次期公爵閣下は若奥様を猫可愛がりしたい!

橘ハルシ

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第四章 夫妻、休暇を楽しむ

39、妻、例の人に会う

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「テオ、おはようございます! ・・・テーオー。起きてくださーい・・・」

 ベッドに起き上がって隣で眠る夫の頬をぺちぺちと叩いて起こす。彼は大抵寝起きが良くないので起こすのがひと苦労だ。今日はいつにもましてひどい。

「テオー」

 もう一度だけ、と顔を近づけて声を掛ければ眩しそうに顔を顰めたテオが小さく呻いた。

「・・・昨夜は寝るのがものすごく遅かったんだ。朝食までには起きるから・・・フィーアも」

 もう一度一緒に寝よう、と伸びてきた腕を掻い潜りテオの身体を乗り越えて、私はベッドから飛び降りた。

「分かりました、テオはしっかり寝ていてください。今朝は私一人で練習に行ってきますね!」

 振り返って乱れた掛布をテオの肩まで掛け直したところで、ふとイタズラ心が湧いた。
 うんと背伸びして、こちらに背を向けている彼の頬にキスをする。

 おはようのキスですよー、と心の中だけで呟いて走って寝室を出る。いつもテオからなので、たまには私からしてみようかなと思ったのだけど、実際にするととても恥ずかしい。

 後ろで、えっ、夢?! とテオが驚き騒ぐ気配がしたけれど振り返らずに扉を閉めた。


「おはようございます、シルフィア様」
「おはようございます、ルイーゼ」

 隣の部屋で待っていてくれた侍女のルイーゼと挨拶を交わす。ウータさんから引き継いでこちらでの私の世話をしてくれている彼女ともだいぶ馴染んできた。

 最初の頃『ルイーゼさん』と呼んでいたら、『ルイーゼ』と呼んでくださいと言われたのでそう呼ぶことにした。
 すると、フリッツさんやウータさんからもお願いされて、今はもう二人にも『さん』をつけないことになった。でもまだ頭の中では『さん』をつけてしまう。

「今日は護身術の練習の後、朝食。その後はテオドール様と遠乗りへ行かれるという予定でしたね」

 着替えの後、ルイーゼが私の髪を結いながら今日の予定を確認してくれる。私はハイ、と頷きそうになって頭を動かしてはいけないことを思い出しピタッと止めた。昨日も動かしてやり直しになってしまったので気をつけないと。

「ルイーゼは、遠乗りをしたことがありますか?」

 正面の鏡を通して後ろのルイーゼに尋ねれば、彼女は笑顔で頷いた。

「ええ、ありますよ。今日も馬でお供いたします」
「えっ、ルイーゼは馬に乗れるのですか?!」
「はい。実は私、騎士団にも所属しておりまして、シルフィア様の護衛も兼ねているのです」
「ええっ?!」

 驚きのあまり思いっきり振り向いてしまったけれど、髪は丁度結い終わったところで崩れなかった。

 よかった・・・、いや、それよりルイーゼがフリッツさんと同じ騎士で、ウータさんと同じ侍女もやってくれてるだなんて!

「ルイーゼは、私には勿体ないくらいの方だったのですね」

 道理で動きがキビキビしていると、尊敬の眼差しで見上げればルイーゼが赤くなって両手を振り回した。

「そんなことないですよ! テオドール様が『シルフィアはきっと新しい人が増えると戸惑うだろうから、できれば護衛と侍女を兼任できる人材がいい』と数少ない女性騎士だった私に突然打診されて。ですから、侍女の仕事はまだ伯母のようにはうまくできず申し訳ないのですが・・・」

「そうだったのですね。テオは何でもお見通しなのですかね・・・。あ、でも私はルイーゼのおかげでいつもテオに『可愛いね』って言ってもらえて感謝していますから!」

 ルイーゼが侍女で助かっていると伝えれば、彼女の目が緩んだ。

「テオドール様ってば、本当にいつもシルフィア様が可愛くてたまらないって感じですものね」
「そうなんです。嬉しいのですけど、ちょっと恥ずかしくもあり・・・アレ? これって、もしや惚気ですか?!」

 黙ってニコニコしているルイーゼに私は悟った。

 ・・・これが、惚気! しまった、人の惚気は聞きたいものではないと、新聞のお便りコーナーで読んだ気が。

「あ、あの、惚気のつもりはなかったのですけど、不快な気持ちにさせてしまっていたらすみません」

 慌てて謝れば、何故か濃い茶の瞳が輝きを増して顔の前で両手を組んだルイーゼが身を乗り出してきた。

「全く不快だなんて思いません! この公爵邸の者は皆、ご一家の惚気が大好物なので、もっとどんどん惚気けちゃってください」

 そうなの?! そうなの? 本当に!?

 目を白黒させていたらコンコン、とノックの音が聞こえた。ただいまお開けします、と扉に駆け寄っていくルイーゼの後を私もついて行く。

 義妹のディーが、毎朝一緒に行っている護身術の練習へ誘いに来たのだろうと思っていたのだが。

「おはようございます。・・・貴方が、テオドール様が妻にと望んだシルフィア様ですか?」
 
 開いた扉の向こうには、真っ黒な人が立っていた。お義父様より少し背が低いその人は、黒いスーツを着て細く長い黒い髪を首の後ろで一つに結び、黒い瞳をキラリと光らせ眼鏡の奥から私を見下ろしていた。

「ああ、自己紹介が遅れました。私は、このハーフェルト公爵家当主リーンハルト様の側近を務めております、ヘンリックと申します。以後お見知り置きを」

 その名を聞いて私は慄いた。

 テオの婚約者探しを任されていた人だ! 私のせいで、一生懸命選んだ完璧なご令嬢とテオが結婚出来なくなって怒っているに違いない。

「あの、私がテオドール様と結婚してしまってごめんなさい!」

 目を合わせることが怖くて、頭を思いっきり下げてそのままじっとしていたら、不思議そうな声が降ってきた。

「私は貴方に謝罪されるようなことはされておりませんよ」
「え・・・でも、ヘンリックさんがテオドール様の婚約者様探しを任されておられたと・・・」
 
 驚いて顔を上げれば、ヘンリックさんが腑に落ちたというように頷いた。

「ええ、確かに私はテオドール様に結婚のお相手探しを任されてといいいますか、丸投げされておりましたが、こうなる予感もありましたので問題はございません」

 こうなるって・・・? 

 首を傾げる私へ、ヘンリックさんは底光りする眼鏡を手でついっと押し上げ無表情で続けた。

「お父上のリーンハルト様は幼少時に奥様に出会って以来、それはそれは重く激しく執着されまして。その血を引いたテオドール様の弟君のパトリック様も幼い頃から一人の女性に執着されたものですから、女嫌いと言われていたテオドール様もまだ出会っていないだけかもしれないな、と頭の片隅で考えておりました」

 その考えは正しかったわけですが、と続けた彼は私をマジマジと見つめながら額に手を当て、首を大きく横に降った。

「そうは思いつつも、もちろん手を抜かずテオドール様の好みを推察し能力的にも素晴らしいご令嬢を選び抜いたつもりでした。それが、『自分で見つけた相手と結婚する』と宣言されてそれまでの苦労は何だったのかと驚き怒り狂った時もありましたが、今はもう受け入れております。それより、」

 ヘンリックさんはそこで言葉を切って苦渋の表情になった。私はやっぱり怒ったんだ、とドキドキしながら続きを待つ。

「私はテオドール様がお生まれになった時から見守ってきましたが、あの方の女性の好みが全く分かっていなかったと、ただいま激しく落ち込んでおります」

 がっくりと肩を落としたヘンリックさんに私も落ち込んだ。

 それほどまでに私は予想外の容姿だったのか・・・。
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