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鶏蛇竜のカール。

鶏蛇竜は暁を待つ。【29】

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 ――見られた。

 声の主はサリーナだった。どうやら何かの拍子にカールの傷が見えていたのだろう。
 彼女は水筒を脇に置くと、立ち上がってこちらへ近付いて来る。

 「カール、あなた怪我をしているのね?」

 心配そうな声に、痛む胸の奥に怒りに似た感情が燃え上がる。表情を取り繕う余裕を無くしたカールは咄嗟に俯いた。
 きっと、内心どこかで見下し利用してやろうとしていたサリーナに憐れみや同情を掛けられたからこんな感情が生まれたのだろう。
 自己分析が済むと、運の無さと滑稽さに自身の口元が皮肉に弧を描く。
 それもそうか、と思う。神は化物を救うことは無いのだから。

 「……バレちゃったかー、流石に傷が開いた状態じゃあちょっとキツいんですよねー」

 傷の痛みと疲労に苛まれ、運にも見放されたカールはもはや全てがどうでも良くなっていた。
 自分の命さえも。

 「何だと――何故言わなかった!」

 傍に来ていたのか、近くでジルベリクが声を荒げる。
 見捨てた人間に対し随分優しいことだが、言ったところで何になるというのだ。

 「怪我をしていようがしていまいがー、真面目に取り組もうが取り組むまいがー、どうせ僕の行きつく先は同じですよねー?」

 おかしみを覚えてカールはくつくつと喉を鳴らす。言葉の真意を問い返すジルベリク。
 まるで明日の天気のことでも話すようにカールは続けた。

 「だって、蛇は償いをしなければいけないんですよー? 命の償いは命で以って贖えって奴でー」

 数人が息を吞む気配。
 何時の間にか訓練場は静まり返っていた。

 「……もしかして、スヴェン殿に言われたのか?」

 ぽつりと問うジルベリクに、カールは顔を上げてへらりと笑う。
 そうだ、自分さえ消えれば不和は消え、隠密騎士達に秩序が戻る。 

 「その為だけに僕が選ばれたんですー。だから安心して下さいねー。時が来れば、僕はちゃあんと償いをしてみせますからー」

 「お前……」

 ジルベリクは絶句する。ややあって、怪我が治るまで訓練と作業の免除と部屋へ戻って休むように命じられた。
 死を望まれている人間を治療したところで意味は無いというのに。


 自室に戻され、傷の手当を受ける。
 カールの事を慮ってか、室内にはジルベリクとエリアスのみが入室していた。
 昼間カールに教えてくれたやり方で手際良く傷の手当をしていくエリアス。それを見ながらジルベリクは曇った表情でぽつりと零す。

 「……察してやれず、済まなかった。お前が怪我を負っているらしいことは知っていたのに」

 「ジル、隠密騎士は自分の怪我や体調に関しては自己管理するって方針だ。言わなかったカールも悪い。
 なぁ、カール。他のやつらは兎も角、ジルやおいらはそんなに信用なかったか?」

 エリアスの悲しみを帯びた問い。
 信用しようと思った矢先、ジルベリクには疑われた。エリアスだって父イーヴォの弟子なのだから、カールに関して何か手紙でも受け取っているかも知れない。
 疑い出せばキリがなく、今のカールにはその問いに対する答えを持っていなかった。
 目を閉じてただひたすら沈黙を守る。

 「話は後日聞かせてくれたら、と思う。今はゆっくり休んで傷を癒すように」

 「……カールがどう思おうと、おいらはカールを信じるよ。おいら達のこと……ちょこっとだけ信用してもいいって思ったらで構わないから」

 お休み、と言ってジルベリク達は出て行った。
 足音が遠ざかる音を聞きながら、カールは天井の木目を見つめる。

 ――これから自分はどうなるのだろう。

 考えても答えは出ない。
 カールは思考を放棄して、そのまま睡魔に身を委ねたのだった。


***


 それから、数日間。
 カールはぼんやりと抜け殻のように過ごしていた。
 驚いた事に、見舞いに来てくれる人間等いないと思っていたのが、ジルベリクやエリアスの他、古参や中堅の隠密騎士達、馬兄弟が来てくれたこと。
 エリアス曰く、カールに悪感情を抱いていない者達だという。
 彼らは食事を運んできてくれたり包帯を替えてくれたりした。
 敢えて何も聞かず、当たり障りのない世間話をして去っていく。

 大きな変化があったのは、そんな折――

 「カール、開けるぞ」

 馬兄弟の兄、一角馬ユニコーンもとい、前脚のヨハン・シーヨクがノックと共に入って来た。
 弟二角馬バイコーンもとい後ろ脚のシュテファン・シーヨク、サリーナ、そして何時ぞや見たマリアージュ姫の姿がそれに続く。
 首を傾げるカールに、前脚ヨハンはマリアージュ姫がカールを見舞いに来たと言った。
 マリアージュ姫は、サリーナが気にしていたし、庭師達には世話になっているから、と蜜色の瞳を細めている。

 「カールと言ったか、具合はどうだ?」

 「マリアージュ様直々に見舞って頂けるなんて光栄ですー」

 笑顔を作って見舞いの礼を述べるカール。
 一介の見知らぬ新人庭師が怪我をしただけなのに、わざわざ見舞いに来てくれるとは思ってもみなかった。
 サリーナの唇が動いてマリアージュ姫に妙な真似をしないよう牽制の言葉を紡いだが、当の本人は高級品である蜂蜜菓子を持って来てくれる程にはカールを気に入ってくれたようだった。

 ――傷が癒えたら私の為に働くが良い。

 自然に狂気と共にあるような姫だと思ったら、話してみれば存外まともだったことに拍子抜けする。
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