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第二章 雪けぶる町
人の親の心は闇にあらねども、子を思う道に惑いぬるかな
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シャハルの新たなホームステイ先は、雪けぶる町の森の奥にひっそりと建つ一軒家だった。
この家はノンフィクション映画監督、ネイオミ・クレイトン所有の別荘で、ここで1本の動画を撮影してからというもの、シャハルの生活は一変した。道行く人に声を掛けられ涙ながらに励まされたり、高校で味方であることを表明されたりするのはともかく、人前でスピーチをさせられそうになった時は耳を疑った。
それでなくても疲れきっていたシャハルは、半ば別荘の中に引き籠ると、以前エリコ・マルチノが注文を受けて図柄を考案した、野原に佇むプシュケーの、軽やかな午後のひとときを描いたステンドグラスの前に立っていた。
「シャハル、またここに居たのか?」
背後から近付いて来たのは、映画“或黄花”のオンデン・バートル役を務めていた俳優、デヴィン・ジャービスその人だった。
「ザキントス料理店から出前の配達が届いたんだ。一口だけでも食べないか? ほら、せめて水だけでも飲まないと」
「言ったよね、あなた達は信用できない。どうしてスミドと連絡を取っちゃ駄目なのさ? 母は僕がずっと行方不明で、下手すれば殺されたと勘違いしてたかも知れないのに! もう隠れる必要なんて無い。あの動画だってニュースになってた」
「まあね、詳しい事は私にも分からない。ただ、ネイオミやルペンにも深い考えがあっての措置だと思うよ。君は加害者にとって都合の悪い存在だからね、万が一って事もあり得る」
「…居場所は黙ってれば済む話だろ、お母さんが僕を売るって言うのか!」
シャハルは思わずデヴィンの胸倉を掴んだ。
「喧嘩は止めて頂戴。ハンガーストライキなんて始めるから、そうやってイライラするの」
争う声に様子を見に来たネイオミ・クレイトンの言葉は、シャハルを更に苛立たせた。
「黙れ。映画監督だか、小金持ちだか、非政府組織だか何だか知らないけど。親権者に無断で連れて来て、あんたらだってある意味十分誘拐だからな。助けて貰ったのは感謝してるけど」
シャハルの動画は、遠く離れたシビル連邦にまで拡散し、一部内容を切り取られ、字幕付きでニュースでも流されていた。適当に入った飲食店でそれを見たアナン=ウラシッドは、嬉し涙を拭いながらしみじみと言った。
「シャハル……やっぱ似てるな、レラムさんにも。俺はすっかり目ん玉が曇っていたらしい。こんなことなら、セウロラをスミドに置いてくるんじゃ無かったよ。で、お前は誰なんだ。別にキレてねえから言ってみろよ。ただの興味だ。適当に話を合わせたにしちゃあ、妙にハッタリも効いてたからな」
「そんなの噂聞いて成り済ましたに決まってんじゃん。あちこち聞きまわってただろ、アンタ。そんで己等はアスラン=アルスラン。倡売女と外国人旅行者の不始末、世間が忌み嫌う倡店街の落とし子。あんたも知ってるだろ、だから別人を名乗りたかったの」
アナンはシャハルが見付かった祝いと称してアスラン=アルスランへ食事を奢り、そのまま晴れ晴れとした表情でアスランに見送られながらセーアン地方行きの列車に乗ると、颯爽とスミドへ帰っていった。アスランは列車がホームを出て行ってからもしばらく駅構内にポツンと一人で佇んでいだが、そんな彼の後ろから近付いて、肩を叩く者があった。
「長い間ご苦労だったな。残りの報酬は希望通り振り込んだ。これはお前のシビル国籍の旅券と、今晩寄港する旅客船の片道切符だ。今すぐ宿の荷物を纏めろ。後は手筈通り、暫く世界一周でもしながら大人しく身を隠していろ」
「へー、すんげえ優しいじゃん。てっきりどっかの山奥で始末されるかと思った」
「馬鹿言え、何故我々が手を汚さなければならない」
その頃、飲まず食わずでハンガーストライキを決行中のシャハルは高校で倒れ、病院で点滴を受けながら眠っていた。虐待を疑った病院側はネイオミ達を呼び出し、別室で事情を訊ねた。
「母親と連絡ぐらい取らせてあげたらどうですか。下手したら彼は死んでしまいますよ」
「しかしドクター。それでもし彼が帰国すると言い出した場合、私達にはどうする事も出来ません。加害者が権力を握る危険な途上国に帰っては満足な高等教育も受けられず、彼の将来が暗く閉ざされてしまう。それは我々世界開発機構にとっても、かなり大きな損失です」
ネイオミの反論に言葉を失った相手を畳み掛けるように、弁護士のルペンが言葉を続けた。
「もちろん私達だって考えては居るのですよ。彼より先に母親とコンタクトを取り、お互いに納得できる方法を、最大限探るつもりでいます。何だったら母親自身がこちらへ来て貰うという手だってある」
最後にデヴィンがにこやかに話を締めくくった。
「それまでまた何度かお世話になるかも知れませんが、仮に通報されてニュースになった場合、彼が結論を急いでしまう恐れもある。少なくともその事だけは、お互いに避けなくてはならないと思いませんか?」
この家はノンフィクション映画監督、ネイオミ・クレイトン所有の別荘で、ここで1本の動画を撮影してからというもの、シャハルの生活は一変した。道行く人に声を掛けられ涙ながらに励まされたり、高校で味方であることを表明されたりするのはともかく、人前でスピーチをさせられそうになった時は耳を疑った。
それでなくても疲れきっていたシャハルは、半ば別荘の中に引き籠ると、以前エリコ・マルチノが注文を受けて図柄を考案した、野原に佇むプシュケーの、軽やかな午後のひとときを描いたステンドグラスの前に立っていた。
「シャハル、またここに居たのか?」
背後から近付いて来たのは、映画“或黄花”のオンデン・バートル役を務めていた俳優、デヴィン・ジャービスその人だった。
「ザキントス料理店から出前の配達が届いたんだ。一口だけでも食べないか? ほら、せめて水だけでも飲まないと」
「言ったよね、あなた達は信用できない。どうしてスミドと連絡を取っちゃ駄目なのさ? 母は僕がずっと行方不明で、下手すれば殺されたと勘違いしてたかも知れないのに! もう隠れる必要なんて無い。あの動画だってニュースになってた」
「まあね、詳しい事は私にも分からない。ただ、ネイオミやルペンにも深い考えがあっての措置だと思うよ。君は加害者にとって都合の悪い存在だからね、万が一って事もあり得る」
「…居場所は黙ってれば済む話だろ、お母さんが僕を売るって言うのか!」
シャハルは思わずデヴィンの胸倉を掴んだ。
「喧嘩は止めて頂戴。ハンガーストライキなんて始めるから、そうやってイライラするの」
争う声に様子を見に来たネイオミ・クレイトンの言葉は、シャハルを更に苛立たせた。
「黙れ。映画監督だか、小金持ちだか、非政府組織だか何だか知らないけど。親権者に無断で連れて来て、あんたらだってある意味十分誘拐だからな。助けて貰ったのは感謝してるけど」
シャハルの動画は、遠く離れたシビル連邦にまで拡散し、一部内容を切り取られ、字幕付きでニュースでも流されていた。適当に入った飲食店でそれを見たアナン=ウラシッドは、嬉し涙を拭いながらしみじみと言った。
「シャハル……やっぱ似てるな、レラムさんにも。俺はすっかり目ん玉が曇っていたらしい。こんなことなら、セウロラをスミドに置いてくるんじゃ無かったよ。で、お前は誰なんだ。別にキレてねえから言ってみろよ。ただの興味だ。適当に話を合わせたにしちゃあ、妙にハッタリも効いてたからな」
「そんなの噂聞いて成り済ましたに決まってんじゃん。あちこち聞きまわってただろ、アンタ。そんで己等はアスラン=アルスラン。倡売女と外国人旅行者の不始末、世間が忌み嫌う倡店街の落とし子。あんたも知ってるだろ、だから別人を名乗りたかったの」
アナンはシャハルが見付かった祝いと称してアスラン=アルスランへ食事を奢り、そのまま晴れ晴れとした表情でアスランに見送られながらセーアン地方行きの列車に乗ると、颯爽とスミドへ帰っていった。アスランは列車がホームを出て行ってからもしばらく駅構内にポツンと一人で佇んでいだが、そんな彼の後ろから近付いて、肩を叩く者があった。
「長い間ご苦労だったな。残りの報酬は希望通り振り込んだ。これはお前のシビル国籍の旅券と、今晩寄港する旅客船の片道切符だ。今すぐ宿の荷物を纏めろ。後は手筈通り、暫く世界一周でもしながら大人しく身を隠していろ」
「へー、すんげえ優しいじゃん。てっきりどっかの山奥で始末されるかと思った」
「馬鹿言え、何故我々が手を汚さなければならない」
その頃、飲まず食わずでハンガーストライキを決行中のシャハルは高校で倒れ、病院で点滴を受けながら眠っていた。虐待を疑った病院側はネイオミ達を呼び出し、別室で事情を訊ねた。
「母親と連絡ぐらい取らせてあげたらどうですか。下手したら彼は死んでしまいますよ」
「しかしドクター。それでもし彼が帰国すると言い出した場合、私達にはどうする事も出来ません。加害者が権力を握る危険な途上国に帰っては満足な高等教育も受けられず、彼の将来が暗く閉ざされてしまう。それは我々世界開発機構にとっても、かなり大きな損失です」
ネイオミの反論に言葉を失った相手を畳み掛けるように、弁護士のルペンが言葉を続けた。
「もちろん私達だって考えては居るのですよ。彼より先に母親とコンタクトを取り、お互いに納得できる方法を、最大限探るつもりでいます。何だったら母親自身がこちらへ来て貰うという手だってある」
最後にデヴィンがにこやかに話を締めくくった。
「それまでまた何度かお世話になるかも知れませんが、仮に通報されてニュースになった場合、彼が結論を急いでしまう恐れもある。少なくともその事だけは、お互いに避けなくてはならないと思いませんか?」
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