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第四章 夫妻、休暇を楽しむ
49、思い残し
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「お義姉様、これは送りますか? ご自分で持たれますか?」
「ええっと、それは送ります。ウサギさん達を連れて帰るので鞄に入らなくて・・・」
僕達が使っていた部屋の隅でシルフィアとディートリントが明日帝国へ戻るための荷造りをしている。衣類などの大きな荷物やお土産はウータやルイーゼが差配して別室で詰めているので、荷造りといってもシルフィアの大事なものを入れる鞄ひとつだ。
来る時はポシェット一つだったが、帰りは随分と大きくなっている。それでも入り切らず、選別に苦労しているようだ。どちらにせよ、僕が持つから鞄を二つに増やしてくれてもいいのだけど。
白金の髪を珍しく高い位置で一つに結び、気合を入れて鞄に物を詰めているシルフィアを眺めて幸せを噛みしめる。
・・・シルフィアが僕に恋してくれた。今までも大好きだと言ってくれていたが、ぬいぐるみやお菓子と同じ土俵に置かれていた気がする。それでも『特別』が嬉しくてたまらなかったけど、そこから抜け出た恋人への意識の変化は大きかった。
シルフィアからはにかんだような視線を感じるたびに、このまま彼女の全てが僕に溺れてくれればいいのにと思う。
口さがない世間は、僕と結婚した彼女のことを運が良いというけれど、本当に運がいいのは僕だ。地位も資産のある家に生まれたのに婚約者を無理やり宛てがわれることもなく、留学までして自由にさせてもらっている。
そしてシルフィアに出会った僕は、彼女を助けるために遠慮なく家のモノを行使した。もしも僕がこの身分でなければ彼女を得るのは簡単ではなかったはずだ。だから、僕はとびきり運が良い。
僕の幸運を凝縮した存在を離れたソファに座って眺めていたら、濃い藍色の瞳と目があった。彼女はふにゃっと照れたような嬉しそうな表情で僕に向かって小さく手を振った。
・・・本っ当にこんなに可愛くて、どうしようか。
「テオ、顔が緩んでるよ」
突然、隣から父の声がして僕は身体を震わせた。
「父上、驚かせないでよ。また来たの? シルフィアの鞄はもういっぱいだよ」
明日出立ということで今朝から妹はシルフィアにベッタリで、父と母も度々部屋を訪ねてきては、何や彼やと彼女へ渡したり声を掛けていく。おかげで彼女の荷物は増える一方だ。
今度は君に用が出来たんだよ、と笑いながら父は僕の隣に腰を下ろした。
「これ、先に送ったお土産の目録。あと君達の結婚式のさ・・・」
「結婚式? もう大体決め終わったんじゃないの? 僕達の衣装は決まったし、招待客や料理は慣例通りだし」
思わず父の言葉を遮ってゲンナリする。
本音では結婚式なんてやりたくなかった。だけどシルフィアをハーフェルト家の一員として大々的に披露するのに一番手っ取り早い方法だし、シルフィアの花嫁姿は一生に一度きりだよ、と父に言われて心が動いた。それに、母の着た花嫁衣装を見た彼女の目がキラキラしていたから僕は重い腰を上げた。だけど、この休暇の間に決めなきゃいけないことが多くてウンザリしたのにまだ何かあるの?
父は僕の渋い顔を見て苦笑する。
「まあ、君の気持もわかるけど、自分の伴侶になるために花嫁衣装をまとってくれてると思うと本当に特別綺麗で可愛いよ?」
「そんなに?」
「それはもう、うっかり約束を破って唇にキスするくらい」
うちの両親は何をやってるの? と思いつつも頭の中にシルフィアの花嫁姿を思い描いて口元が緩む。
「まあ、君はもう結婚してるから大丈夫だと思うけど、シルフィアとたくさん話して気持ちの行き違いがないように気をつけて」
あまりにも実感のこもったその言葉に、僕は軽く頷いて深くは聞かないことにした。
・・・父と母は早くに婚約したと聞いていたが、結婚するまでに深刻な行き違いがあったようだ。
「で、本題に戻るけど。帝国の皇帝陛下が式でシルフィアのエスコートをすると言って聞かないそうだよ。どうする?」
父の手元には皇室の紋章入りの封筒がある。封蝋からして先に戻った従兄弟のオネスト殿下からのようだ。
・・・確かに書類上は皇帝陛下がシルフィアの養父だけどさ。話したことすらないよね?
「義理だし、さすがに大事になるから皇帝陛下は呼ばないで、予定が合えばオネスト殿下か皇妃の伯母上が里帰りがてら出席、もしくは父上って話になってたと思うのだけど」
うん、と頷いた父が手紙を取り出して広げながら僕の前に差し出す。
従兄弟の几帳面な字が並んだ便箋からは何か苦渋の気配が漂っている。さっと読んだ僕の眉間には深いシワが寄る。
「これ、シルフィアのエスコートの座を巡って皇帝一家が喧嘩してるだけじゃない・・・?」
「まあそういう訳で、帝国へ行ったら君が仲裁してきてね」
あの人達、それぞれの主張が強すぎて落とし所を探るの大変なのだけど、とぼやいていたら横から控え目な声がした。
「テオ、何か困りごとですか? 眉間のシワが・・・」
細い指が伸びてきて僕のおでこを擦る。その手をとってそのまま引き寄せれば、シルフィアがストンと僕のひざに収まった。
「大丈夫、全く困ってないよ。・・・いや、結婚式で君のエスコートを誰がするかって話」
抱き込んで小さな頭に頬を寄せて安心させるつもりが、大きな丸い瞳が仲間はずれにしないで、と訴えてきたので僕はアッサリと白状した。
「・・・帝国へ行ったらサッサと城を訪ねて解決しようか」
「はい!」
テオと一緒に頑張ります、と意気込むシルフィアが健気すぎて再度ぎゅっと抱きしめる。ふはっと笑い声がして正面の父を見ると、楽しそうな表情で僕達を眺めていた。
「今回、君達と過ごせて本当によかった。テオは留学した途端、ここに寄り付かなくなってこの先どうなるかと思っていたけれど、愛する女性を得て大事にしている様子が見られて僕は心底嬉しい」
父の言葉を聞いたシルフィアの体温がぐんと上がった。父の存在をウッカリ失念していて恥ずかしいのと、言われたことへの喜びから首まで真っ赤になっている。
・・・今、ここに二人きりだったらなあ。
邪なことを考えながら目の前にある艶々の細い髪の束を眺めていたら、それがブンッと大きく揺れてシルフィアが立ち上がった。
「あの、私もテオと一緒に、こちらに滞在させていただけてとても嬉しかったです。エルベの街や遊園地に連れて行ってもらえて、ふかふかのぬいぐるみも作ってもらって、ディーと遊んだりお友達もできたり・・・こんなに楽しいお休みを過ごしたのは初めてです。私をここに受け入れて下さってありがとうございました」
楽しかったことを伝えようと一生懸命言葉を紡ぐシルフィアに父の顔が柔らかく崩れる。それから、ふ、と僕らの後ろに視線をやって極上の笑みを浮かべた。
「・・・だってさ。よかったね、エミィ」
「お義母様?!」
僕の顔を容赦なく髪で横殴りにしながら振り返ったシルフィアがポッと頬を染めた。そのまま僕の前を通り過ぎてソファをまわりこみ、扉の前に居る母の元へ飛んでいく。
「あの、私、お義母様にお会いできて一緒にお休みを過ごせて、とてもとても幸せでした。作ってもらったウサギさん達、大事にします」
シルフィアは可愛らしくはにかみながら母を見上げていて、なんだか愛の告白をしているようにも見える。
「私もシルフィアが来てくれて、とても楽しい時間を過ごせたの、ありがとう。ぬいぐるみも喜んでもらえて嬉しいわ。あのこ達をよろしくね」
また新作ができたら送るわね、と続けた母がシルフィアの頬に手を差し伸べた。
「私では貴方のお母さんの代わりになれないと思うけれど、私はもう貴方を実の娘だと思っているから、何かあってもなくてもいつでも連絡を頂戴ね。それから、ここでやり残したことはない? あれば叶えたいと思って聞きにきたの」
僕はまた次の休暇に来るからその時でも、と言いかけて止めた。母の灰色の目を見つめたシルフィアが何か言いたそうにモジモジし始めたからだ。
彼女は何度か口を開こうとしては言い淀み、母はじっと待っている。皆が見守る中、シルフィアがついに思い切ったように声を出した。
「お、お義母様! あの、あの、ぎゅってしてください!」
まあ、と目を丸くして直ぐに顔いっぱいで笑った母が、ぎゅううっとシルフィアを抱きしめた。シルフィアの手がワタワタと彷徨い、しばらくしておずおずと母の背に回された。
シルフィアは母の腕の中で、見たことがないくらい穏やかで幸せそうな微笑みを浮かべていた。
・・・その後、母の感触と温もりを大事にとっておきたいからと、次の日まで僕は妻を抱きしめさせてもらえなかった。
「ええっと、それは送ります。ウサギさん達を連れて帰るので鞄に入らなくて・・・」
僕達が使っていた部屋の隅でシルフィアとディートリントが明日帝国へ戻るための荷造りをしている。衣類などの大きな荷物やお土産はウータやルイーゼが差配して別室で詰めているので、荷造りといってもシルフィアの大事なものを入れる鞄ひとつだ。
来る時はポシェット一つだったが、帰りは随分と大きくなっている。それでも入り切らず、選別に苦労しているようだ。どちらにせよ、僕が持つから鞄を二つに増やしてくれてもいいのだけど。
白金の髪を珍しく高い位置で一つに結び、気合を入れて鞄に物を詰めているシルフィアを眺めて幸せを噛みしめる。
・・・シルフィアが僕に恋してくれた。今までも大好きだと言ってくれていたが、ぬいぐるみやお菓子と同じ土俵に置かれていた気がする。それでも『特別』が嬉しくてたまらなかったけど、そこから抜け出た恋人への意識の変化は大きかった。
シルフィアからはにかんだような視線を感じるたびに、このまま彼女の全てが僕に溺れてくれればいいのにと思う。
口さがない世間は、僕と結婚した彼女のことを運が良いというけれど、本当に運がいいのは僕だ。地位も資産のある家に生まれたのに婚約者を無理やり宛てがわれることもなく、留学までして自由にさせてもらっている。
そしてシルフィアに出会った僕は、彼女を助けるために遠慮なく家のモノを行使した。もしも僕がこの身分でなければ彼女を得るのは簡単ではなかったはずだ。だから、僕はとびきり運が良い。
僕の幸運を凝縮した存在を離れたソファに座って眺めていたら、濃い藍色の瞳と目があった。彼女はふにゃっと照れたような嬉しそうな表情で僕に向かって小さく手を振った。
・・・本っ当にこんなに可愛くて、どうしようか。
「テオ、顔が緩んでるよ」
突然、隣から父の声がして僕は身体を震わせた。
「父上、驚かせないでよ。また来たの? シルフィアの鞄はもういっぱいだよ」
明日出立ということで今朝から妹はシルフィアにベッタリで、父と母も度々部屋を訪ねてきては、何や彼やと彼女へ渡したり声を掛けていく。おかげで彼女の荷物は増える一方だ。
今度は君に用が出来たんだよ、と笑いながら父は僕の隣に腰を下ろした。
「これ、先に送ったお土産の目録。あと君達の結婚式のさ・・・」
「結婚式? もう大体決め終わったんじゃないの? 僕達の衣装は決まったし、招待客や料理は慣例通りだし」
思わず父の言葉を遮ってゲンナリする。
本音では結婚式なんてやりたくなかった。だけどシルフィアをハーフェルト家の一員として大々的に披露するのに一番手っ取り早い方法だし、シルフィアの花嫁姿は一生に一度きりだよ、と父に言われて心が動いた。それに、母の着た花嫁衣装を見た彼女の目がキラキラしていたから僕は重い腰を上げた。だけど、この休暇の間に決めなきゃいけないことが多くてウンザリしたのにまだ何かあるの?
父は僕の渋い顔を見て苦笑する。
「まあ、君の気持もわかるけど、自分の伴侶になるために花嫁衣装をまとってくれてると思うと本当に特別綺麗で可愛いよ?」
「そんなに?」
「それはもう、うっかり約束を破って唇にキスするくらい」
うちの両親は何をやってるの? と思いつつも頭の中にシルフィアの花嫁姿を思い描いて口元が緩む。
「まあ、君はもう結婚してるから大丈夫だと思うけど、シルフィアとたくさん話して気持ちの行き違いがないように気をつけて」
あまりにも実感のこもったその言葉に、僕は軽く頷いて深くは聞かないことにした。
・・・父と母は早くに婚約したと聞いていたが、結婚するまでに深刻な行き違いがあったようだ。
「で、本題に戻るけど。帝国の皇帝陛下が式でシルフィアのエスコートをすると言って聞かないそうだよ。どうする?」
父の手元には皇室の紋章入りの封筒がある。封蝋からして先に戻った従兄弟のオネスト殿下からのようだ。
・・・確かに書類上は皇帝陛下がシルフィアの養父だけどさ。話したことすらないよね?
「義理だし、さすがに大事になるから皇帝陛下は呼ばないで、予定が合えばオネスト殿下か皇妃の伯母上が里帰りがてら出席、もしくは父上って話になってたと思うのだけど」
うん、と頷いた父が手紙を取り出して広げながら僕の前に差し出す。
従兄弟の几帳面な字が並んだ便箋からは何か苦渋の気配が漂っている。さっと読んだ僕の眉間には深いシワが寄る。
「これ、シルフィアのエスコートの座を巡って皇帝一家が喧嘩してるだけじゃない・・・?」
「まあそういう訳で、帝国へ行ったら君が仲裁してきてね」
あの人達、それぞれの主張が強すぎて落とし所を探るの大変なのだけど、とぼやいていたら横から控え目な声がした。
「テオ、何か困りごとですか? 眉間のシワが・・・」
細い指が伸びてきて僕のおでこを擦る。その手をとってそのまま引き寄せれば、シルフィアがストンと僕のひざに収まった。
「大丈夫、全く困ってないよ。・・・いや、結婚式で君のエスコートを誰がするかって話」
抱き込んで小さな頭に頬を寄せて安心させるつもりが、大きな丸い瞳が仲間はずれにしないで、と訴えてきたので僕はアッサリと白状した。
「・・・帝国へ行ったらサッサと城を訪ねて解決しようか」
「はい!」
テオと一緒に頑張ります、と意気込むシルフィアが健気すぎて再度ぎゅっと抱きしめる。ふはっと笑い声がして正面の父を見ると、楽しそうな表情で僕達を眺めていた。
「今回、君達と過ごせて本当によかった。テオは留学した途端、ここに寄り付かなくなってこの先どうなるかと思っていたけれど、愛する女性を得て大事にしている様子が見られて僕は心底嬉しい」
父の言葉を聞いたシルフィアの体温がぐんと上がった。父の存在をウッカリ失念していて恥ずかしいのと、言われたことへの喜びから首まで真っ赤になっている。
・・・今、ここに二人きりだったらなあ。
邪なことを考えながら目の前にある艶々の細い髪の束を眺めていたら、それがブンッと大きく揺れてシルフィアが立ち上がった。
「あの、私もテオと一緒に、こちらに滞在させていただけてとても嬉しかったです。エルベの街や遊園地に連れて行ってもらえて、ふかふかのぬいぐるみも作ってもらって、ディーと遊んだりお友達もできたり・・・こんなに楽しいお休みを過ごしたのは初めてです。私をここに受け入れて下さってありがとうございました」
楽しかったことを伝えようと一生懸命言葉を紡ぐシルフィアに父の顔が柔らかく崩れる。それから、ふ、と僕らの後ろに視線をやって極上の笑みを浮かべた。
「・・・だってさ。よかったね、エミィ」
「お義母様?!」
僕の顔を容赦なく髪で横殴りにしながら振り返ったシルフィアがポッと頬を染めた。そのまま僕の前を通り過ぎてソファをまわりこみ、扉の前に居る母の元へ飛んでいく。
「あの、私、お義母様にお会いできて一緒にお休みを過ごせて、とてもとても幸せでした。作ってもらったウサギさん達、大事にします」
シルフィアは可愛らしくはにかみながら母を見上げていて、なんだか愛の告白をしているようにも見える。
「私もシルフィアが来てくれて、とても楽しい時間を過ごせたの、ありがとう。ぬいぐるみも喜んでもらえて嬉しいわ。あのこ達をよろしくね」
また新作ができたら送るわね、と続けた母がシルフィアの頬に手を差し伸べた。
「私では貴方のお母さんの代わりになれないと思うけれど、私はもう貴方を実の娘だと思っているから、何かあってもなくてもいつでも連絡を頂戴ね。それから、ここでやり残したことはない? あれば叶えたいと思って聞きにきたの」
僕はまた次の休暇に来るからその時でも、と言いかけて止めた。母の灰色の目を見つめたシルフィアが何か言いたそうにモジモジし始めたからだ。
彼女は何度か口を開こうとしては言い淀み、母はじっと待っている。皆が見守る中、シルフィアがついに思い切ったように声を出した。
「お、お義母様! あの、あの、ぎゅってしてください!」
まあ、と目を丸くして直ぐに顔いっぱいで笑った母が、ぎゅううっとシルフィアを抱きしめた。シルフィアの手がワタワタと彷徨い、しばらくしておずおずと母の背に回された。
シルフィアは母の腕の中で、見たことがないくらい穏やかで幸せそうな微笑みを浮かべていた。
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