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第三章 夫の実家に初訪問
20、行ってきます
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「へえ、じゃあ明日っから夫の実家に行くのか。ハーフェルト公爵家ってすごい資産家だから豪邸なんだろうな。帰ってきたら色々教えてよ」
「はい! しっかり見てきますね」
「だけど、結婚しているのに夫の親族に会うのが初めてって貴族ってそういうものなのか?」
「いえ、多分、珍しいと思います。ですが、ちゃんと結婚の許可はもらっているので大丈夫、なはずです」
昼下がりの食堂に、時間を合わせてジャンニさんとロメオさんが訪ねてきてくれて一緒に食事を摂っている。
お店はもう昼の営業が終わっていて、お客さんは誰もいない。チェレステさん達も加わっていつもよりちょっと豪華なまかないを食べつつ、話は私が明日から向かうハーフェルト公爵家についてになった。
私とテオ様は特殊すぎる結婚だったので、彼の家族と一度も会ったことがない。今回の帰省で初めて会うので今からドキドキしていると言えば、皆が口々に励ましてくれた。
チェレステさんは結婚経験がある女性ということでより親身になってくれて、私の手を取ってため息をついた。
「はー、心配だねえ。離婚三回の私が言うのもどうかと思うけど、一応、姑と仲良く付き合う心構えをメモしておいたから、お守り代わりに持っておいき」
「ありがとうございます! 私、どうしたらいいか分からなかったので、これを覚えて頑張ります」
「いいかい? もし虐められたら離縁状叩きつけて帰っといで。ウチに住み込んで働けばいいからね!」
「ありがとうございます。本当に困ったらお願いいたします」
「いやいや、あの奥様ですよ? 虐められたりは絶対ないし、シルフィア様は大事にされますって。それにテオドール様がシルフィア様から離縁状なんて叩きつけられたらどうなるか。想像するだけで怖いですね!」
満面の笑みを浮かべて元気よく最後の台詞を言い放ったフリッツさんに、チェレステさんが苦笑いをした。
「私達はその奥様を知らないからね。まあ、シルフィアちゃんが大事にされるなら何も言うことはないさ。あの青年がどこの誰だろうと大事な妻を守れないなら夫失格さね。そうだ、シルフィアちゃん、離縁状の書き方を教えとこうか? こっちは三回も書いてるから完璧だよ」
「離縁状ってどんな・・・」
興味が湧いて、チェレステさんの方に身を乗り出した途端、後ろへ引っ張られてそのままふわりと慣れ親しんだ匂いに包まれた。
「フィーア、君にそれは必要ないからね? チェレステさん、僕は彼女と離婚なんて絶対にしませんから!」
「おやおや、必死だねえ」
「必死ですよ!」
切羽詰まったような声が降ってきて、後ろから腰に回された腕に手を乗せて首を上に傾ければ、真っ青な顔のテオ様がいた。
「そろそろ時間だから迎えに来たんだ。帰省の前に友人と昼食会という話だったよね? なのになんで、離縁状の話になってるの?!」
「・・・なんででしょう?」
どうしてだったっけ? と首を傾げれば、チェレステさんがニヤリと笑って指を振った。
「そりゃ永遠のネタ、嫁姑問題だよ」
「僕は、何があっても誰が相手でもシルフィアの味方ですよ」
「それは、夫の鏡ですね。シルフィアさん、これ俺からのお餞別。日持ちするから船の中ででも食べてくれたら」
「ルノーさんのジャムサンドクッキー! 嬉しいです、大事に食べますね」
朝からルノーさんが何か甘い匂いの物を作っているなと思っていたら、私へのお餞別だった。
ルノーさんは最近お菓子作りにハマっていていくつか食べさせてもらったけれど、どれも美味しかった。チェレステさんなんてこの食堂でも出したいと本気で検討している。その中でも一番美味しかったジャムサンドクッキーをもらえるなんて嬉しすぎる!
一緒に食べましょうね! とテオ様へ貰ったクッキーの袋を掲げて見せたら、彼の顔がパッと明るく輝いた。
「じゃあ、船内で二人きりでお茶しようね。約束だよ」
「はい、楽しみです!」
「あっという間に機嫌が直ったね。あれは意外とシルフィアちゃんの方が夫を手の上で転がしているのかね?」
「シルフィア様は全くそんなつもりはないと思いますがね。テオドール様が妻に関して単純過ぎるんです。そういえば、ルノーさん、俺には餞別ないんですか?」
「あるよ。ほれ、俺特製つまみセット」
「あー、これこれ。美味しすぎるヤツ! ご馳走様です! お土産はハーフェルト家の秘蔵ワインでもくすねてきましょうか?」
「・・・まだ死にたくないからヤメテ」
■■
波と風の音に混ざって窓に打ちつける雨の音が聞こえる。お茶の時間までは晴れていて、どこまでも続く青い海原をテオ様と眺めながらジャムサンドクッキーを食べていたのに、夕方から雨が降ってきて深夜の現在まで続いている。
明日の昼過ぎに港に着くと言っていたけど、この天気でも本当に大丈夫なのだろうか? いつもは留守番のウータさんが今回は私がいるからとついてきてくれているのだけど、波が高くて船が揺れるせいで酔ってしまって自分の部屋に籠もっている。フリッツさんは平気そうだけど何度かテオ様と真剣な顔で話し込んでいた。
私は海も船も初めてで、昨日の朝出港してから甲板に行って風に吹かれてみたり、船の中の部屋でお茶したり動く窓の外を眺めたりして、この旅をとても楽しんでいた。
なのに今、大波のような不安が押し寄せてきている。もしかしたら本当はずっと不安で、考えないようにしていただけかもしれないけれど。
真っ暗な窓に両手を当てて覗き込む。たくさんの雨粒が目の前のガラスに当たって滑り落ちていく。その向こうの海は空との区別がつかない黒さで私を飲み込んでしまいそうだ。
怖い。
この暗い雨の海も、これから行くハーフェルト公爵家も。
私は大きく息を吐きながら額をガラスにくっつけた。
テオ様のご家族なのだから、きっといい人達なのだろうと思う。だけど、私の知っている家族というものは、罵詈雑言を吐いて痛めつけてくる怖くて嫌なものだったから、私は恐怖しか抱けない。
こんなこと、テオ様には言えない。私は窓の側に置かれている椅子の上でじっと膝を抱えて外を見続けていた。
「あれ・・・? フィーア?」
突然、テオ様の寝惚けた声が聞こえて肩が震えた。どうしよう、起きないと思っていたのに。敏い彼のことだから、側にいればこの不安な気持ちがバレてしまう。でも、返事をしなければ探されてしまう。
窮地に陥った私は、混乱してワタワタと暗闇で動いた挙げ句、椅子から落ちた。
ドタッという音で、あっという間にテオ様が駆けつけてきて私をすくい上げる。大抵いつも寝起きがよくない人なのに、こういう時は機敏なんだから。
「フィーア、大丈夫?! 怪我は?」
「ない、です」
本当は床に右肘を打って痛かったけど、心配かけたくなくて、ぐっと我慢して答える。
「・・・うーん? 右の肘を打った?」
「なんで?!」
「あ、当たったみたいだね。そっちだけいつもより掴まる力が弱いから、そうかなって」
なんで真夜中の寝起きでそんなに鋭いの?!
先程までの重い気持ちを忘れて、私は彼の腕の中でポカンと口を開けた。
「まず、肘を冷やして、それからベッドに戻ろう。それとも、眠くないならここで話をする? 僕は君の話を何でも聞くよ」
近くの明かりを灯してふんわり笑った彼に私は心の中で白旗を上げた。やっぱり私の不安な気持ちがバレている。でもなんだか、彼にくっついていると不安が溶けていく気もする。
私は目の前の彼の寝間着をきゅっと握って頼んだ。
「・・・では、ベッドでテオ様のご家族のお話をしてください」
明日ご家族と初対面なのに、目の下にクマを作るわけにいかない。でも、よく考えればご家族のことを詳しく聞いたことがなかった。何事も予習が大事だって先生が言ってたのに、抜かっていた。
湧き上がってきた欠伸を飲み込んだら、移ったのかテオ様も欠伸をしながら目をこすった。
「そういえば、あんまり話してなかったね。子守唄代わりに話そうか。すぐ寝ちゃいそうだけど」
*************
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
新章開始です。本編15話。かんさつ日記1話の計16話です。
よろしくお願いいたします。
「はい! しっかり見てきますね」
「だけど、結婚しているのに夫の親族に会うのが初めてって貴族ってそういうものなのか?」
「いえ、多分、珍しいと思います。ですが、ちゃんと結婚の許可はもらっているので大丈夫、なはずです」
昼下がりの食堂に、時間を合わせてジャンニさんとロメオさんが訪ねてきてくれて一緒に食事を摂っている。
お店はもう昼の営業が終わっていて、お客さんは誰もいない。チェレステさん達も加わっていつもよりちょっと豪華なまかないを食べつつ、話は私が明日から向かうハーフェルト公爵家についてになった。
私とテオ様は特殊すぎる結婚だったので、彼の家族と一度も会ったことがない。今回の帰省で初めて会うので今からドキドキしていると言えば、皆が口々に励ましてくれた。
チェレステさんは結婚経験がある女性ということでより親身になってくれて、私の手を取ってため息をついた。
「はー、心配だねえ。離婚三回の私が言うのもどうかと思うけど、一応、姑と仲良く付き合う心構えをメモしておいたから、お守り代わりに持っておいき」
「ありがとうございます! 私、どうしたらいいか分からなかったので、これを覚えて頑張ります」
「いいかい? もし虐められたら離縁状叩きつけて帰っといで。ウチに住み込んで働けばいいからね!」
「ありがとうございます。本当に困ったらお願いいたします」
「いやいや、あの奥様ですよ? 虐められたりは絶対ないし、シルフィア様は大事にされますって。それにテオドール様がシルフィア様から離縁状なんて叩きつけられたらどうなるか。想像するだけで怖いですね!」
満面の笑みを浮かべて元気よく最後の台詞を言い放ったフリッツさんに、チェレステさんが苦笑いをした。
「私達はその奥様を知らないからね。まあ、シルフィアちゃんが大事にされるなら何も言うことはないさ。あの青年がどこの誰だろうと大事な妻を守れないなら夫失格さね。そうだ、シルフィアちゃん、離縁状の書き方を教えとこうか? こっちは三回も書いてるから完璧だよ」
「離縁状ってどんな・・・」
興味が湧いて、チェレステさんの方に身を乗り出した途端、後ろへ引っ張られてそのままふわりと慣れ親しんだ匂いに包まれた。
「フィーア、君にそれは必要ないからね? チェレステさん、僕は彼女と離婚なんて絶対にしませんから!」
「おやおや、必死だねえ」
「必死ですよ!」
切羽詰まったような声が降ってきて、後ろから腰に回された腕に手を乗せて首を上に傾ければ、真っ青な顔のテオ様がいた。
「そろそろ時間だから迎えに来たんだ。帰省の前に友人と昼食会という話だったよね? なのになんで、離縁状の話になってるの?!」
「・・・なんででしょう?」
どうしてだったっけ? と首を傾げれば、チェレステさんがニヤリと笑って指を振った。
「そりゃ永遠のネタ、嫁姑問題だよ」
「僕は、何があっても誰が相手でもシルフィアの味方ですよ」
「それは、夫の鏡ですね。シルフィアさん、これ俺からのお餞別。日持ちするから船の中ででも食べてくれたら」
「ルノーさんのジャムサンドクッキー! 嬉しいです、大事に食べますね」
朝からルノーさんが何か甘い匂いの物を作っているなと思っていたら、私へのお餞別だった。
ルノーさんは最近お菓子作りにハマっていていくつか食べさせてもらったけれど、どれも美味しかった。チェレステさんなんてこの食堂でも出したいと本気で検討している。その中でも一番美味しかったジャムサンドクッキーをもらえるなんて嬉しすぎる!
一緒に食べましょうね! とテオ様へ貰ったクッキーの袋を掲げて見せたら、彼の顔がパッと明るく輝いた。
「じゃあ、船内で二人きりでお茶しようね。約束だよ」
「はい、楽しみです!」
「あっという間に機嫌が直ったね。あれは意外とシルフィアちゃんの方が夫を手の上で転がしているのかね?」
「シルフィア様は全くそんなつもりはないと思いますがね。テオドール様が妻に関して単純過ぎるんです。そういえば、ルノーさん、俺には餞別ないんですか?」
「あるよ。ほれ、俺特製つまみセット」
「あー、これこれ。美味しすぎるヤツ! ご馳走様です! お土産はハーフェルト家の秘蔵ワインでもくすねてきましょうか?」
「・・・まだ死にたくないからヤメテ」
■■
波と風の音に混ざって窓に打ちつける雨の音が聞こえる。お茶の時間までは晴れていて、どこまでも続く青い海原をテオ様と眺めながらジャムサンドクッキーを食べていたのに、夕方から雨が降ってきて深夜の現在まで続いている。
明日の昼過ぎに港に着くと言っていたけど、この天気でも本当に大丈夫なのだろうか? いつもは留守番のウータさんが今回は私がいるからとついてきてくれているのだけど、波が高くて船が揺れるせいで酔ってしまって自分の部屋に籠もっている。フリッツさんは平気そうだけど何度かテオ様と真剣な顔で話し込んでいた。
私は海も船も初めてで、昨日の朝出港してから甲板に行って風に吹かれてみたり、船の中の部屋でお茶したり動く窓の外を眺めたりして、この旅をとても楽しんでいた。
なのに今、大波のような不安が押し寄せてきている。もしかしたら本当はずっと不安で、考えないようにしていただけかもしれないけれど。
真っ暗な窓に両手を当てて覗き込む。たくさんの雨粒が目の前のガラスに当たって滑り落ちていく。その向こうの海は空との区別がつかない黒さで私を飲み込んでしまいそうだ。
怖い。
この暗い雨の海も、これから行くハーフェルト公爵家も。
私は大きく息を吐きながら額をガラスにくっつけた。
テオ様のご家族なのだから、きっといい人達なのだろうと思う。だけど、私の知っている家族というものは、罵詈雑言を吐いて痛めつけてくる怖くて嫌なものだったから、私は恐怖しか抱けない。
こんなこと、テオ様には言えない。私は窓の側に置かれている椅子の上でじっと膝を抱えて外を見続けていた。
「あれ・・・? フィーア?」
突然、テオ様の寝惚けた声が聞こえて肩が震えた。どうしよう、起きないと思っていたのに。敏い彼のことだから、側にいればこの不安な気持ちがバレてしまう。でも、返事をしなければ探されてしまう。
窮地に陥った私は、混乱してワタワタと暗闇で動いた挙げ句、椅子から落ちた。
ドタッという音で、あっという間にテオ様が駆けつけてきて私をすくい上げる。大抵いつも寝起きがよくない人なのに、こういう時は機敏なんだから。
「フィーア、大丈夫?! 怪我は?」
「ない、です」
本当は床に右肘を打って痛かったけど、心配かけたくなくて、ぐっと我慢して答える。
「・・・うーん? 右の肘を打った?」
「なんで?!」
「あ、当たったみたいだね。そっちだけいつもより掴まる力が弱いから、そうかなって」
なんで真夜中の寝起きでそんなに鋭いの?!
先程までの重い気持ちを忘れて、私は彼の腕の中でポカンと口を開けた。
「まず、肘を冷やして、それからベッドに戻ろう。それとも、眠くないならここで話をする? 僕は君の話を何でも聞くよ」
近くの明かりを灯してふんわり笑った彼に私は心の中で白旗を上げた。やっぱり私の不安な気持ちがバレている。でもなんだか、彼にくっついていると不安が溶けていく気もする。
私は目の前の彼の寝間着をきゅっと握って頼んだ。
「・・・では、ベッドでテオ様のご家族のお話をしてください」
明日ご家族と初対面なのに、目の下にクマを作るわけにいかない。でも、よく考えればご家族のことを詳しく聞いたことがなかった。何事も予習が大事だって先生が言ってたのに、抜かっていた。
湧き上がってきた欠伸を飲み込んだら、移ったのかテオ様も欠伸をしながら目をこすった。
「そういえば、あんまり話してなかったね。子守唄代わりに話そうか。すぐ寝ちゃいそうだけど」
*************
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
新章開始です。本編15話。かんさつ日記1話の計16話です。
よろしくお願いいたします。
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