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前脚のヨハンと後ろ脚のシュテファン。

角馬達が翼を得るまで。【18】

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 それはあやまたず影に迫ったが、ぎりぎりの所で避けられてしまった。
 初手の失敗を悟りなり抜剣しつつ男に迫るヨハンは、突きの猛攻を仕掛けた。
 シュテファンも参戦し、双剣でその身を狙う。しかし二人の攻撃は届きそうで届かない。

 ――強い!

 男の身のこなしは明らかにヨハン達よりも高みにある、熟達した戦人のそれだった。世の中は広い。上には上があるものだと内心驚愕する。

 「『ふむ、なかなかの腕前だ。だが、まだ青い』」

 不意に発せられた、流暢な山の民の言葉。

 ――裏切り者がまだ居たのか!?

 ヨハンは動揺に目を見開く。
 兄弟二人は瞬時にぱっと男から距離を取った。じりじりと男を逃がさぬように包囲しながら警戒を強める。

 「『いずれの庄の者か』」
 「『主家を裏切ったか』」

 「『さて、我輩は傭兵にて、主家など未だかつて持った事など無いが……どこの庄だと思う?』」

 二人の問いかけに揶揄するような返答。

 いや、おかしな訛りがある、とヨハンは気付いた。

 同じ山の民の言葉を使う人間は限られている。
 自分達と同じように戦いを生業とし、時には傭兵として国外に赴く人間といえば一つしかない。

 「『の民か』」

 もしやと思って口にした言葉に、相手は肩を震わせた。

 「『くくくっ、あの我欲にまみれた迂愚うぐな男よりは頭が回るではないか。その通り、我輩は雪山の民、雪熊氏族ファミーリャ・ダル・ウルス・ナイフのアルトガルと申す。
 の同胞よ、ここで敵として見えた事ははなはだ遺憾だが、これも悲しきかな、傭兵の雇われ仕事。この地にて屍を晒そうとも恨んでくれるなよ』」

 言って、その男は両腕を振った。
 シャキン、と硬質な金属音がして、その両手の先に銀色に光る爪が伸びている。

 ――手甲鈎ハンドクロウ

 ヨハン達の得意とする剣とは相性が良いとは言えない。一対一なら実力差もあって敗北は必須だろう。
 先程の相手の体捌きからして、二人がかりでやっても勝てるかどうかは分からない。

 「『馬ノ庄は一角馬ユニコーンのヨハン、いざ参る』」
 「『同じく二角馬バイコーンのシュテファン、参る』」

 それでもヨハンとシュテファンは各々の獲物を手に男に襲い掛かった。

 「『無駄だ。二人束になったとて、我輩には勝てぬ』」

 その男、雪熊氏族のアルトガルは素早く巧みだった。
 木々を盾にして二人の攻撃から逃れ、手甲鈎ハンドクロウで剣を絡め取り受け流す。
 ヨハンとシュテファンは体力にはかなり自信があったが、それが崩れ落ちそうなほどアルトガルはタフだった。相手は妙な呼吸法も使っており、兄弟とは違って息が左程乱れた様子はない。

 ――雪山の民はかくも強靭なものなのか。

 見習いの中でも群を抜く実力のヨハンとシュテファン二人がかりなのにこれである。
 ヨハンは内心、焦り始めていた。


***


 「『どうした、それで終いか?』」

 アルトガルが笑い交じりに言いながら石礫を飛ばしてくる。ヨハンは躱して仕込み小型クロスボウを打ち返すので精いっぱいだった。
 結果から言うと、近接戦では全く歯が立たなかった。
 兄弟は体力回復の猶予の為に遠距離攻撃に切り替えるも、それは敵にも回復時間の猶予を与えてしまうという事。

 ――実力差があり過ぎる。どうにかして不意を突けないものか。

 気配を殺して移動しながらぐるぐると考えていると、ヨハンの頭上にコツリと何かが当たった。
 それを手に取って耳に当てる。

 「兄者、小道の方へ引いた方が」

 小型の『糸デンワ』から聞こえて来るシュテファンの囁き声。
 そうするべきだろうか。他の隠密騎士と合流すれば勝ち目が増えるかも知れない。

 ――だが、もしあちらにもあの男と同じぐらいの強者が居れば?

 事態は悪化し、取り返しの付かない事になりかねない。
 ここで傷を負わせるなり足止めするなり、兎に角時間稼ぎをせねば。
 果たして生きて帰れるだろうか――そう考えた瞬間、主と定めたマリー様の顔が浮かんだ。

 『ヨハン、シュテファン。これよりお前達は私の馬――馬の前脚と後ろ脚だ』

 何故か思い出したのはそんな言葉。その瞬間、脳裏に天啓がひらめく。

 ――そうだ、私はマリー様の馬の脚、前脚。

 ヨハンは糸を二度引っ張ると、小さな開口部に口を当てて自らの心算を囁く。

 「一つだけ考えがある。それで駄目なら小道へ」

 兄弟は再び打って出る。しかし再度戦うも、相手は余りにも強すぎた。
 アルトガルは長引けば長引くほど不利になるであろう事を悟ったのか、「『遊びの時間は終わりにするとしよう』」と告げて本気を出し、ヨハンの剣をあっという間にどこかへ弾き飛ばしてしまったのである。

 シュテファンの双剣はまだ無事だが、一人で近接戦はたとえヨハンの遠隔攻撃の援護があっても厳しいだろう。
 しかも今のヨハンにはクロスボウの矢が数本。それが尽きてしまえば使えそうな飛び道具は小さな吹矢を残すのみである。
 小道の方からはまだ金属のぶつかり合う戦闘音や悲鳴が聞こえている。アルトガルを仲間達が戦う馬車の方へ行かせる訳にはいかない。
 シュテファンが攻撃を仕掛けるのと同時にヨハンもクロスボウを立て続けに放った。それが全て避けられると接近し、短剣で援護する。
 本気を出したが、十合も打ち合わぬ内にヨハンの短剣はあっさりと絡め取られた。
 迫り来る手甲鈎ハンドクロウの攻撃を避けるも胸を浅く切り裂かれ、体勢を崩した隙に鳩尾に重い蹴りを食らったヨハンの体は木に叩きつけられてしまう。

 「かはっ……!」

 「兄者! 『貴様、よくも!』」

 頭に血が上ったシュテファンの双剣が唸り、猛攻撃を仕掛け始めた。
 ヨハンは痛みを堪えながら取り出した唐辛子を噛みしめた。口腔に広がるその刺激に遠のきそうになっていた意識が覚醒する。

 ――不意を突くならば機会は一度きりだ。二度目はないだろう。決して逃してはならぬ。

 ヨハンは耳を澄ませて心を静め、最後の武器を構える。そしてシュテファンの息遣いに集中した。

 足並み揃え息を合わせ――気配を誤魔化す!

 双剣を弾き飛ばされ無手となったシュテファンは追い詰められていた。体力を消耗し、息を荒げながらもなけなしのナイフを手に構えを取るシュテファン。それに対し、アルトガルが雪熊の如き手甲鈎ハンドクロウをゆっくりと振り上げる。

 「『さて、先ずは一人目だ。何か言い残す事は』」

 あるか、と続く筈の言葉はしかし、不意に途切れる事となる。
 その身体はその場に崩れ落ちた。アルトガルはなけなしの力を振り絞って首筋に手をやり、ヨハンの方に首を動かす。

 「『毒の吹矢……この我輩が気付かぬとは。馬鹿な……気絶していたのではないのか』」

 ヨハンが放ったのは速効性の毒が塗られた吹矢だった。構えを解き、アルトガルを見下ろす。

 「『油断したな。我らは二人で一つの呼吸、一頭の馬よ』」

 「『そうか、呼吸を重ねたか……見事なり。楽しかった、ぞ……』」

 それきりぐったりと動かなくなったアルトガル。

 「止めを!」

 立ち上がってナイフを男に突き立てようとするシュテファン。しかしヨハンは「やめろ、シュテファン」とそれを押し止める。

 「何故だ、兄者!」

 「これは当家と怨恨の無い、ただの雇われだ。それに雪山の民ならば殺せば報復があるかも知れぬ。このまま生け捕りにして情報を吐かせる方が得策だ。殿も出来る事なら雪山の民は味方に付けておきたいとお考えになる筈」

 それに、と思う。

 生死を賭した戦いだったが、このような強者と剣を交える事が出来てヨハンは未だかつて無い程に血湧き肉躍ったのである。郷里で曲者と戦った時の比ではない。
 楽しかった、という最後の言葉に気付かされた。自分もまた、隠密騎士として楽しかったのかも知れない。これほどの相手、死なせるには惜しい。

 「分かった、兄者」

 そうして兄弟はアルトガルの武器を改め縄で拘束した後、解毒剤を飲ませたのだった。
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