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前脚のヨハンと後ろ脚のシュテファン。

角馬達が翼を得るまで。【14】

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 渡り廊下をぐるりと回り込むように走って行くと、中庭では剣術の稽古中なのだろう、トーマス様とカレル様の姿。

 「おーい、トーマス兄、カレル兄ー!」

 走る馬上でマリー様は兄君達に向かって元気な声を出した。二人共こちらを見るなり目を見開き、木剣をぼとりと取り落とす。ぽかんとしたその表情に、先程の姉君達と同じような反応だとヨハンは苦笑する。

 特に停止の号令も無かったのでそのまま通り過ぎ、ヨハン達はやがて目的地である執務室の前まで辿り着く。
 「どうどう!」と号令がかかったのでそこで停止し、いざ扉を開けようとしたその瞬間――運が悪い事に丁度執務室からサイモン様とその奥方のティヴィーナ様が出て来てしまった。

 「っ――きゃああああああっ!?」

 出会い頭にこちらを見た奥方様はかん高い悲鳴を上げて糸が切れた様に倒れ込んだ。それを殿が咄嗟とっさに支える。侍女が、「奥様ぁぁぁ!? お気を確かに!」と慌てていた。

 「マリー、お前はまた……一体何を考えているのだ」

 「あーっはっはっはっ、馬鹿みたいで面白れぇ!」

 追いかけて来たのだろう、呆れたトーマス様と爆笑するカレル様の声。集まって来た使用人も笑いをこらえている。
 こちらを見るなり顔を引きらせるサイモン様。

 「マリー……これは何だ?」

 「ふふん、良いでしょう、私の馬よ? ダディに見せに来たの。『人の言葉が分かる絶対に大人しい馬』。
 ダディがちゃんとした馬を買ってくれないから私、今後はこの馬に乗る事にしたわ!」

 マリー様の得意気な声。トーマス様とカレル様が噴き出した。

 「ぶふっ……『人の言葉が分かる絶対に大人しい馬』。確かにな」

 「見ろよ、あの馬の目付き」

 「やめろ、カレル。ぐふっ……」

 ドンドン、と壁を叩くような音。きっと兄君達が笑いを堪えているのだろう。
 そんなに目付きがおかしいのだろうかとヨハンは思いながら視線を巡らせると、先程まで頭を抱えていた目の前の殿の表情が――いつの間にか赤黒く染まり、悪鬼の如くになっているのが見えた。

 ――これは少々不味いかも知れない。

 ヨハンは背筋が凍り付くような威圧を感じる。

 「マリー、お前……余程尻を叩かれたいようだな!」

 抑えきれない怒気を孕んだサイモン様の声。そこへ、

 「ひぃ、ひぃ、マリー様、追いつきましたよ!」

 とコジー夫人がやって来る。マリー様はバシリと強く馬の胴を叩いた。

 「まずいわ、駆け足! 逃げるわよ!」

 その命令で渡りに船とばかりに、ヨハンは人だかりの手薄な所を目掛けて駆け出した。人々が慌てて道を開ける。

 「いけません、マリー様! あうっ!?」

 後方でどさり、という音がして――「コジー夫人が倒れたぞー!」という叫び声。
 その代わりに、

 「逃げるな! 待てぇぇぇぇ、馬鹿娘ぇぇぇ――!!!」

 「げっ、ダディ! 走れ、馬の脚共! 捕まったら私の尻の安寧が!」

 ――マリー様の尻以上に自分達の首も危ういかも知れない。

 「まっ、不味いぞ兄者!」
 「うむ、ここは逃げ切るしかない!」

 ヨハンとシュテファンも堪らず速度を上げた。まさか殿が直々に追いかけて来るとは夢にも思っていなかったのだ。
 しかし、そんな逃走劇も長くは続かなかった。

 庭に出た瞬間、腕を組み仁王立ちになっているハヤブサのジルベリクやその他庭師達の姿を認めて観念する事になったのである。


***


 ハヤブサのジルベリクによって捕まったヨハンとシュテファンは縄を掛けられ、マリー様と共に膝をつかされていた。

 追いついて来た殿は、震え上がりそうな凄みのある笑顔を浮かべている。
 マリー様の兄君姉君達は呆れ顔や困ったような表情でなりゆきを見詰めていて、弟妹君達は作り物の馬に跨ってはしゃいでいた。

 「――それで? このような騒ぎを起こしたことについて何か言い分はあるか?」

 ヨハンとシュテファンにも威圧が掛かる。
 奥方は失神され、コジー夫人もぎっくり腰になってしまった。やはり屋敷の中はやり過ぎだったのだ。
 これはマリー様だけでは責任を負いかねないかも知れない。あの時何としてでもお止めしなかった自分達にも責任はある。
 ヨハンが意を決して謝罪の言葉を口にしようとしたその時、マリー様が声を上げた。

 「ダディ、こやつらは私の馬の脚です! 私の命令を聞いただけ! だから馬の脚共に咎はありません。
 驚かせ過ぎたママンやぎっくり腰になったばあやにも悪かったわ、責任は全部マリーが被ります!
 でもね、そもそも素直に馬を買ってくれないダディが一番悪いと思うのー! だから尻叩きは無しで!」

 姫は恐れ知らずにも、反省していない事が丸分かりの内容をどうどうと言い放った。
 当初の言葉通り、マリー様が子供なりに責任を取って下さったのは嬉しい。嬉しいが、その言葉は悪手だとヨハンは思う。

 「馬鹿マリー……」

 カレル様の呟き。

 「ほう……良い覚悟だ。尻叩き勘弁してやろう」

 地獄の底から響いて来るような声で額に青筋を立てたサイモン様は、拳にはーっと息を吹きかけた。そして、



 ごちぃぃぃ――ん!



 マリー様の頭上にその拳骨が盛大に落とされる。
 ……凄い音がした。

 「いっだぁぁぁぁぁ――っ!!!」

 空に響く姫の大きな悲鳴と皆の笑い声。
 キャンディ伯爵家を混沌の渦に陥れた『馬事件』はこうして幕を下ろしたのだった。
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