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第一章 シャハルとハルシヤ
ハルシヤの出仕
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祭りのくじで当たった四輪平衡車に乗って、セウロラが交互に足踏みすると、車輪が回って少しずつ広場を漕ぎ出した。その前にはシャハルが立って両手を取り、後ろ歩きしながら一二、一二と声を掛けていた。それで途中までは上手く行っていたが、突如バランスを崩し、転倒しかけたところをシャハルが支えた。
*
シトナは四輪平衡車に興味津々で、シャハルにいそいそと話し掛けた。
「ね、シャハル。お願い、あたしにも貸して」
「これセウロラのだから」
「あ、そうなの。じゃ、セウロラお願い」
「ごめんね。今は無理なの、ちゃんと乗れるようになりたいから。でも、絶対貸すから。シトナ、後でもいいかな」
「うん、わかった。約束ね。そうだ、交代しよっか。あたしとシャハル」
シトナと補助を交代して、シャハルは私と同じ木陰に来て座った。
「きっと苦労するよ。ソピリヤお嬢様は気難しいお方だから」
「そのお嬢様って言うのが良くないんじゃないの」
「あっ、僕また言った。うーん、もう癖になっちゃってるみたい。だって昔からそうなんだもん」
「シャハルに言われるまで、私には男の子にしか見えなかったんだけど」
「えっ、本当に。なら喜ぶんじゃないの、ご本人は」
「ソピリヤ様って、シャハルとはどういう知り合い」
「うーんと、確か池の側で、僕は鯉に餌やりしてたんだよ。それは楽しかったんだけど、後ろからハンムラビ様のお声が掛かって、急いで立ち上がったら頭に何かぶつかって、振り向いたらそこに顎を押さえたソピリヤお嬢様がうずくまっておられて。ああ、その時はまだ誰かは知らないよ。で、ハンムラビ様が縁側で膝を叩いて爆笑されて……あれ、その後どうなったんだっけ」
「よく生きてたな……」
「あれくらいじゃ死なないよ。まあ、当たり所が悪いと気絶するらしいけど。でもあの時は舌も噛んでおられなかったから。大丈夫、大丈夫」
「いや、シャハルのことだよ。もしかしてさあ、私に八つ当たりで仕返ししようとしてるとかじゃないよな」
「えーっ、それは無いよ。だってハンムラビ様がお許しになったんだし」
「やっぱりあのおじさんが太守だったのか」
「そうだよ。ソピリヤお嬢様のお父様…あっ、まただ」
「ちゃんと直しとかないと、次会った時にまた怒られるぞ」
「平気だよ。僕もうお呼ばれは無くなったから」
「何で」
「クルガノイに入門するから。お父さんがお断りしたんだって。もう早起きもお行儀もしなくていいんだよ」
嬉しそうなシャハルに父さんの思い出話を言おうか迷ったが、今は止めておこう。
その夜、トビラス伯父さんが家に来た。私も妹等も母さんに居間から追い払われたが、よく耳を澄ませれば、大人達の話し合いは丸聞こえだった。
「これはソピリヤ様たってのご希望です。住み込みで、お側近くにお仕えします」
「へー、これなら悪くないんじゃないか。フラムはどう思う」
「タハエ。ハルシヤはまだ、親元を離れて暮らすべきじゃないでしょう」
「冬営地行きの時もそう言っていたね。フラム、ハルシヤをよそに遣るのは嫌かい」
「当たり前でしょう。タハエ、貴方は放牧家の方達と並々ならぬご縁があって、そういう経験に肯定的なんでしょうけど。その時の貴方と今のハルシヤは、年も全然違うし、何より貴方は好きで、荷馬車に忍び込んでまで、勝手について行った訳でしょう」
「うっ」
「確かに。フラムさんのおっしゃる通りだ。これはハルシヤ自身が望んだことでは無い。ましてやたまたま迷子中に知り合っただけの、さして縁も深くない子供相手に、ソピリヤ様は少々、過剰にご期待をなさっている節があります」
「そうですよ。トビラスさん、ハルシヤの代わりと言っては何ですが、お宅のシャハルの方が。私はあの子なら、どこに出しても恥ずかしくないと思いますよ」
「伯母のあなたにそう見えたのなら、大変喜ばしいことですが。家ではとにかく甘えたがりで、あれでは早々にぼろが出てしまいますよ。それにソピリヤ様は、シャハルとは馬が合いません。初対面が最悪でしたから」
「そうなんですか…でも、ハルシヤだって」
「その点ですが、ハルシヤは初対面にしてソピリヤ様のお心を掴んでいる。それに一人っ子のシャハルとは違って、ハルシヤには三人もの妹達がいる訳ですから。兄として相対的にしっかりしているのではありませんか。当のソピリヤ様は末子であらせられ、母が違うとはいえ、上に五人のお姉様方がおられます」
「はあ…」
「だろうフラム。私だって放牧家の所で世話になって、馬術を教わらなきゃ、とても今の馬術指南役なんて職には着けなかったよ。クルガノイの連中は、元武家のイェノイェを見下して、上の学校には入れてくれない。自分達で何とか工夫して、将来の道筋を見つけて、それで食っていくしかないんだ。定石通りに進ませたって、安心するのは親の私達だけで、その先苦労するのはハルシヤだ」
「タハエ…」
「な、駄目だったらすぐ帰ってくれば良いんだ。そうだろう、フラム」
「そうだった。タハエ、私、下の子達の面倒ばかりで、ハルシヤにはきっと辛い思いをさせて…」
「うんうん、私も忙しくて、フラムにばかり苦労を掛けて…これからは、もっと早く帰って来るよ。トビラスさん、ハルシヤの出仕のことですが、宜しくお願いします」
「私からもお願いします」
「ああ良かった。では、このまま進めておくよ。これは支度金。ついでに明日、お下がりだけど、シャハルのよそ行きも持って来よう。では失礼……おや、ハルシヤ」
「げっ、…こんばんは」
伯父さんはそのまま近付いて来て、私の頭を撫でた。
「うん、丁度同じ高さだ」
次の日、レラム叔母さんが、大荷物を抱えながら笑顔で家にやって来た。
「取り敢えず全部持って来ちゃった。着てみて」
次々と叔母さんが取り出して母さんに渡し、着せ替えが始まった。双子の妹等、ミナとリセは、それぞれ退屈しのぎに私の格好を眺め、口々に感想を漏らした。
「似合わなーい」
「兄さんへんてこー」
元々私の服じゃないんだから、しょうがないだろうが。
「そんなこと無いでしょう。ミナもリセも見慣れないだけで、ハルシヤは本当に良く似合ってる。ねー、フラム姉さん」
「まあ、これはね」
「じゃあ次、これなんかどう。でもやっぱり、服だけあっても駄目だよね」
「そう。靴とか下着とか、筆記具や日用品は、支度金もあるから困らないんだけど。一応言葉遣いとかも、少しは直しとかないと」
「そっか。フラム姉さん、大変だね。私も最大限協力するから」
あれこれ準備して、そして別れの日がやって来た。
「ミナ、リセ、カリンも。元気でな」
妹等はともかく、まだ赤ん坊のカリンは、たぶん私のことを分かっていない。このまま私が帰らずに済めば、見知らぬ兄になるだろう。私はトビラス伯父さんに自転車の後部座席に乗せられ、家を出た。
橋の近くに来たところで、私は人影を発見した。
「あ、シャハル」
伯父さんは自転車を漕ぎながら、土手に架けられた橋の手前で、その欄干にもたれ掛かっていたシャハルに声を掛けた。
「飛び出すなよ」
「そんなことしないよっ、お父さん。ただ見送りに来ただけ」
シャハルはそのまま自転車に付いて来て、橋を渡り切る前に立ち止まり、橋の上から見えなくなるまで手を振り続けていた。
「頑張ってねー」
ソピリヤ・ヨウゼンの学問所では、五つの人影が、その二階の窓から邸宅の外にある通りを覗いていた。
「来たよ来たよ。ご覧エリシュ、あれあれっ」
「あー、確かに。あの背高のっぽは、間違いなくトビラス=イェノイェだね。ザブリョス」
コボ家のザブリョスが自転車を発見し、マヌ家のエリシュが確認した。
「どんな手を使ったかは知らぬが、たかが元武家風情が我々と肩を並べようなど不届き千万」
コシヌ家のレジーヴォは腕を組みながら言った。
「はあしんどい。皆の衆、用意は良いか」
フヌ家のゴルシッダが面倒臭そうに号令を掛けた。
『格の違いを存分に見せ付けてやるぞよ』
5人は声を合わせ、完全に調和したことでさらに自信をつけた。その中でタワ家のラフェンドゥが、頭数が一人足りないことに気が付いた。
「おい、ファティリク。いつまでも呆けていないで話に加われ」
「えっ、何」
ウツ家のファティリクは、ぼんやりとあらぬ方向を眺めながら静止していたが、ラフェンドゥの呼び掛けでようやく我に返った。
「全く、お前のようなやつと一緒にされてはかなわんな。よし、もういいからお前はしばらくの間、黙っておれよ。いいな」
レジーヴォはあきれてファティリクに言った。
トビラス伯父さんが、学問所で一番偉くて尼のイリークフ=イェラさんという人と話している間に、私は他のご学友方に挨拶しに行った。
「初めまして。タハエ=イェノイェの息子、ハルシヤ=イェノイェです。よろしくお願いします」
「ラフェンドゥ・タワだ。ほうほう、そなたがシャハルの従弟か」
「ええ、まあ」
「ゴルシッダ・フヌという。ふむ、全く似ておらんな。おい、ファティリク。貴殿はどう思われる」
「えっ、何。……ああ、親真似大会やってるのか今は」
「ファティリク貴様っ」
私には何のことやらさっぱり意味が解らなかったが、とにかくゴルシッダ・フヌと名乗った人は怒り出した。
「黙っておれと言っただろうがっ」
さらに知らない男の子も怒り出し、ファティリクという人は他の5人に追いかけられて部屋から逃げて行った。皆いなくなってしまい、私も追いかけた方が良いのか迷っていると、入れ違いにソピリヤ様が現れた。
「今逃げたのがファティリク・ウツ。黙れと言ったのがコシヌ家のレジーヴォ。残りがマヌ家のエリシュに、コボ家のザブリョス」
「あ、えっと…お久し振りです。ソピリヤ様」
「うむ、しばらくだね。君が来てくれて嬉しいよ。分からないことがあったら、遠慮せず私に何でも訊いてくれたまえ」
「ありがとうございます」
「何か質問はあるかな」
「そうですね…あっ、あー…いや、やっぱりいいです」
「おいおい、今何か言い掛けただろうに」
「いえ、大したことじゃありませんから」
「尚更聞きたくなった。言え」
「…聞いても怒ったりしませんか」
「それは内容によるな。まあ大丈夫だろう。言え」
「……これは前、シャハルから聞いた話なんですが。ソピリヤ様と初めてお会いした時に、頭突きを喰らわせてしまったそうですね。シャハルは覚えていないそうなんですが、その後、一体何がどうなって許されたんですか」
「ふん、詮無きことよ。私はシャハルを池に突き落としてやろうとして、父に邪魔されたのだ」
「ええー…、それはどういう…」
「…分からない。答えようがないんだ。あの時は何か衝動に突き動かされて」
ひょっとして、ソピリヤ様は危ない人なのだろうか。癪に障らないように気を付けよう。
その後、私は学問所に住み込みで、恥ずかしながら寝小便をしてしまうことも無く、順調な学友生活を送っていた。家には一度到着を知らせる電話を入れたっきりで、自分からは全く連絡を取らなくなった。学問所には、私の他はソピリヤ様とイェラ尼が住むだけで、他の6人のご学友方と、名だたる学者の先生方は皆通いだった。今日は初めて学問所を出て、ヨウゼン家所有の馬場に行った。
「ようハルシヤ。元気だったか」
「父さんっ、何で居るの」
「しばらく見ないうちに父親の職業まで忘れてしまったのか……ううっ、父さんは悲しいぞ」
*
シトナは四輪平衡車に興味津々で、シャハルにいそいそと話し掛けた。
「ね、シャハル。お願い、あたしにも貸して」
「これセウロラのだから」
「あ、そうなの。じゃ、セウロラお願い」
「ごめんね。今は無理なの、ちゃんと乗れるようになりたいから。でも、絶対貸すから。シトナ、後でもいいかな」
「うん、わかった。約束ね。そうだ、交代しよっか。あたしとシャハル」
シトナと補助を交代して、シャハルは私と同じ木陰に来て座った。
「きっと苦労するよ。ソピリヤお嬢様は気難しいお方だから」
「そのお嬢様って言うのが良くないんじゃないの」
「あっ、僕また言った。うーん、もう癖になっちゃってるみたい。だって昔からそうなんだもん」
「シャハルに言われるまで、私には男の子にしか見えなかったんだけど」
「えっ、本当に。なら喜ぶんじゃないの、ご本人は」
「ソピリヤ様って、シャハルとはどういう知り合い」
「うーんと、確か池の側で、僕は鯉に餌やりしてたんだよ。それは楽しかったんだけど、後ろからハンムラビ様のお声が掛かって、急いで立ち上がったら頭に何かぶつかって、振り向いたらそこに顎を押さえたソピリヤお嬢様がうずくまっておられて。ああ、その時はまだ誰かは知らないよ。で、ハンムラビ様が縁側で膝を叩いて爆笑されて……あれ、その後どうなったんだっけ」
「よく生きてたな……」
「あれくらいじゃ死なないよ。まあ、当たり所が悪いと気絶するらしいけど。でもあの時は舌も噛んでおられなかったから。大丈夫、大丈夫」
「いや、シャハルのことだよ。もしかしてさあ、私に八つ当たりで仕返ししようとしてるとかじゃないよな」
「えーっ、それは無いよ。だってハンムラビ様がお許しになったんだし」
「やっぱりあのおじさんが太守だったのか」
「そうだよ。ソピリヤお嬢様のお父様…あっ、まただ」
「ちゃんと直しとかないと、次会った時にまた怒られるぞ」
「平気だよ。僕もうお呼ばれは無くなったから」
「何で」
「クルガノイに入門するから。お父さんがお断りしたんだって。もう早起きもお行儀もしなくていいんだよ」
嬉しそうなシャハルに父さんの思い出話を言おうか迷ったが、今は止めておこう。
その夜、トビラス伯父さんが家に来た。私も妹等も母さんに居間から追い払われたが、よく耳を澄ませれば、大人達の話し合いは丸聞こえだった。
「これはソピリヤ様たってのご希望です。住み込みで、お側近くにお仕えします」
「へー、これなら悪くないんじゃないか。フラムはどう思う」
「タハエ。ハルシヤはまだ、親元を離れて暮らすべきじゃないでしょう」
「冬営地行きの時もそう言っていたね。フラム、ハルシヤをよそに遣るのは嫌かい」
「当たり前でしょう。タハエ、貴方は放牧家の方達と並々ならぬご縁があって、そういう経験に肯定的なんでしょうけど。その時の貴方と今のハルシヤは、年も全然違うし、何より貴方は好きで、荷馬車に忍び込んでまで、勝手について行った訳でしょう」
「うっ」
「確かに。フラムさんのおっしゃる通りだ。これはハルシヤ自身が望んだことでは無い。ましてやたまたま迷子中に知り合っただけの、さして縁も深くない子供相手に、ソピリヤ様は少々、過剰にご期待をなさっている節があります」
「そうですよ。トビラスさん、ハルシヤの代わりと言っては何ですが、お宅のシャハルの方が。私はあの子なら、どこに出しても恥ずかしくないと思いますよ」
「伯母のあなたにそう見えたのなら、大変喜ばしいことですが。家ではとにかく甘えたがりで、あれでは早々にぼろが出てしまいますよ。それにソピリヤ様は、シャハルとは馬が合いません。初対面が最悪でしたから」
「そうなんですか…でも、ハルシヤだって」
「その点ですが、ハルシヤは初対面にしてソピリヤ様のお心を掴んでいる。それに一人っ子のシャハルとは違って、ハルシヤには三人もの妹達がいる訳ですから。兄として相対的にしっかりしているのではありませんか。当のソピリヤ様は末子であらせられ、母が違うとはいえ、上に五人のお姉様方がおられます」
「はあ…」
「だろうフラム。私だって放牧家の所で世話になって、馬術を教わらなきゃ、とても今の馬術指南役なんて職には着けなかったよ。クルガノイの連中は、元武家のイェノイェを見下して、上の学校には入れてくれない。自分達で何とか工夫して、将来の道筋を見つけて、それで食っていくしかないんだ。定石通りに進ませたって、安心するのは親の私達だけで、その先苦労するのはハルシヤだ」
「タハエ…」
「な、駄目だったらすぐ帰ってくれば良いんだ。そうだろう、フラム」
「そうだった。タハエ、私、下の子達の面倒ばかりで、ハルシヤにはきっと辛い思いをさせて…」
「うんうん、私も忙しくて、フラムにばかり苦労を掛けて…これからは、もっと早く帰って来るよ。トビラスさん、ハルシヤの出仕のことですが、宜しくお願いします」
「私からもお願いします」
「ああ良かった。では、このまま進めておくよ。これは支度金。ついでに明日、お下がりだけど、シャハルのよそ行きも持って来よう。では失礼……おや、ハルシヤ」
「げっ、…こんばんは」
伯父さんはそのまま近付いて来て、私の頭を撫でた。
「うん、丁度同じ高さだ」
次の日、レラム叔母さんが、大荷物を抱えながら笑顔で家にやって来た。
「取り敢えず全部持って来ちゃった。着てみて」
次々と叔母さんが取り出して母さんに渡し、着せ替えが始まった。双子の妹等、ミナとリセは、それぞれ退屈しのぎに私の格好を眺め、口々に感想を漏らした。
「似合わなーい」
「兄さんへんてこー」
元々私の服じゃないんだから、しょうがないだろうが。
「そんなこと無いでしょう。ミナもリセも見慣れないだけで、ハルシヤは本当に良く似合ってる。ねー、フラム姉さん」
「まあ、これはね」
「じゃあ次、これなんかどう。でもやっぱり、服だけあっても駄目だよね」
「そう。靴とか下着とか、筆記具や日用品は、支度金もあるから困らないんだけど。一応言葉遣いとかも、少しは直しとかないと」
「そっか。フラム姉さん、大変だね。私も最大限協力するから」
あれこれ準備して、そして別れの日がやって来た。
「ミナ、リセ、カリンも。元気でな」
妹等はともかく、まだ赤ん坊のカリンは、たぶん私のことを分かっていない。このまま私が帰らずに済めば、見知らぬ兄になるだろう。私はトビラス伯父さんに自転車の後部座席に乗せられ、家を出た。
橋の近くに来たところで、私は人影を発見した。
「あ、シャハル」
伯父さんは自転車を漕ぎながら、土手に架けられた橋の手前で、その欄干にもたれ掛かっていたシャハルに声を掛けた。
「飛び出すなよ」
「そんなことしないよっ、お父さん。ただ見送りに来ただけ」
シャハルはそのまま自転車に付いて来て、橋を渡り切る前に立ち止まり、橋の上から見えなくなるまで手を振り続けていた。
「頑張ってねー」
ソピリヤ・ヨウゼンの学問所では、五つの人影が、その二階の窓から邸宅の外にある通りを覗いていた。
「来たよ来たよ。ご覧エリシュ、あれあれっ」
「あー、確かに。あの背高のっぽは、間違いなくトビラス=イェノイェだね。ザブリョス」
コボ家のザブリョスが自転車を発見し、マヌ家のエリシュが確認した。
「どんな手を使ったかは知らぬが、たかが元武家風情が我々と肩を並べようなど不届き千万」
コシヌ家のレジーヴォは腕を組みながら言った。
「はあしんどい。皆の衆、用意は良いか」
フヌ家のゴルシッダが面倒臭そうに号令を掛けた。
『格の違いを存分に見せ付けてやるぞよ』
5人は声を合わせ、完全に調和したことでさらに自信をつけた。その中でタワ家のラフェンドゥが、頭数が一人足りないことに気が付いた。
「おい、ファティリク。いつまでも呆けていないで話に加われ」
「えっ、何」
ウツ家のファティリクは、ぼんやりとあらぬ方向を眺めながら静止していたが、ラフェンドゥの呼び掛けでようやく我に返った。
「全く、お前のようなやつと一緒にされてはかなわんな。よし、もういいからお前はしばらくの間、黙っておれよ。いいな」
レジーヴォはあきれてファティリクに言った。
トビラス伯父さんが、学問所で一番偉くて尼のイリークフ=イェラさんという人と話している間に、私は他のご学友方に挨拶しに行った。
「初めまして。タハエ=イェノイェの息子、ハルシヤ=イェノイェです。よろしくお願いします」
「ラフェンドゥ・タワだ。ほうほう、そなたがシャハルの従弟か」
「ええ、まあ」
「ゴルシッダ・フヌという。ふむ、全く似ておらんな。おい、ファティリク。貴殿はどう思われる」
「えっ、何。……ああ、親真似大会やってるのか今は」
「ファティリク貴様っ」
私には何のことやらさっぱり意味が解らなかったが、とにかくゴルシッダ・フヌと名乗った人は怒り出した。
「黙っておれと言っただろうがっ」
さらに知らない男の子も怒り出し、ファティリクという人は他の5人に追いかけられて部屋から逃げて行った。皆いなくなってしまい、私も追いかけた方が良いのか迷っていると、入れ違いにソピリヤ様が現れた。
「今逃げたのがファティリク・ウツ。黙れと言ったのがコシヌ家のレジーヴォ。残りがマヌ家のエリシュに、コボ家のザブリョス」
「あ、えっと…お久し振りです。ソピリヤ様」
「うむ、しばらくだね。君が来てくれて嬉しいよ。分からないことがあったら、遠慮せず私に何でも訊いてくれたまえ」
「ありがとうございます」
「何か質問はあるかな」
「そうですね…あっ、あー…いや、やっぱりいいです」
「おいおい、今何か言い掛けただろうに」
「いえ、大したことじゃありませんから」
「尚更聞きたくなった。言え」
「…聞いても怒ったりしませんか」
「それは内容によるな。まあ大丈夫だろう。言え」
「……これは前、シャハルから聞いた話なんですが。ソピリヤ様と初めてお会いした時に、頭突きを喰らわせてしまったそうですね。シャハルは覚えていないそうなんですが、その後、一体何がどうなって許されたんですか」
「ふん、詮無きことよ。私はシャハルを池に突き落としてやろうとして、父に邪魔されたのだ」
「ええー…、それはどういう…」
「…分からない。答えようがないんだ。あの時は何か衝動に突き動かされて」
ひょっとして、ソピリヤ様は危ない人なのだろうか。癪に障らないように気を付けよう。
その後、私は学問所に住み込みで、恥ずかしながら寝小便をしてしまうことも無く、順調な学友生活を送っていた。家には一度到着を知らせる電話を入れたっきりで、自分からは全く連絡を取らなくなった。学問所には、私の他はソピリヤ様とイェラ尼が住むだけで、他の6人のご学友方と、名だたる学者の先生方は皆通いだった。今日は初めて学問所を出て、ヨウゼン家所有の馬場に行った。
「ようハルシヤ。元気だったか」
「父さんっ、何で居るの」
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