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鶏蛇竜のカール。

鶏蛇竜は暁を待つ。【35】

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 「サリーナ!」

 彼女の姿が見えなくなると、従兄弟だという白獅子のオーギー・シンブリが声を上げた。
 追いかけようとしたのを、カールは制止する。

 「なっ、邪魔をするな!」

 「身内の癖にあんなやり方で彼女を傷つけたあんた達に彼女を追う資格なんてないと思うけどねー」

 サリーナは身内に裏切られたと思っている筈。
 オーギーに彼女を慰める資格はない。カールが先程の彼らの言動を指摘すると、二人は俯いた。

 「だから僕が行く。これも返さなきゃいけないんでー」

 「行きな。後始末はおいら達がやっとくから」

 「後の事は任せろ」

 エリアスと前脚ヨハンに言われ、カールは頭を下げてサリーナを追った。
 気配を探っていると、池の方から泣き声が聞こえて来る。
 月明かりの中、サリーナが池の畔で蹲っているのが見えた。
 カールが近付くと、彼女はびくりと震えて顔を上げる。

 「あ、あなた……」

 「……山猫ちゃん、大丈夫ー?」

 腰に下げたポーチを探り、カールはハンカチを取り出して渡す。
 その意匠を認めたサリーナは、泣き顔のまま礼を言って小さくクスリと笑った。

 「マリー様からよね?」

 カールは頷いて、人一人分開けてサリーナの隣に座る。

 「……一番面白いのを選んだんだー。マリー様から見所があるって言われちゃったよー」

 誰も選ばなかったという化け物。自分と似ている。

 「マリー様の感性は面白いよねー」

 笑ってサリーナの泣き顔が見えないように仰向けになると、夜空に輝く星々がカールを見下ろした。
 夜風に木々が騒めく中、彼女が落ち着くのをただひたすら待つ。

 下手な慰めよりも、ただ黙って傍に居る方が彼女にとっても気が楽だろう。
 暫くの後、やっと落ち着いたのかハンカチは洗って返すと言うサリーナ。
 カールは気にしないで良いと首を横に振った。

 再び静寂が訪れる。
 暫くの後、身じろぎする気配がして。

 「……隠密騎士の訓練に夢中になって、侍女の訓練に出てなかったの。だから仲間と認めないって言われてしまった」

 自分は何をやっても中途半端だった。隠密騎士にはなれず、侍女としてやっていけるかも分からない。本当は隠密騎士として認めて貰えるカールの事が羨ましかったのだと。
 独り言のように、ぽつりぽつりと語り出すサリーナ。
 カールは奇遇だねー、と相槌を打つ。仲間として認めて貰えなかったのはカールも同じ。

 ただ、サリーナはカールを羨ましがるが、カールこそサリーナが羨ましかった。
 女として生まれて侍女になっていれば、母ロザリーも死ぬことが無かっただろうに。
 何故侍女になりたくないのかと問うと、サリーナは自分の見た目に引け目があるのだと俯いた。

 「侍女って女の武器を使う所があるでしょう? 私は見た目が冴えないから、優秀な侍女になれるとは思えない」

 しかし隠密騎士ならば、地味で目立たぬことこそが美徳だと父親に言われたのだと。
 だからこそ彼女は隠密騎士を目指して厳しい訓練を頑張った。
 しかしカールにしてみれば、優秀な隠密騎士よりかは不出来な侍女の方がまだマシである。
 そう言うと、サリーナは「あなたに何が分かるの!?」と声を荒げた。

 「本当はそこらの見習いなんかよりも圧倒的に強くて、隠密騎士として認めて貰えるあなたに!」

 「何も知らない山猫ちゃんに特別に教えてあげるー。
 ヘルム君は殉職だって言われてるけどー、本当は主家を裏切ったんだってさー。
 そして蛇ノ庄はその贖罪をする為に僕を生贄にすると決めたんだよねー」

 カールは緘口令を破り、サリーナに隠密騎士の闇を語って聞かせることにした。
 ヘルムの裏切り、そしてカールが蛇ノ庄で味わって来た地獄を。

 それを知って尚、隠密騎士になりたいと思うかどうかだ。
 カールの言葉に、サリーナは虚を突かれたようにぽかんとする。

 「ヘルム君の訃報が蛇ノ庄に届いてからずっと僕はひたすら敵を殺してさー、口じゃ言えない程の残酷な拷問をさせられる日々だったんだー」

 心を慣れさせて鍛えるというよりも、麻痺させて化け物にする儀式だったのだ、あれは。
 今日笑いあった仲間でさえも明日平気で残酷に殺せるような化け物に。

 「お蔭で今の僕は壊れかけた殺戮人形みたいなものなんだよねー。もうさー、殺し過ぎると人が人に見えなくなるし何とも思わなくなるんだよー。笑えるよねー」

 主家の為に敵を少しでも多く殺して死ね。その死で、蛇ノ庄の忠誠心を証明して罪を贖う――それがスヴェンがカールに課したことだった。
 語り終えたカールに、サリーナは口元を覆って顔を青褪めさせている。
 しかし、それこそが隠密騎士の置かれた現実。カールに限らずとも、訓練で磨かれてきたのは所詮は殺戮の為の技に過ぎない。
 血塗られた存在なのだ、隠密騎士というものは。

 「ねえ、山猫ちゃんはさっき価値を認められたくて隠密騎士になりたかったって言ってたけどさー。
 スヴェン様が言うように主家の役に立ってさっさと死んで蛇ノ庄の罪を贖う事がお前の価値って言われたら、それでも嬉しいのかなー」

 カールの問いに、サリーナは首を横に振る。
 彼女から視線を夜空に戻すと、流れ星が一筋走った。

 「だよねー。僕は苦しみがそれだけ早く終わるならそれでも良いって思ってたんだけどー」

 死ねば人は天に昇るという。あの星々のどこかに、母ロザリーがいるのだろうか。
 手を伸ばすも、星は遠すぎて掴めない。

 最初はサリーナを利用しようと思っていたが、気が変わって勝手な共感と同情で助けた。
 その事を伝えて気を悪くしたかと問えば、彼女は首を横に振って「ありがとう」と言う。

 「でも、私を庇ったりなんかして、カールは大丈夫なの?」

 カールは笑った。そんなもの、今更だ。
 何もしていないのにヘルムと同一視され、デボラの死や母ロザリーの死で責められた。スヴェンの分の罪まで背負わされたも同然だった。
 蛇ノ庄に帰ることは出来ず、全てが面倒になった。カールが何も成さず無駄死にすれば蛇ノ庄の贖罪は終わらず、未来も無くなる。
 それで意趣返しとするつもりだったと言うと、サリーナは口籠った。

 「……その、ヘルムという人とあなたが違うって分かってくれる人は居るの?」

 「さあ……どうだろうねー」

 今の所、エリアスと馬兄弟か。それも後々どう転ぶか分からない。
 気の無い返事をするカール。暫くの沈黙の後、サリーナの視線が向けられるのを感じた。

 「カールの事、最初は不真面目で腹が立つ人だと思ってたけど……少なくとも私はあなたを信じるわ」

 その言葉に、半身を起こしてサリーナの方を見ると、彼女の真っ直ぐな視線とぶつかる。

 「そして、仲間として言うけど、自分の命を大切にして欲しい。贖罪の死よりも、生きて功を立てる事を選んで欲しいの」

 ――『カールには自分の命を大切にして欲しいの』
 ――『生きて幸せを掴むことを選んで欲しいとお母様は思っているわ』

 かつて涙を流した夜に聞いた、母ロザリーの言葉が重なった。
 どこまでも真っ直ぐで温かいサリーナの言葉は、カールの凍てついた心をふわりと包み込む。

 「……うわあ、なかなかの殺し文句だねー」

 泣きそうになりながら茶化すように言うと、「真面目に言ってるのよ!」と頬を膨らませるサリーナ。
 カールは声を上げて笑った後、サリーナに微笑みかけた。

 「……サリーナがそう言ってくれるならー、僕も少しは自分を大切にしてみようかなって思えるかもー」

 彼女がそう願ってくれるなら、もう少しだけ生きてみても良いかも知れない。
 名前を呼ぶと、サリーナは恥ずかしかったのか頬を赤らめてそっぽを向いた。
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