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第三章 夫の実家に初訪問

23、夫と妻の決意

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 ・・・ああ、やってしまった。

 寝支度を整えながら鏡の中の自分を見て大きなため息をつく。

 つい、いつもの調子で妹と口喧嘩をして妻を怖がらせてしまった。あの後、平気そうに振る舞っていたけれど、僕と妹の様子をずっと窺っていたのを感じた。妹も気がついていたようで、あれ以降、距離をとってひたすら大人しくしていた。

 妹は我が家の末っ子で唯一の女の子。両親、特に父から可愛がられて甘やかされて育ち、少々我慢がきかない。そして、無類の可愛いもの好きでシルフィアは彼女の好みど真ん中だった。おかげでその勢いに慣れていないシルフィアはすっかり怯えてしまった。
 
 その上、出発前の父から真剣な声で『シルフィア殿がここに馴染めるように君が心を砕いてあげるんだよ』と心配されてしまい、自分はそんなに頼りない夫に見えてるのかと落ち込んだ。

 とにかく明日からは妹を制御してシルフィアの心の安寧を保たなくては、ハーフェルト公爵夫人になんかなりたくないと言われてしまいそうだ。

 その恐ろしい事実に思い至って、僕はその場でしばらく頭を抱えた。


 自分のわがままで妻にしたのだから何よりも大事にして護ると誓ったはずなのに、なかなかうまくいかないものだと重い体を引きずるように廊下を歩いて扉の前で呼吸を整えた。
 
 もう寝ているかもしれないと小さくノックをしてから、幼少時から慣れ親しんだ寝室の扉を開ける。途端、聞き馴染んだオルゴールの音が耳に流れ込んできた。

 この部屋にシルフィアが居て、彼女のお気に入りのオルゴールが奏でられていることにくすぐったさを感じる。その音は同時に僕の澱んでいた心を明るく、軽くしてくれた。

「フィーア?」
「はい」

 しょっちゅうこの音色を子守唄に寝てしまっている妻の名をそっと呼べば、今夜は返事があった。だが、ベッドには姿が見えず首を巡らせば、壁際の本棚の横に置かれた大きな肘掛け椅子の上にオルゴールを抱えてちょこんと座っていた。

 ・・・僕の子供の頃からのお気に入りの椅子に愛する妻が座っている。

 その光景に身体の奥から温かくて幸せな気持ちが湧き上がってきた。

「どうしたの? 先にベッドで休んでてよかったのに」

 優しく声を掛けながら椅子の横にしゃがみ込み、やや下から彼女の顔を観察する。照明の暗い室内では黒に見える濃い藍色の瞳に怯えはない。それどころか、彼女が僕の顔を見て安堵している様子が窺えて、まだ大丈夫間に合うと、ほっと胸を撫で下ろしたのだが。

「部屋もベッドも広すぎて落ち着かないので・・・」

 すみっコにいましたと、オドオドした声で返ってきた言葉に顔が強張る。

 学院でもすみっコが定位置だったと言ってたが、留学先の部屋では全くそんな様子がなかったから忘れていた。

 ということはまさか、シルフィアにとってここは嫌な思い出の詰まった学院と同じ?! いや、それよりも虐め抜かれた生家の城を思い出させるのかもしれない。ようやくそのことに思い至った僕は戦慄した。

 何がなんでもここを彼女の安心できる場所にしなくては!

 気合を入れ直し、心細そうに音の鳴り終わったオルゴールを見つめている彼女に顔を寄せた。

 彼女はその箱を宝物入れにしていて、デートで買った小物などを仕舞っている。中身がいっぱいになったら、ひと回り大きいものを買いに行こうと約束していて、中の様子を見るにその日は近そうだ。
 彼女はきっとまた真剣に選ぶだろう。その様子を想像したら、自然と幸せな笑みが浮かんできて彼女に触れたくなった。それで僕はそっと彼女と頬をくっつけた。

「テオ様?!」
「フィーアは柔らかいね。そうそう、この椅子、座り心地がいいだろ? 僕のお気に入りなんだ。明日はこの邸を案内するよ。君の気に入る場所や物が見つかるといいのだけど」
「ありがとうございます、楽しみです。でも、頬をくっつけたまま話さないで下さい。なんだか変な感じです」
「ダメ?」
「ダメです!」

 くすぐったそうに身体をよじりながら、グイグイ僕の身体を押して離れようとする彼女が可愛くて、膝の上のオルゴールごと抱えてベッドに運ぶ。 

 降ろした途端、また不安そうになったシルフィアが僕の服の裾を握りしめる。

 ・・・ああ、可愛い。ダメだ、僕ばっかり幸せになっててどうする!

「僕が今、君の不安を和らげるためにしてあげられることは何?」

 空いている方の手を握って、目を合わせて尋ねれば、彼女はしばらく言い淀んだ後、瞳を潤ませて訴えてきた。

「あの、では、眠るまで・・・くっついていてもいいですか?」
「もちろん! 朝まで抱きしめておくよ」

 それで安心したのか、そのまま僕の身体に両腕をまわしてギュッとしがみついてきた。

 何だろう、いつもの倍、可愛い。可愛い過ぎて限界を越えそうだ。

 
■■


 目が覚めたら室内は夜が明けて直ぐの薄暗さだった。まだ起きるには早いかも、とじっとしていたらじわじわと昨日のことが脳裏に蘇ってきた。

 昨日はテオ様のご家族に会って緊張し過ぎた挙げ句、ディートリント様の勢いに圧倒されてしまい、寝る頃には疲れと緊張で頭がグチャグチャになってテオ様に何か恥ずかしい事を言ってしまった気がする。

 要するに私は、初日から大失態をしでかしてしまったのだ・・・!

 やってしまった、と頭を抱えて底無し沼のように落ち込んでいく気持ちを無理やり引きずり起こして、今日挽回するための策を練る。

 まず、ここに慣れる。テオ様が邸内を案内してくれると言っていたから、完璧に覚えてお手伝いも出来るようにする。
 チェレステさんから貰った姑対策メモにも『朝は早起きして姑の朝食作りの手伝いをする』とあったし、台所は最初に教えてもらわなきゃ・・・と考えたところで違和感に気づく。

 んん? 公爵夫人は料理しないんじゃない? 食事は専門の人が作ってたよね? 昨日のお茶菓子も夕食もとんでもなく美味しかった!

 じゃ、これは実行不可能か。他には『なるべく姑には逆らわないけど、我慢の限界が来たら夫を返品してさよなら』これならできそう・・・まあ、後半は参考程度にしておいて。

 後はディートリント様は怖くない、怖くない、と唱えて。

「よし、今日こそ頑張ろう!」
「おはよう、フィーア。眠れた?」

 心の中だけで気合を入れたつもりが、声に出ていたようでテオ様を起こしてしまった。今朝の寝起きはいいらしく、私を見つめる綺麗な薄青の目は愛情に溢れていて、心が満たされていく。

 私はハイ、と元気よく答えて目の前にあるテオ様の胸にギュッとしがみついた。

 幸せな温もりを感じながら、この人と一緒にいるためには、分不相応でもこの家族の一員にならなければならないのだと覚悟を決める。

 私は何があろうと次期ハーフェルト公爵夫人の座を、テオ様の妻であることを手放さない。

 決意を込めてぎゅううっとテオ様の寝間着を握りしめたら、さらに強く抱きしめ返されて呼吸困難に陥った。

「あっ、昨夜からフィーアが積極的で嬉しくて力を入れ過ぎた。ごめんね、大丈夫?」
 
 必死で酸素を取り込みながら頷く。テオ様はすまなさそうに私の背中を撫でながら尋ねてきた。

「まだ寝る? 起きるなら庭を案内がてら散歩しようか?」

 その言葉で私はベッドの上に跳ね起きた。

「起きます! テオ様とお散歩、したいです!」
「可愛い・・・僕は、この瞬間に君とベッドに戻りたくなったよ」
「お散歩は取り止めですか・・・?」
「いや、行くよ。僕の戯言は気にしないで」

 テオ様はそう言いながら、そそくさと部屋から出て行った。私は首をひねりつつ、ベッドから滑り降りる。

 テオ様は本当は二度寝したかったんじゃないのかなと気になったけど、早朝に庭園の散歩をするなんて初めてで楽しみ過ぎたので、一旦忘れることにした。
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