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第四章 夫妻、休暇を楽しむ

43、妻をめぐって

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「おかえりなっさーい・・・アラいやだ! なんでそんなに砂まみれなの?!」

 ハーフェルト公爵邸に戻ると、朝に出掛けるのを見送ったオネスト殿下が『お姉様』に戻って待ち構えていた。砂と海水でドロドロの私とテオを見て目を丸くする。

「お姉様、ただいまです! そして、お姉様もおかえりなさいませ。今日はテオに砂浜へ連れて行ってもらったのですよ! 海で遊んで、皆でお弁当を食べてとってもとっても楽しかったです」

 殿下の前で今日の報告をしていると、二階からお義母様の声が降ってきた。

「おかえりなさい。二人とも楽しかったみたいで良かったわ」

 玄関ホールの真ん中にある大きな階段を降りてきながらお義母様がふわりと微笑む。そのおかえりなさいという言葉に私の心が温かくなってフワーッとほどける。

 最近、お義母様といると無性に甘えたくなる時がある。子供に戻ってあの優しい腕に抱きしめられたいと願ってしまう。
 実際はそんなことをお願い出来るわけもなく、私は積極的に迎え入れてくれるディーの腕の中でひっそりと母という存在を想像しているだけだ。

「そういえば、お土産はないの?」
「・・・お土産?!」

 突然、殿下が私へ手を差し出して期待の目で見つめてきた。出かける前に落としたはずの化粧もガッチリ施されていて迫力満点だ。しかし、私はお土産なんて思いつきもしなかったから何も用意していない。

 どうしよう、と隣のテオを見上げる。彼になんとかしてくれと言うつもりではなかったのだが、なんとなく顔を向けてしまった。
 テオはそんな私の視線に気がつくと、嬉しそうに微笑んでポケットからハンカチで包まれた物を取り出した。

「大丈夫、お土産ならあるよ。・・・初遠乗りデートの記念にシルフィアと集めたのですが、殿下にも一つ分けてあげますよ」

 非常にもったいぶって手のひらに広げてみせた包みの中身は、砂浜で拾い集めた貝殻や石だった。面白い形の巻き貝や綺麗な色の二枚貝、白くて丸い石など可愛らしいものが山になっている。

「これは殿下へのお土産になるのですか?」
「なるさ。この中から君が殿下にあげたいと思うものを選んで」
「でも、これはテオと一緒に集めた物なのに私が選んでもいいのですか?」
「僕が選ぶより可愛い妹のフィーアが選んだ方が殿下は喜ぶと思うよ」
「その通り! 私の愛する妹であるシルフィアが、私のことを想って選んでくれるから路傍の貝や石がお土産になるのよ!」

 殿下からも大袈裟な身振り手振りとともに歌うように告げられ、なるほど、とテオの手の中を見つめる。
 どれもこれも甲乙つけがたい可愛らしさでどれが殿下に相応しいか、なかなか決められない。唸っていると頭の上で殿下とテオが話し始めた。

「テオが明るい砂浜で女性と戯れるなんて、以前なら考えられないわ。変われば変わるものネェ」
「殿下、もう少し言葉を選んでください・・・人は変わるものですよ」
「そうねー。私も妹ができて変わったって言われたいから、しばらく姉妹水入らずで暮らしたいわー。帝城に部屋もあるし、半年くらいどうかしら?」
「僕は妻と別居する気はありませんね。どうしてもというなら、僕付きで一晩泊まるだけならいいですよ?」
「・・・それ、タダの里帰り。しかも超短期じゃない。もう! シルフィア、テオとケンカしてしばらくうちに帰っておいでなさいよ」

 いきなり話を振られた私はパッと殿下を見上げた。深緑の瞳と漆黒の髪。途端にピンときてテオの手から緑色の石と黒い二枚貝を摘みだして殿下へ差し出した。

「お姉様の色の貝と石をお土産にします! 綺麗、だと思うのですが・・・」

 どうでしょう? と見つめると殿下は手のひらにのせられたものを見て口元を綻ばせた。喜んでもらえたみたいだとホッとしたところで、再度畳み掛けられる。

「で、シルフィアはいつ、テオとケンカして愛想尽かしてうちの城に帰ってくるの?」
「私は、テオに愛想を尽かしたりしませんよ?」

 多分きっとないはず、とちょっぴり悩んでいたら、後ろからふわりと抱き込まれた。

 ・・・アレ? この感触、匂い、テオじゃない?!

「殿下、シルフィアが大事な妹ならそんなことを言っては駄目ですよ。それに、テオは私とリーンの息子ですから大切な妻に愛想を尽かされるようなことはしないと思いますわ」

 頭の直ぐ上からうっとりするような柔らかい声が降ってきて、私の体は硬直した。

 まさか・・・

「でもね、シルフィア。それでももし、テオとケンカすることがあったら私の所においでなさい。テオは息子だけど、貴方だって私の大事なむすめなのだから私は全面的に貴方の味方になるわ」

 テオの撃退は任せてね! 耳元でささやかれた内容はほとんど頭に入らず、私は機械仕掛けのようにコクコクッと頷いていた。そして同時に心の中では大パニックを起こしていた。

 ええっ?! 私、今お義母様に抱きしめられてるの?! どうしよう、テオの時よりものすごく緊張する! でも、お義母様ってとっても温かくていい匂いがして、まるで夢の中で会ったお母さんみたい。

 私はその幸せ過ぎるぬくもりに暫し浸っていた。

 
「・・・母上、そろそろ僕の妻を返してください。母上にはディートリントがいるでしょう」

 あっという間に痺れを切らしたテオの腕が伸びてきたけれど、私の身体はお義母様に抱えられてサッと彼の視界から消えた。

 ふぇっ、お義母様は意外と力持ち。腰に腕を回されてテオから隠すようにぎゅと抱き込まれていると心臓が爆発しそう。

「母上?!」

 テオの戸惑った声が上がったが、私からはその様子は見えない。お義母様は私を抱え直すとテオを振り返って宣言した。

「ディーもシルフィアも同じ、私の大事なむすめなのよ。だから殿下とテオがシルフィアのことで揉めるなら私が預かります! 返してほしければ仲良くなって迎えに来なさい」

 さ、私の部屋で海水と泥を落として着替えましょ、と声が聞こえると同時にお義母様とルイーゼに抱えられ、そのままテオの顔を見る暇なく連れて行かれた。

 後ろからテオの声にならない悲鳴が響いていたような・・・。

■■

 眼の前で母に妻をさらわれた。取り返したいのは山々だけど、手ぶらでは絶対に渡してもらえないのはわかっている。どうせ向こうだってシルフィアを洗っているだろうからと、自分も汚れを落として身なりを整えてから殿下の首根っこを捕まえてお互いの希望を出し許容範囲を擦り合わせて紙に記した。

1、オネスト殿下はシルフィアを抱き上げない、抱きしめない、節度を保って接する。
2、帝国にいる間は季節に一度、それ以外にいる時は年に一度は二人で帝城に泊まりに行く。
3、シルフィアの希望を何よりも優先する。

 これを契約書のかたちに整えて二人で母の部屋を訪ねた。ノックと同時に扉から顔を覗かせたのは妹のディートリントで、その紫の瞳はキラキラと輝いている。

 ・・・うわ、物凄く嫌な予感がする。

「あら、テオ兄様とオネスト姉様。一歩遅かったわね、お義姉様は今夜はテオ兄様の所に戻らないそうよ」
「えっ?! どういうこと?!」

 予想以上にとんでもないことを言われて、僕の顔から血の気が引いた。

 僕は、シルフィアをそんなに怒らせていたのか? いつの間に?

 僕が狼狽えていると、妹の腕の下からピョコッと白金の頭が生えて濃い藍の瞳を妹に負けないくらい煌めかせた妻が見上げてきた。

「テオ、いらっしゃいませ。今夜、お義母様とディーと一緒に夜の女子会をするのです! お菓子を食べて、いっぱいお話して、なんと一緒に寝るそうです! ・・・参加してもいいですか?」

 なんだ、そういうことか。僕の顔は自然と緩んだ。

「もちろん。僕達は何よりも君の希望を優先すると誓ってきたところだからね」

 夜を一緒に過ごせないことを残念に思いはしたけれど、僕は笑顔でシルフィアに例の紙を渡した。彼女はそれを読んで首を傾げる。

「この三番は・・・私にはもったいない項目だと思うので、なくても良いのではないかと」
「何を言っているの、そこが一番大事な文言だよ」

 ソウソウ、と頷くと殿下と僕を交互に見たシルフィアがふわっと笑顔になった。

「お二人共私のために素敵な約束を作ってくださり、ありがとうございます。お姉様、テオと帝城に泊まりに行く日を楽しみにしています」

 隣の殿下の顔が激しく崩れた。

 ・・・なんだ、もう既に十分変わってるじゃないか。
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