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第五章 夫妻、帝城へ行く
54、妻、養父母に会う
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「皇帝陛下、皇后陛下。お初にお目にかかります、シルフィア・ハーフェルトにございます」
私とテオが乗った馬車は、帝国の城の中心にある皇帝陛下が住まう本城に最短距離の門に停められた。馬車から降りて、待っていた案内の人に従って着いた部屋には既に皇帝一家が揃って待っていて、隣のテオが『普通は身分の高いほうが後から来るものなのだけど、どれだけ楽しみにしてたのだか』と苦笑いをしていた。
ハーフェルト公爵家滞在中にお義母様とディーと一緒に作ってもらったとっておきのドレスに、テオの最新作の髪型で武装した私は、昨夜テオとおさらいしたとおりに膝を折って丁寧にお辞儀をして挨拶の口上を述べた。
顔を上げると、笑顔のオネストお兄様の横にお義父様と同じ淡い金の髪の豪奢なドレスを着た背の高い女性がいて、吊り目気味の濃い緑の瞳で私をじっと見下ろしていた。
……この方が、テオの伯母様の皇妃殿下。なんだか怖い目で見てるけど、私の挨拶が気に入らなかったのかな。もしかして、どこか間違えたのかな、それとも私自身が気に入らないのかも。
悪い考えが次々に頭をよぎり、心臓がドキドキして冷や汗が流れてきた。その濃い緑の圧に押しつぶされそうになった時、柔らかい重低音が助けに入ってくれた。
「皇妃よ、そなたまた顔が怖くなっているぞ。我らの娘がせっかく会いに来てくれたのに、怯えさせては今後来てくれぬよ」
それは皇妃殿下の隣にいた黒髪の背の低いまるっとした男性から発せられた。ということは、この方がこの帝国の最高権力者である皇帝陛下。オネストお兄様が大きいから同じような方を想像していたけれど、全く違っていた!
皇帝陛下の言葉を聞いた途端、皇妃殿下がまばたきをしてフッと圧が消えた。慌てたように頬に手をやり顔の筋肉をほぐしている。
「あら嫌だ。不躾に見てしまってごめんなさい、シルフィア。貴方が……私の娘が、あまりにも可愛らしいから驚いていたの」
「ほら、母上。私の言ったとおりでしょう、我が妹君はとても愛らしいと」
「ええ、本当に可愛らしいわ。弟の家へ嫁にやるのが惜しいくらい」
「お言葉ですが伯母上、私とシルフィアが結婚したからこそ、伯母上の養女になったのですよ。順番を間違えないでくださいね」
すかさず笑顔のままでテオが牽制し、むっと口を歪めた皇妃殿下が手に持った扇をパタパタさせた。
「相変わらずテオドールは父親にそっくりね」
「お褒めいただき光栄です。父から『シルフィアをよろしく』と伝言です」
「わざわざ言ってこなくても可愛がるに決まってるわ。本当にいつもリーンは私を逆撫でするわね」
「それは父に直接言ってくださいよ」
テオと皇妃殿下の間に青い火花が散って見えた。
……もしかして、テオとお義父様と皇妃殿下は仲が悪いのかな。
「あの二人はいつもああだから、放っておいて問題ないよ。おいで、シルフィア。君のためにとびっきり美味しいお菓子を用意したんだ」
「そう、あれで仲が悪いわけではないから安心しなさい」
いつの間にか眼の前にオネストお兄様が来ていて私をソファへ誘導した。皇帝陛下も頷きながら手招いてくれる。
初めて会った養父母に私は嫌われたり、暴力を振るわれたりしなさそうでホッとした。
フカフカのソファへ埋もれるように座るとそれに気がついたテオが即座にやってきて隣に腰を下ろした。続けて皇妃殿下もやってきて向かいの陛下の隣に優雅に腰掛けるとまたもや私をじーっと見つめてきた。緊張して背筋を伸ばして固まっているとまた怖くなってるぞ、と陛下に突かれた皇妃殿下の頬が突如として緩んだ。
「あああ、本当にかっわいいい! 私、娘も欲しかったのにオネスト一人しか授からなくて残念無念だったのだけど、養女とはいえこんなに理想の娘ができるなんて最っ高! シルフィア、一緒にお買い物しましょ、着せ替えしましょ、女同士でお茶してお風呂に入って一緒に寝ましょ!」
ソファの前のテーブルへ身を乗りだし、私の両手を握りしめて叫ぶ皇妃殿下をついぽかんと口を開けて見上げてしまった。
……このテンション、オネストお兄様に会った時と似てる気がする。これが、親子の絆っていうものなのかな。
「……伯母上、さすがにお茶まででお願いします」
隣のテオもこの勢いに押されたのか腰が引けている。
「済まないね、二人とも。皇妃はずっと女の子が欲しかったんだが、私はその願いを叶えてあげられなかった。そなた達のおかげで今になって夢が叶って……少し舞い上がっているのだ、しばらく付き合ってやってくれ」
もちろん私も少々舞い上がっているがね、とお茶目に片目をつぶった皇帝陛下に私は笑顔でこちらこそよろしくお願いします、と礼をした。
昼食後、殿下達と話し合いをするというテオと別れた私は、午後いっぱい空けてあるの! と宣った皇妃殿下に連れられて、着せ替えとお茶とお買い物をすることになった。
皇妃殿下の部屋には、この日のために呼ばれたという商人達が所狭しとありとあらゆるものを並べて口上を述べ、私は腰を抜かした。
夕食には買い物と着せ替えの成果とばかりに飾り付けられた状態で参加し、陛下とお兄様にここぞとばかりに褒められ可愛がられてなんだか気恥ずかしいような、くすぐったい気持ちでいっぱいの一日だった。
その夜、私は本城内にあるハーフェルト公爵家専用の部屋にいた。なんとこの部屋はハーフェルト家のためだけに存在し、いつでも自由に使えるらしい。しかも寝室だけでなく居間も付いていて広い。
私の入浴中に所用を済ませに部屋を出たテオをソファに座って待ちながら、今日はなんだかずっと贅沢だなあと室内を見渡し、隅っこに大きな鏡を見つけた。全身が映るその大きな鏡を覗き込めば、そこには入浴後の化粧をしていないありのままの自分がいて、幸せそうに微笑んでいた。
九ヶ月前、ここにはボサボサで汚れきった髪の傷だらけの私がいた。実の兄のストレス解消のために頻繁に殴られ蹴られボロボロになっていた私は死にたくはないけれど、生きる希望も失っていた。それがある日突然、テオにすくわれこの部屋に保護された。
医師の治療を受け傷が癒え始めた頃、この城のメイドの手によって私の髪がサラサラになり、この鏡の前に立った。その時の私はまだ自分の身に起こったことがよくわからなくて無表情で笑顔なんてなかった。
……この傷の癒えた身体も笑顔も、私を大事にしてくれて好きをくれる人達も、全部、ぜーんぶ、テオがくれた。
鏡の中の冷たい自分とそっと両手を重ねる。今日、皇帝ご夫妻は私が虐待されていることに気づかず放置して済まなかったと謝ってくださった。
その上、私が学院からいなくなった後、同じような境遇の生徒がいないか確認して問題がある家に介入できる制度を作ったそうだ。私のいた国が厳しく罰されたのを目の当たりにしたせいか、効果は抜群だとか。
おかげで今後、私みたいな目に遭う人が減るのはとてもいいことなのだと思う。だけど、私は皇帝夫妻に謝られた時、心の奥底で気づいてしまった。
……私に謝らなきゃいけないのはこの人達じゃない。でも、あの人達に謝られても許せる自分がどこにもいない。
「ねえ、あなたは幸せになったからといってあの人達を許せると思う……?」
部屋の控えめな灯りで黒に見える藍色の瞳を見つめて、出来ないよね、と同時に頷く。
愛される温かさを知るたびにこの黒い感情も膨れていく気がする。どうして私はあんな扱いを受けなければならなかったのだろう。
下働きの母に非はない。ただ生まれてきただけの私にだって非はないのに。……わからない、と首を振った時、ノックが聞こえて同時に扉が開く音がした。
「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
そう言いながらティーセットを乗せたワゴンを押して入ってきたメイドに首を傾げる。
私、頼んだっけ? ……テオが頼んだのかな。
邪魔にならない位置まで近づいて、居間の中央のテーブルに手際よくセットされる茶器を眺める。昼間と違うメイドなのは夜だからか。
「お茶、お入れしますね」
「あ、テオが、夫がまだ……」
「もうじき来られます。お砂糖もお入れしておきますね」
「えっ?! 待ってください、夫は甘いのが嫌いなので私の分だけで」
急いで頼むと少し眉を顰めた彼女が少し考えて、では、奥様のカップに2つ入れますねと小さな袋を2つ開けて砂糖だという白い粉を入れ、そそくさと立ち去った。
……何か変だな? テオが飲んでいいと言うまで近寄らないようにしよう。
そっと離れて窓の外を眺めていたらお茶のいい香りが漂ってきた。随分匂いの強いお茶だなあ、と思ったところでふらりと身体が傾ぐ。
あれ、おかしいなと思った時、テオが扉を開けて入ってきたのが見えた。
「もう、廊下で次々と人に捕まって遅くなった。ごめんね、フィー……シルフィアっ?!」
「テオ、来てはダメですっ……」
叫んだ声がテオに届いたのか確認できないまま、私の意識は飛び散った。
私とテオが乗った馬車は、帝国の城の中心にある皇帝陛下が住まう本城に最短距離の門に停められた。馬車から降りて、待っていた案内の人に従って着いた部屋には既に皇帝一家が揃って待っていて、隣のテオが『普通は身分の高いほうが後から来るものなのだけど、どれだけ楽しみにしてたのだか』と苦笑いをしていた。
ハーフェルト公爵家滞在中にお義母様とディーと一緒に作ってもらったとっておきのドレスに、テオの最新作の髪型で武装した私は、昨夜テオとおさらいしたとおりに膝を折って丁寧にお辞儀をして挨拶の口上を述べた。
顔を上げると、笑顔のオネストお兄様の横にお義父様と同じ淡い金の髪の豪奢なドレスを着た背の高い女性がいて、吊り目気味の濃い緑の瞳で私をじっと見下ろしていた。
……この方が、テオの伯母様の皇妃殿下。なんだか怖い目で見てるけど、私の挨拶が気に入らなかったのかな。もしかして、どこか間違えたのかな、それとも私自身が気に入らないのかも。
悪い考えが次々に頭をよぎり、心臓がドキドキして冷や汗が流れてきた。その濃い緑の圧に押しつぶされそうになった時、柔らかい重低音が助けに入ってくれた。
「皇妃よ、そなたまた顔が怖くなっているぞ。我らの娘がせっかく会いに来てくれたのに、怯えさせては今後来てくれぬよ」
それは皇妃殿下の隣にいた黒髪の背の低いまるっとした男性から発せられた。ということは、この方がこの帝国の最高権力者である皇帝陛下。オネストお兄様が大きいから同じような方を想像していたけれど、全く違っていた!
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「あら嫌だ。不躾に見てしまってごめんなさい、シルフィア。貴方が……私の娘が、あまりにも可愛らしいから驚いていたの」
「ほら、母上。私の言ったとおりでしょう、我が妹君はとても愛らしいと」
「ええ、本当に可愛らしいわ。弟の家へ嫁にやるのが惜しいくらい」
「お言葉ですが伯母上、私とシルフィアが結婚したからこそ、伯母上の養女になったのですよ。順番を間違えないでくださいね」
すかさず笑顔のままでテオが牽制し、むっと口を歪めた皇妃殿下が手に持った扇をパタパタさせた。
「相変わらずテオドールは父親にそっくりね」
「お褒めいただき光栄です。父から『シルフィアをよろしく』と伝言です」
「わざわざ言ってこなくても可愛がるに決まってるわ。本当にいつもリーンは私を逆撫でするわね」
「それは父に直接言ってくださいよ」
テオと皇妃殿下の間に青い火花が散って見えた。
……もしかして、テオとお義父様と皇妃殿下は仲が悪いのかな。
「あの二人はいつもああだから、放っておいて問題ないよ。おいで、シルフィア。君のためにとびっきり美味しいお菓子を用意したんだ」
「そう、あれで仲が悪いわけではないから安心しなさい」
いつの間にか眼の前にオネストお兄様が来ていて私をソファへ誘導した。皇帝陛下も頷きながら手招いてくれる。
初めて会った養父母に私は嫌われたり、暴力を振るわれたりしなさそうでホッとした。
フカフカのソファへ埋もれるように座るとそれに気がついたテオが即座にやってきて隣に腰を下ろした。続けて皇妃殿下もやってきて向かいの陛下の隣に優雅に腰掛けるとまたもや私をじーっと見つめてきた。緊張して背筋を伸ばして固まっているとまた怖くなってるぞ、と陛下に突かれた皇妃殿下の頬が突如として緩んだ。
「あああ、本当にかっわいいい! 私、娘も欲しかったのにオネスト一人しか授からなくて残念無念だったのだけど、養女とはいえこんなに理想の娘ができるなんて最っ高! シルフィア、一緒にお買い物しましょ、着せ替えしましょ、女同士でお茶してお風呂に入って一緒に寝ましょ!」
ソファの前のテーブルへ身を乗りだし、私の両手を握りしめて叫ぶ皇妃殿下をついぽかんと口を開けて見上げてしまった。
……このテンション、オネストお兄様に会った時と似てる気がする。これが、親子の絆っていうものなのかな。
「……伯母上、さすがにお茶まででお願いします」
隣のテオもこの勢いに押されたのか腰が引けている。
「済まないね、二人とも。皇妃はずっと女の子が欲しかったんだが、私はその願いを叶えてあげられなかった。そなた達のおかげで今になって夢が叶って……少し舞い上がっているのだ、しばらく付き合ってやってくれ」
もちろん私も少々舞い上がっているがね、とお茶目に片目をつぶった皇帝陛下に私は笑顔でこちらこそよろしくお願いします、と礼をした。
昼食後、殿下達と話し合いをするというテオと別れた私は、午後いっぱい空けてあるの! と宣った皇妃殿下に連れられて、着せ替えとお茶とお買い物をすることになった。
皇妃殿下の部屋には、この日のために呼ばれたという商人達が所狭しとありとあらゆるものを並べて口上を述べ、私は腰を抜かした。
夕食には買い物と着せ替えの成果とばかりに飾り付けられた状態で参加し、陛下とお兄様にここぞとばかりに褒められ可愛がられてなんだか気恥ずかしいような、くすぐったい気持ちでいっぱいの一日だった。
その夜、私は本城内にあるハーフェルト公爵家専用の部屋にいた。なんとこの部屋はハーフェルト家のためだけに存在し、いつでも自由に使えるらしい。しかも寝室だけでなく居間も付いていて広い。
私の入浴中に所用を済ませに部屋を出たテオをソファに座って待ちながら、今日はなんだかずっと贅沢だなあと室内を見渡し、隅っこに大きな鏡を見つけた。全身が映るその大きな鏡を覗き込めば、そこには入浴後の化粧をしていないありのままの自分がいて、幸せそうに微笑んでいた。
九ヶ月前、ここにはボサボサで汚れきった髪の傷だらけの私がいた。実の兄のストレス解消のために頻繁に殴られ蹴られボロボロになっていた私は死にたくはないけれど、生きる希望も失っていた。それがある日突然、テオにすくわれこの部屋に保護された。
医師の治療を受け傷が癒え始めた頃、この城のメイドの手によって私の髪がサラサラになり、この鏡の前に立った。その時の私はまだ自分の身に起こったことがよくわからなくて無表情で笑顔なんてなかった。
……この傷の癒えた身体も笑顔も、私を大事にしてくれて好きをくれる人達も、全部、ぜーんぶ、テオがくれた。
鏡の中の冷たい自分とそっと両手を重ねる。今日、皇帝ご夫妻は私が虐待されていることに気づかず放置して済まなかったと謝ってくださった。
その上、私が学院からいなくなった後、同じような境遇の生徒がいないか確認して問題がある家に介入できる制度を作ったそうだ。私のいた国が厳しく罰されたのを目の当たりにしたせいか、効果は抜群だとか。
おかげで今後、私みたいな目に遭う人が減るのはとてもいいことなのだと思う。だけど、私は皇帝夫妻に謝られた時、心の奥底で気づいてしまった。
……私に謝らなきゃいけないのはこの人達じゃない。でも、あの人達に謝られても許せる自分がどこにもいない。
「ねえ、あなたは幸せになったからといってあの人達を許せると思う……?」
部屋の控えめな灯りで黒に見える藍色の瞳を見つめて、出来ないよね、と同時に頷く。
愛される温かさを知るたびにこの黒い感情も膨れていく気がする。どうして私はあんな扱いを受けなければならなかったのだろう。
下働きの母に非はない。ただ生まれてきただけの私にだって非はないのに。……わからない、と首を振った時、ノックが聞こえて同時に扉が開く音がした。
「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
そう言いながらティーセットを乗せたワゴンを押して入ってきたメイドに首を傾げる。
私、頼んだっけ? ……テオが頼んだのかな。
邪魔にならない位置まで近づいて、居間の中央のテーブルに手際よくセットされる茶器を眺める。昼間と違うメイドなのは夜だからか。
「お茶、お入れしますね」
「あ、テオが、夫がまだ……」
「もうじき来られます。お砂糖もお入れしておきますね」
「えっ?! 待ってください、夫は甘いのが嫌いなので私の分だけで」
急いで頼むと少し眉を顰めた彼女が少し考えて、では、奥様のカップに2つ入れますねと小さな袋を2つ開けて砂糖だという白い粉を入れ、そそくさと立ち去った。
……何か変だな? テオが飲んでいいと言うまで近寄らないようにしよう。
そっと離れて窓の外を眺めていたらお茶のいい香りが漂ってきた。随分匂いの強いお茶だなあ、と思ったところでふらりと身体が傾ぐ。
あれ、おかしいなと思った時、テオが扉を開けて入ってきたのが見えた。
「もう、廊下で次々と人に捕まって遅くなった。ごめんね、フィー……シルフィアっ?!」
「テオ、来てはダメですっ……」
叫んだ声がテオに届いたのか確認できないまま、私の意識は飛び散った。
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