさえいれば良いような気がしてならんのだ。関係各所と折合いがつけば、ひめはまた実家に帰すつもりだ。維持費も莫迦にならないし」

「たはははっ、何だそれは。とんでもない冷血漢だな、益々仲良くなれそうだ」

あらまあ、長上おさがみにそこまで言わせるとは、いったいどんな方だろう。にいさま、うちは少しだけ楽しみになって参りました。帰って支度を急ぎましょう。

帰りの道中、長上おさがみは、結局歩いている前ヒイナへぼやいていた。というか、この小娘いつまで着いてくるのやら。

「なあ、ひいな。は、冷たいのだろうか」

「んなわけ無いでしょ。戴冠タイカンの言うことなんか気にしちゃって。ひいなの今後を託せる位にはまともだよ。だから預け先は、愛娘同然に扱ってくれる裕福家庭をよろしくね。相手は自分で探すから、形式上の仲人もお願いね。そうそうついでに、ひいなの納得いくまで素行調査も付けといて」






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