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鶏蛇竜のカール。
鶏蛇竜は暁を待つ。【42】
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目通りの許可を出して執務室へ通されて来た蛇ノ庄現当主イーヴォ・リザヒルは、くたびれた旅装の姿をしていた。その憔悴した様子から、かなりの強行軍でやって来たのだろう。
主君であるキャンディ伯爵サイモンの前で片膝をついた騎士の礼を取るイーヴォ。続いて入って来たサンドル・キンブリーは、その背後で両膝をつき平民の礼をしている。
「お見苦しい姿を、申し訳ございません」
「……早馬を飛ばして来たのか」
「はい」
サイモンは二人に立つように言うと、ソファーに視線をやりながら訊ねた。
「実はそなたの息子の件で、丁度使いを出そうか迷っていたところだったのだ――サンドルを連れているならば、それとは別件ということだな?」
「カールの件? あの子が何か問題でも起こしたのでしょうか!?」
慌てた様子のイーヴォは、一瞬ちらりとエリアスを見た。サイモンは首を横に振る。
「いや、そういう訳ではないのだが……その話は後程。先に火急の用件を聞こう」
イーヴォ達ソファーに座るよう促し、サイモンはその対面に座る。
二人はそれぞれ御前失礼致します、と言って腰を下ろした。
「実は、『死神の三日月』がこの屋敷に大規模な襲撃を企んでいるようです」
イーヴォは話し出す。スヴェンが捕らえた間諜から知り得た情報を分析した結論だという。
「兄が調査した結果、『死神の三日月』は大胆にも港町ジュリヴァやその近隣でならず者や破落戸を集めておりました。
実入りの良い仕事があるのだと。上手くすればその後も雇って王都で暮らさせてやると。他領でも人集めをしているようです。例の件にも関係していると思われます」
「ほう?」
サイモンは目を細めた。
『死神の三日月』の背後にいる黒幕は、敵対貴族であるムーランス伯爵なのは分かっていた。
ただ、確かな証拠を掴めないだけである。
「ふん、大方去年のアナベラ誘拐が失敗した上、雪山の傭兵もこちらへ引き抜いたからな。金も手駒も失った以上、数を揃えるしかないということであろうな」
涙ぐましいことだ、と笑う。
イーヴォの隣に座っているサンドルは固い表情をしていた。
例の件。
それはキャンディ伯爵家が王家に進言して一手に担うこととなった王都の糞尿処理事業の事である。
表向きは王都の美化及び流行り病の防止、スラムの貧民への就業斡旋、肥料への転化により作物の収穫量を上げる等の目的で知られている。近年では王族は勿論、王都の民達からも高い評価を得ていた。
そうなるまでにはそれなりの苦労があった。
古今東西、スラムには裏社会が付きもの。
事業を興した当初、王都では数多くのやくざやならず者達が幅を利かせていた。中には貴族の後ろ盾を得ている者も。
王家の許可を得たものの、当然事業に対する反発は少なからずあった。
サイモンは隠密騎士達を使い、硬軟織り交ぜて彼らを支配下に収めて行く。
やがて王都の裏社会はサイモンに味方した組織が圧倒的多数派となり、事業に携わるようになった。
その総元締め――『不死鳥の光』の頭目がサンドル・キンブリーであり、組織は隠密騎士達の下位組織という位置付けに。
『不死鳥の光』は王都周辺の情報収集にも役立っており、その関係でサンドルは隠密騎士達とも面識を得ていた。
勿論スヴェンやイーヴォとも交流がある。
一方、サイモンの支配下に入るを良しとせず、王都を追われた者達は集まって別組織を作っていた。
それが『死神の三日月』であり、頭目はマルスパル・アンダイエという男だという。
その『死神の三日月』が屋敷襲撃とは。
「まさか――マリーの事が漏れたのではあるまいな?」
低い声で訊ねたサイモン。
大本命が硝石製造であり、またその知識をもたらしたのがサイモンの娘マリアージュ姫である事は、キャンディ伯爵家でも限られた者のみが知るのみ。王家にさえ秘されていた。
硝石の製法も厳重に秘されていたが、排泄物と硝石の間に関係がある事自体は古くから知られている。
事業が始まった後、自然に硝石製造を行っているのでは、という噂が流れ始めた。
キャンディ伯爵領は銀山を有し、裕福である。
ただでさえ人質として家族が狙われることが多かったのが、硝石の事で一層狙われるようになっていた。
因みにその秘された製法に関して。キャンディ伯爵領に秘密がある等の情報操作が行われていた為、間諜が集まって来ていたという経緯がある。
娘を案じるサイモンの言葉に、しかしイーヴォは首を横に振った。
「いえ、それは考えにくいかと」
それよりも、効果的なやり方がある、と続けた。
「近々行われる、アン姫様の婚約式を台無しにするつもりでございましょう。あわ良くば人質を取って硝石の製法を知ろうとしているものと」
サイモンの長女アン姫は、近々ウィッタード公爵令息ザインとの婚約式を控えている。
公爵令息ザインはムーランス伯爵の娘エリザベル姫との婚約話も出ていたようだが、ウィッタード公爵家はそれを断りキャンディ伯爵家を選んだ。ムーランス伯爵はその事を恨みに思っているに違いない。
もし襲撃があるならば、近々行われる婚約式の日以外にはない。
自分ならばそうする、とイーヴォは語った。
婚約式が台無しになれば、サイモンの面子が潰れる。婚約どころではなくなり、破談もあり得るだろう。
上手くすればエリザベル姫と婚約を結び直し、人質を取って硝石の製法と引き換えにも出来る。
最悪の場合、その製法を証拠としてサイモンが硝石密造して謀反を企んでいるのだと告発されれば、キャンディ伯爵家はお取り潰しになり領地を没収される。
その功績でムーランス伯爵が銀山や事業を乗っ取ることも不可能ではない。
『死神の三日月』も『不死鳥の光』に取って代わり王都を支配出来る。
そういうことだろう。
主君であるキャンディ伯爵サイモンの前で片膝をついた騎士の礼を取るイーヴォ。続いて入って来たサンドル・キンブリーは、その背後で両膝をつき平民の礼をしている。
「お見苦しい姿を、申し訳ございません」
「……早馬を飛ばして来たのか」
「はい」
サイモンは二人に立つように言うと、ソファーに視線をやりながら訊ねた。
「実はそなたの息子の件で、丁度使いを出そうか迷っていたところだったのだ――サンドルを連れているならば、それとは別件ということだな?」
「カールの件? あの子が何か問題でも起こしたのでしょうか!?」
慌てた様子のイーヴォは、一瞬ちらりとエリアスを見た。サイモンは首を横に振る。
「いや、そういう訳ではないのだが……その話は後程。先に火急の用件を聞こう」
イーヴォ達ソファーに座るよう促し、サイモンはその対面に座る。
二人はそれぞれ御前失礼致します、と言って腰を下ろした。
「実は、『死神の三日月』がこの屋敷に大規模な襲撃を企んでいるようです」
イーヴォは話し出す。スヴェンが捕らえた間諜から知り得た情報を分析した結論だという。
「兄が調査した結果、『死神の三日月』は大胆にも港町ジュリヴァやその近隣でならず者や破落戸を集めておりました。
実入りの良い仕事があるのだと。上手くすればその後も雇って王都で暮らさせてやると。他領でも人集めをしているようです。例の件にも関係していると思われます」
「ほう?」
サイモンは目を細めた。
『死神の三日月』の背後にいる黒幕は、敵対貴族であるムーランス伯爵なのは分かっていた。
ただ、確かな証拠を掴めないだけである。
「ふん、大方去年のアナベラ誘拐が失敗した上、雪山の傭兵もこちらへ引き抜いたからな。金も手駒も失った以上、数を揃えるしかないということであろうな」
涙ぐましいことだ、と笑う。
イーヴォの隣に座っているサンドルは固い表情をしていた。
例の件。
それはキャンディ伯爵家が王家に進言して一手に担うこととなった王都の糞尿処理事業の事である。
表向きは王都の美化及び流行り病の防止、スラムの貧民への就業斡旋、肥料への転化により作物の収穫量を上げる等の目的で知られている。近年では王族は勿論、王都の民達からも高い評価を得ていた。
そうなるまでにはそれなりの苦労があった。
古今東西、スラムには裏社会が付きもの。
事業を興した当初、王都では数多くのやくざやならず者達が幅を利かせていた。中には貴族の後ろ盾を得ている者も。
王家の許可を得たものの、当然事業に対する反発は少なからずあった。
サイモンは隠密騎士達を使い、硬軟織り交ぜて彼らを支配下に収めて行く。
やがて王都の裏社会はサイモンに味方した組織が圧倒的多数派となり、事業に携わるようになった。
その総元締め――『不死鳥の光』の頭目がサンドル・キンブリーであり、組織は隠密騎士達の下位組織という位置付けに。
『不死鳥の光』は王都周辺の情報収集にも役立っており、その関係でサンドルは隠密騎士達とも面識を得ていた。
勿論スヴェンやイーヴォとも交流がある。
一方、サイモンの支配下に入るを良しとせず、王都を追われた者達は集まって別組織を作っていた。
それが『死神の三日月』であり、頭目はマルスパル・アンダイエという男だという。
その『死神の三日月』が屋敷襲撃とは。
「まさか――マリーの事が漏れたのではあるまいな?」
低い声で訊ねたサイモン。
大本命が硝石製造であり、またその知識をもたらしたのがサイモンの娘マリアージュ姫である事は、キャンディ伯爵家でも限られた者のみが知るのみ。王家にさえ秘されていた。
硝石の製法も厳重に秘されていたが、排泄物と硝石の間に関係がある事自体は古くから知られている。
事業が始まった後、自然に硝石製造を行っているのでは、という噂が流れ始めた。
キャンディ伯爵領は銀山を有し、裕福である。
ただでさえ人質として家族が狙われることが多かったのが、硝石の事で一層狙われるようになっていた。
因みにその秘された製法に関して。キャンディ伯爵領に秘密がある等の情報操作が行われていた為、間諜が集まって来ていたという経緯がある。
娘を案じるサイモンの言葉に、しかしイーヴォは首を横に振った。
「いえ、それは考えにくいかと」
それよりも、効果的なやり方がある、と続けた。
「近々行われる、アン姫様の婚約式を台無しにするつもりでございましょう。あわ良くば人質を取って硝石の製法を知ろうとしているものと」
サイモンの長女アン姫は、近々ウィッタード公爵令息ザインとの婚約式を控えている。
公爵令息ザインはムーランス伯爵の娘エリザベル姫との婚約話も出ていたようだが、ウィッタード公爵家はそれを断りキャンディ伯爵家を選んだ。ムーランス伯爵はその事を恨みに思っているに違いない。
もし襲撃があるならば、近々行われる婚約式の日以外にはない。
自分ならばそうする、とイーヴォは語った。
婚約式が台無しになれば、サイモンの面子が潰れる。婚約どころではなくなり、破談もあり得るだろう。
上手くすればエリザベル姫と婚約を結び直し、人質を取って硝石の製法と引き換えにも出来る。
最悪の場合、その製法を証拠としてサイモンが硝石密造して謀反を企んでいるのだと告発されれば、キャンディ伯爵家はお取り潰しになり領地を没収される。
その功績でムーランス伯爵が銀山や事業を乗っ取ることも不可能ではない。
『死神の三日月』も『不死鳥の光』に取って代わり王都を支配出来る。
そういうことだろう。
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