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第二章 夫妻の贈り物

14、繋いだ手

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「おはようございまーす。おや、テオドール様だけですか。若奥様はまだお休みで?」
「おはよう、フリッツ。うん、シルフィアはもう少し寝かせておこうかなと」  

 明るい声で食堂の扉を開けて入って来たフリッツへ、食後の果物を食べていたテオドールがサラリと返す。

 朝食前の運動で近所を走ってきたフリッツは息を切らせつつ、ウータが差し出した水を礼を言って受け取り、テオドールの向かいの席に腰を下ろした。

「いつも朝早くからパタパタ動いている若奥様が起きられないとは珍しい。体調不良じゃないですよね?」

 一気にコップを空にしたフリッツが首を傾げる。

「昨夜、いきなり『寝取られってどういうことですか?』って聞いてくるものだから、つい」

 さり気なく視線を逸らしつつ居心地悪そうに答えたテオドールへ、フリッツと彼の朝食の配膳にきていたウータがやれやれという視線を向けた。

「・・・フリッツは今日休みだろ、まだ出掛けないのか?」

 テオドールは、ばつの悪さを誤魔化そうとするように話題を変えた。

 フリッツは食堂や客間のある二階の一部屋に独りで暮らしている。職業柄、ほぼ寝に帰るだけで休みの日は朝から出掛けていることが多い。今日のように朝食をここで食べていることは珍しいのだ。

 彼は苦笑して皿からパンを取り、手で千切るとのんびりと返した。

「ええ。休みですが特に用はないので、お二人が外出されるなら護衛をしようかなあと思いましてね」

 その返答にテオドールは片眉を上げた。

「休みに仕事をしようとするな。フリッツの護衛は要らない。危ない場所には近づかないし、僕だってフィーアを守れる。たまには二人でデートしてきたっていいだろ」

 目を細めて低い声で淡々と返したテオドールにフリッツはニヤリと笑う。

「ああ。今日は二人きりでデートしたいのですね。分かりました。でも、テオドール様も守られる立場だって忘れないでくださいよ。何かあってからでは遅いんです」 

「・・・まあ、そうだけど。そういう仰々しい生活から一時でも離れたくて、留学先に治安が良いここを選んだのだから、二人でもいいだろ? この気軽な生活も後一年だし、影もいるし」
「・・・影は時差が出来るのが難なのですが、仰る通り表通りの治安は悪くないですからね。それでも、十分気をつけてくださいよ」
「分かってる。あ、シルフィアが起きたかな」

 廊下を焦ったように走ってくるバタバタという足音に、二人は会話を止めた。

■■

 あー、もう。なんで私は寝坊してしまったのか。

 先程からずっと今朝の失態がグルグルと頭を回って、せっかくテオ様と二人きりのデートだというのに楽しめないでいる。

 本当なら、いつも通りに起きて朝食を食べたら直ぐ出掛けようと言っていたのに、起きたら陽は高く上っていた。飛び起きて急いで支度をしたけれど、せっかく二人で色々考えた予定を変更することになってしまった。
 先に起きて待ってくれていたテオ様に申し訳なくて、目が合う度に謝ってしまい、今や二人の間には沈黙しかない。

 それでも繋いだ手だけは離さずに俯いてとぼとぼと彼の横を歩いていたら、何度目かの気遣う声が降ってきた。

「フィーア、今日の髪型もよく似合ってるね。・・・そろそろ機嫌は直りそう?」

 私はしばらく考えて首を横に振る。本当はテオ様と楽しく会話したい。でも、気分の落ち込みが深すぎて、まだ浮かび上がれない。
 そんな自分が嫌で、ぎゅっと繋いだ手に力を込めた。

 ふーっ、とため息が聞こえて、さすがに嫌われたかと怯えて彼の顔を見上げれば、すまなさそうな薄青の瞳がこちらを見下ろしていた。

「ごめんね、僕が先に起きたからいけないんだよね。本当は僕も君と一緒に朝寝するつもりだったんだけどさ・・・」

 確かに、テオ様も一緒に寝坊してくれていたら、ここまで罪悪感で落ち込まなかったかもしれない。

「テオ様は、どうして先に起きてしまったのですか?」

 途中で言葉を止めたままの彼へ首を傾げれば、彼は目を彷徨わせ口元に手を当てて赤くなった。

「・・・?」
「ぐっすり眠っている君が可愛すぎて、ちょっかいをかけたくてたまらなくなって・・・髪に触れたらそのまま止まらなくなりそうで・・・自制した、訳です」

 この人は私が寝てる間に何をしているの?!可愛すぎてとか、止まらないって何が?!

 ぽかんと口を開けた私も、目の前の彼と同じくらい真っ赤になって二人で照れていたら通行の邪魔になっていた。

「テオ様、迷惑になってます。行きましょう!」

 慌てて人の流れに潜って進んでいるうちに、彼と繋いでいた手は離れてしまっていた。でも、彼ならきっと私の側にいてくれるはずと思っていたのは間違いだったらしい。

 私は今、人混みで一人になってしまっていた。

 これはもしや、迷子というものでは?

 マズイ状況だ、と気がついて立ち止まろうと思っても、人が多くてどんどん流されていく。さすが帝都一の繁華街。近所の通りとは大違いだ。

 必死で人の流れに抗い横へ逸れて、なんとか通り沿いの建物の壁へ張り付いたのは随分経ってからだった。

「ここは、どこでしょう?」 

 呟いても、それを拾ってくれる人はいない。いつもならテオ様やフリッツさんが居てくれて、私はついていけばいいだけだったのに。急に不安が押し寄せてきて、思わず服の裾を握りしめた。

「テオ様・・・」

 小さく呼んでみるも、応えがあるはずもない。それでも、彼が見つけてくれないかと、しばらくそこに立っていた。

「おい、さっきからそこにいるけど一人か? こっちにこい、ウマイ菓子があるからよ」

 突然、直ぐ側の路地から顔を覗かせた見知らぬ男の人に声を掛けられて、私は飛び上がった。
 同時に常日頃、フリッツさんから知らない人にはついて行かない、路地には絶対入らないと言われていたことも思い出す。

「あの、いえっ、一人ではないです! 失礼しますっ」

 急いで人の流れに飛び込み、闇雲に歩く。気がつけば大きな噴水のある広い公園に出ていた。

 うわー、前に新聞の絵で見た場所だ! すごい、本当に水が高く噴き出している。

 私は興奮して噴水に近付き、舞い上がる水に触れてみた。
  
 冷たい、本物の水だっ! すごい。確か、都の外れの山から水を引いてきてるんだっけ。テオ様が図に描いて教えてくれた。

 それで私はテオ様を探している途中であることを思い出した。この公園は広くてさっきの通りほど混雑していないので、噴水の縁に腰を下ろしてこれからどうすべきか考える。

 多分、テオ様も私を探してくれている。でも、まだ出会えていない。ということは、何か問題があるのだ。

 うーん、と首をひねって考え、周りを見渡してぽんと手を打つ。そうか、身長のせいだ!

 私は他の人より背が低い。だから、人が多いと埋もれてしまう。それではテオ様から私を見つけるのは難しい。ということは、背がうんと高くて人混みでも頭が抜けているテオ様を私が見つける方が簡単なはずだ。

 そうと決まれば、高い所に上って私がテオ様を探そう!

 そう意気込んで立ち上がり、ぐるりとまわりを見渡したものの、直ぐには適当な場所が見つからなかった。噴水に登れば水浸しになってしまうし、木には登れないし、ベンチの高さでは足りない気がする。

 近くには登れそうなものが見当たらず、私はその場に突っ立ったまま途方に暮れた。
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