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前編

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その大広間は魔法の明かりがあちこちに灯され、シャンデリアの多面ガラスが光を乱反射して幻想的に美しく輝いていた。
広間の端のテーブルには所狭しと豪勢な食事が並び、呼ばれた吟遊詩人や音楽家達が舞踏音楽を奏でる。
食事を楽しむ者、ダンスを楽しむ者、話に花を咲かせる者。
招待客は皆、優雅に時間を過ごしながら主役の登場を待っていた。

「フォンセンス侯爵令嬢、ご入場!」

先ぶれの声に大広間が静まり返る。主役の一人である令嬢がその中にしずしずと入って行った時、動揺のさざなみが広がっていった。
何故ならば彼女――王太子の婚約者である筈の侯爵令嬢ローザリン・フォンセンスはエスコートも無く一人だったからである。
しかし彼女は顔色一つ変えずに王子は多忙の為遅れて来る事となったと言い、パーティーへの謝辞を卒なく述べて挨拶周りを始めたため、大広間はすぐに元の雰囲気に戻った。

その平穏は突如として破られる事になる。

「レ、レオナルド王太子殿下、ご入場!」

動揺に満ちた先ぶれの男。彼らがそこに入ってくると、それを目撃した人々は先程の侯爵令嬢の時とは比ではない混乱をきたした。

無理もない。
レオナルド王太子は婚約者ではない別の女性をエスコートしていたからだった。

悲鳴と訝しみの囁き、ざわめき。

それが自分に、ひいては大切な彼女に対する非難のように思えた彼は大広間を見渡して眉を顰める。
それでも王太子達が進むにつれて、人々は自然に左右に別れ、その進路を開けていった。
同時にあらかじめ約束していたレオナルドの臣下や友人達が合流してくる。

本日は彼らにとって悪しき存在との決戦の日でもあった。

開けられた道、その先に立っているのは、豪奢なワインレッドのドレスを身に纏った気高き薔薇の如き美貌の女。その周囲には彼女の取り巻きである貴族令嬢達。

「レオ君……」

繋いだ手に力が籠められ、レオナルドは彼女を見た。
ピンクゴールドの髪が縁取る愛らしい顔立ちは不安に彩られている。
最愛の女性、ペッピーナ。
彼女は弱弱しく眉を下げ、その湖水のような瞳を迷子の子供のように揺らしていた。

レオナルドは自分を奮い立たせ、ペッピーナを安心させる為に笑いかけると、一転厳しい表情で前方の人物を見据えると、目的を遂げるべく息を大きく吸い込んだ。



***



「ローザリン・フォンセンス! 貴様との婚約を破棄する!」

あーやっぱりか。言われると思ったわー。
物語の強制力って凄いねー(棒読)。

今日が断罪の日っていうのは知っていたので挨拶周りした後で隅っこでひっそりとしていようと思ってたのに、いつの間にか知り合いの貴族令嬢達……つまりヒロインの取り巻きの男共の婚約者達に囲まれてあれよあれよという間に広間の中央奥に連れてこられて愚痴られてるし。

そうこうしている内に逆ハーレムルート邁進してきたであろうヒロイン、ペッピーナ・ファトゥス男爵令嬢が王太子ぼんくらレオナルド・ヴァン・オルゴーランを引き連れてきて断罪イベントが始まってしまった。

あー、もう。

私はやるせなさを感じながら扇をぱらりと開く。

「まあ、レオナルド様。そのような事私に仰られても困りますわ。そもそも婚約を決められたのは陛下、ひいては国の決定ですもの。それを覆して婚約破棄なさりたいのならば私ではなく陛下にお話しなさいませ」

乙女ゲームのテンプレ展開に冷静に正論ぶちかましてみる。
さて、どう出るのか。


そう、乙女ゲームである。


確か、『聖乙女ホーリーヴァージン~祝福の命、呪いの死。運命を選ぶのは貴女次第~』とかいうタイトルだった。略して『聖乙』。

ここがゲームそのものの世界なのかそれとも酷似した世界なのかは分からないが、世界観や主要人物がゲームと一致している世界……では、ある。実際に生きている人間にとっては限りなく現実だが。

そして私はゲームにおける悪役、ローザリン・フォンセンス侯爵令嬢に転生した元日本人である。
ちなみに『聖乙』はプレイしてコンプリした事はあるがそこまで詳細には覚えていない。
精々国の名前とか有名人とかどこかで聞き覚えがあるな~ぐらいだった。

実際、ゲームの世界では? とか自分悪役令嬢じゃね? とか気付いたのは、ヒロインと思しきペッピーナが婚約者であるレオナルドに言い寄り始めてからだった。
鈍いと言われようが何と言われようが仕方ない。大体乙女ゲームも漫画も小説もどんだけ溢れかえってたと思うんだ。
数ある内の一つの乙女ゲームの内容なんざコンプリしても右から左である。

なので私の覚えているゲーム知識は多くはない。
この世界で情報を集めたり研鑽を積んで知りえた事も合わせて説明しよう。

『聖乙』のテーマは確か、『祝福と呪い、命と死と運命』だったか。

この国、オルゴーランの守護神は女神フォルトゥナ。
女神からの神託により『聖乙女』が定められ、『聖乙女』は『聖女』になるべく勉学に加えて祈りの修行をする。
その時に通う王立の学院がゲームの舞台となっていた。

『聖女』とは女神の代行者として人々に祝福を行い、時には呪いで宿敵を打ち破る役目を担う存在。
国にとっては切り札、国威発揚の象徴、国防の要、国民にとっては心の拠り所である。

『聖女』、と言えば普通『呪い』はおかしいんじゃないかと思われるだろうが、このゲームにおいては少々違う。
あまり良いイメージはないかも知れないが、『祝福』も『呪い』も同じ神の力。どっちが善でどっちが悪、というのではなく、神道でいう和魂と荒魂みたいな『二面性』に過ぎない。
そして神の力は魔法とは違い、距離も空間も越えて作用する。正にチートである。

そんな理不尽で強力な神の力は良くも悪くも純粋で清らかな女性に宿る。
(ある文献にあったのだが、この国の守護神が女神なので女性が選ばれるものと思われる。男神が守護神の他国では聖者が選ばれるとか。)

しかし純粋で清らかと言っても善悪は問われない。方向性によって力の性質ががらりと変わってしまう。
すなわち、祝福に傾けば白聖女、呪いに傾けば黒聖女と呼ばれる。

実際、他国の陰謀で絶望に叩き落された『聖乙女』が『黒聖女』になってしまい、一時期は国が亡ぶかどうかの瀬戸際まで行った事が過去あったらしい。
その為、『聖乙女』と呼ばれる祝福・呪いの力を持つ女性は厳重に守られ、『黒聖女』にならないようにと細心の注意を払って教育されるのである。

歴史上、聖乙女が現れるのはいつも一人だった。
しかしゲームでは、ヒロインと悪役令嬢二人が覚醒してしまうのである。

ほぼ同時期に現れた二人の聖乙女。

巷では、「二人の聖女が必要とされるほどの災いが訪れるのではないか」とか「一人は黒聖女になるのではないか」とか囁かれていた。

『聖乙』はエンディングがかなりあって、シナリオ分岐も多く、逆ハーレムルートはかなり難易度があったと思う。
それに加えてイベントや修行で『祝福』と『呪い』をどちらを使うかとかのバランス調整が結構難しかった。
呪いの力を使いすぎると黒聖女としてバッドエンドを迎える。
反対に全く使わなくてもシナリオクリア出来なかったり。

でも、実際自分が『聖乙女』になってみて、修行を積みながら思考と検証の末に理解した事が二つある。

一つ目は、『祝福』と『呪い』、これらは呼び方が違うだけで本質は同じものであると言う事。
両者の差はどこにあるのかと言えば、力を振るう事で起きる現象そのものではなく、力を振るう時に込める『意思』が善意か悪意かという点。これに尽きる。
例えば、相手の怪我が良くなって楽になって欲しいという善意で治癒をすればそれは『祝福』であり、相手の苦しみを長引かせてやるという『悪意』で治癒をすればそれは『呪い』となる。

そして、二つ目。
神の力は魔術が働きかける物質世界よりも高次の、精神世界、『根源たる魂に働きかける力』であるが故に強力無比であるのだという事である。

正直、『祝福』や『呪い』、どっちを使ってたのかは自分にも分からない。
ただ、全てにおいて悪意を込めた事は無かった……と思う。ヒロインがどうかは知らないが。

情報収集の為に持ちうる権力と財力を使って雇っていた影や買収した学院の侍女達からの報告にあった、ペッピーナ・ファトゥス男爵令嬢の言動内容。
『聖乙』『逆ハー』『イベント』等の単語からして彼女も間違いなく転生者だと確信していた。
それも、厄介なタイプの。

二人のイレギュラー。

それが私の唯一覚えていたこの『逆ハーレムルートの断罪イベント』にどう影響を及ぼすのか。
王太子レオナルド・ヴァン・オルゴーランは少々怯んだようだったが、ヒロインをちらりと見て直ぐに気を取り直してこちらに向き直る。

「それはっ……私とて、父上にも母上にも何度も話した! だがお前がさせまいと姑息に手を回していたのだろう! この場でお前の邪悪な正体を暴いて聖女と王妃に相応しいのが誰なのか証明して見せる!」

させる方向で何度も手を回してはいたのだけどな。
レオナルドがペッピーナに入れあげて私を疎んじ始めた時から陛下には婚約破棄の願い出を何度も何度もしている……全部却下されたが。

以前はもっとまともだった筈なのに。

恋愛麻薬で完全にラリッてる婚約者に内心溜息を吐く。

まぁ、こちらも婚約破棄は大歓迎。
問題はその後どう逃げるか。
その為に考えられるだけのことは想定して備えているので、ひとまず言わせるだけ言わせてみるか。

「良いですわ。レオナルド様達の言い分をじっくり拝聴いたしましょう」



***



それからはまさにテンプレだった。

ヒロインの大切な祖母の形見を壊しただの、教科書やノートを破っただの、階段から突き落とそうとしただの、言うわ言うわ。
「さっぱり身に覚えがありませんわ」と言えば、出るわ出るわ偽証人。
貴族令嬢が何人か『ローザリン様に命令されて!』と。

あー、あいつらはコシュマール侯爵の子飼い貴族の娘達か。私が婚約者降りればコシュマール侯爵令嬢が次の婚約者になる。必死だな。
ただ、偽証人共は「念の為、王国の法務魔術師を呼んで貰いましょう」と言えば勢いを無くして黙り込んだ。
そりゃそうだろう、真実しか話せない魔法を掛けられれば嘘だってバレるから。

実際に、私は国王への婚約破棄のお願いとヒロインへの忠告以外何もしていない。
というか、悪役令嬢がゲームの中で取った言動とかあまり知らないので、シナリオ通りに動きようもない。
言うまでも無くでっち上げられた冤罪なのである。

ヒロインと男共から出るのはあくまでも証言ばかりで決定的な証拠は皆無。

しかしぼんくら共は脳細胞が死んでいるのか、偽証人達の態度にも何の疑問も持たず「よし、法務魔術師を呼べ!」とか宣っている。
大丈夫か? 偽証人共は尻尾巻いて逃げようとしてるぞ。

「お願いです、ローザリン様。法務魔術師が来ちゃったらあなたの罪が決定的になってもっと重いものになってしまいます! 今ならまだ間に合います、謝ってくだされば私も許して忘れますから!」

でっち上げである自覚はあるのか、ヒロインが焦って言い募ってきた。
男共も何故かそれに追随する。

「ローザリン、貴女には失望しました」

「往生際の悪い……」

「法務魔術師が来れば貴様の罪は確定的なものとなるぞ、ローザリン!」

「嫉妬から子飼いの貴族共をけしかけ、ペッピーナを虐めて『黒聖女』に堕とそうとするなんて最低ですね」

「私の真実の愛する女性である、未来の『国母』となるべき彼女へ害を為した罪は重い!」

矢継ぎ早の台詞。息がぴったり過ぎて練習でもしてたのかとさえ思う。
どうでも良いが一応説明しておくと、男共は全員で五人。
上から神官サージュ・ヒム、大商人の息子オル・トレド、騎士団長の息子アレックス・エクエス、宰相の息子ウィーズリー・サフィエント、王太子レオナルド・ヴァン・オルゴーランである。
乙女ゲームらしく、タイプの違う見てくれだけはイケメンな男共が勢揃い。だが断る。

「……物事の前後筋道が通ってない事を仰られても困りますわ。実際法務魔術師がいらっしゃって私が無罪だったらどうなさるおつもり? ファトゥス男爵令嬢が嘘を吐いていないとも限りませんわよね」

「馬鹿な事を言うな! 泣いていたペッピーナは被害者、嘘を吐くわけないだろう!」

「あら、嘘泣きで他人を陥れる人間がこの国に一人も居ないと良いですわね」

泣いてさえいれば正義なら警察はいらねぇんですよ。

レオナルドが王になれば、この国は恐らく独裁的になりかなりヤバい状態になる……。
余程法務魔術師が都合悪いのか、ヒロインが泣き落としを始めた。

「レオ君……いいの、あたしなら謝って貰わなくても大丈夫だから。あたしがいけなかったの、レオ君を好きになっちゃったから……」

「あくまでも己の罪を認めないか……貴様は心清らかたるべき聖乙女には相応しくない! このペッピーナこそが我が国唯一の『聖女』だ!」

「レオ君……」

「法務魔術師を待つまでも無い! 心優しいペッピーナに免じて命を取るのだけは許してやろう。ただし、本日を以って国外追放とする。二度と私にその顔を見せるな!」

支離滅裂な思考・発言とはことの事か(白目)!

ひっ、と誰かが悲鳴を飲み込んだ。
レオナルド王太子の無理すぎるごり押しに静まり返る広間。
しかし一応シナリオ通りでは、ある。

ふむ……。

私は念を押す事にした。

「……それは、王太子としての御命令ですか?」

「そう――いや、これは未来の王としての命令だ!」

『未来の王として』、ね。
王太子だからって王になれるとは限らないのにこの発言は無いわ。
まさか自分から墓穴を掘るとは。完全に思考回路がおかしくなっている。恋愛こわい。

「本当に宜しいのですか?」

「くどい」

よし、言質は取ったしこれだけの証人もいるから大丈夫だろう。

「分かりました――」

私はドレスの端を摘まみ、王太子に対する最後のカーテシーをした。
ちらり、とヒロインのペッピーナを見る。
王子や男共は見えていないだろうが、彼女は口の端を曲げ、実に性格の悪そうな笑みを浮かべていた。

うん、こいつは確信犯、ギルティだな。容赦は要らねーわ。

さて、正念場だ。
断罪イベントは、ここからが盛り上がる。

確かこの後、嫉妬に狂った悪役令嬢わたしがヒロインに呪いの力を向ける。
悪意や殺意が込められたあらゆる力を跳ね返すアミュレットを持ったヒロインにそれは効かず、悪役令嬢は跳ね返ってきた己の力に死んでしまうという筋書きだ。

しかし私はそんな手には乗らない。何故ならヒロインに『悪意』は抱いて無いからだ。

私は国の為、ひいては皆の為に鬼になろう。

ある意味この凶悪な力を振るう事を決意する。
それもこれもこれまで幾度となく現実を見ろ、身分を弁えろと口酸っぱく言ってきたのに、この世界を完全にゲームだとして現実を見ず聞かずのヒロインが悪い。

頭を毅然と上げ、真っ直ぐ婚約者だった男を見つめる。

「――分かりましたが了承はしておりませんわ。この力は出来れば使いたくなかったのですが……恨むならご自分を恨みなさいな!」

悪役令嬢の台詞なんて覚えてないので適当に言って力を発動する振りをする。
隠しきれなかったのだろう、ペッピーナが喜色満面になったのが見えた。

私の力は過たずヒロインのもとへまっすぐに飛んで行く。
傍に居た色ボケ共も咄嗟の事に反応できない。

「きゃっ……!?」

予期した通り、アミュレットに跳ね返される事も無く私の力はしっかりとヒロインに掛かった。
呪いのエフェクトである紫の光がペッピーナを覆う。

「って、え……なんで? アミュレットが」

予想外の事態に戸惑いの声を上げるヒロイン。その変化は直後に現れた。

「ペッピーナ!?」

「……く、苦しい!」

慌てるレオナルド。

彼女の体積がどんどん変化していく。
みるみる内に小柄で華奢だった肉体が一回りは大きくなった。

着ていたドレスが膨らんだ肉体に押し上げられてミチミチッと音を立てたかと思うと、後ろのボタンがはじけ飛び、二の腕やウエスト部分の縫い目が耐え切れず裂ける。

よもやここまでとは。男だったら世紀末の彼のようだ。

変貌を終えて現れた姿に、私はやっぱりという感想を抱く。

「ぼ、僕の可愛いペッピーナが、」

「ひぃ、何て醜いんだ!」

「なっ……黒髪の魔女!?」

「まさか魔族だったというのか……彼女が、そんな、」

彼女のあまりの変貌に男共が驚愕する。
王太子は一早くはっとしたように立ち直ると、こちらを憤怒の目で睨みつけた。

「ローザリン! ペッピーナに何をした!? いくら彼女の姿が愛らしくて妬ましいからといって、こんな……こんな醜悪で悍ましい姿に!」

しかし私はそれには答えず、傍に控えさせていた侍女に合図を送る。
ただただショックに「ああ…」と声を上げて呆然と座り込んでしまったペッピーナ。

「あなたの本当の姿・・・・は、王子様からすれば醜悪で悍ましいそうですよ?」

私の言葉に合わせるように、侍女が大き目の鏡をヒロインに良く見えるように翳した。
それを見たヒロインの顔が、みるみる内に驚愕と絶望に彩られる。

それもその筈。

そこに映っていたのは、可愛らしいヒロインの面影は欠片も無い、年齢不詳の東洋人のデブス(目視BMI40越えの超大台)だったのだから。

「い、嫌あっ……! どうして元の自分・・・・になってるの!? 戻して! 戻してぇ! 嫌あああああああ――っっっ!!!!」

ヒロインだった者の声がパーティ会場であった大広間に響き渡った。
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