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鶏蛇竜のカール。

鶏蛇竜は暁を待つ。【6】

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 「た、助けてくれ! お腹を空かせて俺を待っている妻と子ども、足の悪い母がいるんだ!」

 手足を縛られた状態で目の前に連れて来られた男が必死に助命嘆願をする。
 カールは思わず眉根を寄せた。

 「スヴェン様、抵抗出来ない人間です」

 「それがどうした? どうせ殺す人間だ。眉一つ動かさず殺せなければ蛇とは言えぬぞ」

 まさか平地の騎士の如く解き放って武器を与え、騎士道精神に則って正々堂々と戦わせろとでも言うつもりか。お綺麗なことだ。

 そう言って冷笑を浮かべるスヴェン。

 「……そういう訳では」

 カールは逡巡する。
 カールとて、修行中に人を殺したことはある。しかしそれは戦った末のことであり、こんな風に拘束を受けた人間に一方的に苦痛を与えるようなものではなかった。

 出来るだけ残酷に――『出来るだけ』ならば。
 せめて、一撃で苦しまないように――

 カールがせめてもの慈悲とばかりにナイフを振り上げると、男が「よせ、やめろ」と首を横に振りながら逃れようと身を捩る。
 しかしカールの攻撃が振り下ろされる刹那、火花が飛び散った。
 スヴェンによって寸前で止められたのである。

 「何を!?」

 「言い忘れたが、こやつにはまだ仲間がいる。それを吐かせねば、罪のない領民が犠牲になるぞ」

 「お、俺は何も知らない! 何も知らないんだ!」

 しかしスヴェンはそんな男の悲鳴を一顧だにせず、まるで夕食の為に家畜を捌くような調子で「そうだな……先ずは手足の爪を剥がして貰おうか」と淡々と命じた。

 「ひぃっ、止めてくれ!」

 ツン、と漂ってくる鼻を突く臭気。男の歯がカチカチと鳴る。スヴェンが本気だと悟り、怯え切って失禁したのだ。その様子に憐れみを覚えるカール。

 「……どうしてもやらなきゃいけませんか」

 「出来るのにやりたくないのであればお前は蛇としてやっていけぬ。そうだな……お前がやらねば大事な者が死ぬことになるやも知れぬと言えばやれるであろう?」

 スヴェンが冷ややかな眼差しをすぅっと細める。
 大事な者――その言葉に思い当る一人に、カールの頭に血が上った。

 「っ――まさか母様を殺すつもりですか!?」

 「さてな」

 「もしそのつもりなら……」

 カールはスヴェンをぎり、と睨みつけ、蛇の体術の構えを取る。
 それを見たスヴェンはフン、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

 「何だ、やるつもりか? 小僧に私が殺せるのか、他人の手が汚れる陰でぬくぬくと暮らして来た蜂蜜菓子のように甘いお前に」

 「殺せる!」

 カールは激昂してスヴェンに襲い掛かった。

 「愚か者め!」

 猛然と攻撃を仕掛けたのも束の間、気が付けばカールは地に倒れ伏していた。
 怒りに任せた拳も蹴りも、あっさりと躱されてしまったのである。
 スヴェンはカールの背中に片足を乗せ、身動きを封じた。
 憤怒と屈辱の入り混じった感情に、カールは歯を強く食いしばる。

 「クソッ! 母様には手を出すな!」

 「……お前に訊こう。もし、その母が主家を裏切っておったならば何とする? 母について主家を裏切るのか? 母の命と引き換えに殿を弑せと言われればそうするのか?」

 思いがけない問いに、激情の炎が冷や水を浴びせられたように弱まっていく。

 「それは……」

 スヴェンは尚も静かに続けた。

 「その裏切りの所為で仲間も主君も全て命を落とすことにでもならねば、お前は分からぬのか?」

 「っ、母様は絶対に裏切りなどされない!」

 それでも反論するカール。スヴェンは喉でクツクツと嘲笑する。

 「絶対に裏切らぬから問うなと? 小僧、覚えておくがいい。裏切りが成功するのは、裏切る筈がないと思われている人間が裏切るからだ」

 「!!」

 スヴェンの言う通りだった。
 カールは虚を突かれて言葉を失い、唸る。抵抗する気を無くした背中から、スヴェンの足が退けられた。
 カールがスヴェンを見上げると、感情の無い眼差しが見下ろしている。

 「さあ、如何にする。やるのかやらぬのか」

 「……分かりました」

 促され、カールはのろのろと立ち上がった。


***


 全てが終わり。

 重い足取りで家に戻り身を清めたカールは、自室のベッドで毛布に包まり震えていた。

 『悪魔、お前達には血も涙もないのか! 地獄に落ちろ!』

 手足の爪を剥がし、耳を削いだところでカールの心は萎えてしまった。その後はスヴェンが引継ぎ、それを見るようにと命じられた。

 結果的に、男は仲間の情報を隠していた。
 憐れな演技をして泣き叫び、敵の同情と油断を誘うのは常套手段だとスヴェンは告げる。最後は急所である右脇腹を刺し、「お前がやらねば苦しみ抜くぞ」と言われ、カールは男の命を奪った。

 瞼を閉じると、耳や鼻を削がれ、眼球を刳り抜かれて絶命した凄惨な死体が映る。絶命するまでに上げた悲鳴や怨嗟の声も耳朶に残っていた。

 スヴェンは顔色一つ変えることなく全てをやってのけた。
 そしてカールがこれをやれるまで何度でも行う、と言ったのである。

 ヘルムもこのようなことをしてベッドで震えていたののだろうか。
 いや、性格を考えれば嬉々として手を血に染めたかも知れない。
 自分がスヴェンのようになるまでこれがずっと続くのだとすれば――

 「僕には、出来ない。ヘルム君の代わりなんか」

 あの時、デボラに言われた通りだ。
 カールは救いを求めるように神に祈ろうとし――出来なかった。
 祈って何になるというのか。つい先刻、地獄に落ちるような所業をした自分が。
 カールは絶望に耳を押さえ、全てを拒絶するようにベッドで丸まる。
 涙を流れるままにしていると、カタン……と小さな音。

 「カール……?」

 母ロザリーの声と気配。
 涙の痕を見られたくない――カールは慌てて寝た振りを決め込む。

 「寝ているの?」

 それに答えず身動きしないままでいると、気配が近付いて来た。僅かにベッドが軋んで、母が座ったのだと分かった。
 髪に母の手がそっと触れる。撫でられたカールは再び涙が零れそうになり、身を固くした。

 「スヴェン様から修行の内容を聞いたわ……あの人もあなたも、辛く苦しいでしょうね。けれど、止まない雨も、明けない夜もない……」

 同じように、苦しみにもいつか終わりが来るから……と独り言のように呟く母。
 それから暫く黙ってカールの頭を撫でていたが、ぽつりと零した。

 「……本当は、こんなことを言ってはいけないのだろうけれど……カールには自分の命を大切にして欲しいの。どんなに手を血に染めようとも、誰を犠牲にしようとも――生きて幸せを掴むことを選んで欲しいとお母様は思っているわ」

 優しい温もりと唇がカールの頭に落とされた後、遠ざかって行く。自室の扉が閉じられ、母の足音が遠ざかると、カールは耐え切れなくなり声を押し殺して涙を流した。
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